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中山道よ・・・去らば。

【旧日光街道歩き 第1日目】日本橋→千住宿→草加宿



【2009年5月2日(土) 旧日光街道 日本橋→千住宿 道中】
五街道の起点である日本橋。ここから中央通りを南へ行くと旧東海道・旧甲州街道への道筋であり、北に行けば旧日光街道・旧中山道への道筋である。今回の歩き旅は旧日光街道の行く先、日光東照宮を目指す。まずは日本橋から旧中山道と旧日光街道は道筋を共にするが、400メートル程で分岐点にさしかかり、旧中山道は中央通をそのまま北に進んで筋違橋跡(現 万世橋付近)方面へ、旧日光街道は日本橋三井タワーのある交差点を右折して大伝馬本町通りを浅草橋方面へ向かう。


中央通り
日本橋から北の方角、中央通りを望む。いざ!日光東照宮へ!


日光(奥州)街道・中山道分岐点
日光(奥州)街道・中山道分岐点周辺の地図。

中央通り・日本橋室町
中央通りの日本橋室町付近。写真左側の建物が日本橋三井タワー。

中央通り・旧中山道と旧日光街道の分岐点
中央通りと大伝馬本町通りの交差点。ここが江戸時代の日光(奥州)街道と中山道の分去れとも追分とも言うべき分岐点。直進する道が筋違橋(現 万世橋付近)方面へ向かう旧中山道の中央通りであり、ここを右折すれば旧日光街道の道筋である。

2年前に旧中山道を歩いていた自分の幻影が過ぎ去ってゆく。中山道よ・・・去らば!


大伝馬本町通り・日本橋本町
旧日光街道の道筋、大伝馬本町通り(昭和通りから中央通り方面を望む)。道の突き当たりに見える建物が日本銀行。江戸時代、日本銀行の敷地には金座(勘定奉行支配下にあった金貨鋳造所)が置かれ、小判や一分金の鋳造・鑑定を行っていた。江戸の昔から金融の中枢だった場所なのだ。


大伝馬本町通り・日本橋大伝馬町
旧日光街道は日本橋横山町まで大伝馬町本町通りの道筋を辿る。


浜町川跡
日本橋大伝馬町と日本橋横山町の境界にはかつて浜町川が流れていた。写真手前の交差点から次の交差点の間が浜町川跡で、埋め立てられるまでここに橋が架けられていた。この先から現金卸問屋が集う、横山町問屋街の町並みとなる。


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横山町・馬喰町

【2009年5月2日(土) 旧日光街道 日本橋→千住宿 道中】
旧日光街道は大伝馬本町通りから横山町大通りに名を変えて横山町問屋街へ入っていく。

現在の横山町は隣の馬喰町と共に繊維関係を主とした問屋が密集する地域であるが、江戸時代から明治時代にかけての横山町は日用品を扱う問屋街として、馬喰町は日光・奥州街道江戸入口の旅宿街として繁栄してきた。また、馬喰町は徳川家康が関ヶ原合戦の出陣前に馬揃えを行ったという初音の馬場があった場所で、歌川広重の描いた「江戸名所百景」や「江戸名所図会」で往時の様子を見ることができる。


横山町問屋街
横山町問屋街の大伝馬町側入口。


横山町問屋街
横山町大通り沿いには多くの衣料品等繊維関係の問屋が軒を連ねる。


横山町問屋街
横山町問屋街の浅草橋側入口。旧日光街道の道筋は問屋街を抜けると清杉通りを浅草橋方面へ向かう。


浅草橋交差点
清杉通りと靖国通りが交差する浅草橋交差点。すぐ先は神田川に架かる浅草橋で、右に行けば両国橋である。明暦の大火(1657年)後に両国橋西詰にあたるこの一帯は火除け地として広小路が設けられ、ここに茶屋や見世物小屋等の店が多く出て江戸有数の盛り場の賑わいをみせた。


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浅草橋

【2009年5月2日(土) 旧日光街道 日本橋→千住宿 道中】
清杉通りから江戸通りに合流して神田川に架かる浅草橋を渡る。

浅草橋は今でこそ何の障害も無く渡ることができるが、江戸時代には浅草橋南詰に浅草御門(浅草見附)と呼ばれる枡形の城門が構えており、江戸城の奥州道中口を厳重に警備していた。とは言っても、大坂の役で豊臣家が滅んだ後、平和が長く続いた世の中ではそれほど厳重ではなく形式だけの城門だったのだろう。

明暦の大火(1657年)では小伝馬町の牢屋敷から囚人が脱走したという誤報により浅草御門が閉ざされてしまったため、逃げ場を失った人々が焼死・溺死して多数の犠牲者を出したという。この惨事を教訓にして大川(隅田川)に両国橋が架橋され、前述した火除け地として両国広小路が設けられた。浅草御門は明治6年(1873年)に撤去され、今は痕跡を留めていない。


柳橋
浅草橋から柳橋を望む。柳橋は元禄11年(1698年)の架橋。神田川の最下流、墨田川との合流部に位置することから当初は「川口出口之橋」と呼ばれた。新吉原へ向かう猪牙船(ちょきぶね)がここから出船していたため、吉原通いの遊興客が集い船宿や料亭が建ち並んで大いに賑わった。江戸末期から明治・大正・昭和期にかけては花街として繁栄を極め、新橋と共に「新柳二橋」と並び称されるほどだったが、今となっては柳橋花街は完全に消滅してしまい、往時の面影を見つけるのも難しい。


浅草橋
柳橋から浅草橋を望む。橋の下を流れるのは神田川で隅田川へ出る屋形船の係留地となっている。橋の左側袂が南詰にあたり、浅草御門の跡地である。


浅草橋・総武線ガード下
総武線・浅草橋駅のガード下を潜り抜けて蔵前方面へ。


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蔵前・駒形

【2009年5月2日(土) 旧日光街道 日本橋→千住宿 道中】
江戸通りを蔵前から駒形へ。

蔵前はその名の通り浅草御蔵と呼ばれる幕府の米蔵があった場所で、現在の蔵前橋が架かる隅田川西岸一帯がその跡地である。浅草御蔵は元和6年(1620年)に創設され、隅田川河岸に舟入堀8本と大倉庫群を備える大規模な米蔵であり、大阪・京都二条の米蔵と共に三御蔵と称された。

駒形の地名の由来は駒形橋西詰にある駒形堂にある。今から溯ること約1400年もの昔、時は飛鳥時代の推古天皇36年(628年)のこと、漁師が江戸浦(隅田川の下流付近)にて漁の最中に観世音菩薩像を発見し、その仏像を持って上陸したのが駒形堂の地だという。この観世音菩薩像を本尊に祀るのが浅草観音こと浅草寺なのである。


浅草御蔵跡
浅草御蔵跡を蔵前橋から望む。米蔵があった痕跡は全く留めていない。


蔵前橋
蔵前橋にて。屋形船に乗るのは辰巳芸者か、柳橋芸者なのか・・・。往時の隅田川に思いを馳せて。


浅草御蔵跡碑と蔵前橋
浅草御蔵跡碑と蔵前橋。ちなみに蔵前橋の架橋は比較的新しく、関東大震災後の昭和2年(1927年)のことである。


江戸通り・蔵前
蔵前を行く江戸通り(旧日光街道)は国道6号でもある片道3車線の幹線道路。車の往来が激しい。


駒形どぜう
駒形に入ると、まず目に付くのがここ”駒形どぜう”。創業200余年の老舗であり、どぜう鍋は初代から続く名物料理。”どぜう”とはドジョウのことで、越後屋助七の発案で名付けられ暖簾となった。味は・・・今だ食したことが無いので書けません。後日また。


隅田川・駒形橋付近
駒形橋から隅田川を望む。右岸に見えるのは世に名高い”うんこビル”。とある新潟県民が東京観光に来てわざわざ写真を撮りに行ったというほどだから、今や東京名所と言っても過言ではないだろう。


駒形堂
駒形橋の西詰、江戸通りに向かって本堂が建つ駒形堂。当初は隅田川に向かっていたというが、幾多の変遷を経て現在の向きになったという。本堂は平成15年に再建されたもので、馬頭観世音を本尊に祀る。


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浅草寺

【2009年5月2日(土) 旧日光街道 日本橋→千住宿 道中】
飛鳥時代に隅田川で漁師の網にかかり、駒形堂の地に揚げられた観世音菩薩像を本尊とする浅草寺。今や大勢の観光客で賑わう東京名所の一つとなっているが、その寺暦は相当古く、大化元年(645年)に勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの観世音菩薩像を秘仏の本尊として観音堂を建立したことに起源があるという。

以来、庶民の信仰地となるのだが、鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けるようになると、世に名を知らしめて伽藍の荘厳さは増し、江戸時代初期徳川家康によって幕府の祈願所と定められてからは江戸文化の中心として繁栄を極めた。現在は観光地・浅草の中心となって国内外問わずの観光客で賑わい、また浅草寺の分身(明治期の神仏分離令によって分祀)である浅草神社の例大祭(三社祭り)では150万人もの人出を集める。


雷門
浅草寺参道の仲見世通り入口にある雷門。浅草といえばやはりこれでしょう。門の右に風神、左に雷神が祀られていることから正式には風雷神門という。現在の門は昭和35年(1960年)の再建で、パナソニックの創始者・松下幸之助の寄進による。


仲見世
雷門から宝蔵門にかけての参道は有名な仲見世である。観光客が溢れんばかりに賑わっていた。


浅草寺宝蔵門
朱塗りの荘厳な宝蔵門は仁王像が祀られていることから仁王門とも呼ばれる。ここを潜り抜ければ浅草寺本堂に辿り着く。現在の門は昭和を代表する実業家・大谷米太郎の寄進で、昭和39年(1964年)に再建された。


浅草寺本堂
三代将軍徳川家光が創建した浅草寺本堂は昭和20年(1945)の戦災により焼失。後の昭和33年(1958年)に再建されたのが現在の本堂である。しかし今は改修中・・・。


吾妻橋
雷門から吾妻橋方面へ向かう。うんこビルが間近に・・・見えたよ。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
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29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
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