川越街道っ!

次は旧川越街道を歩くことにしよう。私が歩き通した会津西街道に縁あって、旧街道を精力的に踏査しながら数多くの紀行本を出版されている中山高安氏と連絡をとる機会があり、ご自身の著書”街道を歩く⑤ 川越街道”を頂戴した。動機は単純明快、この本を拝読させていただき、旧川越街道を歩こうと思ったわけである。近隣の旧街道であり、川越城下を散策したかったこともあって決断は早かった。成田街道歩き踏破の余韻冷めやらぬ猛暑の8月中旬、5年前に旧中山道歩きで訪れた板橋宿の地に再び立つ。
川越街道は板橋宿で中山道を分岐し、上板橋・下練馬・白子・膝折・大和田・大井の宿駅を経て、川越城下へ至る街道。川越から先は北へ児玉街道が延び、藤岡(現 群馬県藤岡市)に通じて中山道に合流できたため、中山道脇往還川越道とも称された。川越・児玉の両街道を合わせて川越児玉往還とも呼ぶ。その起源は戦国時代に太田道灌が江戸城と川越(河越)城を築いた際、従来あった古道を繋ぎ合わせ、二つの城を結ぶ道を通したことにある。後の江戸時代初期に幕府は江戸の北西を守る要衝として川越城を重要視、老中格の譜代大名を藩主として配し、江戸と川越藩を結ぶ街道には宿駅を置いて整備した。
旧川越街道の距離をルートラボで測定すると、板橋宿の旧中山道分岐から川越城下・札の辻まで約32km、日本橋起点だと約42km。明治3年(1870年)刊行、伊能忠敬測量の「大日本沿海実測録」によると、板橋宿平尾から川越本町まで8里6町45間(約32km)であり、ほぼ合致している。現在の川越街道は池袋と川越市を繋ぐ国道254号の別称で、旧道は一部国道254号と道を共にしながらほぼ並行して延び、道中には松並木や欅並木等、旧街道の名残も見られるらしい。記事では基本的に旧川越街道を指して川越街道と表記し、実際の道路名が旧川越街道の場合はそのまま表記する。さあ、川越街道の旅を楽しもう。

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