旧留萌佐賀家漁場
留萌本線の留萌駅~増毛駅間にある国指定史跡、旧留萌佐賀家漁場を記事に書きたい。礼受駅から国道231号を留萌方面へ約1.2km、歩いて行けば約15分の所に旧留萌佐賀家漁場がある。江戸時代後期の弘化元年(1844年)、下北半島で漁業や海運業を営んでいた佐賀家8代平之丞が礼受に入り漁場を開いたのが始まり。以来昭和32年(1957年)に至る113年に渡ってニシン漁を営み、最盛期にはここを根拠地(元場)にして12ヶ統の建網を経営していた。江戸時代末期の建築とされる母屋をはじめ、明治36年(1903年)建築のトタ倉、船倉、廊下(生ニシン一時保管場所)、稲荷社、網倉、船着き場が往時の様子を留め、当時の漁場を肌身に感じられる。

旧留萌佐賀家漁場全景(留萌市教育委員会設置の解説板より)

礼受の日本海沿岸に建つ旧留萌佐賀家漁場母屋(番屋)。

通常は非公開なのだが、訪れたときには一般公開中。今年は8月3日~9日までの7日間のみ一般公開しているとのこと、運が良かった。

母屋内部へ。江戸時代末期頃の建築という母屋、環境が厳しい北海道にあって約150年もの前の建物が残っていることが奇跡である。玄関を入って土間に続き、右手に板の間、左手に雇い人(ヤン衆)の寝床を配し、中央に竈を設けている。

板の間では、ニシン漁で賑わった当時の様子を紹介する「ニシンの軌跡」を上映。

土間の左手、2段に分けれれた部屋。ここは雇い人(ヤン衆)の寝床。

母屋裏手には船倉があり、更にその奥の台地中腹に稲荷社を祀る。

船を保管していた船倉。壁から突き出ているものは一体何?

ここまで来れば正解がわかるだろう。船倉に納まりきらない舳先が突き出しているのだ。大胆…。

船倉内には船体が横たわる。

製品保管庫のトタ倉。明治36年(1903年)の建築。

トタ倉内には多くの漁労具が所狭しと保管されている。旧佐賀家漁場には3745点もの漁労具を残し、「留萌のニシン漁撈(旧・佐賀家漁場)用具」として国の重要有形民俗文化財に指定される。

何故これほど多くの漁労具が残されたかと言えば、昭和32年(1959年)春ニシン漁を終えた佐賀家は翌年の準備を終えて下北に引き上げたのだが、翌年から留萌近海にニシンが来遊せず漁が途絶えたため、漁労具が現在までそのまま残されたという。

稲荷社参道。入口は留萌本線の鉄路に分断、踏切の無い線路を渡り急斜面をよじ登ってようやく参拝できる。

旧佐賀家漁場の守り神、稲荷社。

稲荷社よりの眺め。

旧留萌佐賀家漁場を行くキハ54形気動車。

竈跡と廊下。右奥の建物が廊下と呼ばれる生ニシンの一時貯蔵庫。この竈でニシンを荷上げ、鰊粕の原料を作っていた。

竈跡と母屋(番屋)。

廊下の海側はコンクリートで護岸されている。

護岸のコンクリートには「昭和二六年○月二三日」と刻まれる。この護岸が完成した日だろうか。

船着き場。穏やかな海と浜に響く静かな波音、ニシン漁で賑わったのも今は昔。
旧留萌佐賀家漁場の見学を終えて増毛へ移動!

旧留萌佐賀家漁場全景(留萌市教育委員会設置の解説板より)

礼受の日本海沿岸に建つ旧留萌佐賀家漁場母屋(番屋)。

通常は非公開なのだが、訪れたときには一般公開中。今年は8月3日~9日までの7日間のみ一般公開しているとのこと、運が良かった。

母屋内部へ。江戸時代末期頃の建築という母屋、環境が厳しい北海道にあって約150年もの前の建物が残っていることが奇跡である。玄関を入って土間に続き、右手に板の間、左手に雇い人(ヤン衆)の寝床を配し、中央に竈を設けている。

板の間では、ニシン漁で賑わった当時の様子を紹介する「ニシンの軌跡」を上映。

土間の左手、2段に分けれれた部屋。ここは雇い人(ヤン衆)の寝床。

母屋裏手には船倉があり、更にその奥の台地中腹に稲荷社を祀る。

船を保管していた船倉。壁から突き出ているものは一体何?

ここまで来れば正解がわかるだろう。船倉に納まりきらない舳先が突き出しているのだ。大胆…。

船倉内には船体が横たわる。

製品保管庫のトタ倉。明治36年(1903年)の建築。

トタ倉内には多くの漁労具が所狭しと保管されている。旧佐賀家漁場には3745点もの漁労具を残し、「留萌のニシン漁撈(旧・佐賀家漁場)用具」として国の重要有形民俗文化財に指定される。

何故これほど多くの漁労具が残されたかと言えば、昭和32年(1959年)春ニシン漁を終えた佐賀家は翌年の準備を終えて下北に引き上げたのだが、翌年から留萌近海にニシンが来遊せず漁が途絶えたため、漁労具が現在までそのまま残されたという。

稲荷社参道。入口は留萌本線の鉄路に分断、踏切の無い線路を渡り急斜面をよじ登ってようやく参拝できる。

旧佐賀家漁場の守り神、稲荷社。

稲荷社よりの眺め。

旧留萌佐賀家漁場を行くキハ54形気動車。

竈跡と廊下。右奥の建物が廊下と呼ばれる生ニシンの一時貯蔵庫。この竈でニシンを荷上げ、鰊粕の原料を作っていた。

竈跡と母屋(番屋)。

廊下の海側はコンクリートで護岸されている。

護岸のコンクリートには「昭和二六年○月二三日」と刻まれる。この護岸が完成した日だろうか。

船着き場。穏やかな海と浜に響く静かな波音、ニシン漁で賑わったのも今は昔。
旧留萌佐賀家漁場の見学を終えて増毛へ移動!
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