寝物語
車返しの坂は長かった美濃路の西の果て。いよいよ近江国へ入ることになるのだが、その中山道が通る国境(現在は岐阜県と滋賀県の県境)は寝物語と呼ばれる。現在ここには美濃と近江の国境を示す標柱が立ち、その境に細い溝があるのだが、何ゆえ寝物語と呼ばれるのか?何の予備知識も無くここを通り過ぎると、何の変哲もない県境にその名の所以を想像するのも難しいだろう。
広重の浮世絵、木曽街道六十九次の今須はここ寝物語の街道風景を描いている。その浮世絵から往時の様子がありありと見て取れるのだが、かつては国境を挟んだそれぞれに旅籠が並んでいた。美濃側は「両国屋」、近江側が「かめや」という屋号だったという。その旅籠に泊まると寝ながらにして他国の人と会話ができたことから、いつしか寝物語と呼ばれるようになった。今となっては国境を示していた細い溝だけが往時を物語っている。

正月も美濃と近江や閏月
寝物語の手前にある芭蕉句碑。松尾芭蕉は「野ざらし紀行」で寝物語の地を旅した。

ここが美濃と近江の国境で、現在の岐阜県と滋賀県の県境となる寝物語の地。かつてはこの細い溝を挟んで旅籠が並んでいた。源義経の愛妾静御前にまつわる話も伝わっている。

近江国の国境付近は長久寺の集落で寝物語の里と呼ばれる。その昔、七堂伽藍の長久寺という寺があったことに地名の由来がある。

野瀬山の裾、楓並木を行く旧中山道。秋には紅葉に彩られた美しい並木道になることだろう。

柏原東の旧中山道。

右に神明神社の鳥居を見ると、その鳥居前から野瀬山川にかけて旧東山道の道筋が少しだけ残っている。

野瀬山の山裾に残る旧東山道。

旧中山道は写真正面奥から右の野瀬踏切を越える道筋。踏切を渡ったすぐ先から柏原宿となる。左手林の中に旧東山道の道筋が残っている。
広重の浮世絵、木曽街道六十九次の今須はここ寝物語の街道風景を描いている。その浮世絵から往時の様子がありありと見て取れるのだが、かつては国境を挟んだそれぞれに旅籠が並んでいた。美濃側は「両国屋」、近江側が「かめや」という屋号だったという。その旅籠に泊まると寝ながらにして他国の人と会話ができたことから、いつしか寝物語と呼ばれるようになった。今となっては国境を示していた細い溝だけが往時を物語っている。

正月も美濃と近江や閏月
寝物語の手前にある芭蕉句碑。松尾芭蕉は「野ざらし紀行」で寝物語の地を旅した。

ここが美濃と近江の国境で、現在の岐阜県と滋賀県の県境となる寝物語の地。かつてはこの細い溝を挟んで旅籠が並んでいた。源義経の愛妾静御前にまつわる話も伝わっている。

近江国の国境付近は長久寺の集落で寝物語の里と呼ばれる。その昔、七堂伽藍の長久寺という寺があったことに地名の由来がある。

野瀬山の裾、楓並木を行く旧中山道。秋には紅葉に彩られた美しい並木道になることだろう。

柏原東の旧中山道。

右に神明神社の鳥居を見ると、その鳥居前から野瀬山川にかけて旧東山道の道筋が少しだけ残っている。

野瀬山の山裾に残る旧東山道。

旧中山道は写真正面奥から右の野瀬踏切を越える道筋。踏切を渡ったすぐ先から柏原宿となる。左手林の中に旧東山道の道筋が残っている。

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