野口村

【2010年1月10日(日) 旧日光街道 今市宿→鉢石宿 道中】
旧瀬川村から約2km続く杉並木の街道を通り抜ければ、旧野口村の集落に至る。前述した瀬川との境界にあたる十文字から生岡神社の参道入口までが野口の地域であり、旧村域もおそらく同じような境界を引いていたのだろう。杉並木以外にこれといった見所は無いのだが、集落内に廃寺となった竜蔵寺跡があり、そこに残された薬師堂の前に石で作られた釣鐘が置かれている。どういった経緯でこんなものが作られたのか、なにゆえ打ち捨てられたようにここに置かれたのか…。ミステリーである。


野口村
旧野口村の集落へ。


野口薬師堂
竜蔵寺跡に残る薬師堂。


野口薬師堂
これが石で作られた謎の釣鐘。かなり古い物だということは見た目から推察がつくが、いったい何の目的で作られたのだろう。


野口の杉並木
野口薬師堂を過ぎると杉並木の中へ。


野口村
杉並木の中に静かな佇まい。


野口村
旧日光街道が国道119号に合流する手前で杉並木が一旦途切れ、合間に民家が軒を連ねる。野口地区の西端にあたり、この先で国道に合流して間もなく七里地区に入る。


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瀬川村

【2010年1月10日(日) 旧日光街道 今市宿→鉢石宿 道中】
今市宿を出て杉並木の街道を進むと間もなく瀬川一里塚に至り、そのすぐ先から杉並木が途切れて旧瀬川村の集落に入って行く。この一里塚の裏手辺りに旧南小倉村名主の旧宅である江連家住宅が移築保存され、土間の部分が土産物売場に、居住部分の座敷や茶の間が一般公開されており、当時の名主や農民の暮らしぶりを知る貴重な資料となっている。日光街道歩きの際は是非とも立ち寄ってほしい。


瀬川の杉並木
今市宿から旧瀬川村の道中に立ち並ぶ杉並木。


高龗(たかお)神社
杉並木の中に鎮座する高龗(たかお)神社。神護景雲元年(767年)の創建と伝わり、瀬川村の鎮守だった。


瀬川の杉並木
杉並木を散策しながら。


瀬川一里塚
瀬川一里塚を行く街道。日光道中最後の一里塚となる瀬川一里塚は、江戸日本橋から34里目(約134km)にあたり、両塚が現存する。


江連家住宅
瀬川一里塚の裏手、杉並木公園内にある江連家住宅。木造茅葺屋根平屋建の名主屋敷で、天保元年(1830年)の建築。


江連家住宅板の間
名主や農民の生活を今に伝える江連家住宅・板の間。


報徳仕法農家
二宮尊徳による日光神領の農村復興の一環として、慶応元年(1865年)に建てられた報徳仕法農家の復元建築物。江連家住宅のすぐ近くにあるが、元々は轟村(現 日光市轟)に建てられた農家で、内部は馬屋・土間・囲炉裏付き居間・納戸・座敷2間などが配され、当時の農家住宅の模範となっていた。この報徳仕法農家は現在”報徳庵”という手打ち蕎麦・うどんを提供する店となって利用されている。


瀬川村 大日如来
旧瀬川村の家並みと、村人が信仰した大日如来を安置する大日堂。


瀬川の七本杉伐痕
瀬川の七本杉伐痕。7本の杉の根幹が一株となった珍しい大木だったが、明治35年(1902年)の大暴風雨で1本が倒れ、後に残りの杉も倒木や枯死し、昭和期になって危険木として伐り倒された。現在は切り株によって往時の様子を想像するしかない。


鈴木彫刻工芸
瀬川の街道沿いにある鈴木彫刻工芸。日光彫の工房。


瀬川の杉並木
旧瀬川村の集落を出でて次の旧野口村へ。


砲弾打込杉
旧瀬川村と旧野口村の間にある砲弾打込杉。この辺りは戊辰戦争の際、日光に拠る旧幕府軍と新政府軍の前哨戦があり、新政府軍の放った砲弾が杉の幹に当たり破裂した。その破裂痕が残っていることから砲弾打込杉と呼ばれる。写真の左に立つ杉の幹に凹みが確認でき、おそらくこれが砲弾の破裂痕と思われる。


十文字の旧幕府軍陣地跡
砲弾打込杉から日光方面へ約500m先、瀬川と野口の境界付近に十文字という小字名が残っている。カーブする街道と小径が交差するこの辺りに、旧幕府軍の大鳥圭介が土手上に陣を張って新政府軍と対峙したが、新政府軍の砲火凄まじく、やむなく日光山へ退却する。翌日、日光山の僧が新政府軍の谷干城に「日光は険難の地ゆえ、戦となれば多くの犠牲者を出し、神廟東照宮も焼け失せるだろう」と説き、新政府軍総督板垣退助の決断によって休戦となり、日光坊中は戦火から免れた。


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いざ日光東照宮へ向けて

【旧日光街道歩き 第9日目】今市宿→鉢石宿→日光坊中



【2010年1月10日(日) 旧日光街道 今市宿】
2010年に年も改まった正月休み明けの日曜日。気持ちも一新にして今市宿から日光街道の歩き旅を再開する。さあ、いざ日光東照宮へ向けて!
まずは前回に引き続き、今市宿について紹介しきれなかった如来寺と浄泉寺、瀧尾神社について補足する。如来寺は今市宿の中心部に位置し、二宮尊徳の葬儀が行われた寺ということは前の記事に書いた。江戸初期に三代将軍徳川家光が日光社参の際の宿泊地とするため、境内に御殿を築かせたほどの寺であり、日光分間延絵図を見てみると、江戸期にはかなり広い寺域を有していたことがうかがえる。次に浄泉寺であるが、ここは宿場の西外れに位置しており、家光が死去してその棺が日光へ運ばれる際、御小休所となった寺である。境内に沢蔵司稲荷(そば喰稲荷)があり、今市がそばの町と呼ばれる所以がここにある。瀧尾神社と共に詳細は後述しよう。


如来寺
室町時代中期の創建という如来寺。今市が日光街道の宿場町となる以前、この辺りは今村の集落があったのだが、おそらく如来寺を中心にした門前町の様相だったのだろう。


日光街道と会津西街道の追分 旧会津西街道相之道通りの標柱
日光街道と会津西街道の追分。分岐点に旧会津西街道相之道通りと書かれた標柱が置かれているが、うっかり歩いていると見逃してしまうので要注意。晃山たまり漬の日野為商店前にあたる。


浄泉寺 沢蔵司稲荷(そば喰稲荷)
浄泉寺と沢蔵司稲荷(そば喰稲荷)。二宮尊徳の子、弥太郎が文久2年(1863年)金12両を寄進し、元金を地元住民に貸与して、一割の利子の三分を浄泉寺祈料や諸雑費に当て、残りの七分を複利計算をもって稲荷の維持管理に当てる仕法を発案した。この仕法様式は大正年間まで継続し、現在は市指定文化財となっている。そば喰稲荷との別称で呼ばれるのは、弥太郎の娘に夜泣きする子がおり、稲荷にそばを献上して祈願したところ治ったことに由来があるらしい。


沢蔵司稲荷の石仏
沢蔵司稲荷の前にある石仏群。森友の来迎寺でも見た石仏と同じく半跏思惟の像である。しかし、目の周りが…何があったんだろう。ちょっとしたミステリーである。


瀧尾神社
今市宿の日光方入口に鎮座する瀧尾神社。今市の総鎮守。参道に風車が立ち並び、それぞれに短冊を付けて様々な願いが込められている。


今市の杉並木
瀧尾神社の参道前から杉並木の中へ入り、今市宿の町並みは終わり。かつては参道前に木戸が設置され、高札場が置かれていた。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

日光街道概略地図 日光街道踏破!
出発地:江戸日本橋
目的地:下野国鉢石宿(日光)

現在地:鉢石宿(栃木県日光市)

高札場
【 日光街道 旅の記録 】

1日目(2009/5/2) 日本橋→千住宿→草加宿 MAP

2日目(2009/5/3) 草加宿→越ヶ谷宿→粕壁宿→杉戸宿 MAP


3日目(2009/7/25) 杉戸宿→幸手宿→栗橋宿→中田宿→古河宿 MAP


4日目(2009/8/22) 古河宿→野木宿→間々田宿→小山宿 MAP


5日目(2009/10/4) 小山宿→新田宿→小金井宿→石橋宿 MAP


6日目(2009/10/25) 石橋宿→雀宮宿→宇都宮宿 MAP


7日目(2009/11/7) 宇都宮宿→徳次郎宿→大沢宿 MAP


8日目(2009/12/20) 大沢宿→今市宿 MAP


9日目(2010/1/10) 今市宿→鉢石宿→日光坊中 MAP


【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋
応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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