十勝三股駅跡(士幌線) ~士幌線の終着駅~
昭和14年(1939)士幌線の延伸開通により終着駅として開業した十勝三股駅。河東郡上士幌町字三股に所在、三股という地名は角川日本地名大辞典によれば『音更(おとふけ)川・中ノ川・十四ノ沢の3川が合流する地点にあることによる。」とあり、駅名はこの地名に十勝を冠して付けられた。大雪山の原生林から伐り出した木材搬出の拠点となり、昭和19年(1944)音更本流森林軌道(後に機関車が導入され森林鉄道)を敷設。翌年(1955)には営林局貯木場と専用側線(632m)が設けられた。
転機となったのが昭和29年(1954)9月に北海道で猛威を振るった台風15号(洞爺丸台風)。隣の幌加駅と同様に大量に発生した風倒木の処理に多くの造材人夫が入ったようで、最盛期には1500人程が暮らし駅を中心に市街を形成、三股小中学校が開校した。
昭和33年(1958)音更本流森林鉄道が廃止されて三股地区は斜陽の時代を迎え、同53年(1978)12月貨物取扱いが廃止されると共にマイクロバスによる代行輸送に転換、同59年(1984)荷物取扱い廃止により駅員無配置となり、同62年(1987)士幌線全線廃止に伴い廃駅となった。それから36年を経た現在、市街は消滅し2世帯が暮らすのみ。駅跡には旧建物などの基礎を残すも草生して見る影は無い。

「上士幌町地域の宝さがしの会」作成、昭和42年(1967)の十勝三股図。現地では想像しがたい往時の市街がどんな様子だったのかよくわかる。この10年後の姿が下の空中写真。わずか10年で過疎化が急激に進行したことがうかがえよう。

空中写真データ:国土地理院 十勝岳 整理番号CHO7731-C4C-7を基に作成。
昭和52年(1977)9月撮影、十勝三股駅周辺の空中写真。糠平駅~十勝三股駅間がマイクロバス運行に転換される1年3ヶ月前で、1日4往復の列車を運行し駅員を配置していた時代。駅南側に転車台と機関庫が残存している。駅西側の市街は過疎化が進行するも建物が点在して多く残っており、東側の少し離れた場所には前年に廃校した三股小学校(1976年閉校)が見える。

小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(昭和54年(1979)初版第1版発行)より。マイクロバスによる代行輸送をしていた時代の駅舎。そんな状況下でもここは駅員を配置する有人駅だった。
先ずは2012年8月、幌加駅跡から十勝三股駅跡にかけて少しだけ写真を撮っていたので↓

士幌線跡(幌加駅~十勝三股)に残る第5音更川橋梁。

旧三股市街で営業する喫茶店の三股山荘。
ログハウスの喫茶店 三股山荘
https://snowpicture2.wixsite.com/mitsumatasansou

三股山荘の敷地内に立つ駅名標。

駅北側に残っていた音更本流森林鉄道の修理工場。昭和26年(1951)の建築。

この森林鉄道車庫だけが往時を物語っていたが、現在(2023年)は半倒壊している。

駅跡前にある歌碑。「梅雨晴の 大雪山のすがたに 佇ちつくす」と刻む。

「十勝国上士幌ヨリ石狩国ルベシベ(現 上川郡上川町)に至ル鉄道」として計画された士幌線。十勝三股から三国峠を越えることなく志半ばで廃線の運命を辿った。

三国峠より十勝三股盆地を望む。
11年後の2023年8月に訪れた現況を↓

営業時間外だったが11年前と変わらぬ様子の三股山荘。

しかし駅名標だけは時の流れを感じさせた。

三股山荘から駅前通りへ続く道。十勝三股図によれば右手前に定蛇商店があり、左手奥に駅舎があったはず。

三股山荘からの道が駅前通りに突き当たる丁字路。左に曲がれば十勝三股駅跡。その角には11年前と変わらず歌碑が残っていた。

駅跡前にある歌碑。「梅雨晴の 大雪山のすがたに 佇ちつくす」。梅雨が無い北海道で季語に梅雨晴れを用いており、想像するに6~7月頃本州からここを訪れた歌人が詠んだものか。梅雨時に本州では見られない澄んだ青空、その下に悠々と広がる大雪山の山々、これに見とれしばらく足をとどめたのだろう。

駅前通りより駅方面。かつては奥に駅舎が見えていたはず。

駅前通りより国道方面。奥に見える建物は十勝三股バス停留所の待合所。右折が三股山荘へ至る道。十勝三股図によれば昭和42年(1967)当時のここは十字路で、左奥角から国道にかけて藤本家・ずぼらや食堂・鈴木理髪・十条製紙三股駐勤所が並び、右奥角に西川家、その奥に三股担当区事務所があった。

野道と化した駅前広場。手前に立つ木の間辺りに駅舎が設けられていた。

駅舎跡より糠平・帯広方面の構内。

駅舎跡より貯木場があった北方向。かつては貯木場へ至る専用側線が延びていた。

駅舎跡より駅前。かつての駅前広場は草生し市街は白樺林となっている。

駅跡南側に設置されている危険立入禁止の立て看板。旧建物の基礎等が残っており危険なのでむやみに敷地内に立ち入らないよう注意を呼び掛ける。

きっと草むらの下には往時の十勝三股を伝える遺構が多く埋まっているのだろう。
訪問日:2023年8月14日(月)、2012年8月22日(水)

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