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武州路前夜・とりせんの夜

【第2日目】1月13日(土)



前日の仕事帰りに、同僚の後輩りゅうぢくんと福まんくんを連れ立って、西日暮里にある行きつけの飲み屋「とりせん」へ行く。りゅうぢというこの男、これがなかなかのナイスガイで、まだまだ20代半ばだというのに昨年一児のパパとなり、その溺愛ぶりが目に見えて何とも心に痛い。彼を見ているときっと子供は可愛いんだろうなぁ・・・と、つくづく感じる。

しかし現在の品行方正な彼も独身時代はキャバクラ王子と揶揄されるほどの遊びっぷりで、アフター5ともなれば飲んでキャバクラへはしご、そして・・・行き着く先は想像に任せます。とにかく酒と女に使う金をギャンブルで稼ぐという典型的な転落の人生を歩んでいたのだが、結婚を期に彼は徐々に変わりはじめ、子供ができたことが決定的に彼をまっとうな道に戻すことになった。
子供で男は変わるという典型例を身をもって教えてくれた人物なのである。

それはさておき、福まんは入社2、3年目の若い男なのであるが、これがまた曲者というか何と言うか・・・100kgを超える巨漢の九州男児で本人曰く空手の有段者!酒は少々飲むが女もギャンブルも一切やらない堅物な人物なのである。

しかしこれがなかなかナイーブな心の持ち主で、結局この日の飲み会も彼の抱える悩みというか何というか、結局彼の人生相談で話の内容は終始し、いつものごとく結論も出ぬまま店を後にしたのである。ただただ彼は純粋なんです。頑張れ福まん!

そんな飲み会の中で福まんが語った話を1つ。
先の正月の連休中、彼は実家にも帰らずメル友のいる岐阜だか名古屋だかに行ったそうだ。私が「そっちの方に行くなら妻籠宿に行ったほうがいいよ。」何て自分は行ったことが無いにもかかわらず、いい加減なことを言っていたら、本当に行ってしまったようで・・・しかも各駅停車で。やはり彼は純粋です。

どんな文句を言われるのかと思ったら、意外や意外、最初の一言が「良かったですよぉ~妻籠宿」。なんだか随分と歩いて馬籠宿の方にある滝まで見に行き、しまいにゃ温泉にまで入ってきたそうで、苦労して辿り着いた後に入る温泉の気持ち良さをこんこんと説いてくれました。ふくまんくん、きみは立派な旅人です。この味をしめると旅はやめられなくなります。

さてさて・・・その妻籠宿を目指して明日は歩こう。どんだけうまい飯と気持ちのいい温泉が待っているのか楽しみです。
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テーマ : 旧街道の徒歩紀行
ジャンル : 旅行

荒川を越え、いざ武州路彩の国へ

都営三田線の板橋本町駅から環七を歩き旧中山道へ歩みを戻す。天気はところどころに薄い雲がかかるものの快晴。ベローチェで軽く朝食と一服を済ませ、11時半に蕨宿へ向け出発する。
中山道両脇に残る志村一里塚
まもなく国道17号(現中山道)と合流し、車の喧騒の中をしばらく歩くと、国道両脇に大きな榎が見えてくる。日本橋から3里目の志村一里塚である。都内で現存する一里塚はここと北区西ヶ原にある日光御成街道の一里塚だけであり、貴重なものとなっている。

立派な榎なのではあるが冬枯れしていて寒々しい。新緑のシーズンには見事な榎の姿となることだろう。
富士・大山道の道標と庚申塔
旧中山道は志村坂上交差点から交番左脇の小径を進む。
坂の頂上付近に庚申庵という店がある。この軒下に道標と庚申塔が並ぶ。ここは中山道から霊山である富士山や神奈川の大山へ通じる富士・大山道との分岐点で、道標は寛政4年(1792)、庚申塔は万延元年(1860)に建てられたものである。
中山道最初の難所、清水坂
中山道最初の急坂で難所といわれた清水坂を一気に降る。大きく左右に曲がっているため街道で唯一富士山が右に眺望できる名所であった。

都営三田線のガード下をくぐり国道17号を横断すると、すぐに環八と交差する。
三清酒店脇の小道が旧中山道の道筋で、ここを進む。600mほどで国道と合流し、再び車の喧騒の中を歩く。
志村橋を渡ると戸田橋が見えてきた。荒川を渡河するといよいよ埼玉県に突入である。

戸田橋を渡る。右手には高架橋があり新幹線が急ぎ足で行き交う。左手荒川の向こうには秩父多摩の連山がきれいに遠望できる。新幹線に乗っている人たちには、この景色は見えないんだろうなと思いながら、ちょっと優越感に浸る。河川敷のグランドではサッカーの試合が複数行われており、子供たちが熱戦を繰り広げていた。
荒川を渡り彩の国へ
そもそもこの戸田橋が初めて架けられたのは明治8年(1875年)になってからのことで、それ以前は江戸の防衛上の理由から橋は架けられず、戸田橋下流100m付近で渡し舟により渡河していた。「戸田の渡し」と呼ばれるこの渡船場は英泉の浮世絵にも描かれた。

川風が寒い。早足で荒川を渡る。

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埼京戦隊ドテレンジャー

埼玉県戸田市に入る。ここからはいよいよ彩の国さいたまだ。
川口に向かう荒川の流れ
荒川土手を下流方向に行くと、土手下に「中山道戸田渡船場跡」の記念碑がある。旧中山道はここから北へ200mほどその道筋を残すが、菖蒲川から先は区画整理により住宅地と化しその姿を消す。国道17号「川岸三」交差点の先、つつじ幼稚園付近で国道17号として旧中山道の道筋が出現するが、本町一交差点付近で再び右方向に国道を離れ消失する。つつじ幼稚園のあたりには日本橋から4里目の一里塚があったらしいが、現在は全くどこにあったのかもわからない。

ここで店先に掲げられたとあるカレンダーに目を奪われた。なんと「埼京戦隊ドテレンジャー」ときたもんだ。火事からみんなを守るレッドを筆頭にブルー、グリーン、ピンク、イエローと5人勢ぞろいし、荒川土手上でポーズを決めている。ゴレンジャーをパロッたのであろうが、胸の前についている「ど」の文字が何ともいえないローカルさを醸し出している。他のローカルヒーローとの違いを表現したかったのだろう。
埼京戦隊ドテレンジャー
なぜかレッドのベルトバックルは携帯禁止マークだ。火事と何の関係があるのだろうか・・・
まぁ・・・それはさておき、きっと戸田地域のちびっ子のヒーローなのであろう。いきなり埼玉県の奥深さを見せられた思いだ。
ドテレンジャーにはテーマソングまである。手作り感があっていい。

ドテレン最新情報→http://doteren.hp.infoseek.co.jp/

400mほど消失した旧中山道は小森たばこ店前からその道筋を現し、その面影を残した道もまもなく国道と合流する。小森たばこ店が店前の道に対して微妙に斜めに建っているのは、旧中山道の名残と思われる。
ここでいちご牛乳を飲みながら一服し、再び国道を歩く。

正面にシェル石油が見えてくる。旧中山道はここで国道と分岐して直進方向に行く。分岐点には「中山道蕨宿」の石碑が建ち、ここから先が蕨宿となる。既に時計は14時をまわっていた。

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蕨宿

蕨宿の旧商家
蕨宿は江戸から2番目の宿場で、1843年(天保14年)には人口2223人、家数430軒を数え、本陣2、脇本陣1、旅籠23軒の記録が残る。宿内には豆腐屋、煙草屋、髪結など様々な店が軒を連ね賑わった。現在でも古い商家や蔵が残り、宿場としての面影をよく残している。
蕨宿本陣跡
本陣が置かれていた加兵衛家(岡田家)の跡地には本陣をイメージしたモニュメントが置かれ、その隣には歴史民族資料館がある。ここでは蕨宿を中心とした展示がされており、本陣上段の間・旅籠・商家の内部が実物大で復元され、当時の宿場の様子をうかがい知ることができる。

資料館を見学し、すぐ先の交差点角にある「船橋屋」なる和菓子屋の前を通る。ふと店内の様子を窺っていると「花びら餅はじめました」の文字が目に飛び込んでくる。思わず足を止め店内へ。
店内には様々な和菓子が並ぶ。店のおばちゃんに「花びら餅は・・・どれですか?」と尋ねると、
「これですね。中に白餡と味噌が入ってます。おいしいですよ。」
思わずおばちゃんの笑みと何とも可愛らしい菓子の姿にひきずられ2個購入。1個200円でした。
渋川氏が守り神として祀ったと伝わる和楽備神社
船橋屋の交差点を右折し、旧中山道を離れ和楽備(わらび)神社へ向かう。
和楽備神社がある場所は、南北朝時代に武蔵国司渋川氏によって築かれた蕨城の跡地である。神社隣は城址公園となり、わずかながら水堀が残る。後の戦国期に北条氏に攻められあえなく落城、渋川氏は北条氏の軍門に降った。
和楽備神社で参拝を済ませ、旧中山道へ戻る。
閑かに時が流れる蕨宿
蕨宿内を先へ進むと、天保年間(1830~1843年)創業の老舗「萬寿屋」という煎餅屋がある。ここを右折する道は「地蔵の小径」と呼ばれ、この突き当たりに江戸時代「関東七ヶ寺」の一つとして数えられた三学院がある。その門前には子育地蔵があり、これがまた見応えのある大きさで、身の丈2.4mという大きな地蔵様である。いかにもご利益がありそうなので、道中の安全を祈願し、その場を後にする。

蕨宿を抜け、一路浦和宿へ向かう。既に15時、この時期の日暮れは早い。先を急ぐ。

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焼米茶屋の看板娘

蕨宿から国道17号を横断し、左手に旧商家を見ながら500m程直線を進むと、旧街道ならではの蛇行した道がしばらく続く。この辺りの旧街道沿いは春日商店街というらしく、街灯には申し訳なさそうに小さな看板が掲げられている。
辻一里塚跡
東京外環自動車道の高架手前に至る。右にある公園の一角が辻一里塚跡である。日本橋から5里目の一里塚であるが、現在は残っていない。辻一里塚跡の碑がその痕跡を留めている。

外環を越え先へ進む。蛇行する旧街道に菅谷布団店のたたずまいが何ともいえない情緒。
腹が減ってきたので蕨宿で買った花びら餅をほおばる。餅はとろとろの食感。白餡と味噌がマッチしておいしい。たまらずもう1個ほおばるが、空腹感は癒せない。(もっといっぱい買っておけばよかった・・・)ちょっと後悔の念にかられる。
焼米坂を上ると浦和宿は近い
突き当たりの信号を右折し、六辻交差点で国道17号を渡る。
道路標識のとおりに中山道を浦和駅方面へ向かうと、まもなく焼米坂にさしかかる。
焼米とは籾殻がついたままの米を焼き、籾殻をとってそのまま食べたり湯茶につけて食べる古くからの備蓄食である。中山道を行く旅人の携行食として重宝されたのであろう。江戸時代にはここで焼米を売る茶店があり名物であったため、いつしか焼米坂の名がついた。

焼米坂を上る。足取りは重い。何のことは無い坂なのであるが、疲労と空腹の二重苦にあえぐ体には応える。
(あ~腹減った。マジで・・・昨日のとりせんの焼おにぎり美味かったなぁ・・・。坂上にある茶店の看板娘に焼米を注文しよう・・・)何てことを考えながら失笑する。もちろん現代にはそんなものはない。

無意識のうちに私はアリスのチャンピオンを口ずさんでいる。
(つかみかけた熱い腕を ふりほどいて君は出てゆく♪・・・)
何故チャンピオンなのかと自分でもわからないうちに、坂を上りきる。そして片膝をついてうずくまった。もう限界か・・・そして頭の中ではチャンピオンの曲が続いている。
(・・・立たないで もうそれで充分だ おお神よ彼を救いたまえ♪)
谷村新司さんよ、そんな訳にはいきませんぜ。

さぁ、浦和宿は近い。もうひと頑張りだ。少々休憩後ふたたび歩きはじめる。

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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
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12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
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18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
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2012年7月8日(日)
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