はじめに

新年を迎え「今年一年の抱負を」と言われても、親兄弟自分も含め健康に生活していければ・・・なんてことぐらいしかない。せめて何か目標を持って今年一年を過ごしていければと思い立ったのが旧中山道踏破であります。

実は数年前にも一度チャレンジしましたが軽井沢にて断念。軽井沢から先は交通の便が極端に悪くなり、千葉県に在住する私にとっては電車で行って歩いてまた電車で帰ってくるという日帰り徒歩旅行は時間と忍耐の限界に達しました。

サラリーマンを生業とする私にとっては週休二日との建前があるにもかかわらず、ほとんど日曜日と祝日くらいしか休みが無く、30も半ばにして一人身という現実が、週に一度の休みも買出しや掃除洗濯のためにあるようなもので、なかなか歩く時間など作ることができませんでした。

しかし今年は幸いなことに長年の勤労に対する褒賞休暇なるものが5日間頂けるとのことで、ゴールデンウィークとこの褒賞休暇をうまく利用すれば達成も可能なのではないかと思い、再び決心した次第であります。

12月には京都の三条大橋に立つことを夢見て大江戸八百八町の中心、日本橋を出立します。そんな道中の軌跡をこのブログに残し、少しでも旧中山道中の魅力を伝えていければと思います。
といっても所詮、自己満足の世界ですが・・・
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まずは中山道の概要

この道は江戸日本橋と京都三条大橋を結び、その間69箇所の宿場町がある総距離百三十五里三十二町(約534km)の道のりです。江戸時代、太平洋側を通る東海道と山岳地帯を進む中山道は江戸と京都を結ぶ重要な街道であり、日光道中、奥州道中、甲州道中とともに五街道と呼ばれていました。中山道の起点、日本橋

中山道の成立は江戸幕府が1601年(慶長6年)から7年にわたり、それ以前からあった東山道をもとに整備されたもので、大名の宿泊施設である本陣や脇本陣が各宿場に設置され一里(約4km)ごとに一里塚が築かれました。

一日に20km歩いたとして27日間、月4日歩いたとすると約7ヶ月で達成可能・・・机上の計算ではいけそうな気がしてきました。ちなみに江戸時代の旅人は1日で約40km歩いたそうですから、江戸から京都まで2週間足らずで辿り着いたことになります。車社会に育った我々にとっては到底想像もできないような強行軍ですが、当時の人々にとってはごく当たり前のことだったのでしょう。
英泉「木曾街道続ノ壹 日本橋 雪之曙」
といっても鉄路がようやく品川駅と横浜駅間で開通したのが1872年(明治5年)でありますから、私どもの曾祖父さんや曾祖母さんの頃には東京から京都に行くには歩いて行くしかなかったわけで・・・これは遠いようでそう遠くはない昔話なのであります。

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日本橋っ!

【第1日目】1月7日(日)



爆弾低気圧とやらの到来で前日は大雨。さすがに出立は無理かと思っていたが、今日は少々風が強いが嘘のように晴れ上がり快晴。ところどころに黒い雲は残るもののおそらく雨は降らないだろうとの判断で日本橋へ向かう。

銀座線の日本橋駅で降り、まずは日本橋の品川側にあるエクセルシオールで朝食と軽く一服を済ませ11時に日本橋に立つ。
現在の日本橋は明治44年に完成
日本橋はその頭上に首都高が走っているため、景観が失われていると最近にわかに世論が盛り上がり、首都高を地下に埋めてしまおうという計画が持ち上がっている場所である。確かにここに立つとそのことを実感できる。英泉が日本橋の景観を描いた有名な浮世絵である「日本橋雪之曙」のように、お天と様どころか首都高に遮られてろくに空すら見えやしない。絵に描かれている江戸橋の向こう側に日が昇る光景など、現在では不可能な代物なのである。

たまたま女の子が英泉の絵を片手に同じような構図で写真を撮っているようだったが、おそらく自分と同じような葛藤を抱いたことでしょう、多分・・・。早いとこ首都高埋伏計画を実現して、日本橋に日の光を取り戻してほしい。そしてついでにあの巨大な排水溝と化している日本橋川も優雅に川船が行き交う清流にしてほしいなぁ・・・とつくづく願うしだいである。日本国道路元標

前置きが長くなってしったが、日本橋は知る人ぞ知る日本の道の起点であり、五街道はもちろんのこと日本国総ての道は日本橋に通じると言っても過言ではない場所であります。その証として日本国道路元標なるものが、日本橋の北詰に設置されている。

そして忘れてはならないのがここにあった魚河岸の存在である。かつてこの日本橋が架かる日本橋川沿いには魚の問屋や店が密集し、魚河岸と呼ばれる市場が形成されていた。江戸近郊で水揚げされた魚介類がここに船で運ばれ集まってきたのである。現在の変わり果てた光景を見てしまうと想像するのも難しいが、江戸前の魚介類がここに来れば食し、手に入っていたのかと思うと感慨深く、何となく魚の生臭い匂いが日本橋の上でも感じ取ることができるのである。かなり気のせいだが・・・

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今川橋のおじいさん

さてさて中山道の一歩を踏み出す。
まず目に飛び込んでくるのが三越本店の巨大な建物。ここは延宝元年(1673)に三井高利(三井家の家祖)が開いた越後屋呉服店のあった場所であり、これが後の三越となる。
日本橋から望む中山道(現中央通り)
時代劇でよく耳にする悪徳商人「越後屋ぁ・・・お主も悪じゃのう」とは一切関わりは無いと思うのであしからず。ちなみに日本で初めてエスカレーターが設置されたのが、ここ越後屋呉服店なのである。これが何と遡ること約90年前の1914年(大正3年)のことで、この年には現在の東京駅駅舎が建築され、第一次世界大戦が勃発した。

中央通りを先へ進む。
りそな銀行がある場所はかつて「十軒店(じっけんだな)」と呼ばれ、江戸時代初期から桃の節句や端午の節句に人形を売る仮の店があったことがその名の由来と言われている。五代将軍徳川綱吉が京都の人形師十人を招き、長屋を与えて雛人形屋を開かせたところとも言われる。十軒店跡

明治時代以降もこの地は「本石十軒店」と称されていたが、昭和に入り旧日本橋区室町三丁目に編入されてしまい、その名残を残すものは無くなってしまった。

中央通りを進み中央区から千代田区に入る。この区境にある小路がかつて竜閑川が流れていた場所であり、中山道はここを今川橋で渡った。現在、川は埋め立てられ車一台がやっと通れるような不自然な道となっているが、おそらく川の幅がそのままこの道幅になったのであろう。
橋の存在を気づかせてくれるものは、この先にある今川橋交差点の名と今川橋跡の石碑だけで、すっかり歴史の中に埋もれてしまった。

しかし実はここ、「今川焼き」発祥の地なのである。江戸時代に丸型の焼き菓子をこの付近で売り始めたことがきっかけで、この名がついた。

今川橋跡の案内板を読んでいると、70とも80とも思しめきおじいさんが話しかけてきた。
「ここには川が流れててねぇ、その道のところには橋が架かってたんだよ。」
「はぁ・・・そのようですね。」
「車の動きをよく見てごらんなさい。ちょっと盛り上がっている場所があるだろう。」
「はぁ・・・なるほど。」
私は目を凝らしてよく見てみる。
「それが今川橋の名残なんだよ。」

確かにこの小道と中央通りが交差する場所に多少の起伏が見受けられる。おそらくおじいさんの若かりし頃には現存していたのであろう。さすがにこれには全く気づかなかった。今でもおじいさんには在りし日の今川橋が見えているのだろうか・・・

JR神田駅のガード下をくぐる。この辺りには鍛冶町や紺屋町など江戸城下を偲ぶ粋な地名も多く残る。まもなく旧中山道は靖国通りとの交差点先で、中央通りを離れ直進する。
もう目の前には秋葉原の電気街が見えていた。

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聖地・秋葉原

神田川を昌平橋で渡る。ここから東側にかけての秋葉原駅周辺一帯は電気街として世界的?に有名な場所であり、多くの外国人観光客も見受けられる。最近は再開発ラッシュとなりダイビルやUDXビルなど巨大なビルが建ちはじめた。

そもそも秋葉原の名は明治期になってから歴史上に登場し、由来は明治維新直後の1869年(明治2年)にこの周辺一帯で大火事があり、これを機会に政府は焼け野原となったこの場所を火除地(避難場所)とした。古川柳に「火事と喧嘩は江戸の華」と詠まれるほど、江戸では火事が絶えなかった。
翌年、火防(ひぶせ)・火除けの神である秋葉(あきば)大権現を勧請し、鎮火の神様として祀った。これをきっかけに庶民はこの地を秋葉原と呼ぶようになったわけだが、当初は「あきばはら」「あきばっぱら」などと発音されていた。

1890年(明治23年)に上野から鉄道が延長され、この場所に駅(貨物駅)が設置されたときに駅名を「あきはばら」と誤植され、その読み方が現在に至ってしまった。起源からは「あきばはら」と呼ぶのが正しいのである。

私が初めて東京に来たころ(15年前)の秋葉原は、既に大小様々な電気店が軒を並べる現在の形はできあがっていた。とにかく秋葉原に来れば電化製品が何でも安く買えるというイメージである。当時田舎には郊外型の家電量販店なんてものはなかったから、みんなそう思っていた。

UDXとダイビルがある場所はかつて神田青果市場があった所で、私が初めて行った頃には既に大田区へ移転していた。ここには駅側から駅前広場、巨大な平面駐車場、車のスロープが廻るコンクリむき出しの建物があったことを覚えている。後に建物は壊され更地となり平面駐車場と併せ現在の形となった。仕事柄、秋葉原に電気部品や線材をよく買いに来ていたので、ここに車を停めては秋葉原を散策していたこと思い出す。そんな時代に生きてきた自分にとっては「秋葉原クロスフィードは・・・」何て言われても今ひとつピンとこない。
それともう一つ。秋葉原デパート!閉店するのはかまわないが、せめて入口付近にあった讃岐うどんの店は復活させてほしい!あそこのきつねうどんのおにぎりセット、最高でした。

話を戻します。最近の秋葉原について語ります。
秋葉原といえば?と聞かれ、とっさに何が思いつきますか?
今では「オタク」が多数を占めるのではないだろうか。そもそもオタクなんて言葉は無かった昨今に生きてきた自分にとっては、オタクとマニアの意味する違いがよくわからないにも関わらず、オタクという言葉には誰かが意図した悪意というか蔑視を感じる。別にオタクを擁護しようというわけではないが・・・。現在オタク=アキバ系みたいなイメージがあるが、そもそもオタクという言葉が世の中に広く認知され、世間的にオタクといえば秋葉原みたいなイメージが出来はじめたのは、映画・ドラマ化された「電車男」の影響が大きいのではないかと思う。それ以前からオタクという言葉は存在していたのであろうが、それは所詮ごく一部の人々だけの話で、この言葉が市民権を得るに至った経緯は電車男を抜きには語れないと思う。エルメス役の伊東美咲がメイド姿で「ご主人様、お帰りなさいませ」という台詞が今でも脳裏に焼きついて離れない。まさに萌え~である。

電気部品から無線、家電品、パソコンショップと時代の遷移を経てきた秋葉原であるが、最近になってゲームはもちろんのことアイドル、フィギュア、アニメ、コスチューム・・・しまいにゃメイド喫茶でご主人様ときたもんだ。テレビや雑誌の偏向報道も一因であると思うが、様々なオタクが闊歩する聖地的な場所となってしまった。

旧態依然としてあるラジオデパートなどの電気部品小売店も健在で、新興メイド喫茶やフィギュア、アニメ店等とともに一種独特の雰囲気を作りはじめている。そんな中に秋葉原クロスフィールドである。どんな街となっていくのか秋葉原・・・今後も推移を見守りたい。

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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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