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旭川平和通買物公園

会津西街道の記事を書き終えたところで、我が故郷、旭川の道を紹介しよう。ひと昔前まで北海道の町といえば札幌をはじめとして、函館や小樽、富良野等の有名な観光地が挙げられ、旭川は北海道第二の人口を誇りながらも影が薄い存在だった。しかし、近年になって一地方動物園に過ぎなかった旭山動物園が行動展示によって脚光を浴び、旭川市は全国的に知られるようになった。その旭川の玄関口、旭川駅から北へ向かって直線に延びる約1kmの道が平和通買物公園で、旭川在住・出身者には知らぬ人はいないメインストリートの歩行者天国。その歴史は意外に古く、駅から旭川第七師団(現 陸上自衛隊旭川駐屯地)へ通じていた師団通が、終戦直後の1945年(昭和20年)に平和通へ改められ、1972年(昭和47年)6月1日、日本初の歩行者専用道路として平和通買物公園が誕生した。私が生まれてから半月後のことである。昨年暮れに帰省した際、歩きながら撮影した写真を使って紹介したい。

旭川平和通買物公園02


旭川駅
平和通買物公園の起点、旭川駅。昨年11月に新駅舎が全面開業し、ホームの構造も高架型に改められた。私が見慣れた駅舎とは随分と雰囲気が変わったなあ。


平和通買物公園
旭川駅前から北へ向かって延びる平和通買物公園。ひと昔前、駅付近の買物公園は西武や丸井今井、長崎屋にマルカツといったデパートがあり、商業の中心地として賑わったが、近年になって郊外型の大型商業施設に客足を奪われ、長崎屋は郊外に移転し丸井今井は閉店、西武も撤退が発表されたが辛うじて存続に方向転換した。私が初めてスーツを仕立てたのが西武であり、子供の頃から思い出のあるデパートなので今後も営業を続けてほしい。


平和通買物公園にて
サキソフォン吹きと猫。


平和通買物公園
3条通付近から旭川駅を望む。ちなみに旭川市街の住所は、駅から北へ向かって1条通、2条通、3条通と数字を増やし10条通まで続く。京都を真似たのか?


平和通買物公園にて
平和通買物公園にて。


平和通買物公園
五条通付近の平和通買物公園。四条通を越えると人通りは少ない。昔はスガイビルという映画館やボウリング場、カラオケにゲームセンターと、複合型娯楽施設のはしりみたいなビルがあって、この辺りも結構賑わっていたような記憶があるのだが…。


平和通買物公園
七条通に立つトーテムポール。今思えば前にあったのとは違う気がする。現在あるのは金属製であるが、昔は木製だったような。記憶違いか。


平和通買物公園
北端にある手のオブジェ。これは昔からある。


旭川常盤ロータリー
平和通買物公園の北端からもう少し足を延ばせば旭川常盤ロータリー。知る人ぞ知る六差路のロータリー型交差点。慣れてないドライバーには難所といえる場所である。


旭川常盤ロータリー02
旭橋付近の昭和通(国道40号)からロータリーを望む。


旭橋
最後は旭川のシンボル的存在、石狩川に架かる旭橋で。


旭橋
現在の橋は昭和7年(1932年)竣工。東京の白髭橋を通る度、色こそ違えど旭橋によく似ているなと思っていたが、どうも同じ橋梁形式で同年代に建設されたらしい。当時の技術を今に伝えるべく、平成16年(2004年)北海道遺産に認定された。

ではでは、我が地元・旭川の記事はこの辺で。


撮影日:2011年12月30日(金)
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神居古潭

函館山の次は一気に北へ飛んで、旭川市の神居古潭を記事に書こう。大雪山系の山々を水源にする石狩川をはじめ、牛朱別川や忠別川・美瑛川が、旭川市のある上川盆地に流れ込み、その川水が盆地を囲む山脈をこじ開けて空知平野に流れ出す地点に神居古潭はある。ここは旭川市西端部に位置する石狩川の渓谷で、上川盆地と空知平野の境界をなし、アイヌ語の「神の居所」という意味である「カムイ・コタン」が地名の由来、アイヌ人にとっては神聖な地だったようだ。周辺には縄文時代の墓と推測されるストーンサークルや、平安時代頃と推測される竪穴住居遺跡等のアイヌ遺跡が点在する。

明治31年(1898年)北海道官設鉄道上川線(現 函館本線)の空知太駅~旭川駅間が開業、明治34年(1901年)に神居古潭簡易停車場が設置されると、石狩川対岸の上川道路(現 国道12号)を繋ぐ簡易な吊り橋(巻橋)が架けられ、神居古潭の渓谷美を見物に観光客が下車するようになったようだ。徳富蘆花や九条武子といった文学人が訪れている。昭和13年(1938年)今に見る吊り橋の神居大橋が架橋され、昭和時代中期には北海道自然博物園の名で観光地化し、神居大橋付近にはニュー古潭や神居古潭ホテルの宿泊施設をはじめ、南山商店や食堂等が軒を並べ、少し旭川側に離れた神皇寺付近にも旅館が5軒程あって観光客を迎え賑わった。

神居古潭を通る函館本線は渓谷の石狩川左岸に鉄路を通す難所だったため、当然ながら雪崩や落石、土砂崩れ等の被害が少なからずあったようで、昭和7年(1932年)走行中の貨物車8両が崖崩れに巻き込まれ石狩川に転落、乗務員が犠牲となる事故があった。上川盆地に集まった大量の川水が流れ出す神居古潭は河道が極端に狭く、最水深は70mにも達するといい、この事故で石狩川に転落水没した車両は未だに川底に沈んだままだとの話を子供の頃に聞いたことを思い出す。昭和44年(1969年)この難所を避けるべく伊納駅~納内駅間にトンネルが開通、函館本線の付け替えに伴って、旧線上の神居古潭駅は廃止となった。現在、この旧線跡はサイクリングロードに利用され、神居古潭駅は復元されて往時を偲ぶ。余談だが、旧神居古潭駅の深川側に残るトンネルは、旭川では山本家と共に有名な心霊スポットだった…。


より大きな地図で 神居古潭 を表示

神居古潭空中写真(昭和38年)
空中写真データ:国土地理院 地図番号NK-54-7-14を基に作成
昭和38年(1963年)5月撮影の神居古潭付近


南山商店
まずは、神居古潭の旧国道沿いにある南山商店。かつて旅館や食堂が建ち並んだのも今は昔、神居古潭に残る店はここだけ。店頭販売する紫蘇ジュースの”古潭そだち”はお気に入りの一品。紫蘇をジュースにして美味いのかと半信半疑で購入してみたのが数年前、以来帰省した際には必ず買いに来ている。そのまま飲んでも良し、焼酎で割っても良しの、すっきり爽やかな飲み口。


神居大橋
南山商店から神居大橋を渡って対岸へ。


神居大橋
現在の神居大橋が架橋されたのは昭和13年(1938年)で3代目。初代は明治34年(1901年)神居古潭簡易停車場設置に伴って架橋された巻橋、2代目は大正14年(1925年)の架橋で神龍橋と名付けられていたという。


神居大橋
神居大橋を渡ると、思はず橋下を覗きこみたくなるんだよね。


パラ・モイ
神居大橋から石狩川下流を望む。連日の大雨で水量がもの凄いことになっていた。神居大橋の下流域はアイヌ語で「パラ・モイ」と呼ばれ、広い湾を意味している。


パラ・モイ
神居古潭の石狩川は最深部で約70mに達するといい、ここでこんな濁流にのまれたら一溜まりもない。


九条武子歌碑
たきつ波 ましろう白う 岩にちる 神居古潭の くもれる真昼

神居大橋北詰にある九条武子歌碑。大正期の女流歌人、九条武子が大正11年(1922年)神居古潭を訪れた際に詠んだ歌を刻む。昭和31年(1956年)建立。


旧神居古潭駅舎
旧神居古潭駅舎。明治31年(1898年)旭川~空知太(現 砂川市)間の鉄道が開通、明治34年(1901年)に神居古潭簡易停車場が設置され、2年後に駅へ昇格した。今に残る駅舎は明治43年(1910年)の建築、明治期の典型的小規模駅舎の様子を伝える貴重な遺構である。


旧神居古潭駅舎
神居古潭駅は昭和44年(1969年)函館本線の伊納駅~納内駅間にトンネルが開通し廃止、駅前に立ち観光客で賑わった往時を偲ぼう。


旧神居古潭駅舎
旧神居古潭駅舎内部。


旧神居古潭駅構内
旧神居古潭駅構内より旭川方面を望む。崩れかけのホームと錆びかけた駅名板が現存。鉄路跡はサイクリングロードに利用されている。


旧神居古潭駅構内
旧神居古潭駅構内より深川方面を望む。


旧神居古潭駅構内
旧神居古潭駅構内より神居大橋を望む。


旭川駅方面へ延びる鉄路跡
旭川駅方面へ延びる鉄路跡のサイクリングロード。子供の頃、サイクリングで度々訪れたことを思い出す。童心に帰って自転車で再び訪れたいものだ。


昭和30年代の神居古潭駅
旧神居古潭駅舎内に設置の解説板より。昭和30年代の神居古潭駅。駅前には石狩川に沿って鉄道官舎が並んでいた。


やつめうなぎとり岩
上の古写真に近いアングルで撮影。鉄道官舎の跡地は野っぱらに。その昔、神居古潭の石狩川はヤツメウナギの漁場で、この辺りでも大量に獲れたそう。付近に”やつめうなぎとり岩”と呼ばれる大岩がある。


旧神居古潭駅前
旧神居古潭駅前の鉄道官舎跡。


旧神居古潭駅付近の橋台跡
旧神居古潭駅付近に残るレンガ造りの橋台。


旧神居古潭駅
屋外展示のSLが今にも神居古潭駅に到着しようかといった雰囲気。往時の様子が偲ばれる。


神居古潭の旧函館本線トンネル
旧神居古潭駅から深川方面に少し行くと、旧函館本線のトンネルが残っている。


神居古潭の旧函館本線トンネル
レンガ造りのトンネル入口が見られるが、トンネル内の壁面は近年になってコンクリートで補強された。


神居古潭の旧函館本線トンネル
このトンネルは昔から幽霊が出るとの噂があって、子供の頃は怖くて立ち入ることができなかったことを思い出す。はてさて、真相はいかに。


神居大橋03
トンネルを抜ければ神居大橋のビュースポットに。

神居古潭はアイヌ伝説が多く残るアイヌの神聖地、旭川を訪れた際には是非とも足を延ばしてみてほしい。北海道の先人たちが生きた息吹を感じる場所である。また次に訪れた機会に記事に書こうと思う。


撮影日:2014年8月7日(木)
【 参考サイト 】
JLogos
ウィキペディア
旭川発つばさ号!

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旭川駅

私にとって最も愛着がある駅と言っても過言ではない旭川駅。少年期から現在まで、札幌へ遊びに行くとき、帰省して両親に迎えられるとき、そして別れを告げ新千歳空港へ向かうとき、旭川駅は記憶のアルバムに数多く残っている。旭川駅の開業は明治31年(1898年)、私がよく記憶する駅舎は昭和35年(1960年)竣工の3代目。2階建ての黄土色がかった細長い駅舎で、ホーム間は地下通路と跨線橋で結ばれていた。駅舎内から地下に通ずる階段を下ればステーションデパート、ここからホーム地下通路へ直接アクセスできる改札口が設けられていた。平成23年(2011年)4代目駅舎が全面開業、先代とは全く風貌を別にしてしまい旭川駅のイメージは大きく変わっている。

今年(2016年)3月に新青森駅から新函館北斗駅まで延伸して開業する北海道新幹線は、2031年には札幌駅まで延伸開業する計画。実は基本計画によれば北海道新幹線の最終形は札幌駅までではなく、ここ旭川駅までなのである。日本が人口減少社会を迎えた今、実現可能性が極めて低いように思えるが、もし東京駅から新幹線に乗車して6、7時間程で旭川駅に降り立ち、大雪山と石狩川を眺めることができたならば、これほど痛快で愉快なことはないだろう。その時、僅かに面影を残す街並みに自分が生きてきた時代が終えたことを感ずるのかもしれない。




1980年代、国鉄時代の3代目旭川駅
昭和50年代後半、国鉄時代の3代目旭川駅。旭川駅といえばイメージするのはこの駅舎。


L特急ライラック
昭和50年代後半撮影、北海道の大動脈である旭川~札幌~室蘭間を繋いだL特急ライラック。撮影場所は札幌駅と思われるが、はっきりしない。国鉄781系電車を見ると童心に返る思いで懐かしい。


昭和57年(1982年)8月旭川駅にて
昭和57年(1982年)8月、旭川駅に停車する国鉄キハ40系気動車。バックに開業間近の旭川エスタが見える。


旭川駅
これが平成23年(2011年)全面開業した4代目旭川駅。30年ぐらい先の北海道新幹線旭川延伸開業を見越しているのか、ホームが高架化されて新幹線停車駅にふさわしい近代的な駅舎に。


旭川駅
旭川駅に隣接するイオンモール旭川駅前。昨年(2015年)開業した。


旭川駅前
駅前に西武デパートは健在。高校卒業直後の上京前、親にスーツを仕立ててもらった思い出あるデパート。


旭川駅前
旭川駅前から歩行者天国の平和通買物公園が延びる。


イオンモール旭川駅前にて
イオンモール旭川駅前にて。「安心してください、はいてますよ。」でブレーク中の”とにかく明るい安村”、最近知ったことだが旭川市出身で今や旭川市観光大使に任命されているという。


旭川駅構内
旭川駅駅舎内。天井が高くて広々とした印象、北海道新幹線開業の横断幕を掲げ東北への旅を誘う。ここから函館へ鉄道で行くにはまだまだ遠い、新幹線が札幌駅まで開通すれば現実味を帯びてくるのだが…。


旭川駅構内にて
旭川と言えば旭山動物園。


旭川駅西改札口
旭川駅西改札口。


旭川駅裏側
旭川駅裏側、忠別川の河川敷に面しているため特に冬場は殺風景で人の往来は少ない。


旭川駅6番ホーム
旭川駅6番ホームに停車する増毛行。1日1本だけ旭川駅から留萌本線への直通列車がある。せっかくなので隣の近文駅まで乗車することに。近代的な旭川駅構内に停車するキハ54形気動車に少々違和感を感ずる。


旭川駅6番ホーム
「増毛-旭川」のプレートを掲げる。これも今年で見納めになってしまうのか…。


近文駅
15:35定刻通りに近文駅へ到着。


近文駅付近
近文駅を後にするキハ54形気動車。終着の増毛駅に到着するのは17:39、今時期ならばすっかり日が暮れていることだろう。廃止される前に増毛駅まで乗ってみたい。


撮影日:2015年12月31日(木)、2016年1月2日(土)
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2019年謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は当ブログにコメントや拍手をいただき誠に有難うございました。

遅々として進んでいなかった旧東海道歩きも昨年11月に箱根峠を越えいよいよ佳境。やる気によっては本年中に日本橋へゴールできるかもしれません。箱根峠を越えてみて改めて思ったのが、旧街道歩きは江戸時代の面影を感じさせてくれる峠越えがやはり面白い。東海道の次は甲州街道かなと、次の旧街道歩きを考えている次第です。
北海道の鉄道関連では今年3月31日の運行をもって廃止される石勝線の新夕張~夕張間(夕張支線)と、来年5月6日の運行をもっての廃止が決まった札沼線(学園都市線)北海道医療大学~新十津川間について、できるだけ時間を割いて乗車したり写真を撮り残しておきたい。何卒本年もよろしくお願い致します。

平成31年1月1日  己亥



近文駅

近文駅

近文駅

2018年10月、函館本線近文駅にて。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
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【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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