三条大橋へ、再びっ!
【旧東海道歩き 第1日目】三条大橋→日ノ岡峠→小関越→大津宿→JR大津駅
【2013年5月19日(日)旧東海道 三条大橋→大津宿 道中】
比叡山登山の翌日、約4年半ぶりに三条大橋に立った。旧中山道を歩いてようやく辿り着いた三条大橋、今回はここがスタート地点である。あの時とは季節が違えど、周りに見える風景に大きな違いはない。本当に4年半もの月日が流れたのかと錯覚する程、あの時のままである。さらさらと清楚に流れる鴨川、三条大橋の橋上をせわしく行き交う車や人、橋袂で旅人を迎える弥次さん喜多さん。そして、雲に覆われながらも何となく清々しさと歴史の深さを感じさせる京都の空。やっぱ、京都はいいねぇと思わずにはいられない。街道における歴史の深さは同等と言えども東京の日本橋とはやっぱり違う。ここに来ると日本橋にもそのらしさを取り戻してほしいと願わずにはいられなくなる。


久々に見る三条大橋。再び橋を渡ることができたことに感慨ひとしお。

三条大橋東詰にある高山彦九郎像。ご無沙汰でございまする。

鴨川の川岸には川床が並び、暑い夏を迎える準備が整えられていた。

鴨川にて。いかにも鴨川らしい光景です。

三条大橋西詰にある弥次喜多像。久しぶりー。

さあ、今回はここがスタート地点だ。

三条大橋の向こうに比叡山を望む。昨日はあの山中をうろうろしていたのか…。

三条大橋を発ち、振り返って。

最初の寄り道は三条大橋近くの檀王法林寺。”だんのうさん”と呼び親しまれる浄土宗の古刹で、阿弥陀如来を本尊に祀る。本堂は寛政3年(1750年)頃の完成。境内にある保育園の場所にはかつて主夜神尊を祀る主夜神堂があり、江戸時代中期から明治期にかけて多くの人々の信仰を集めたという。主夜神尊は黒猫が御使いであるとされることから、江戸中期頃より招福猫が作られ広く庶民に受け入れられた。寺社関連の招き猫としては最古のものとする説がある。

さあ、三条通を江戸へ向かって進もう!

白川に架かる白川橋を渡る。

白川橋東詰に残る延宝6年(1678年)建立の三条白川橋道標。京都に現存する最古の道標だという。道標の北面には「三条通白川橋」、東面に「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」と刻む。

白川橋を渡ってすぐ右手、”坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡”の石碑がある。ここは青蓮院の旧境内、塔頭金蔵寺の跡地。元治元年(1864年)池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)が起きた直後の8月初旬、龍馬とお龍はここにあった本堂で内祝言を挙げたらしい。

せっかく京都まで来たのだから東山北側の神社仏閣を巡ってみよう。ということで、ここ三条神宮道交差点で三条通を離れて寄り道することに。
【2013年5月19日(日)旧東海道 三条大橋→大津宿 道中】
比叡山登山の翌日、約4年半ぶりに三条大橋に立った。旧中山道を歩いてようやく辿り着いた三条大橋、今回はここがスタート地点である。あの時とは季節が違えど、周りに見える風景に大きな違いはない。本当に4年半もの月日が流れたのかと錯覚する程、あの時のままである。さらさらと清楚に流れる鴨川、三条大橋の橋上をせわしく行き交う車や人、橋袂で旅人を迎える弥次さん喜多さん。そして、雲に覆われながらも何となく清々しさと歴史の深さを感じさせる京都の空。やっぱ、京都はいいねぇと思わずにはいられない。街道における歴史の深さは同等と言えども東京の日本橋とはやっぱり違う。ここに来ると日本橋にもそのらしさを取り戻してほしいと願わずにはいられなくなる。


久々に見る三条大橋。再び橋を渡ることができたことに感慨ひとしお。

三条大橋東詰にある高山彦九郎像。ご無沙汰でございまする。

鴨川の川岸には川床が並び、暑い夏を迎える準備が整えられていた。

鴨川にて。いかにも鴨川らしい光景です。

三条大橋西詰にある弥次喜多像。久しぶりー。

さあ、今回はここがスタート地点だ。

三条大橋の向こうに比叡山を望む。昨日はあの山中をうろうろしていたのか…。

三条大橋を発ち、振り返って。

最初の寄り道は三条大橋近くの檀王法林寺。”だんのうさん”と呼び親しまれる浄土宗の古刹で、阿弥陀如来を本尊に祀る。本堂は寛政3年(1750年)頃の完成。境内にある保育園の場所にはかつて主夜神尊を祀る主夜神堂があり、江戸時代中期から明治期にかけて多くの人々の信仰を集めたという。主夜神尊は黒猫が御使いであるとされることから、江戸中期頃より招福猫が作られ広く庶民に受け入れられた。寺社関連の招き猫としては最古のものとする説がある。

さあ、三条通を江戸へ向かって進もう!

白川に架かる白川橋を渡る。

白川橋東詰に残る延宝6年(1678年)建立の三条白川橋道標。京都に現存する最古の道標だという。道標の北面には「三条通白川橋」、東面に「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」と刻む。

白川橋を渡ってすぐ右手、”坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡”の石碑がある。ここは青蓮院の旧境内、塔頭金蔵寺の跡地。元治元年(1864年)池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)が起きた直後の8月初旬、龍馬とお龍はここにあった本堂で内祝言を挙げたらしい。

せっかく京都まで来たのだから東山北側の神社仏閣を巡ってみよう。ということで、ここ三条神宮道交差点で三条通を離れて寄り道することに。

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