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十曲峠越え①

馬籠宿から新茶屋までは緩やかなアップダウンがある程度で、峠を意識することは無い。十曲峠の頂にある新茶屋から先は石畳の坂道を軽快に下るのだが、逆に落合宿側から上ってくると、きつい上り坂が峠越えを実感させるのだろう。落合の石畳と呼ばれる十曲峠越えの中山道は、江戸時代の石畳が切れぎれに残っていたものを、近年になって失われていた部分に石畳を敷いて繋ぎ合わせ、全長840mの石畳の道を復元させた。古の中山道を存分に堪能できるすばらしい道となっている。


落合の石畳
ここから石畳の坂道がはじまる。


落合の石畳
新茶屋側から約120mの石畳は平成17年に山口村と中津川市の合併記念事業として整備されたもの。これにより落合の石畳は約1kmもの長さとなっている。


落合の石畳
途中、案内板と休憩小屋が設けられている。


落合の石畳
十曲峠の名を示すように、くねくねと曲がりながら石畳の坂道が続く。


石畳茶屋
石畳茶屋なるものがあったのだが、営業している様子はない。


落合の石畳
軽快に石畳の道を下りて行く。


落合の石畳
写真の石畳は江戸時代からのもの。大小様々な石が使われている。


落合の石畳
落合宿側からの石畳入口。ここで石畳の道は終わり。


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十曲峠越え②

落合の石畳を下り終えると、医王寺の枝垂れ桜に迎えられる。境内から門前の中山道に枝垂れる桜は、この晩秋の季節に逆らうことなく寒風に吹かれて枝を揺らすのみだが、4月初旬には見事な花をつけ人々を楽しませるという。この枝垂れ桜は昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒れ、今は二代目。かつては県内髄一といわれる名木だった。

医王寺についても少々。山中薬師とも呼ばれる瑠璃山医王寺は、虫封じの薬師として三河の鳳来寺、御嵩の蟹薬師とともに日本三薬師の1つとして知られ、ここに伝わる狐膏薬は太田南畝の「壬戌紀行」や十返舎一九の「木曽街道続膝栗毛」にも紹介されるほど有名なものだった。そんな古刹の寺を過ぎると、中山道は落合川に向けて一気に急坂を下っていく。川を渡った先で馬頭観音と道祖神が並び立つ姿を見れば落合宿は近い。


医王寺の枝垂れ桜
医王寺の枝垂れ桜。


医王寺
医王寺の薬師如来は行基(ぎょうぎ)の作と伝わる。ちなみに行基は鑑真と並ぶ奈良時代の高僧。


高峰山
右に高峰山を見ながら先へ。


下桁橋
落合川に向けて一気に急坂を下る。写真道の奥に見える橋は落合川に架かる下桁橋。


落合川
下桁橋から落合川の流れ。


中山道案内板
下桁橋の袂に設置されている中山道の案内板。これによるとここから馬籠宿に至る中山道は幾度か付け替えされているようで、今日辿ることのできる医王寺から落合川に至る旧道は明和8年(1771年)に造られたものという。


滝場の馬頭観音と道標道祖神
下桁橋を渡った先に馬頭観音と道祖神がある。写真右に見える石仏群がそれで、この道祖神は飯田道との追分を示す道標を兼ねている。


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落合宿

高札場跡を過ぎた先で旧中山道は直角に右折する。これが桝形の跡で、この先から落合宿の静かな町並みが続く。桝形の角には秋葉様の常夜燈が残る。これは宿内にあった4基のうちの一つで、残りの3基は他所に移されてしまった。火防(ひぶせ)の神である秋葉様を祀っていることから防火を祈願したようだが、文化元年(1804年)と同12年(1815年)の二度にわたり大火に遭っている。

落合宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ三町三十五間(約390m)、人口370人、家数75軒、本陣1、脇本陣1、旅籠14軒の美濃の東の玄関ともいうべき小さな宿場町。宿内は京側から下町、中町、上町、横町に分かれ、中町に置かれた本陣は井口家が、その向かいにあった脇本陣を塚田家が務めた。宿場を貫く街道中央に用水路が設けられていたが、現在は見る影も無い。


落合の高札場跡
落合宿の江戸方外れにある高札場跡。奥に見える赤い橋は中央自動車道の落合川橋。


上町の常夜燈
落合宿の江戸方入口にあたる桝形に残る常夜燈。かつては道の中央に配置されていたようだが、このご時勢、路傍に寄せられている。寛政4年(1792年)の建立。


落合宿にて
馬籠宿ではマイルドセブンが250円だったが、落合宿では270円だった。本当にこの価格で買えるのかは、実証していないので不明。ここでもプチタイムスリップした気分。


落合宿本陣
落合宿本陣だった井口家に残る本陣門。文化元年(1804年)落合宿の大火後に、加賀の前田家から贈られたものという。


落合宿の町並み
落合宿の町並み。


助け合い大釜
本陣向かいにある助け合い大釜。この大釜は寒天の原料である天草を煮る時に使用されたもので、口径約1.5m、容量1000リットルを超える巨大な釜。現在は落合宿祭り等の際、千人きのこ汁を作り、多くの方々に振舞われるという。それにしてもこの大釜できのこ汁とは・・・ギャル曽根も真っ青だろう。落合宿祭りは例年10月末に行われるようで、その様子を見てみたい。


善昌寺と門冠の松
下町にある善昌寺は慶長5年(1600年)の創建という。写真に見える松は創建当時の山門を覆っていたことから「門冠の松」と呼ばれるが、現在は見ての通りで「路上の松」とも称される。説明板によるとおおよそ樹齢450年というから、寺の創建前からここに根付いていたということか。


落合宿京側外れ
落合宿の京方外れに残る道標。ここで中山道が直角に曲げられている。


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おがらん様から与坂立場跡へ

おがらん橋で国道19号を渡ると、おがらん様こと落合五郎兼行の館跡がある。「おがらん」とは伽藍(大きな寺院)からその名に由来があるようだが、あくまで推測で定かではない。館跡についても、発掘調査からその痕跡は見つかっておらず確証はないようだ。しかし古くからそう伝わっている場所なのだから、何らかの由縁はあるのだろう。落合五郎兼行は木曽義仲の家臣で四天王の一人。

横手橋で下落合川を渡り、再び国道19号の向こう側へ隧道を潜り抜けると、与坂の急勾配が待ち受ける。道幅の狭い旧中山道を挟んで民家が軒を連ね、坂を上りきった所に与坂立場跡がある。紅葉に彩られた立場跡は旧街道の情緒をそこはかとなく感じさせる場所。そして立場跡から坂道を下っていけば三五沢の集落に着く。


おがらん橋.
国道19号に架かるおがらん橋。この辺りの旧道や地形は国道19号の敷設で随分と姿が変わってしまったようだ。


おがらん様
おがらん橋を渡った先におがらん様がある。愛宕神社、山之神神社、天神社、落合五郎兼行神社のおがらん四社が祀られている。


横手橋
下落合川に架かる横手橋。


与坂
与坂の家並み。急勾配の旧道を挟んで家々が連なる。


与坂立場跡
与坂立場跡。写真に見える建物はかつての立場茶屋「越前屋」で三文餅が名物だった。


与坂立場跡にて
与坂立場跡にて。


三五沢集落
三五沢の集落。当然のことながら三五沢という小さな川が流れている。右往左往しながら続く道はいかにも旧道らしい。


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子野と上金

三五沢を底辺に上り坂を歩んでいくと、その途中に子野の一里塚がある。更に歩みを進め、坂道を上りつめればスナック鶴美と並んで居酒屋があるのだが、牧坂なのか牧抜なのか???字が判読できません。ま、それはさておき、その隣に木曽御嶽講の開祖である覚明を祀る覚明神社がある。天明5年(1785年)覚明は木曽御嶽山を開山するためにこの地を通り、今ある神社の場所にあった茶屋に泊まったという。

一転して急坂を下り子野の集落へ入っていくと、ちょっとした広場の中に快心庵と名付けられた公共トイレがある。中山道を意識したのであろう建物は、ちょっとした格子窓等があり、静かな集落の景観にマッチしている。ネーミングもグーだ。子野を抜けて左に枝垂れ桜に守れらた地蔵堂と石仏群を見ると、旧道は地蔵堂川を渡り国道19号を地下道で潜り抜ける。その先は上金の集落。立場と尾州白木改番所が置かれていた。


子野の一里塚
子野の一里塚は江戸日本橋から84里目(約330 km)。西側の塚は消失し、東側の塚だけがらしきものを残している。


覚明神社
木曽御嶽講の開祖を祀る覚明神社。


子野集落
子野の集落。風格のある家が残る。


快心庵 子野を行く旧中山道
子野にある公共トイレの快心庵。

子野の里 中山道に 憩いの場

なーんて、洒落た句碑が置かれている。
そして、中山道の標識に従い先へ。


小野の地蔵堂石仏群
枝垂れ桜の古木は中山道を往来する人々の目を楽しませてきたのだろう。そんな桜の下には庚申像や地蔵、観音像などが集められている。この辺りには地蔵堂があったといわれるが、所在は明らかでない。


地蔵堂橋
地蔵堂橋で地蔵堂川を渡る。


地下道
ほのぼのとした地下道で国道19号を潜り抜け上金へ。


尾州白木改番所跡
尾州白木改番所跡。一石栃と同じく尾張藩によって木曽五木を取り締まる番所が置かれていた。


上金集落
この辺りは江戸時代に上金村と称し中津川村の支村だった。寛政7年(1795年)の「濃州徇行記」には、石高67石余りの小村で、家数18戸、人口85人、民家は街道左右に散在し、多くの山畠があったと記されている。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
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