東海道

東海道

日本橋から旧中山道を歩き始め、京都三条大橋に着いてから早いもので約4年半もの月日が流れた。思い返せばついこの前のような気がしてしまうのは、年齢を重ねるごとに時間の流れが速く感じる故だろうか。そろそろ京都から歩いて東京へ戻ろうかと思いつつ、なかなかその一歩が踏み出せない日々が続いていたが、ようやく重い腰を上げる時が来たらしい。80歳でエベレスト登頂に挑む三浦雄一郎氏の勇姿に触発されて、その半分くらいしか生きていない自分が東海道くらいを踏破しなくてどうするんだと。以前から一度行ってみたかった比叡山の登山ついでに、三条大橋から旧東海道を日本橋へ向けて歩こうと決意した。ゴールデンウィークのほとんどを仕事に費やし、その疲れも取れきらぬ5月中旬、東京駅から久々の東海道新幹線に乗車して京都へ向かった。

関ヶ原合戦から翌年の慶長6年(1601年)、江戸城を本拠に着々と地盤を築きつつあった徳川家康は五街道の整備に着手する。当然ながらその2年後に開かれることになる江戸幕府を念頭に置いてのことだろう。五街道は江戸日本橋を起点に北へ向かう日光街道・奥州街道、西へ向かう東海道・中山道・甲州街道からなり、中でも江戸と京・大坂を最短に結ぶ東海道は、その最たる幹線道として機能した。現在もその流れは受け継がれ、太平洋岸に沿って関東と関西を結ぶ東海道新幹線をはじめ、国道1号線や東名高速道路は日本の交通路における大動脈である。

東海道は日本橋を起点に武蔵・相模・伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・伊勢・近江の各国に置かれた53の宿場町を経て山城国の京・三条大橋へ至る延べ距離約126里(約495km)の街道。当初は御油宿と赤坂宿が一つの宿場であり、後に箱根宿が新設されたりして今に知られる東海道五十三次が完成するのは寛永元年(1624年)のこと。道中には1里(約4km)毎に一里塚が設置され、相模国の箱根と遠江国の新居に関所を置いて”入り鉄砲に出女”と言われる通行人の取り締まりが行われた。旧東海道については多数のガイドブックが刊行されている他、ホームページやブログにも多数書かれており、参考にする資料が豊富にあるおかげで旧街道ルートを辿るのに苦労はなさそうだ。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

比叡山・雲母坂

旧東海道を歩き始め前日の2013年5月18日(土)、延暦13年(794年)平安京遷都から1200年以上もの長きに渡って京都の鬼門を守り続ける比叡山延暦寺を訪ねた。せっかくなので記事に書いておきたい。比叡山を歩いて登れないものかと考え、ネットで調べてみたところ、京都側から比叡山を登れる雲母(きらら)坂という登山道があることを知った。都から雲が生ずるように覆って見えたからとか、坂の土壌が花崗岩の砕けた地質で雲母が含まれているからとか、その名の由来に諸説ある雲母坂。平安時代に浄土真宗の宗祖・親鸞が延暦寺へ修学のために登った道と云われ、叡山の山法師たちが日吉大社の神輿(しんよ)を担いで強訴に山を駆け降りた道でもあるという。また、延暦寺への勅使参向に利用された道ともいわれ勅使坂の異名をも持ち、なかなか歴史の深い登山道のようだ。何だか楽しめそうな予感。

比叡山・雲母坂


叡山電車修学院駅
京都駅から奈良線・京阪本線・叡山電車と乗り継ぎ修学院駅で下車。この駅が雲母坂登山口の最寄駅である。ここから比叡山アタックを開始しよう。


白川通・音羽橋
白川通の音羽橋から音羽川左岸を上流に向かう。


音羽川と比叡山
音羽川と比叡山。前方に聳えるのが比叡山、想像以上に高さを感じ、これからここを登るのかと思うと少々慄いてしまった。


雲母坂登山口標識
雲母坂登山口の標識。


雲母坂登山口
登山口標識の所から砂利道に。


雲母坂登山口
進むにつれて登山らしい雰囲気になってくる。


雲母橋
雲母橋で音羽川を渡って右岸へ。


きらら坂石柱
雲母橋付近、雲母坂の登り口に”親鸞聖人御旧跡きらら坂”と刻まれる石柱が立つ。比叡山に修学していた親鸞が六角堂へ百日参籠する際、雲母坂を往還したことを伝える記念碑である。


比叡山登山口案内
修学院消防分団設置の比叡山登山口案内。


雲母寺跡
ここで舗装道を左手に分かれ雲母坂は本格的な登山道となる。写真左手辺りは雲母(うんも)寺跡で、その跡地を示す石標が置かれている。雲母寺は平安時代の創建、不動明王を本尊としていたことから雲母坂には不動坂の異名も。明治時代初期に廃寺となり、本堂と本尊は赤山禅院に移された。


雲母坂
雲母坂は本格的な登山道に。


雲母坂
路傍に古びれた擁壁の石垣が残る。


雲母坂にて
雲母坂北側は修学院の敷地。鉄条網で隔たれ立入禁止。


雲母坂
雲母坂登山道。


雲母坂
叡山の山法師がここを強訴に駆け降りたのだろうか。


雲母坂
深くえぐられた山道に歴史の長さを感じよう。


雲母坂
ひたすら急斜面を登って一転、雲母坂は平坦な尾根道に。


雲母坂にて
雲母坂にて。


水飲対陣之跡碑
水飲対陣之跡碑。雲母坂半ばの平坦な地点に写真の石碑が立つ。南北朝時代、南朝(後醍醐天皇・新田義貞・楠木正成等)方の公家千種忠顕率いる軍勢と、北朝方足利尊氏の弟足利直義率いる軍勢がここで対陣、戦となったことを伝える碑である。


水飲対陣跡
振り返って水飲対陣跡を望む。


雲母坂
水飲対陣跡付近、雲母坂登山道。


雲母坂
”京都一周トレイル東山70”の標識地点。再び急斜面の上りとなり。


雲母坂
”京都一周トレイル東山71”の標識がある場所で登山道は二又に分かれている。写真左方向の急斜面を登って行くと”千種忠顕卿戦死之地碑”がある。


千種忠顕卿戦死之地碑
千種忠顕卿戦死之地碑。北朝方足利直義の軍勢と戦った千種忠顕はここで討死したという。


雲母坂
千種忠顕卿戦死之地碑から更に登山道を登り。


雲母坂
ようやくケーブル比叡駅の姿が!


ケーブル比叡駅からの眺め
ケーブル比叡駅から京都市街を眺望。雲母寺跡の登山口からここまで約1時間半の道程。苦労して登ってただけに、京都市街を眼下に望んで気分は最高だ。


ケーブル比叡駅
ケーブル比叡駅。山頂へはここで叡山ロープウェイに乗り換える。


雲母坂
ケーブル比叡駅を後にして先へ進もう。


雲母坂
ケーブル比叡駅から少々山道を進んだところで不自然な感じに建物が現れる。


比叡山人工スキー場跡
何だろと思ってたら、ここは比叡山人工スキー場跡。平成13年(2001年)冬季シーズンの営業を最後に閉鎖。それから10年以上経っているのだが、ロッジやリフト等の施設が今も取り残されている。


比叡山人工スキー場跡
昔はスキー客で賑わったであろうロッジも、今は昔。


比叡山人工スキー場跡
手を入れればリフトも再び動き出しそうな感じ。


比叡山つつじヶ丘
比叡山人工スキー場跡を過ぎて少し進んだ所、山肌にツツジが咲き誇るその名も”つつじヶ丘”。


比叡山つつじヶ丘
比叡山つつじヶ丘。


比叡山つつじヶ丘
ちょうど見頃の時期を迎えていたツツジ。赤・白・ピンクの花色が新緑の中に映え素晴らしい。


比叡山つつじヶ丘0
つつじヶ丘に並ぶ石塔・石仏群。古くから信仰されてきた山であることが所々に見られる。


雲母坂
国家鎮護の石碑横を通って。比叡山は平安の昔から国家鎮護のため、京の鬼門を護ってきたのだ。


雲母坂
いよいよ比叡山境内へ。


撮影日:2013年5月18日(土)
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比叡山・延暦寺

延暦寺は今から約1200年前、伝教大師最澄が比叡山に一乗止観院という寺院を開山したことにはじまりがある。その場所は根本中堂の地とされ、小規模ながも薬師堂・文殊堂・経蔵の伽藍を有する寺院だったという。”鳴くよウグイス平安京”こと延暦13年(794年)、桓武天皇によって長岡京から平安京へ遷都が行われると、京の鬼門(北東)に位置する比叡山は国家鎮護の場として重要な役割を担うことになり、弘仁14年(824年)平安京遷都時の年号”延暦”という寺号を朝廷から賜った。最澄が没してから2年後のことである。以来、延暦寺は高僧が集う場となり、鎌倉時代には法然・栄西・親鸞・道元・日蓮といった誰もがその名を1度は聞いたことがあるであろう祖師方が修行した。

比叡山延暦寺と聞いて私がまず頭に思い浮かぶのは強訴と焼き討ち。昨年放映されたNHK大河ドラマ”平清盛”で、延暦寺天台座主の明雲を中心に僧兵らが決起し、日吉大社の神輿を担いで比叡山を駆け降り朝廷へ強訴するシーンは、迫力あって非常に印象に残っている。院政によって50年以上も治天の君として権力を振りかざした白河法皇さえも「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの。」と言って嘆いたという。山法師とは叡山の僧兵のこと、つまり賀茂川の水害、サイコロの出目と同じように叡山の僧兵だけは思いのままにならないということである。延暦寺の強訴は平安時代から室町時代にかけて盛んに行われたが、これに終止符を打たせたのが織田信長による討伐、元亀2年(1571年)の比叡山焼き討ちである。

信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康によって延暦寺は再興が図られる。今に見る延暦寺の伽藍は室町末期以降の再興によるもので、現在の総本堂根本中堂は江戸幕府三代将軍徳川家光の命によって再建がはじまり、寛永19年(1642年)に竣工した。比叡山延暦寺は大きく東塔・西塔・横川の三地域に分けられ、中でも総本堂である国宝の根本中堂をはじめ、阿弥陀堂・戒壇院・大講堂等の重要な堂宇を持つ東塔がその中心をなす。根本中堂に祀られる御本尊秘仏薬師如来の宝前に灯される”不滅の法灯”は、最澄が生きた時代から現在に至る約1200年間、毎日菜種油を注ぎ続けられて消えることなく燃え続けていることからそうそう呼ばれる。本当のところ、信長による焼き討ちによって”不滅の法灯”は途絶えてしまったが、後に山形市の立石寺(通称を山寺)に分灯していた法灯を戻し、現在に守り継いでいるという。”油断大敵”の語源は”不滅の法灯”にあるとの説も。

比叡山・雲母坂


延暦寺境内碑
”史蹟延暦寺境内”の石碑を横に見ながら、いざ!延暦寺境内へ。


延暦寺参道
ここが西塔と東塔への分かれ道。直進方向は東塔、左折方向が西塔へ至る。まずは東塔へ向かう。


弁慶水
東塔入口付近に湧く霊水、弁慶水。源義経に仕える前は比叡山の僧だったと伝わる武蔵坊弁慶が、千日に渡って千手堂(山王院堂)への参篭を続けたという。その際、仏前に供える水を汲んだのがここの湧き水だったと伝わることから弁慶水と名付けられている。


延暦寺参道
ここで比叡山延暦寺諸堂巡拝券を購入。


阿弥陀堂・東塔
阿弥陀仏坐像を本尊に祀る阿弥陀堂。昭和12年(1937年)比叡山開創千百五十年を記念して建立された。その奥に並ぶ多宝塔は東塔。織田信長による比叡山焼き討ちで灰燼に帰した東塔を、昭和55年(1980年)佐川急便グループ創業者佐川清氏の寄進で鎌倉古絵図を参考に再建した。


戒壇院
延宝6年(1678年)に復興建立されたと伝わる戒壇院。明治34年(1901年)国の重要文化財に指定。木部に丹色や黒色を施しており、色褪せた装いは地味ながら風格を漂わせている。


大講堂
天台座主第一世義真和尚による建立で、叡山に修行する僧侶の学問研鑽の場となった大講堂。現在の建物は昭和31年(1956年)旧堂焼失後、山麓の坂本より移築された。吉川英治の小説”新平家物語”には、鐘の音を合図に強訴する僧兵が集う場として描かれている。


根本中堂
いよいよ、延暦寺総本堂の根本中堂へ。


根本中堂
国宝に指定される根本中堂。御本尊秘仏薬師如来を本尊に祀り、その宝前に”不滅の法灯”が灯り続ける。内部は撮影禁止なので、写真はここまで。多くの参拝者や観光客が見学に訪れていた。


文殊楼
根本中堂門前の尾根上にある文殊楼。楼上に文殊菩薩を安置する。寛永期に根本中堂と共に再建されたが、寛文8年(1668年)に焼失、同年に再建されたものが現在の建物である。文殊楼は内部公開しており、急階段を上って文殊菩薩を安置する楼上へ入ることができる。

山王院堂
東塔と西塔への分かれ道まで戻り、奥比叡ドライブウエイ上に架かる橋を渡って西塔へ向かおう。橋のすぐ先にある建物は山王院堂。千手観音を祀ることから千手堂や千住院の名も。比叡山に修行する弁慶が千日参篭を続けたという御堂はここのことであろう。


延暦寺西塔参道
西塔参道のとても長ーい石段を下りてゆく。帰りにここを登らなければならないと思うと、少々へこむ。


浄土院
石段を下り切ったところにある浄土院。伝教大師最澄の廟所。弟子であった慈覚大師円仁が仁寿4年(854年)ここに中国五合山竹林院を模して廟所を建立、最澄の遺骸を祀った。以来、この廟所を守る僧侶は侍眞と呼ばれて代々引き継がれ、厳しい戒律のもとに12年間山を下りず籠山修行に励み、伝教大師に仕えるように生活しているという。


延暦寺西塔参道
参道を進んで西塔の中心部へ。


親鸞聖人修行の地
”親鸞聖人ご修行の地”碑がある聖光院跡。その奥が西塔南谷南上坊(後の真蔵院)跡で”真盛上人修学之地”碑が置かれている。


常行堂・法華堂
常行堂と法華堂。二つの御堂は唐破風造の廊下で繋がれ、両堂を合わせて”にない堂”と称される。共に文禄4年(1595年)の建築で、常行堂は阿弥陀如来、法華堂が普賢菩薩を本尊とする。昭和30年(1955年)”にない堂”は国の重要文化財に指定された。


釈迦堂
西塔の本堂にあたる釈迦堂。別名を転法輪堂と言う。釈迦如来を本尊に祀る。現在の御堂は織田信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)豊臣秀吉の命により、園城寺弥勒堂(金堂)を移したもの。貞和3年(1347年)頃の建立といわれ、比叡山の伽藍の中で最古の建築。明治33年(1900年)国の重要文化財に指定された。


撮影日:2013年5月18日(土)
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比叡山・坂本

比叡山東山麓、琵琶湖西岸に今も古い町並みを残す坂本。古来より延暦寺や日吉大社の門前町として発展し、戦国期には明智光秀によって坂本城が築かれ、その城下町としての役割も果たした。坂本は穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる城の石垣等を積み造る職人の出身地、穴太衆によって自然石を巧みに積み上げて築かれた石垣が所々に見られ、独特の雰囲気を作り出している。また、高齢となって山を下りた比叡山の僧が里坊(隠居所)を構え、多くの僧が余生を過ごした地でもある。現在も旧竹林院をはじめ約50ヶ所の里坊があり、坂本一帯は平成9年(1997年)国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

比叡山・坂本


慈眼大師・天海大僧正住坊址
時計は17時を過ぎて参拝客もまばらになった。そろそろ比叡山を下りよう。西塔から東塔へ戻り比叡山鉄道のケーブル延暦寺駅へ向かう。


比叡山より琵琶湖を望む
比叡山より琵琶湖を望む。こうして眺めると本州の真ん中にこんな巨大な淡水湖があることが不思議に感じる。どういった経緯があって琵琶湖はできたのだろう。


ケーブル延暦寺駅付近の常夜燈
ケーブル延暦寺駅付近にある常夜燈。もう置き場がないくらいに石を積まれ大変なことに…。


ケーブル延暦寺駅
このモダンな駅舎がケーブル延暦寺駅。昭和2年(1927年)ケーブルカー開業以来の駅舎。当初の2階は貴賓室が設けられていたが、現在はギャラリーとなっており一般人でも入れる。平成9年(1997年)国の登録有形文化財に指定。


ケーブル延暦寺駅
さあ、ケーブルカーに乗って比叡山を下りよう!


ケーブル坂本駅
ケーブルカーの車窓から。約14分で山麓のケーブル坂本駅に到着。


ケーブル坂本駅
ケーブル坂本駅を出て門前町坂本の町並みを見に行こう。


日吉東照宮
と、その前に日吉大社末社の東照宮に参拝。こんな所にも東照宮があったなんて。


日吉大社末社東照宮
小規模ながら本家本元を彷彿させる極彩色の彫刻に、さすがは東照宮を名のるだけはある。


作り道(坂本商店街)
東照宮と坂本を結ぶ参道の権現馬場を歩いて作り道(坂本商店街)へ入る。日吉大社参道(滋賀県道316号)の坂本四丁目交差点から南へ延びる道は”作り道”と呼ばれ、延暦寺に関係する職人や商人、参詣者を泊める宿が建ち並んでいた。今も門前町の様相を色濃く残す。


榊宮社
坂本商店街の中心に鎮座する榊宮社。日吉大社境外百八社の一つ。日吉山王祭の折、大津天孫神社から曳かれてきたヒモロギの榊をこの神社で一時留置することにその名の由来がある。ヒモロギの榊は「七度半の使い」と呼ばれる招請使に引き渡され、行列を組んで日吉大社へ向かう。


作り道(坂本商店街)
坂本の町並み。


本家 鶴喜そば
享保年間(1716年~1736年)初代当主鶴屋喜八が創業したという老舗、”本家 鶴喜そば”。現在の店舗は明治20年(1887年)建築で、いかにも老舗らしい佇まい。


日吉大社大鳥居
坂本四丁目交差点の西側に日吉大社の大鳥居が構える。


生源寺
坂本四丁目交差点の北側は生源寺。伝教大師最澄の生誕地とされる。


大将軍神社
生源寺の隣に鎮座する大将軍神社。日吉大社境外百八社の一つ。


本家 日吉そば
生源寺の向かいにある”本家 日吉そば”。江戸期には表具屋喜右衛門という屋号の宿屋があったあらしい。


坂本・横小路
生源寺西側を北に延びる横小路。この辺りも門前町の風情を残している。


坂本・横小路
横小路を更に北へ進むと穴太衆積みの石垣が沿道に見られる。


穴太衆積み・行泉院前
行泉院前に残る穴太衆積み。穴太衆積みの特徴は加工せずに自然石をそのまま積み上げる野面積みという石積法にある。


金毘羅大権現
金毘羅大権現の穴太衆積み。


造り道・榊神社付近
黄昏の作り道(坂本商店街)を再び歩いて。


理性院の穴太衆積み
坂本4丁目、理性院に残る穴太衆積み。


唐崎駅
唐崎駅まで歩いて本日の宿泊先大津駅前の”ホテルテトラ大津・京都”へ向かう。


撮影日:2013年5月18日(土)
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三条大橋へ、再びっ!

【旧東海道歩き 第1日目】三条大橋→日ノ岡峠→小関越→大津宿→JR大津駅



【2013年5月19日(日)旧東海道 三条大橋→大津宿 道中】
比叡山登山の翌日、約4年半ぶりに三条大橋に立った。旧中山道を歩いてようやく辿り着いた三条大橋、今回はここがスタート地点である。あの時とは季節が違えど、周りに見える風景に大きな違いはない。本当に4年半もの月日が流れたのかと錯覚する程、あの時のままである。さらさらと清楚に流れる鴨川、三条大橋の橋上をせわしく行き交う車や人、橋袂で旅人を迎える弥次さん喜多さん。そして、雲に覆われながらも何となく清々しさと歴史の深さを感じさせる京都の空。やっぱ、京都はいいねぇと思わずにはいられない。街道における歴史の深さは同等と言えども東京の日本橋とはやっぱり違う。ここに来ると日本橋にもそのらしさを取り戻してほしいと願わずにはいられなくなる。

旧東海道 粟田口


京都三条大橋
久々に見る三条大橋。再び橋を渡ることができたことに感慨ひとしお。


高山彦九郎像
三条大橋東詰にある高山彦九郎像。ご無沙汰でございまする。


鴨川
鴨川の川岸には川床が並び、暑い夏を迎える準備が整えられていた。


鴨川にて
鴨川にて。いかにも鴨川らしい光景です。


弥次喜多像
三条大橋西詰にある弥次喜多像。久しぶりー。


京都三条大橋
さあ、今回はここがスタート地点だ。


京都三条大橋
三条大橋の向こうに比叡山を望む。昨日はあの山中をうろうろしていたのか…。


三条通
三条大橋を発ち、振り返って。


檀王法林寺
最初の寄り道は三条大橋近くの檀王法林寺。”だんのうさん”と呼び親しまれる浄土宗の古刹で、阿弥陀如来を本尊に祀る。本堂は寛政3年(1750年)頃の完成。境内にある保育園の場所にはかつて主夜神尊を祀る主夜神堂があり、江戸時代中期から明治期にかけて多くの人々の信仰を集めたという。主夜神尊は黒猫が御使いであるとされることから、江戸中期頃より招福猫が作られ広く庶民に受け入れられた。寺社関連の招き猫としては最古のものとする説がある。


三条通
さあ、三条通を江戸へ向かって進もう!


白川橋と白川
白川に架かる白川橋を渡る。



三条白川橋道標
白川橋東詰に残る延宝6年(1678年)建立の三条白川橋道標。京都に現存する最古の道標だという。道標の北面には「三条通白川橋」、東面に「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」と刻む。


塔頭金蔵寺跡
白川橋を渡ってすぐ右手、”坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡”の石碑がある。ここは青蓮院の旧境内、塔頭金蔵寺の跡地。元治元年(1864年)池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)が起きた直後の8月初旬、龍馬とお龍はここにあった本堂で内祝言を挙げたらしい。


三条神宮道交差点
せっかく京都まで来たのだから東山北側の神社仏閣を巡ってみよう。ということで、ここ三条神宮道交差点で三条通を離れて寄り道することに。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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