函館山

時は少々遡る。成田街道歩きの記事を書き終えたところで、今年6月に旅した函館のことを書こう。私は函館の特異な地形と和洋の新旧建築が入り混じった町並みが好きで、年に数回は訪れている。戊辰戦争最後の舞台にもなった場所で、歴史の浅い北海道にあって幕末史を垣間見れる町でもある。標高334mの函館山から望む夜景は広く知られ、100万ドルの夜景と称えられる程に素晴らしいものだ。私も函館山には過去に数回登っているが、山頂へはバスかロープウェイでしか行ったことがない。そこで少々血が騒いだ。歩いて登れんのかと…。観光案内所等で尋ねればすぐにわかることだろうが、それでは面白くない。函館駅に降り立った私は、ただひたすら函館山を目指して歩いた。

函館山・元町


函館山
豊川町の赤レンガ倉庫群付近より函館山を望む。函館山の頂を目指して歩こう。


豊川稲荷神社
まずは豊川稲荷神社で大願成就?を祈願。豊川稲荷神社は文久年間(1861年~1864年)の創建。当時この辺りは新築島と称していたが、この神社が鎮座して豊川町という地名になった。


赤レンガ倉庫群
せっかくなので赤レンガ倉庫群に寄り道。


赤レンガ倉庫群と函館山
赤レンガ倉庫群と函館山。幕末から函館は横浜・長崎と共に国際貿易港として発展、明治40年頃に建築された赤レンガ倉庫群が往時の面影を留める。現在はベイエリアとして赤レンガ造りの飲食店や土産物屋が並ぶ函館有数の観光スポットだ。


八幡坂と函館山
数多くある函館山山麓の坂道。とりあえず八幡坂から函館山方向へ上ってみよう。


八幡坂
八幡坂より函館湾を望む。


遺愛幼稚園
八幡坂上にある遺愛幼稚園。明治28年(1895年)遺愛女学校併設の幼稚園として開設された。明治40年(1907年)の大火で類焼し、現在の建物は大正2年(1913年)に再建されたもの。


ハリストス正教会
遺愛幼稚園の隣、ハリストス正教会。安政6年(1859年)初代ロシア領事館の付属聖堂として建立、明治40年(1907年)遺愛幼稚園と同じく大火によって類焼し、大正5年(1916年)に再建された。ロシア風ビザンチン様式という建築らしい。


ハリストス正教会と函館山
ハリストス正教会と函館山。教会内部は一般公開されており、恐縮しつつ内部見学。内部の撮影は禁止なので写真は無いが、厳かな雰囲気がとにかく凄い。詳しくはこちらで↓

函館ハリストス正教会


カトリック元町教会
こちらはカトリック元町教会。元町は教会がとにかく多い。この教会は安政6年(1859年)に仮聖堂が建てられたことに始まり、以後3度の大火で類焼。現在の建物は大正13年(1924年)ゴシックスタイルの耐火建築で再建されたもの。


二十間坂
二十間坂。道幅二十間(約36メートル)に坂名の由来がある。函館は大火が多く発生したため、防火のために道幅を広くしたという。


東本願寺函館別院
ニ十間坂沿いにある東本願寺函館別院。元町の教会群の中にあって異端な感じ。始まりは松前専念寺の一寺として木古内にあり、宝永7年(1710年)函館(函館市弥生町、現在の弥生小学校付近)へ移転。安政5年(1858年)本願寺箱館御坊と改名し、明治9年(1876年)本願寺別院となった。明治12年(1879年)の大火で焼失、現在地に移された。現在の建物は大正4年(1915年)の建築で、現存する鉄筋コンクリート造りの寺院としては日本最古という。


二十間坂の女神像
二十間坂上にある女神像。少々違和感があったので調べてみるとこの女神像、平成22年(2010年)マルキタ北村水産が店頭に設置したもので、周辺の景観にそぐわないと地元住民から苦情が多数寄せられ、市の行政指導もあって店の屋上に撤去されていたらしい。何ゆえ再び降臨できたのか…。


大三坂
カトリック元町教会と東本願寺函館別院の間を通る大三坂。その昔、坂の入口に大三という屋号の宿があったことに坂名の由来がある。


チャチャ登り03
大三坂上から小径の坂道を登り函館市街を望む。この小径の坂道は”チャチャ登り”と呼ばれ、”チャチャ”とはアイヌ語でお爺さんの意味。急坂なために前屈みで腰を曲げて登る様が老人のようだったことから、そう名付けられたという。


チャチャ登り坂上より函館山を望む
”チャチャ登り”坂上より函館山山頂を望む。函館山へ近づくにはこの辺りが限界。近いようで遠い函館山、元町辺りから徒歩で登る術はなさそうだ。


函館山登山口
”チャチャ登り”から函館山登山口へ移動。登山道と言ってもアスファルトに舗装された車が登るための道。ここから観光バスが通り抜ける横を登る気にもなれず…。まずは登山口に鎮座する函館護国神社を参拝しつつ、どうするか考えよう。


函館護国神社
函館護国神社。箱館戦争終結後に新政府方の戦没者を祀る招魂場として設けられたのがはじまり。


函館護国神社の新政府軍戦没者墓地
函館護国神社の新政府軍戦没者墓地。墓碑には薩藩をはじめ弘前・大野藩・備後福山藩等の文字が多く見られる。


函館護国神社の新政府軍戦没者墓地
日本のために日本人同士で戦い、函館に散った兵士たちは、今の日本を見て何を思うのだろう。多くの犠牲があって日本の平和が築かれていることを忘れてはならない。


函館山ロープウェイ
人間諦めが肝心。函館山へ歩いて登るのは困難と判断、潔く往復チケットを買ってロープウェイに乗車。函館山山頂の展望台へ来てしまった…。つづく。


撮影日:2012年6月13日(水)
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函館山旧登山道

函館山は日清戦争後の明治31年(1898年)、ロシアを仮想敵国として津軽海峡や函館港の防衛を目的に要塞化の建設がはじめられ、明治35年(1902年)に完成。その2年後に日露戦争が開戦する。以来、約50年に渡って軍の要塞地となり、一般人の入山はもちろんのこと、写真撮影やスケッチも厳しく禁止され、地形図からも消された。第二次世界大戦終戦後の昭和21年(1946年)、要塞は解体され一般人に入山を開放、昭和28年(1953年)函館山の山頂に展望台が設置され、その5年後に函館山ロープウェイが開業した。現在の登山道路は昭和25年(1950年)起工、山頂まで開通したのは昭和29年(1954年)で、展望台設置の翌年のことである。

元町方面から函館山へ登るルートは2つ。前述の登山道路と旧登山道と呼ばれる道である。函館山麓の元町辺りを散策しているときには、特に案内板や道標を見つけられず、旧登山道の存在に気付くことは無かったが、頂上にあるつつじ山駐車場に行ってみたところ、旧登山道の入口を発見。駐車場に設置される函館山散策コース案内図を見てみると、函館山には元町方面からの旧登山道をはじめ、南側の立待岬方面と北側の船見町方面からの登山道があり、つつじ山・千畳敷・汐見山・地蔵山・観音コース等、多くの散策路があることがわかった。これらの散策路は要塞当時に使われていた軍用道路を整備したもので、山中では砲台跡や観測所等の遺構を見ることができる。

明治20年代の函館山 現在の函館山
左写真は明治20年代の函館山(函館市設置の解説板より)。要塞化される前の姿である。山麓に山林の一帯があるが、山腹から山頂にかけては山肌が見えており、”はげ山”だったことがわかる。江戸期から燃料や建築資材に用いるため山林を伐り尽くしてしまったことが原因のよう。右写真は今回撮影した現在の函館山、偶然にもほぼ同じアングルだったことに少々驚いた。比較してみると昔は山頂が尖っていたが、現在は展望台があって丸みを帯びた感じ。山頂から麓にかけて木々が鬱蒼と生い茂っている。

函館山旧登山道


函館山展望台より函館市街を望む
函館夕景。17時過ぎなのだが、6月だけあって空はまだ明るい。あと2時間も待てば綺麗な夜景を見ることができるだろう。山頂を巡って暇つぶしするか。


函館山展望台より立待岬を望む
函館山展望台より谷地頭・立待岬方面を望む。


函館山展望台
函館山展望台。函館山は13ある山の総称で、最高峰の御殿山(334m)に展望台が設置される。


NHK函館山テレビ放送所・HBCテレビ送信所
頂上には展望台の他、NHKや北海道民法各社のテレビ送信所がある。


函館山の碑
函館山の碑。記念撮影のスポット。


函館山展望台・つつじ山駐車場の連絡路
展望台からつつじ山駐車場へ行ってみよう。


つつじ山駐車場付近の石仏群
つつじ山駐車場へ向かう途中にある古そうな石仏群。北海道にあっては珍しい光景。


つつじ山駐車場
つつじ山駐車場。17時~22時まで自家用車は交通規制で入山できないため1台の駐車もない。


函館山旧登山道入口
そして、駐車場で発見した旧登山道入口。ロープウェイの乗車券、往復で買ってるし…。何て迷っているうちに日が暮れてしまう。行こう!


旧登山道七合目
旧登山道入口辺りは七合目らしい。


旧登山道六合目
あっという間に六合目へ。


旧登山道六合目より山頂を望む
六合目より山頂を望む。


旧登山道五合目付近
よく整備された旧登山道。非常に歩きやすい。


旧登山道五合目
五合目。ここから立待岬方面へ至る千畳敷コースが分岐。


クロツグミ
地面をぴょんぴょん飛び跳ねる見慣れぬ鳥がいた。何だろうと調べてみたらクロツグミ。函館山では5月中旬から7月中旬にかけて観察できる野鳥だという。


旧登山道四合目付近
四合目付近。薬師山へ至る薬師山コースが分岐する。


野鳥観察小屋
四合目と三合目の中間にある野鳥観察小屋。


旧登山道御殿山溶岩
三合目付近にある御殿山溶岩。函館山は約100万年前の火山活動で隆起した火山なのだ。とは言っても今は死火山の部類で、この山が噴火していたなんて到底信じられない。


旧登山道二合目
二合目付近。つづら折れに旧登山道を降る。


スギ林と旧登山道
スギ林と旧登山道。元来、北海道にスギは自生しておらず、函館山に見られるスギは主に文化5年(1808年)から7年かけて植樹されたもの。その後も度々苗木が植えられたという。


旧登山道一合目付近
一合目の手前で函館山登山道路と交差。旧街道の峠越えでよく見る光景だ。


旧登山道一合目
一合目。旧山道入口の標識が立つ。


函館要塞当時の貯水槽
一合目と旧登山道口の中間にある異様な物体。函館要塞当時の貯水槽だという。


旧登山道口付近
山林を抜けて。


青函連絡船海難者殉難碑
旧登山道口付近にある青函連絡船海難者殉難碑。昭和63年(1988年)青函トンネルの開通に伴い廃止された青函連絡船、80年の長きに渡って本州と北海道を結んだ鉄道連絡船だが、戦時の空爆や台風等によって多くの船が沈没し、尊い命の犠牲も伴った。それにしても青函連絡船廃止から24年もの年月が流れたのか…。


ふれあいセンター
函館山管理事務所ふれあいセンター。旧登山道入口にある。


函館山旧登山道口
ふれあいセンター入口で旧登山道の入口ともなる場所。護国神社やロープウェイ乗り場辺りを散策していても、この存在に気付くことはなかった。そもそも函館山を歩いて登ろうなんて奇特な観光客はそういないからだろう。


函館山ロープウェイ山麓駅
再び函館山ロープウェイ山麓駅へ。


函館山ロープウェイ
山頂へ向かうゴンドラ。


南部坂
南部坂より函館市街へ戻ろう。


函館市電十字街停留所と函館山
函館市電十字街停留所と函館山。


赤レンガ倉庫群と函館山の夜景
赤レンガ倉庫群と函館山。頂上では100万ドルの夜景が綺麗に見えていることだろう。


ベイエリア夜景と函館山
函館ベイエリア夜景。ライトアップされた赤レンガの建物に異国情緒が漂う。


ベイエリア夜景と函館山
函館ベイエリア夜景。一人で来るところじゃないね…。


函館山ロープウェイ往復乗車券
往復乗車券を買ったにも係らず、夜景も見ずに函館山を徒歩で降りてやったぜぇ。しまちゃん、ワイルドだろぉ~?


撮影日:2012年6月13日(水)
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函館山散策路 七曲り・地蔵山・千畳敷コース 

旧東海道歩きの記事はひと休み。記憶が薄れる前に、今年8月初旬に北海道へ行った時の記事をいくつか書き残したい。まずは函館山から。世界三大夜景の一つ、函館夜景の展望地として知られる函館山は、最高峰の御殿山(標高334m)をはじめとする13の山々の総称で、函館山ロープウェイの山頂駅と函館山展望台は御殿山山頂にある。以前に御殿山から旧登山道コースを下山して記事に書いたが、今回は立待岬から地蔵山を登り、函館山を縦断して山頂駅に至るルート、七曲り・地蔵山・千畳敷コースを選んで歩いた。その道中には津軽要塞(旧函館要塞)の軍事施設が残存しており、函館山における戦時の緊迫した様子を肌身に感じられる。

津軽要塞の前身となる函館要塞は、函館湾の守備を目的として明治31年(1898年)に建設がはじまり、日露戦争勃発直前の明治35年(1902年)に完成。御殿山や薬師山、千畳敷に砲台をはじめとする軍事施設を設け、函館山は要塞地帯となり、以来一般人の入山は禁しく制限された。昭和2年(1927年)津軽海峡を守備するため、新たに建設された汐首岬砲台と青森県側の竜飛崎砲台・大間崎砲台を総称して津軽要塞と名を変え、第二次世界大戦時には敵艦の襲来に備えたが、戦闘機相手の実戦では役に立たず、函館は空襲で甚大な被害を受けてしまう。昭和20年(1945年)第二次世界大戦が終結すると、津軽要塞は米軍によって解体、翌年に一般市民に再び開放されることになる。そんな隠れた歴史を秘めた函館山は、今や国内外から多くの観光客が訪れる北海道を代表する観光地。夜景だけがスポットライトを浴びるが、津軽要塞の遺構も「函館山と砲台跡」の名称で北海道遺産に指定される隠れた戦争遺跡である。もし函館山を訪れる機会があれば、目を向けてみてはいかがだろうか。


より大きな地図で 函館山散策路 七曲り・地蔵山・千畳敷コース を表示


JR函館駅
JR函館駅に降り立ち。


摩周丸
JR函館駅裏手に係留する青函連絡船の摩周丸。青函トンネルが開通するまで、青森駅と函館駅間の列車や乗客を乗せて津軽海峡を渡っていた。青函連絡船が廃止されたのは昭和63年(1988年)、石川さゆりが歌う名曲「津軽海峡冬景色」の歌詞にある連絡船のことを、今じゃ知らない人も多いんだろうなあ。

私もひとり~ 連絡船に乗り~♪


函館山
摩周丸横の広場から函館山を望み。


イカ釣り漁船と函館山
イカ釣り漁船のバックに函館山。は~るばる来たぜ、函館へ~♪鼻歌交じりに歩きたくなる風景だ。


函館市電 市役所前停留所
市役所前停留所から函館市電に乗車し、谷地頭へ向かう。


函館市電 谷地頭停留所
谷地頭停留所に到着。


函館市電 谷地頭停留所
谷地頭停留所から函館山の一部、地蔵山を望む。ここからは徒歩で立待岬へ。


石川啄木一族の墓
立待岬へ向かう途中に石川啄木一族の墓。津軽海峡と函館市街を一望する景勝地にある。


石川啄木一族の墓
東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

石川啄木の第一歌集「一握り砂」に卷頭を飾る有名な短歌。墓石にはこの短歌を刻んだ歌碑を埋め込む。


立待岬
函館山南端麓の立待岬へ。


名物つぶ貝
立待岬にある売店”はまなす”で名物”つぶ貝”をおやつに。噛んだ時の磯の香りがたまらん。美味い。


立待岬
立待岬より函館山を望む。津軽海峡側の函館山山麓は人が立ち入れぬ断崖絶壁と海。


津軽海峡
津軽海峡の向こうに下北半島を望む。


立待岬
「角川日本地名大辞典」によると、立待岬はアイヌ語でピウシ(岩上で魚を待ちヤスで捕る処の意)と呼ばれた地で、これが和名に訳されて付けられた地名だという。


函館山七曲りコース入口
立待岬を後にし、七曲りコース入口から登山道へ。


函館山七曲りコース
急斜面をつづら折れに登る七曲りコース。


函館山七曲りコース
登山道の途中には苔生す石積みが見られる。津軽要塞の遺構だろうか。


地蔵山見晴所
地蔵山見晴所からの眺め。鞍掛山の山頂と津軽海峡、遠くに亀田半島が望める。


地蔵山見晴所
地蔵山見晴所から地蔵山山頂・千畳敷に向けて地蔵山コースに入る。


函館山地蔵山コース
地蔵山コースに入ってからはなだらかな登山道。


函館山無線中継所
函館山無線中継所の横を通り抜けて。


地蔵山の開発局電波塔
地蔵山山頂にある開発局電波塔。


地蔵山のNTT電波塔
開発局電波塔に隣接してそびえ立つNTT電波塔。何だか雲行きが怪しく…。


地蔵山のNTT電波塔
瞬く間に電波塔は雲にのまれて見えなくなる。


函館山地蔵山コース
完全に雲がかかって雨が降り始めた。急いで地蔵山コースを千畳敷に向かって走る。


千畳敷広場
千畳敷広場に着いた時には、かなり視界が悪くなり豪雨に。


千畳敷休憩所
急ぎ千畳敷広場にある休憩所へ避難。雷が鳴らないことを祈りつつ。


千畳敷休憩所
千畳敷休憩所で雨が小康状態になるまで雨宿り。降雨は激しいが、幸い雷雲ではないようだ。


千畳敷休憩所からの眺望
千畳敷休憩所より雲間に函館市街と函館湾を眺望。


千畳敷広場
雨が小康状態になり視界も晴れて休憩所を出発。写真左に見える建物が避難していた休憩所で、右が公衆トイレ。これらの施設が無かったらずぶ濡れの悲惨な状況に陥ったことだろう。本当に助かった。


千畳敷より地蔵山の電波塔を望む
千畳敷より地蔵山の電波塔を望む。


千畳敷砲台跡付近
千畳敷砲台跡付近。その名の通り平坦地が広がる。


千畳敷砲台跡
草むらの中に突然現れた異様な建造物。初めて目の当たりにする津軽要塞の遺構である。ここは千畳敷砲台の南端に設けられた戦斗(戦闘)司令所で、函館湾や津軽海峡を監視し、指揮官などが詰めて各砲台に指令を出す重要施設だった。


千畳敷砲台跡
千畳敷砲台戦斗司令所の掩蔽部入口。興味津々に中へ入ってみる。


千畳敷砲台跡
戦斗司令所内部。


千畳敷砲台跡
電話台が4連に並ぶ戦斗司令所電話室。観測所や砲台等との連絡用の電話が設置されていた。


千畳敷砲台跡
千畳敷砲台の遺構を左手に見ながら。写真は貯水池跡。


JR無線観測所
JR無線観測所方面へ移動。


千畳敷砲台跡
JR無線観測所付近に残存する千畳敷砲台第一砲台跡。円形に雑草が生えている部分が砲座。


千畳敷砲台跡
千畳敷砲台の北端、観測所へ続く通路。左側面に棲息掩蔽部。


千畳敷砲台跡
土に埋もれた状態の棲息掩蔽部。弾薬庫だった。


ヒキガエル
雨に誘われて大きなヒキガエルが現る。


<千畳敷砲台跡
階段を上って観測所へ。


千畳敷砲台跡
観測所跡。雑草の中にコンクリートの基礎が残る。


千畳敷砲台跡
弾廠入口。雑草に覆われて入口が確認しづらい。


函館山千畳敷コース
千畳敷砲台跡を後にし、濃霧で何も見えない牛の背見晴所を過ぎると、千畳敷コースは二又に分岐。右の道が八幡山・水元山の東側、左の道はその西側を進み、いずれも函館山展望台のある御殿山に至る。今回は西側ルートを進むことに。


函館山千畳敷コース
激しい雨で地盤が緩くなっているだろう。落石に注意しながら千畳敷コースを行く。


つつじ山
雨が降りしきる中、つつじ山の北側を囲繞する千畳敷コースを一気に進み、入江山コースとの分岐点に。写真左に見える斜面が”つつじ山”。


御殿山第二砲台跡
そして、御殿山第二砲台跡へ。


御殿山第二砲台古写真
現地解説板より。在りし日の御殿山第二砲台。


御殿山第二砲台跡
上の古写真と同アングルで撮影。砲座と周囲の壁が残存している。


御殿山第二砲台跡
御殿山第二砲台の南端、観測所へ続く階段。


御殿山第二砲台跡
観測所跡には休憩用に東屋が設けられていた。


御殿山第二砲台跡
観測所からの眺め。もちろん本日は何も見えません。


御殿山第二砲台跡
御殿山第二砲台掩蔽部。写真左手前から砲具・弾薬庫が5連に並び、最奥に士官詰所、通路最奥はトンネルになり出入口へ通じていた。現在は崩壊のおそれがあるのか、立入禁止。


御殿山第二砲台出跡
つつじ山駐車場に残る御殿山第二砲台出入口。ここからトンネルを潜り抜けて掩蔽部へ行けたはずだが、現在は藪に覆われて入るどころか、中の様子を伺うこともできない。北海道遺産に指定しているのだから、もう少し保存整備をやってほしい。


御殿山
つつじ山駐車場より函館山の最高峰、御殿山山頂を望む。かつては御殿山第一砲台が設置されていた場所だが、現在は函館山ロープウェイの山頂駅や展望台をはじめ、HBCとNHKの送信施設が建てられ、ここに軍事施設があったことなど微塵にも気付かせない状態。後で知ったことだが、多くの砲台遺構が隠れて残存しているらしい。


函館山ロープウェイ
雲の中からロープウェイのゴンドラが上ってきた。多くの観光客を乗せていたが、こんな日に夜景が望めるのか少々心配。


函館山展望台
展望台には早くも夜景を待つ観光客が。


函館夕景
雲の合間に函館市街を望むが、ちょっと時間が早い。


函館山展望台
記念撮影スポットにもぞくぞくと観光客がやってくる。


函館山展望台
少しずつ空は暗くなり、いい感じになってきた。


函館夜景
完全に空が暗くなって展望台に行ってみたら…、観光客でごった返す。頭越しに夜景を撮影するのがやっと。


函館山ロープウェイ
山頂駅からロープウェイで下山。ゴンドラ内は満員御礼。


函館山ロープウェイ山麓駅
山麓駅に到着。ここから歩いて十字街へ。


函館市電十字街停留所
十字街停留所から市電に乗車し、本日の宿泊先、湯の川へ。


撮影日:2014年8月4日(月)
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函館五稜郭

旧東海道から話は逸れて桶狭間の次は戊辰戦争最後の舞台となった函館五稜郭。訪れたのは年も押し迫った昨年暮れ。早朝の上野駅から東北新幹線はやぶさ1号新青森行に乗車、新青森駅からスーパー白鳥1号を乗り継いで函館駅に着いたのは正午過ぎ、函館朝市で土産のタラバガニや毛ガニをそそくさと買い、函館市電で五稜郭へ向かう。12月になって北日本は猛烈な大寒波に襲われ、各地で大雪や暴風雪の大荒れな天気が続き、例年雪の少ない函館辺りも結構な雪が積もっているのかと思いきや、予想に反して雪は例年よりも少ないくらい。そのため凍結した路面がつるつるの状態で、特に横断歩道は危険地帯、何度路上でこけそうになったことか…。北海道出身者にあるまじき醜態である。さてさて、本題に入ろう。

函館山から北東に約6km、函館市街中央の平地に位置する五稜郭は、江戸幕府により築城された稜堡式城郭。箱館の開港に伴い、箱館奉行所を置く函館山山麓では港に近く、外国船から艦砲射撃の射程距離に入るため、その移転地として安政4年(1857年)から築造がはじまり、7年もの歳月をかけて元治元年(1864年)にようやく完成した。その2年後には坂本龍馬の暗躍により薩長同盟が結ばれており、この時薩長を中心とする新政府軍に攻撃される運命を誰が予想していたことか。縄張りはヨーロッパ各地の城塞都市を参考にし、五角形をなす郭の周りを水堀や土塁・石垣で囲む日本では珍しい城郭で、他には長野県佐久市の龍岡城に見られるだけ。5つの角は大砲攻撃の死角をなくすため、突き出た形となっており、これを稜堡と呼ぶ。このため実際には五角形が変形して星形の縄張りとなっている。

五稜郭完成から3年後の慶応3年(1867年)、大政奉還により江戸幕府は政権を朝廷へ返上、翌年に新政府(明治政府)が成立する。箱館奉行所は新政府に移管され、後に箱館府と改称して蝦夷地の統治機関となる。戊辰戦争が大詰めを迎えつつある明治元年(1868年)8月、旧幕府海軍副総裁・榎本武揚は、旧幕府軍主力艦隊8隻を率いて品川沖を脱走、仙台で幕臣・大鳥圭介や新選組・土方歳三をはじめとする旧幕府陸軍と合流し、同年10月に鷲ノ木(茅部郡森町鷲ノ木町)から蝦夷地に上陸、軍を二手に分け箱館に向けて進軍を開始する。大鳥圭介率いる一隊は内陸路を進んで峠下(亀田郡七飯町峠下)で新政府方の箱館府軍や松前藩兵を撃退し五稜郭へ。一方の土方歳三率いる一隊は海岸路を進み川汲峠で箱館府軍を撃退し、湯の川を経て五稜郭に向かう。この報を受けた箱館府知事・清水谷公考は青森へ退却、旧幕府軍は無人の五稜郭を占拠する。旧幕府軍の勢いは止まらず、更に松前・江差へ進軍して蝦夷地全域を制圧した。

明治2年(1869年)4月、新政府軍は反撃を開始するべく乙部に上陸、三方から箱館に向かって進軍し、圧倒的な戦力をもって箱館を除く道南各地をほぼ制圧、同年5月に箱館総攻撃を開始。これにより五稜郭支城の四稜郭が陥落し、一本木関門付近で土方歳三が戦死、箱館市街は新政府軍により制圧され、箱館湾では旧幕府軍の艦隊がほぼ全滅する。箱館港にあった新政府軍の軍艦甲鉄は、旧幕府軍の本拠地・五稜郭に向けて艦砲射撃を開始、砲弾が旧箱館奉行所の太鼓櫓に命中し、箱館港からの艦砲射撃が五稜郭を充分に射程圏に捉えていることを旧幕府軍に知らしめる。続いて旧幕府方の弁天岬台場や千代ヶ岡陣屋が陥落し、ついに五稜郭にあった旧幕府軍の幹部は降伏を決め、道南各地で繰り広げられた旧幕府軍と新政府軍の7ヶ月に及ぶ攻防戦は終結した。




函館駅
約5ヶ月ぶりに函館駅に降り立ち。


函館朝市
まずは函館朝市へ。


蟹商
函館朝市内にある蟹商でタラバと毛ガニをセレクト。今年はカニの値段が高騰しているとの報道を耳にしていたが、やはり朝市も例外ではなかったようで。「去年より値段が高くなったねえ…。」と店の方に聞いてみたところ、「ロシアから入ってくる量が激減しているんだよね。」とのこと。ニュースになっていたので御存知の方も多いと思うが、ロシアで水揚げされた7割は密漁だったらしい。


函館駅前
函館駅前の風景が5ヶ月前とは一変。函館駅前で棒二森屋と並んで双璧をなしていた和光ビルが解体され、建設現場の状態に。函館を訪れる度、一服に利用していた和光ビル1Fのドトールはどこへ行ってしまったのか。


和光ビル跡
和光ビル跡に並ぶ工事現場の衝立。戦後に最盛期を迎えた函館駅前・大門地区の古写真を掲載していた。


五稜郭タワー
函館駅前から市電に乗り五稜郭へ。写真は五稜郭に隣接して聳える五稜郭タワー。


五稜郭跡
五稜郭には多くの観光客が訪れる。5ヶ月前に函館山を登ったときにも感じたことだが、観光客の大半は中国系観光客だったように見受けられた。


五稜郭跡
五稜郭の出入口、一の橋と二の橋を渡って郭内へ入ろう。


五稜郭跡
五稜郭の出入口前に設けられる半月堡より一の橋を望む。


五稜郭半月堡
半月堡は五稜郭の正面出入口を守備するために設置された防御施設で、近世城郭に言う馬出にあたり、三角形の特徴ある塁堡。戊辰戦争当時は旧幕府軍が新政府軍の進攻を受け、物々しい防備体制を敷いていたのだろうが、今は平和な光景を見るばかりである。


五稜郭跡二の橋
半月堡より五稜郭内に入る二の橋を望む。


五稜郭水堀
水面が凍結する五稜郭水堀。明治時代初期よりここで切り出された天然氷は、函館氷(五稜郭氷とも)と呼ばれ、東京に運ばれて販売されていた。冷凍庫が無かった当時、氷は貴重品だったのである。


五稜郭門番所跡
五稜郭門番所跡。郭内の正面出入口に置かれた門番の詰所、出入する者を監視した。


五稜郭タワー
本塁上より五稜郭タワーを望む。日が沈んでゆく。


箱館奉行所
平成18年(2006年)復元工事がはじまり、平成22年(2010年)に完成した箱館奉行所。箱館戦争時に新政府軍の艦砲射撃が着弾して破壊された太鼓櫓も現代に復活している。


武田斐三郎先生顕彰碑
観光客が群がるここに何がある?


武田斐三郎先生顕彰碑
観光客が引けて見に行ったら、ここにあるのは武田斐三郎先生顕彰碑。函館奉行支配諸術調所教授役という長い肩書を持つこの御仁は、五稜郭の築城設計と監督を務めた人。多くの人が顔を触った形跡と思われるのだが、顔だけが金色になっている。何らかのご利益があるのか。


箱館奉行所
これが復元された箱館奉行所。


慶応4年(1868年)に撮影された箱館奉行所の古写真
慶応4年(1868年)に撮影された箱館奉行所の古写真(現地解説板より)。上の写真と比較してほしい。忠実に復元されていることがわかる。


供溜腰掛跡
箱館奉行所前にある供溜腰掛跡。奉行所を訪れた人の従者が待機していた建物があった。今後の復元に期待。


箱館奉行所
函館奉行所を内部見学しよう。入館料は一般個人は500円。


箱館奉行所大広間
箱館奉行所大広間。手前から四之間・三之間・二之間と続き最奥が床の間や違い棚、天袋等を設ける一之間。座敷の襖を全て開け放つと72畳もの大広間となる。


箱館奉行所表座敷
箱館奉行所表座敷。箱館奉行の執務室にあたり、奉行所内で最も格式の高い部屋。


箱館奉行所 定役元締・定役手附室
庶務や経理を行なう定役の執務室。定役室と隣の調役室は五稜郭や箱館戦争に関するパネル等を展示する。


式台の埋め甕
内玄関に展示される式台の埋め甕。平成17年(2005年)発掘調査の際、玄関式台と内玄関式台跡から発見された信楽焼の大甕で、能舞台に事例がある音を反響させる目的や、建築に関わる儀式的な目的があったと推測されるが、理由ははっきりわかっていない。玄関式台跡で5個の甕、内玄関式台跡に3個の甕が埋められていた。


五稜郭タワー
箱館奉行所を後にし、五稜郭タワーへ移動。一般大人料金の840円を支払い、エレベータで展望室へ。


五稜郭模型
展望室に展示される五稜郭の模型。箱館奉行所をはじめとする往時の建物の様子がよくわかる。


五稜郭
そして本物の五稜郭を望む。


箱館奉行所
箱館奉行所が復元されたことで五稜郭の魅力は確実に増した。その予定があるのか知らないが、模型に見るような往時の建物を全て復元し、箱館戦争を扱う映画やドラマのロケ地になれば、観光地としての注目度は抜群だろう。


函館市街と函館山
展望室より函館市街と函館山を望む。函館山裏の津軽海峡にはイカ釣り漁船の漁火が。素晴らしい眺め。


函館山
函館山を背景にした夜景もすばらしい。


五稜郭タワーにて
午後5時よりイルミネーションが点灯する模様。しばし待つことに。


土方歳三のブロンズ像
展望室に鎮座する土方歳三のブロンズ像。新選組副長を務めた土方歳三は、鳥羽伏見や甲州勝沼、宇都宮城、会津と各地を転戦、新政府軍に対し徹底抗戦するが、ついに箱館戦争で銃弾を受け戦死した。最後まで幕府を守るために戦ったラストサムライであろう。


五稜郭タワー
イルミネーション点灯時間を待ちながら、五稜郭に関する展示を見よう。これが模型とパネルを使った展示で、なかなか興味深い。訪れた時には是非とも時間を割いて見学してほしい。


五稜星の夢イルミネーション
五稜星の夢イルミネーションが点灯!展望室からは星形に彩る全貌を見ることができなかったのが少々残念、もう少し高い位置から見ることができれば良かったのだが、それは無茶な要望というものだろう。


五稜郭タワー
展望室を降りて1階アトリウムに。


五稜郭タワー
光り輝くイルミネーションに照らされ、箱館戦争で使われた30ポンド短カノン砲や仏式四斤山砲(いずれも実物大模型)を展示する。


五稜郭タワーと五稜郭水堀
五稜郭タワーを後に。次に函館を訪れた時は四稜郭に行ってみようと思う。


撮影日:2014年12月28日(日)
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テーマ : 北海道
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函館東照宮(権現台場)と四稜郭

今夏の北海道の記事は函館で締めくくろう。昨年末に函館を訪れた際、次に行きたいと思っていた四稜郭を中心に五稜郭北部の史跡を巡ってみた。函館五稜郭から北へ直線距離で約3.5km、五稜郭を一望する高台に知る人ぞ知る四稜郭がある。戊辰戦争の最終決戦となった箱館戦争において、五稜郭を本拠にする旧幕府脱走軍が背後の備えとして築いた防御陣地で、小規模ながら四隅に稜堡を設ける稜堡式城郭だったことから四稜郭と称する。明治2年(1869年)旧幕府脱走軍の兵士約200名、付近の村民約100名が昼夜兼行で急造、数日のうちに完成させたと伝わり、高さ3mの土塁と深さ70cmの空壕を回らし郭内四隅の稜堡に砲座を設けて新政府軍の進攻に備えた。設計は陸軍奉行大鳥圭介との説も。

四稜郭から南方約1km、五稜郭と四稜郭の間に設けられていたのが権現台場。東照大権現(徳川家康)を祭神に祀る函館東照宮の地に築かれたことから権現台場と称した。函館東照宮は元治元年(1864年)五稜郭が完成したことを機に、その鬼門(北東)にあたる上山村(現 函館市神山)の地に創建、日高様似の等澍院より東照大権現を分霊して祭神とした。これを機に”上山”は”神山”へと地名を改める。明治2年(1869年)旧幕府脱走軍は四稜郭と共に函館東照宮に砲台を設けて権現台場を築造、同年5月11日に新政府軍の箱館総攻撃を受けて権現台場が陥落、退路を断たれた四稜郭は僅か数時間の戦闘で呆気なく陥落してしまう。同年5月18日に五稜郭開城、旧幕府軍幹部の榎本武揚らが降伏して戊辰戦争は函館で終結する。函館東照宮は戦火を受けて焼失、後に祭神は青柳町や谷地頭町、宝来町などを転々とし、平成3年(1991年)陣川町に移って北海道東照宮に改称した。




五稜郭駅
五稜郭駅よりタクシーに乗車、陣川町の北海道東照宮へ向かうよう告げる。


北海道東照宮
タクシーの運転手も北海道東照宮に客を運ぶことはまず無いようで、陣川町で右往左往しながら何とか北海道東照宮に辿り着く。


北海道東照宮
函館東照宮を前身にする北海道東照宮。平成3年(1991年)現社殿が完成、宝来町より陣川町の地に遷座した。訪れた時に観光客や参拝客がいなかったが、紛れもないここが日本最北の東照宮である。


北海道東照宮の手水石
境内にある手水石。元治2年(1865年)函館奉行の小出大和守秀実が奉納したもの。


手水石弾痕
手水石は函館戦争の戦火を潜り抜けてきた函館東照宮の名残。戦争当時の弾痕が見られる。


北海道東照宮
北海道東照宮社殿。平成3年(1991年)の完成だけあって新しい。


北海道東照宮にて
参拝を終えて、せっかくなのでおみくじを引く。中吉、「誰でも明日の自分は明日にならなければ分からない。先のことばかり心配して大事なことを決断できないようでは、人生は何も出来ずにあっという間に終わってしまう。(以下略)」。ごもっともなアドバイス。


北海道東照宮拝殿
社殿内部を少々拝見。


純忠碧血神社
境内社の純忠碧血神社。志半ばに倒れた旧幕府方の錚々たる面々を祭神に祀る。


純忠碧血神社
葵御紋の台座に置かれる純忠碧血神社の小社殿。


北海道東照宮参道
北海道東照宮参道。


北海道東照宮参道
参道入口には鳥居や石灯籠ではなく、他に類を見ない洒落た灯籠が立つ。


陣川町より函館山を望む
陣川町より函館山を望む。


陣川町 高野寺バス停付近
高野寺バス停付近、陣川町の町並み。


神山教会
陣川町にある高野山真言宗神山教会。


神山教会の石仏群
神山教会の石仏群。麦わら帽子を被ったお地蔵様が何とも粋な感じ。


神山教会の石仏群
神山教会の境内に並ぶ石仏群。明治後期から昭和初期にかけて建立されたものが多くみられる。


陣川町にて
陣川町で突如現れたキジ。北海道で見かけるのは珍しく、慌てて写真を撮影。私の存在に気付いたのか、そそくさと小走りで草むらの中に消えた。元々北海道にキジは生息しておらず、狩猟用に放鳥され野生化したらしい。


四稜郭付近
陣川町内を南西へひたすら進み四稜郭付近に。


四稜郭付近より函館山を望む
四稜郭付近より函館山を望む。


四稜郭
四稜郭の敷地入口。現在は東側の道からアクセスするが、往時は枡形虎口(郭内入口)より五稜郭や権現台場方面の南へ向かって道が付けられていたようだ。


四稜郭
敷地入口に立つ案内板の向こうに土塁が見える。


四稜郭案内図
四稜郭平面図。函館市教育委員会設置の案内板より。郭の四隅に稜堡を設け、蝶が羽を広げたような形状。


四稜郭にて
四稜郭に設置の東屋にて。こんな所にもヒグマが出るのかよ!


四稜郭
四稜郭の郭内入口。函館市と文部省(現在の文部科学省)設置の解説板が立つ。。


四稜郭
郭内入口(虎口)に設けられる小規模の枡形。外から内部が見えないうようにするための工夫である。


四稜郭
枡形虎口より郭内を望む。郭内の面積約2300平方メートル、サッカーフィールドの3分の1程度の面積しかない。300名程度が数日で急造した防御陣地だけに、こんなものだろう。郭内に建造物は無かった。新政府軍の攻撃開始から僅か数時間で陥落したことも頷ける。


四稜郭
北西角の稜堡より枡形虎口を望む。


四稜郭
四稜郭北側の土塁と空堀。


四稜郭
北東角の稜堡より郭内を望む。四隅の稜堡には大砲を上げ下ろしするためのスロープが設けられている。


四稜郭
北東角の稜堡と空堀。


四稜郭のアジサイ
四稜郭土塁の傍らに咲くアジサイ。梅雨といえばアジサイの季節であるが、梅雨のない北海道にあっては8月初旬でもアジサイがまだまだ元気な感じ。


四稜郭
四稜郭の郭外には見頃を終えたスズランの群生地。


函館山
四稜郭付近より望む函館山と五稜郭タワー。


四稜郭付近にて
四稜郭付近の路傍に咲くアザミ。


四稜郭付近より函館山を望む
四稜郭がある高台から函館市街へ下りて行こう。


神山より五稜郭タワーを望む
神山地区、道の突き当りが東照宮旧地に鎮座する神山稲荷神社。権現台場跡である。その北側に付けられるこの道は、権現台場へ出入するために使われていたと思われる。


神山稲荷神社
神山稲荷神社境内。


神山稲荷神社
神山稲荷神社社殿。倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)を祀る神山稲荷神社は、上山村の鎮守であり産土神として崇敬を集めた。寛政8年(1796年)に初めて社殿を建立したというから、函館東照宮より歴史が古い。


神山稲荷神社の忠魂碑
神山稲荷神社境内にある陸軍大将渡辺錠太郎書の忠魂碑。


権現台場跡
神山稲荷神社境内(権現台場跡)は五稜郭と四稜郭間の傾斜地にある小さな平地ながら五稜郭を眼下に望め、ここに台場が築かれたことが頷ける。当時ここにあった函館東照宮にとっては災いだったのだろうが…・


神山稲荷神社にて
神山稲荷神社にて。北海道の短い夏を謳歌し、土に還ろうとするエゾゼミ。7年間も土中で暮らし、ようやく地上に這い上がり日の目を見て僅か1週間で一生を終えてしまうのか。そう考えると何か切ないなあ…。


神山稲荷神社
神山稲荷神社参道。


神山稲荷神社参道
参道入口に立つ石鳥居。「元治二年乙丑」と刻む。箱館戦争の戦火を潜り抜けてきた函館東照宮の名残であろう。


権現台場跡より函館山を望む
権現台場跡より函館市街に聳える五稜郭タワー、その向こうに臥牛の如き山稜をなす函館山を望む。戦時には五稜郭をはじめ函館市街の戦況が望めたことだろう。


権現台場跡より函館山を望む02
函館山と市街をズーム、写真左端に五稜郭タワーが見える。ここから五稜郭まで約2.5km、旧幕府軍の本丸五稜郭へ向かおう。つづく。


撮影日:2015年8月2日(日)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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