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箱根旧街道 上長坂・山中城址

【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
三島スカイプウォークの南辺を通る国道1号(東海道)から旧東海道が分かれ、石畳の上長坂を登る。上長坂は坂下から富士見平ドライブインがある坂上まで、現状保存や一部に根布川石を補填したり全面敷設して、往時の様子をよく留めて改修されている。地元自治体をはじめ、関係者方々には頭が下がる思い。しかし、上長坂上から山中城口交差点にかけては国道1号笹原山中バイパス工事のため歩くことができなかった。バイパス開通後にこの区間がどうなってしまうだろうと、老婆心に危惧しながら山中城岱崎出丸跡の北西側を進んで山中の集落に。

北条氏が築いた山中城の縄張り内に位置する山中の集落、三ツ谷と同じように小ぶりながらも間の宿に近い街村を形成していたようで、御小休本陣が笹屋、脇本陣を大和屋が務めていた。特に芋や寒ざらし団子が名物だった。寒ざらし団子は現在、山中城跡公園にある売店で販売している。周辺一帯は山中新田と称する箱根西坂五ヶ新田の一つ。

山中城は日本百名城に数えられる中世の山城で、永禄年間(1558~70)小田原西側防備の最前線として北条氏康が築いたとされる。天正18年(1590)秀吉の小田原征伐に対抗するため、氏政・氏直父子は新たに岱崎出丸や西ノ丸を築造するなど、大規模に縄張りを拡張させた。しかしこの堅城を秀吉は7万もの大軍をもって包囲、これに対し城を守る北条方の将兵はわずか4千2百、秀吉の軍勢は数にものを言わせた猛攻撃でわずか半日で落城させたという。この攻防戦により北条方はほぼ全滅、城主だった松田康長と副将の間宮康俊の墓は三ノ丸跡の宗閑寺境内にひっそりと建つ。




上長坂登り口
三島スカイプウォークの南辺を通る国道1号(東海道)から分かれる旧東海道。夢舞台東海道「笹原新田 上長坂」道標が立つ。ここから石畳の道が先へ延びる。


上長坂
上長坂の登り口。


上長坂
上長坂の石畳。


上長坂
上長坂の中間地点、石畳が現状保存されている部分。


上長坂
坂上近く、根布川石を全面敷設し石畳を改修している。


上長坂上
上長坂上、国道1号(東海道)と交差する所に階段が設けられている。この辺りは国道1号を通すために盛り土された地形が改変されたことがわかる。


「明治天皇御駐輦阯」碑
上長坂と国道1号(東海道)の交差地点付近にある「明治天皇御駐輦阯」碑。明治天皇御巡幸の折、ここで車を停め休まれたのだろう。


上長坂上
上長坂上、国道1号を挟んで向こうに石畳の道が続く。その右手に富士見平ドライブイン。


芭蕉句碑
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き

上長坂と国道1号(東海道)の交差地点東側にある芭蕉句碑。碑面の句は貞享元年(1684)芭蕉が箱根越えをした際に詠んだとされる。建碑者は東京家具センターの倉島延三氏。


浅間平地区の石畳
富士見平ドライブイン横、上長坂上から東へ延びる浅間平地区の石畳。しかし…。


浅間平地区の石畳
工事中につき通行できないので迂回してくださいとのこと。笹原山中バイパス工事の真っ只中のようで。


笹原山中バイパス工事現場
笹原山中バイパスの工事現場。先ほど通行止めになっていたのは、バイパスを通すために旧東海道(浅間平地区の石畳)の路盤が開削されたため。写真の赤線部分が消えた旧東海道、こうやって徐々に古い道は消えてゆくわけだ。おそらくここには跨道橋が架けられるのだろう。


浅間平地区の石畳
通行止め地点東側の旧東海道(浅間平地区の石畳)。


浅間平地区の石畳
歩行者通行止の案内板。


山中城口交差点
浅間平地区の石畳は山中城口交差点で途切れ。写真左が通行止め区間。


倶楽部四季遊山
”倶楽部四季遊山”入口前の旧東海道。すぐ先から腰巻地区の石畳がはじまる。


腰巻地区の石畳
腰巻地区の石畳入口。右手(東側)一帯の舌状台地上が山中城岱崎出丸跡。


腰巻地区の石畳
薄暗い山林の中へ延びる石畳。


腰巻地区の石畳
箱根旧街道は歴史と自然を感じながら歩ける格好のハイキングコース。


腰巻地区の石畳
腰巻地区の石畳。左手路傍に箱根八里記念碑(司馬遼太郎)。


箱根八里記念碑(司馬遼太郎)
箱根八里記念碑(司馬遼太郎)。
幾億の跫音(あしおと)が 坂に積もり  吐く息が 谷を埋める わが箱根にこそ


腰巻地区の石畳
薄暗い山林を抜ければ山中の集落。


腰巻地区の石畳
腰巻地区の石畳は山中城跡公園内のここで終わり。


山中城跡案内図
山中城跡を散策してみよう。まずは岱崎出丸跡に。


山中城 岱崎出丸跡
秀吉の小田原征伐に対抗するため、氏政・氏直父子が増築した岱崎出丸。


出丸御馬場跡
古くから御馬場跡伝わる場所。 岱崎出丸最大の曲輪。東側と北側に土塁が設けている。


山中城 岱崎出丸跡
御馬場跡より岱崎出丸の先端(南側)方向。


岱崎出丸より三島市街
岱崎出丸より三島市街や駿河湾を遠望。


出丸御馬場堀
出丸御馬場の南辺には深い空堀(出丸御馬場堀)。


岱崎出丸一の堀
岱崎出丸西側に設けられる一の堀。畝堀がきれいに復元されている。


すり鉢曲輪見張台
すり鉢曲輪見張台。


すり鉢曲輪見張台からの眺め
すり鉢曲輪見張台からの眺め。下の山裾を通る旧東海道を監視できるのはもちろんのこと、三島・沼津方面を望めば韮山城まで遠望できるという。天気が良ければ…。


すり鉢曲輪
岱崎出丸先端部のすり鉢曲輪。その名の通り中央部を窪ませている。敵が攻めにくくする工夫なのだろうが、理由がよくわからない。


すり鉢曲輪虎口
すり鉢曲輪南端にある虎口。東側の”武者溜り”と推定される曲輪に接続している。


武者溜り
ここが武者溜り。山中城の最前線となる場所、攻める秀吉の軍勢を防ぐべく、ここに死を覚悟した北条方の兵士たちが配備されていたのだろうか。


旧東海道 山中新田
岱崎出丸の散策を終えて次は本城に。


芝切地蔵尊
三ノ丸跡にある芝切地蔵尊。その昔、巡礼姿の旅人が山中の旅籠に泊まり、腹痛を発して急死した。旅人は死の間際、芝塚を造り故郷の常陸国(現 茨城県)が見えるように地蔵尊として祀るよう遺言、村人は遺言を守り地蔵尊を建立したという。以来、毎年7月19日を縁日として供養し、合わせて”小麦まんじゅう”を作り参拝者に振舞った。これが名物となり、江戸時代には大勢の参拝客が集まり、山中の集落は大いに潤ったと伝わる。


山中城跡記念の碑
芝切地蔵尊の北東側、宗閑寺参道入口に立つ山中城跡記念の碑。昭和5年(1930年)、東京に住んでいた豊臣家の家臣、一柳直末の末裔による建立。一柳直末は秀吉の小田原征伐に参戦、山中城の攻城戦の際、敵の銃弾を受け戦死した。


宗閑寺
三ノ丸跡に建つ宗閑寺本堂。


北条家家臣松田康長、間宮康俊と豊臣家家臣一柳直末の墓
宗閑寺境内にある豊臣家家臣、一柳直末の墓(写真右)。左に北条家家臣の松田康長や間宮康俊の墓が並び呉越同舟の様相。


北条家家臣松田康長の墓
北条家家臣松田康長の墓(写真手前)、左隣には間宮康俊の墓。ともに秀吉の小田原征伐に対抗して山中城を守備していたが、秀吉方の軍勢の猛攻によって戦死した。


山中公民館
宗閑寺北側、三ノ丸跡の北端にある山中公民館。ここの敷地横を通って山中城の本城へ。


箱井戸跡
箱井戸と呼ばれる池。解説板によれば城兵の飲料水に利用していたと推定している。


田尻の池
箱井戸の隣にある田尻の池。箱井戸とは土塁で遮り、排水溝を設けて向こうから水を流し込んでいたという。解説板によれば、こちらは洗い場や馬の水飲み場等に利用していたと推定、西側に馬舎があったとの伝承がある。


元西櫓と西之丸
二ノ丸より本城先端部の元西櫓(写真手前)と西ノ丸(写真奥)を望む。


西ノ丸南辺の畝堀
西ノ丸南辺の畝堀。


二ノ丸(北条丸)
二ノ丸(北条丸)。本丸の西隣りに位置し、城の中枢だったところ。


本丸堀
二ノ丸(写真右)と本丸(左)の間に設ける本丸西堀。


本丸
山中城の中心となる本丸。北隅に天守櫓を設け、写真に見える藤棚の場所に本丸広間が建てられていた。


天守櫓跡
本丸北隅の天守台。山中城の最高地点に位置し、往時には井楼(物見用の建物)と高櫓(攻撃用の建物)からなる天守櫓が設けられていた。


本丸
天守台より本丸。


矢立の杉
天守台に接して聳え立つ”矢立の杉”。推定樹齢500年、樹高約32m。解説板によれば、出陣の際にこの杉に矢を射立て、勝敗を占ったと「豆州志稿」(江戸時代後期に編さんされた地歴書)の記述にあるとのこと。


兵糧庫・爆薬庫跡
本丸南側に接して位置する兵糧庫・爆薬庫跡。


兵糧庫跡の柱穴
兵糧庫跡の柱穴。


本丸・北ノ丸を繋ぐ架橋
本丸と北ノ丸を繋ぐ架橋。


本丸堀
本丸北西辺の空堀(本丸堀)。写真左が本丸。


北ノ丸
本丸北隣りの曲輪、北ノ丸。本丸より高地に位置し、周囲に土塁と深い空堀を配する。二ノ丸と共に城の中枢をなす曲輪だったことをうかがう。


駒形諏訪神社
山中城址の散策を終え、旧東海道の駒形諏訪神社鳥居前に。


茶屋竹屋
駒形諏訪神社鳥居前には茶屋竹屋。次の記事に続く。


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しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
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