深名線 幌加内駅跡

JR深名線の廃線跡の現状を見ようと、幌加内町を訪ねてみたので、まずは深名線について概要を少々。深名線は函館本線深川駅から幌加内町を縦断し、宗谷本線名寄駅に接続する総延長121.8kmの鉄道路線。大正11年(1922年)に着工され、2年後に深川駅~多度志駅間が開通、以来鉄道敷設工事は続けられ、昭和7年(1932年)朱鞠内駅まで延伸。昭和12年(1937年)名寄駅~初茶志内駅(後に天塩弥生駅へ改名)間が開通、昭和16年(1941年)朱鞠内駅~初茶志内駅間が開通し、20年余りの歳月をかけて深名線は全線開通する。地域住民の足としてはもちろんのこと、雨竜第一ダム・第二ダム(昭和18年竣工)建設用の物資輸送や木材運搬に活躍した。しかし、昭和30年代から幌加内町の人口は減少の一途をたどり、押し寄せるモータリゼーションの波にものまれ、昭和40年代には乗客や貨物輸送が激減、大赤字路線となり存廃が取り沙汰されるようになった。それでも他の赤字ローカル線が次々と廃止される中、代替道路が未整備であるという理由でかろうじて存続したが、平成7年(1995年)9月3日の運行を最後に廃止された。現在はジェイ・アール北海道バスが代替バスを運行する。

幌加内町の中心部に設けられた幌加内駅は、深名線において起点の深川駅、終点の名寄駅を除き最も乗降客が多かった駅で、私が国鉄駅の入場券集めに夢中だった少年時代に訪れた昭和50年代には駅舎内に売店があり、いかにも北海道のローカル線らしい風情漂う駅舎だったことを記憶している。開業は昭和4年(1929年)11月8日、深名線廃止時まで朱鞠内駅と共に有人駅で、相対式ホーム2面2線を有し、上り下りの列車交換が行われた。駅名の幌加内は所在地の町名であり、「アイヌ語のホロカナイ(後戻りする川の意)に由来し、雨竜川が南流しているのに対し、幌加内川が北流していることに因む」と、角川日本地名大辞典にある。深名線廃止後も駅舎は残されバス待合所等に再利用していたが、平成12年(2000年)に火災があって焼失。その跡地には”JR深名線 幌加内駅跡”と刻む記念碑とモニュメントのレール、駅名標が置かれ往時を偲ぶ。


より大きな地図で 深名線・幌加内駅跡 を表示


幌加内町交流プラザ
幌加内駅跡を訪ねる前に、まずは幌加内町交流プラザへ。旧幌加内駅舎の焼失後、ここにバス待合所が移された。施設内には人気の蕎麦店”せい一”やJR深名線資料展示室がある。


JR深名線資料展示室
JR深名線資料展示室を見学。深名線関係の備品や駅名板・制服の他、沿線各駅を紹介したパネルを展示する。深名線の事前学習にはもってこい。


JR深名線資料展示室
幌加内駅の発車時刻表と普通旅客運賃表。上り深川駅行が1日5本、下り朱鞠内駅行が1日4本の運行で、深川駅発の下り最終電車は幌加内駅が終着だった。


JR深名線資料展示室
釣銭器に乗車券箱、見覚えのある懐かしい品々だ。


JR深名線資料展示室
JR深名線資料展示室には映像展示もあり、興味深く拝見。
事前学習を終えたところで、幌加内駅跡へ向かおう。


幌加内駅跡
幌加内駅跡。駅舎が焼失してしまったのは残念だが、遅かれ早かれ取り壊しの運命にあったのかもしれない。現在はホームすら撤去され、遺構は完全に失われた状態。跡地に駅名標と記念碑、レールのモニュメントが設置されているのがせめてもの救い。


幌加内駅跡
幌加内駅跡の横を通る道路は、駅舎焼失後に新設。実際の駅舎跡は新設道路を挟んで向かい辺りで、現在は空き地になっている。


幌加内駅古写真
JR深名線資料展示室の展示パネルより。在りし日の幌加内駅。


幌加内駅跡
幌加内駅跡より駅前を望む。かつては駅前に小さなロータリーがあった。


旧幌加内駅前通り
旧幌加内駅前通り。


松家食堂
旧幌加内駅前にある松家食堂(写真左)。駅が無くなった後も長らく営業を続けていて、何度かここで蕎麦を食べているのだが、今回訪れた時には廃業したような感じ。調べてみたところ、昨年中に廃業したらしい。幌加内では老舗の部類に入る食堂だっただけに残念。比較的太麺のこしが強い蕎麦だったことを記憶している。


幌加内市街
国道275号沿い幌加内市街。写真中央の大きな建物が、幌加内町唯一のスーパー”エーコープ幌加内店”。その並び手前にこれまた幌加内町唯一と思われる電器店の”寺崎電器”。


撮影日:2014年8月9日(土)
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深名線 第三雨竜川橋梁と政和温泉駅・政和駅跡

幌加内駅跡を後にして国道275号を北上、温泉に浸かるべく道の駅”森と湖の里ほろかない”に併設する”せいわ温泉ルオント”へ向かう。ルオントは平成6年(1994年)の開業、その前身となる政和温泉は一軒宿の温泉旅館で、深名線の政和温泉駅前にあったが、線源が枯渇して昭和58年(1983年)時点で休業していたという。私の少年時代には確実に存在していたはずで、もしかしたら親に連れられて行っているのかもしれないが、残念ながら全く記憶に残っていない。湯上りにジンギスカンを堪能できる、知る人ぞ知る隠れた温泉だったようだ。平成2年(1990年)に政和温泉が廃業して存在意義を無くしたためか、深名線よりも一足早く政和温泉駅は廃止されている。

その政和温泉駅から深名線を深川方面へ約400m程行った雨竜川渡河地点に架かるのが第三雨竜川橋梁、深名線にあって唯一今に残される橋梁である。第三雨竜川橋梁は昭和6年(1931年)竣工、雨竜川のポンコタン渓谷に架かる橋梁で延長100.97m。渓谷や急流等、足場が組めない場所に橋梁を架ける技術、ケーブルエレクション(吊足場式架設)という工法を北海道内で初めて採用し建設された。コンクリート製の橋脚上に、昭和5年(1930年)に製造された長さ45mのトラス橋を架け、その両側に明治32年(1899年)にイギリスから輸入された長さ12.9mの桁橋4組を架ける。建設当時、ポンコタン渓谷に橋梁を架けることは相当な技術を要する難工事で、工事の現場主任だった渡部義雄氏が完成目前に雨竜川に転落し殉職している。平成21年(2009年)土木学会選奨土木遺産に認定。


より大きな地図で 深名線 第三雨竜川橋梁と政和温泉駅・政和駅跡 を表示


第三雨竜川橋梁とポンコタン渓谷
第三雨竜川橋梁とポンコタン渓谷。


第三雨竜川橋梁05
真っ赤なサルビアの花が咲き、第三雨竜川橋梁を彩る。


第三雨竜川橋梁
深名線にあって唯一往時の姿を残す第三雨竜川橋梁。


第三雨竜川橋梁北側の鉄路跡
第三雨竜川橋梁北側(名寄側)の鉄路跡。


第三雨竜川橋梁北側の踏切跡
第三雨竜川橋梁の北側、旧国道と深名線が交差する地点。かつては踏切が設置されていたと思われる。


温泉橋
第三雨竜川橋梁から政和温泉跡に向けて旧国道を進んで橋を渡る。


温泉橋02
その橋の名は温泉橋。昭和51年10月竣工。ここに政和温泉の温泉宿があったことを今に語るのはこの橋だけ。


政和温泉跡
温泉橋を渡って旧国道沿い東側(写真右手)に政和温泉の一軒宿があった。


政和温泉駅跡
政和温泉の一軒宿跡から旧国道を挟んで斜向かいにあった政和温泉駅跡。一段高くなっている鉄路跡の先に政和温泉駅があったはずだが、現在は藪と化しており遺構は確認できない。政和温泉駅は昭和36年(1961年)仮乗降場として開業、昭和62年(1987年)冬期を除いて停車する臨時駅に。単式ホーム1面1線に待合所を設ける典型的な無人駅だった。温泉宿が廃業し利用客が全く見込めなくなったためだろう、深名線廃止より一足早い平成2年(1990年)に廃止された。


政和温泉跡
温泉宿跡より政和温泉駅跡を望む。かつてここに温泉宿と駅があったこを想像するのは難しい。


政和温泉駅古写真
JR深名線資料展示室の展示パネルより。在りし日の政和温泉駅。


政和温泉駅跡付近踏切跡
政和温泉駅跡の北側、旧国道の踏切跡。アスファルトが途切れており鉄路跡を確認できる。


政和温泉駅跡付近鉄路跡
踏切から名寄方面の鉄路跡は牧草地になり消失。


旧政和駅
政和温泉駅から名寄方面へ次の駅、幌加内町政和地区の中心にあった旧政和駅に移動。


旧政和駅
旧政和駅の駅舎は今も残される。昭和6年(1931年)深名線の前身、雨竜線の幌加内駅~添牛内間が開通、政和駅が設置された。長らく駅員が常駐する有人駅だったが、昭和59年(1984年)無人駅に。私が少年時代に訪れた時、ここで入場券を購入した記憶があるので、無人化以前に訪れているはずだ。平成7年(1995年)深名線と共に廃止、駅舎は平成15年(2003年)から”飯処せいわ”として食堂に転用されていたが、現在は食堂も廃業したようだ。


政和駅古写真
JR深名線資料展示室の展示パネルより。撮影時期は不明だが、政和駅の古写真。今に残る駅舎とは窓の大きさ等、少々外観が異なるが、構造部分は同じ建物と思われる。往時の政和駅を見る貴重な写真。


旧政和駅
旧政和駅の改札側。廃止時は駅舎と単式ホーム1面1線を有する駅だったが、改札口は封鎖、ホームは撤去されて草むらと化している。


旧政和駅前
旧政和駅前に残る幌加内町開基七十周年の記念塔。政和を象徴する建造物、いつまでも駅舎と共に残っていてほしい。


旧政和駅前
旧政和駅前にあるこの建物は何とか商店だったが、商店名を失念した…。


旧政和駅前
政和駅前の記念塔と農業倉庫。


旧政和駅前
旧政和駅前、国道275号沿いにあったガソリンスタンドは廃業しているが、その面影を残す。


政和そばの花展望台
旧政和駅から国道275号を北上し政和そばの花展望台へ。


幌加内の蕎麦畑
幌加内はそばの作付面積日本一の町。政和そばの花展望台はそれを実感する絶好のビューポイントだ。


幌加内の蕎麦畑
視界いっぱいに広がる蕎麦畑は一見の価値あり。


幌加内の蕎麦畑
幌加内の蕎麦畑。普段、何気なく食べている蕎麦はここで収穫されているのかも。


そばの花
そばの花。これから収穫の時期を迎え、後に私の大好きな蕎麦になるわけだ。


そば処きたむら
政和そばの花展望台に併設する”そば処きたむら”。


政和そばの花展望台
広大な蕎麦畑を眺めながら、もり蕎麦を食す。こんなことができるのは、ここだけかも。


政和そばの花展望台にて
トラクターにも試乗できます。もちろん運転はできませんが。


幌加内北村蕎麦神社
幌加内北村蕎麦神社が鎮座。御祭神は蕎麦の神?




せいわ温泉ルオント
政和そばの花展望台から引き返して”せいわ温泉ルオント”に。

せいわ温泉ルオント
http://www.soba-horokanai.com/yu.html


せいわ温泉ルオント
ゆっくり温泉に浸かろうじゃないか。


せいわ温泉ルオント
湯上がりにゲームコーナーでお決まりのパチンコを楽しみ、家に帰ろう。深名線跡を訪ねる旅、今回はこの辺で。


撮影日:2014年8月9日(土)
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深名線 添牛内駅跡

幌加内市街から国道275号を北上すること約25km、国道239号(観月国道)が重複交差する場所に添牛内の市街地がある。地名の由来はアイヌ語の「ソー・ウシ・ナイ」(滝のある川)とされ、これは地区内西側を流れるソーウンナイ川を指しており、その流路に早雲内の滝を持つ。添牛内の起源は明治43年(1910年)温根別(現 士別市)から政和や朱鞠内方面への入植者に便宜を図るため、旧添牛内小中学校(現 添牛内コミュニティセンター)辺りに駅逓所が設置されたことに始まりがある。駅逓所とは北海道開拓期に道内各地に設けられた施設で、北海道における宿場の問屋場と言ったところ。人馬継立や宿泊、郵便業務の役割を担った。以来、駅逓を中心にして市街が形成、周辺一帯に岐阜や信州、阿波等からの団体入植がはじまり、明治44年(1911年)添牛内21線(現 添牛内橋付近)から温根別中線間に御料道路(現 国道239号)が開削されて移住者が増加、翌年に添牛内教育所(後の添牛内小中学校)が開校する。

添牛内駅が誕生するのは添牛内に入植がはじまってから約20年後の昭和6年(1931年)のこと。雨龍線(後の深名線)幌加内~添牛内間の延伸開通に伴い、添牛内市街から少し離れた約1km南西に添牛内駅は開業する。以来、駅を中心にして新たに市街が発達、従来からの市街(旧市街)に対して新市街と呼称された。幌加内町が全盛を迎える昭和20年代に添牛内地区の人口は約1800人を数え、郵便局や診療所、旅館をはじめ商店や理容院等が軒を連ね、人口増加を象徴するように駅前にはパチンコ屋もあったようだ。当時の添牛内駅は駅舎を持つ有人駅で、一般の旅客をはじめ、木材や澱粉等の積み出しで活況を呈した。しかし、昭和30年代から幌加内町の人口は減少の一途をたどり、昭和40年代には深名線の乗客や貨物輸送が激減、昭和57年(1982年)添牛内駅は無人化され、平成7年(1995年)深名線の廃線に伴い廃駅に。駅を失って添牛内地区は更に衰退、添牛内小中学校が開校88年目の平成12年(2000年)に廃校、翌年に添牛内郵便局も閉鎖された。




幌加内市街
約5ヶ月ぶりに訪れた幌加内町市街。前回とは全くの別景色、幌加内町は北海道内有数の豪雪地帯なのだ。
【関連記事】
深名線 幌加内駅跡


幌加内駅跡
幌加内駅跡。駅名標や記念碑、レールのモニュメントが設置されているのだが、雪に埋もれて何も見えない。


松家食堂
かつて幌加内駅前で蕎麦屋を営んだ旧松家食堂。


幌加内駅前
幌加内駅跡より旧駅前通りを望む。


朝明け食堂
旧駅前通り沿いにある朝明け食堂。


まるよしフードセンター
旧駅前通りと国道275号の丁字路角に”まるよしフードセンター”。写真右奥に”あじよし食堂”がある。あじよし食堂は幌加内産の手打ちそばを堪能できる一店、駅前の松家食堂と共に昔からあったことを記憶している。幌加内を訪れた時に度々ここで蕎麦を食べているので、思い出のある食堂だ。


幌加内市街
幌加内市街を後にし、国道275号を朱鞠内方面へ向かおう。


第三雨竜川橋梁
途中で第三雨竜川橋梁を撮影。雨竜川は凍結し川面に雪が積もる。第三雨竜川橋梁はいつまでも後世に残してほしい深名線の遺産だ。


政和駅跡
政和駅跡に立ち寄る。旧駅舎は健在だったが、8月に訪れた時にはあった幌加内町開基七十周年の記念塔が撤去されており唖然とする。政和のシンボル的存在だったのに…。残念の一言。
【関連記事】
深名線 第三雨竜川橋梁と政和温泉駅・政和駅跡


添牛内跨線橋
そしてこの記事の本題、添牛内に到着。まずは旧深名線鉄路跡に架かる国道239号(観月国道)の添牛内跨線橋へ。添牛内駅から深川方面へ約250mに位置し、ここから旧添牛内駅構内を一望できる。


添牛内跨線橋より添牛内駅跡を望む
添牛内跨線橋より添牛内駅跡を望む。写真右手に見える2棟の倉庫奥が旧添牛内駅。2棟の建物は農業倉庫のようだが、かつてそこにあった天塩川木材工業の遺構なのかもしれない。


添牛内駅跡
添牛内跨線橋より添牛内駅跡をズームイン。今となってはこんな所を汽車が走っていたとは想像し難い。


旧添牛内駅
旧添牛内駅。今も駅舎が残る。駅前通り沿いには山前家が1軒だけ残るが、除雪の状況から今は住む人はいないようだ。旧添牛内駅駅舎は山前家の倉庫として利用され現在まで存続したらしく、今後の動向が心配だ。この民家がある場所には、かつて日通の事務所と倉庫があったのだが、この建物がその遺構なのかは不明。


旧添牛内駅駅舎
旧添牛内駅駅舎。今後も残してほしい深名線の遺産である。


旧添牛内駅構内
旧添牛内駅構内から名寄方面を望む。


添牛内跨線橋
旧添牛内駅構内から深川方面の添牛内跨線橋を望む。かつての鉄路を感じられよう。


旧添牛内駅駅舎
雪に埋もれる旧添牛内駅駅舎。


添牛内新市街
添牛内新市街を行く国道275号。写真は朱鞠内方面を望む。かつて国道沿いに鉄道官舎や民家、様々な店が建ち並んだ添牛内の新市街も今は昔。過疎化が進んで建物は失われ、行き交う人も無く、市街とは表現しにくい状況。しかしながら、旧郵便局の建物を利用して霧立亭(写真沿道右の建物)が地元幌加内産の蕎麦を扱う蕎麦屋を商い、近年では日本一の作付面積を誇る蕎麦を産業にしてUターンやIターンによる移住者があり、若年層の人口が僅かながら増えているという。

次に訪れた時にはここで蕎麦を食べてみよう。そして、もう少し掘り下げて添牛内を見てみたいと思う。


撮影日:2014年12月30日(火)
【 参考サイト 】
添牛内Web同窓会

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深名線 多度志・上多度志駅跡

旧深名線の多度志駅跡とその深川方面隣の上多度志駅跡を訪ねた。石狩平野の最北部で深川市の北西部、旭川市から道道98号を西に進み多度志峠を越えた先、深川市からは道道281号を北上し中山峠を越えた先に多度志地区がある。多度志は米やソバをはじめ馬鈴薯(ジャガイモ)の産地、そんな農村地帯を横断するように深名線が通っていた。多度志駅は多度志地区の中心部にあった深名線の駅で、大正13年(1924年)国鉄雨龍線の深川駅~多度志駅間の開通に伴い開業。当初は駅舎を持つ有人駅で、駅舎から線路を挟んで対面には木材のストックヤードがあり、貨物駅としての一面もあった。私が小学生の頃に何度か訪れており、当時蒐集していた入場券を購入した記憶がある。昭和57年(1982年)貨物取扱を廃止、それから2年後に無人化され、平成7年(1995年)深名線と共に廃止された。廃駅後も駅舎やホームは残されていたが、廃駅から3年後には全て解体され現在は空地となっている。

多度志駅から深川側へ約3.2km地点、多度志と旭川を繋ぐ道道98号沿いに上多度志駅があった。この駅は多度志駅の開業から遅れること22年後の昭和21年(1946年)、上多度志仮乗降場として開業。昭和25年(1950年)駅に昇格し、この時有人駅になったと思われる。昭和57年(1982年)無人化され、平成7年(1995年)深名線廃止に伴い多度志駅と共に廃止された。駅から道道98号間の80m程の駅前通り沿いに上多度志の集落を形成。昔の航空写真で変遷を見てみると、上多度志駅が設置された後に家が建ち並んだことがわかる。現在は駅舎やホームが完全に撤去され、駅前通りに並んだ建物も減り、過疎化が進む。駅前通りと道道98号がなす丁字路の突き当りに藤本商店があったが、現在は看板を降ろし旧商店の建物と自販機が残るのみ。駅前広場と農業倉庫だけが上多度志の往時を偲ぶ。




旧藤本商店
上多度志の道道98号沿いにある旧藤本商店(写真右手前)。近年まで看板を掲げていたが、現在は取り外されているため、コカコーラの自販機が目印。ここを道道から北に入る道がかつての上多度志駅前通り。


旧上多度志駅前通り
旧上多度志駅前通り。道路奥の突き当りに上多度志駅があった。現在は駅舎やホームが撤去され、その跡地は何もない状態。


旧上多度志駅前通り
旧上多度志駅前通りを駅跡から道道方向を望む。旧駅前通りの突き当りが旧藤本商店。往時は道路沿いに建物が並んでいたが、現在は随分と減って人通りも無く過疎化が進む。


上多度志駅跡
上多度志駅跡。かつては写真中央辺りに駅舎があった。その奥に見えるのが多度志町農業倉庫。


上多度志駅跡02
上多度志駅跡を正面から望む。冬場は豪雪に埋もれ、ここに駅舎とホームがあったことを想像するに難しい現状。


旧上多度志駅前広場と多度志町農業倉庫
旧上多度志駅前に残る多度志町農業倉庫。現在もこの倉庫だけは現役なのだろうか。


上多度志停留所
JR北海道バスの上多度志停留所。深名線に代わり上多度志住民の足としてバスが運行されている。


上多度志停留所
上多度志停留所。


上多度志市街
この辺で上多度志を後に。


多度志駅跡
上多度志から多度志駅跡へ移動。ここが多度志駅跡なのだが、駅舎やホームは撤去され、雪が積もるのみ。その跡地を示すものは何もない。


空中写真 多度志駅周辺
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7727を基に作成
昭和52年(1977年)9月撮影の多度志駅周辺一帯

多度志駅から斜め2方向に駅前通り(道道429号)が延び、駅舎から線路を挟んで対面には木材のストックヤードが広がる。そのストックヤード内にある線路に沿っての細長い建物は木材の倉庫か。現在は残っていない。


旧多度志駅前広場
多度志駅跡を北東側駅前通り(道道429号)から望む。記念碑や解説板が設置されていないのは残念、せめて在りし日を偲べるよう少しの配慮がほしい。


旧多度志駅前
多度志駅跡から北西方向に延びる駅前通り(道道429号)。


多度志バス停
空知中央バスの多度志バス停が雪に埋もれて立つ。


旧多度志駅前
多度志駅跡から南西方向に延びる駅前通り(道道429号)。


鎌倉旅館
南西側の駅前通り(道道429号)沿いにある鎌倉旅館。


旧多度志駅前通り
南西側の駅前通り(道道429号)より旧多度志駅方面を望む。旧多度志駅周辺には民家をはじめ鎌倉旅館や農業倉庫、JAきたそらち多度志支所とその関連施設が見られる。


多度志の農業倉庫にて
多度志の農業倉庫にて。多度志は米やソバをはじめ馬鈴薯(ジャガイモ)の産地。


JAきたそらち多度志支所
JAきたそらち多度志支所。


宮下商店
道道429号と道道98号の合流地点にある宮下商店。


多度志神社
菅原道真を祭神に祀る多度志神社。多度志の中心部、道道98号沿いに鎮座する。明治31年(1898年)京都熊野天満宮より祭神を勧請して創建された。


多度志神社社殿
多度志神社社殿。


多度志神社参道
多度志神社参道。


多度志郵便局
道道98号沿いにある多度志郵便局。この辺りが多度志市街の中心部。


セイコーマート深川多度志店
国道275号と道道98号・281号が分岐する交差点にあるセイコーマート。私が知る限り旧深名線沿線で唯一つのコンビニである。


撮影日:2015年1月2日(金)
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深名線 大曲仮乗降場跡

添牛内の北隣に大曲地区がある。地名の由来はこの地域で大きく曲がりくねる雨竜川にあると思われる。明治45年(1912年)御料地の貸付を受けて開拓民が入植したのがはじまり。以来、開拓が進められ昭和26年(1951年)頃には360人以上の人口を数え、昭和30年(1955年)深名線のレールバス運用を期に大曲仮乗降場が開業、大曲地区は最盛期を迎えた。しかし昭和30年代後半から幌加内町の人口減少がはじまり、特に大曲地区の過疎化は深刻で、昭和50年頃には自治集落を構成することができなくなり、南隣の添牛内自治区に吸収、利用客がほとんどいなくなった大曲仮乗降場は昭和51年(1976年)に廃止された。現在は地域一帯にそば畑が広がっている。


空中写真_大曲_1963
空中写真データ:国土地理院 地図番号NL-54-12-15を基に作成
昭和38年(1963年)6月撮影の大曲付近

大曲仮乗降場の跡地を確認しよう。仮乗降場が存在していた昭和38年(1963年)の空中写真を見ると、図示する深名線北側に建造物が確認でき、おそらくこれがホームと待合所に思われる。付近を通る農道から乗降場へアクセスする道が確認できず、畑の畦道を通っていたようだ。現在の地図に付近の旧国道と旧農道を記入し、大曲仮乗降場の跡地を推定。旧国道を分かれて大曲仮乗降場北西側を通り雨竜川右岸に出る農道を、便宜上ここでは”仮乗降場旧道”と表記する。下のグーグルマップと見比べてほしい。




旧国道と仮乗降場旧道の分岐点
まずは大曲仮乗降場へ至る旧道と旧国道の分岐点。写真は踏切跡より現国道方向を望む。旧国道右脇の草むらが窪んでいる辺りが仮乗降場旧道の痕跡で、現国道ルートの敷設により消失している。


大曲の旧国道
大曲の踏切跡から添牛内へ延びる旧国道。


大曲仮乗降場跡
国道を添牛内方面へ少んだ辺り。左奥の車が停まっている所が、雨竜川右岸を北東へ延びる農道。仮乗降場旧道はこの辺りで国道を斜めに通り、写真中央奥辺りに大曲仮乗降場があったと推測される。


大曲仮乗降場跡
現国道より雨竜川右岸沿いに延びる農道。


大曲仮乗降場跡
大曲仮乗降場跡のランドマークはこのトラクターの待避所らしき舗装面。上写真の農道と国道の分岐点付近にある。写真は朱鞠内方面を望んでおり、左手の藪が深名線跡。同じような舗装面が対向側にもあり、これは現国道の敷設工事中に仮乗降場道が現国道と直角に交差するよう仮乗降場道側ルートを改変した道路遺構のようだ。この改変ルートは農道から仮乗降場へアクセスする畦道を利用したのかもしれない。


大曲仮乗降場跡
ランドマークの待避所より深名線跡添牛内方面を望む。往時は大曲駅仮乗降場が写真中央の奥辺りに見えたはずだ。単式ホームとホーム上に待合所を設けるだけの仮乗降場、廃駅から40年近く経過し、深名線廃止からも20年経っており、駅跡は廃線跡ともに草むらに覆われ自然に帰す。遺構を見つけるのは無理だろう。


大曲のY字路
雨竜川右岸の農道を入ってすぐにあるY字路。


大曲のそば畑
大曲地区のそば畑をY字路地点から望む。満開に咲き誇るそばの花が視界一面に。


大曲地区
雨竜川右岸より川に向かって分かれる道が…。


雨竜川
トラクターかコンバインの踏み跡が川に向かって消える。ここで雨竜川を渡河して対岸に行っているようだ。”大曲の渡し”とも呼ぶべき渡河地点。


北海道電力設置の警告看板
雨竜川渡河地点付近には北海道電力設置の警告看板。


初瀬尾跨線橋
大曲地区の国道に残る深名線廃線跡を跨ぐ初瀬尾跨線橋。昭和55年(1980年)11月完成。跨線橋名の初瀬尾はこの周辺一帯に農場を持っていた初瀬尾家に由来があるようだ。


初瀬尾跨線橋横に残る旧国道
初瀬尾跨線橋横に残る旧国道。


初瀬尾跨線橋
初瀬尾跨線橋にて。貴重な深名線の遺構。


初瀬尾跨線橋と深名線跡
初瀬尾跨線橋下に深名線廃線跡が確認できる。


撮影日:2015年8月4日(火)、7日(金)
【 参考サイト 】
添牛内Web同窓会
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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