間々田宿
【2009年8月22日(土) 旧日光街道 間々田宿】
日光街道の中間に位置する間々田宿。日光街道が整備された翌年に宿駅として誕生していることから、宿場名の由来もその中間であることに関わりがあるのだろう。宿場から少し南に外れたところに、日光街道中間点を示す榎が植えられており、”間(あい)の榎”と呼ばれて日光街道を往来する旅人の目印となっていた。しかし、いつからか”逢(あい)の榎”と書かれるようになり、縁結びの木として信仰を集めたという。樹勢は衰えている感じはするが、今も健在である。
間々田宿は江戸方より下町・中町・上町・土手向町の4町に分かれ、天保14年(1843年)当時の記録によると町並み南北9町20間(約1018m)、人口947人、家数175軒、本陣1、脇本陣1、旅籠50軒とあり、宿場規模に比して旅籠数が多いのが特徴。江戸から日光街道を歩いてくると1日目は越谷宿・粕壁宿辺りで1泊し、間々田宿で2泊目を迎える旅人が多かったのだろう。次が小山城下であることを考えると、昔の旅人がここで旅装を解いたことは想像に難くない。奥の細道の旅に出た松尾芭蕉も間々田に宿泊している。

日光道中の中間を示す”逢の榎”。江戸から約18里(約72km)、日光へ約18里の地点である。中山道の中間点はビニールハウスの前に案内板があるだけだったが、日光街道は古くから目印とされた榎が残っており貴重である。守ってほしい。

案内板より、昭和34年(1959年)頃の”逢の榎”。現在より樹高があり街道中央まで枝が張り出している。おそらく後に国道4号の交通量が増し、大型車通行の邪魔になるので半分以上を切られてしまったのだろう。

間々田宿へ。

間々田宿の江戸方(南側)入口、旧商家の佇まいを残す”さやま酒店”。内部に旧商家造りの間取りや箪笥階段が残っているらしい。立ち寄っておけばよかった・・・。

さやま酒店の隣にある龍昌寺。慶安4年(1651年)徳川家光の遺骸を日光へ移送する途次、安置所が設けられた。江戸時代にこの寺の住職が疫病退散と雨乞いを願い、間々田の蛇祭りを発案したとの伝承が残る。

龍昌寺のすぐ先には”間々田ひも”の看板が掲げられ目を惹く。大正時代から間々田で組紐の製造販売を続けている。興味のある方は↓
間々田ひも ホームページ

間々田交差点を行く国道4号。この辺りが間々田宿の中心だった。

間々田宿問屋場跡。街道に面していた敷地は駐車場となっているが、その奥に門を備えた旧家がある。問屋場を務めていた子孫の方が住まわれているのだろうか。

間々田宿本陣跡。

間々田四丁目交差点が間々田八幡宮へ至る参道の入口である。間々田八幡宮は毎年5月5日に蛇祭りが行われる。

かつては50軒もの旅籠を抱えていた間々田宿であるが、現在はここ花屋旅館が唯一の宿泊施設のようだ。

国道4号を挟んで行泉寺と浄光院が向かい合って建っている。この辺りが間々田宿の日光方(北側)外れにあたる。
日光街道の中間に位置する間々田宿。日光街道が整備された翌年に宿駅として誕生していることから、宿場名の由来もその中間であることに関わりがあるのだろう。宿場から少し南に外れたところに、日光街道中間点を示す榎が植えられており、”間(あい)の榎”と呼ばれて日光街道を往来する旅人の目印となっていた。しかし、いつからか”逢(あい)の榎”と書かれるようになり、縁結びの木として信仰を集めたという。樹勢は衰えている感じはするが、今も健在である。
間々田宿は江戸方より下町・中町・上町・土手向町の4町に分かれ、天保14年(1843年)当時の記録によると町並み南北9町20間(約1018m)、人口947人、家数175軒、本陣1、脇本陣1、旅籠50軒とあり、宿場規模に比して旅籠数が多いのが特徴。江戸から日光街道を歩いてくると1日目は越谷宿・粕壁宿辺りで1泊し、間々田宿で2泊目を迎える旅人が多かったのだろう。次が小山城下であることを考えると、昔の旅人がここで旅装を解いたことは想像に難くない。奥の細道の旅に出た松尾芭蕉も間々田に宿泊している。

日光道中の中間を示す”逢の榎”。江戸から約18里(約72km)、日光へ約18里の地点である。中山道の中間点はビニールハウスの前に案内板があるだけだったが、日光街道は古くから目印とされた榎が残っており貴重である。守ってほしい。

案内板より、昭和34年(1959年)頃の”逢の榎”。現在より樹高があり街道中央まで枝が張り出している。おそらく後に国道4号の交通量が増し、大型車通行の邪魔になるので半分以上を切られてしまったのだろう。

間々田宿へ。

間々田宿の江戸方(南側)入口、旧商家の佇まいを残す”さやま酒店”。内部に旧商家造りの間取りや箪笥階段が残っているらしい。立ち寄っておけばよかった・・・。

さやま酒店の隣にある龍昌寺。慶安4年(1651年)徳川家光の遺骸を日光へ移送する途次、安置所が設けられた。江戸時代にこの寺の住職が疫病退散と雨乞いを願い、間々田の蛇祭りを発案したとの伝承が残る。

龍昌寺のすぐ先には”間々田ひも”の看板が掲げられ目を惹く。大正時代から間々田で組紐の製造販売を続けている。興味のある方は↓
間々田ひも ホームページ

間々田交差点を行く国道4号。この辺りが間々田宿の中心だった。

間々田宿問屋場跡。街道に面していた敷地は駐車場となっているが、その奥に門を備えた旧家がある。問屋場を務めていた子孫の方が住まわれているのだろうか。

間々田宿本陣跡。

間々田四丁目交差点が間々田八幡宮へ至る参道の入口である。間々田八幡宮は毎年5月5日に蛇祭りが行われる。

かつては50軒もの旅籠を抱えていた間々田宿であるが、現在はここ花屋旅館が唯一の宿泊施設のようだ。

国道4号を挟んで行泉寺と浄光院が向かい合って建っている。この辺りが間々田宿の日光方(北側)外れにあたる。
























