水戸街道っ!

現在は国道6号の別称となっている水戸街道。私の住む柏市内で水戸街道と言われれば、やはり国道6号のことを指し、旧街道の道筋は旧水戸と呼び分けている。旧水戸は国道6号を並行する裏道的な存在であるが、柏市街の中心部を縦断しており、非常に交通量の多い道である。2010年の街道歩きの一発目は、そんな身近にある水戸街道を歩こうと決意した。本心としては今市宿から会津西街道を歩いて大内宿を見てみたいと思っているのだが、この冬場に会津の山中を歩くのはさすがに無謀と、まずは水戸街道を踏破しておくのも良かろうといったのが理由である。日光街道と同様、ほぼ平坦な道を行く水戸街道は、自宅からのアクセスも良く、会津の山歩きをする前のウォーミングアップには最適な街道だ。まずは、水戸街道の概要について書いておく。
もともと水戸街道とは江戸時代初期に日光街道の脇街道として整備され、日本橋を起点に江戸と水戸城下を結ぶ街道のことを指す。日本橋から千住宿までは日光街道と共通で、千住宿から日光街道と分かれて次の新宿(現 葛飾区新宿)で佐倉城下へ向かう成田街道(佐倉道)が分岐しており、そのため道中奉行の管轄下にあった千住宿から水戸街道の松戸宿、成田街道(佐倉道)の八幡宿までは水戸佐倉道とも称された。また、更に水戸から北へ先、奥州街道(仙台道)の岩沼宿までは岩城相馬街道が通じており、水戸城下と仙台城下を結んでいたが、明治5年(1872年)水戸街道と岩城相馬街道を総称して、陸前浜街道と改称されている。なお、幕府が定めた江戸と水戸を結ぶ街道の正式名称は水戸道中であり、世間一般には水戸街道や水戸海道と表記されていたが、ここでは水戸街道と書いた方が通りが良いのでこの表記に従うこととし、基本的に水戸街道と書いた場合は江戸時代に整備された旧水戸街道を指す。
水戸街道は日光街道との分岐点である千住宿から新宿・松戸・小金・我孫子・取手・藤代・若柴・牛久・荒川沖・中村・土浦・中貫・稲吉・府中・竹原・片倉・小幡・長岡の各宿場を経て水戸城下に至る延べ距離29里31丁(約117km)の街道。松戸宿の手前に江戸川の渡河地点があり、金町(松戸から対岸)側の渡し場に関所が置かれていた。各宿場には公用の旅行者や荷物の継立のために、原則(道中奉行の管轄である松戸宿まで)として人足25人・馬25疋の常備が義務付けられたが、江戸時代中期頃から街道の往来が盛んになるにつれ、宿場だけでは人足や馬を賄いきれなくなり、宿場周辺の村々に助郷役が賦課されることになる。助郷については以前の記事「野木宿」に書いたので参照してほしい。ちなみに継立業務の人馬数は東海道が人足100人・馬100疋、中山道が50人・50疋、日光街道は水戸街道と同数である人足25人・馬25疋の常備が各宿場に義務付けられていた。

2010年2月、再び千住宿の地に立つ。天下の副将軍、水戸のご老公の御前へ、いざ参らん!

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