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芦別線 ~芦別と深川を繋ぐはずだった幻の鉄路~

北海道の空知地方中部、大正期から昭和初期にかけて炭鉱が次々と開坑し、石炭景気に湧いた芦別市がある。大正14年(1925年)芦別村町と深川町長は、両町村を繋ぐ鉄道の敷設を国会に請願する。請願に至った理由は定かでないが、新たな石炭輸送ルートの確保と沿線地域の活性化を図る目論見があったのだろう。これをきっかけにして昭和6年(1931年)鉄道省建設局が測量を実施したが具体的な建設計画へは進展せず。同15年(1940年)になり沿線町村が中心となり深川芦別間鉄道期成同盟会が発足、第二次世界大戦が終結して全国に鉄道建設と計画が進められる中、同24年(1949年)芦別深川間鉄道敷設促進期成会が新たに発足し、止められた時計の針が再び動き始める。同28年(1953年)芦別線として予定線になり、同31年(1956年)に調査線、翌年には工事線へ昇格し、鉄道用地の買収が始まる。同37年(1962年)着工、同43年(1968年)芦別から新城間の路盤が完成する。しかし石炭景気が下火になったうえ、旭川市内の農家が用地買収に頑なに応じないことから計画は頓挫、同47年(1972年)予算配分が無くなり工事は凍結され、芦別線は幻の鉄道となってしまう。今となっては起点になるはずだった根室本線の芦別駅すら存続が危ぶまれる過疎地域に陥っている。




空中写真_新城_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C4-18を基に作成
昭和52年(1975年)9月撮影の新城町


新城市街
芦別市の北端、深川市との境に位置する新城町。


新城市街
路傍になびく”芸術の郷しんじょう”の幟。新城には旧新城小学校の校舎を利用して平成18年にオープンした芸術文化交流館があり、道内に拠点を置く画家や書道家等のアトリエが入居、田舎の美術館として作品を展示している。


新城バス停
新城市街の中心部にある新城バス停。


石狩新城駅前通り
新城バス停付近、道道4号線から西へ延びるこの小路は、石狩新城駅の駅前通りとなるはずだった。


新城商事と新城郵便局
新城市街にある新城郵便局と新城商事。新城郵便局がある場所は大正7年(1918年)~昭和11年(1936年)まで新城駅逓所が置かれていた。駅逓所とは、人馬の継立や荷継ぎを取り扱った公設の機関で、宿駅伝馬制度でいう問屋場みたいなもの。


空中写真_新城_1977年_撮影ポイント
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C4-18を基に作成
昭和52年(1975年)の空中写真に撮影ポイントを記入したので以下の写真から参照してください。


石狩新城駅の旧計画地
この辺りが幻となった石狩新城駅の計画地[撮影ポイント①]。
左奥に向かって延びる道が駅前通り。左端の建物はJAたきかわ百合根鱗片繁殖・組織培養施設で、駅前通りとなるはずだった敷地に建てられている。赤屋根は新城農業倉庫。


新城三研修センター
石狩新城駅の旧計画地に建つ新城三研修センター。


石狩新城駅旧計画地
芦別側より石狩新城駅旧計画地方向[撮影ポイント②上]。


新城の芦別線路盤
石狩新城駅旧計画地から芦別側に残る芦別線路盤の盛土[撮影ポイント②下]。


新城の芦別線路盤
芦別~新城間の路盤は昭和43年(1968年)に完成したが、鉄路が敷かれることは無かったようだ。


新城理容院
店構えが気になった新城理容院をカメラに収め新城市街を後に。


新城の芦別線路盤
新城市街南外れの道道沿いから路盤の盛土を望む[撮影ポイント③]。しっかりと残存していることがわかる。


パンケ幌内川
本流橋よりパンケ幌内川下流[撮影ポイント④]。川を境に路盤の盛土が途切れている。ここには長さ50m程の橋梁が架けられていた。


新城の芦別線路盤
パンケ幌内川右岸(新城側)の盛土。分断された土地の往来に便を図るため通路を設けている。


新城の芦別線路盤
パンケ幌内川左岸(芦別側)の盛土。やはり盛土に通路が見られる。


新城の芦別線路盤
通路は今も使われているようだ。


新城から空知川右岸の常盤町に移動する。

空中写真_常盤町_1977年_撮影ポイント
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C9-14を基に作成
昭和52年(1975年)撮影の空中写真に撮影ポイントを記入したので以下の写真から参照してください。


常盤町の芦別線路盤跡
常盤町の道道4号線から望む新城方面の芦別線路盤[撮影ポイント⑤上]。田園と化し何も残っていない。


常盤町の芦別線路盤跡
道道4号線から芦部悦方面[撮影ポイント⑤下]。やはり路盤は何も残ってない。この先、路盤は空知川に架かる橋梁へ続いていた。


常盤町の芦別線跨線橋跡
撮影ポイント⑤地点、道道4号の跨線橋跡。現在は道が平坦に直され遺構を全く残していない。


常盤町から空知川左岸の根室本線・芦別線の分岐点に移動する。

空中写真_高根信号場_1977年_撮影ポイント
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C9-14を基に作成
昭和52年(1975年)撮影の空中写真に撮影ポイントを記入したので以下の写真から参照してください。


芦別線・空知川橋梁跡
空知川橋梁跡[撮影ポイント⑥から新城方向]。かつては写真頭上に空知川を渡る芦別線の橋梁が渡されていたのだが…、もはや想像するのも難しい状態。


空知川橋梁南詰の芦別線路盤跡
撮影ポイント⑦から新城方面。ここは空知川橋梁の南詰にあたり、すぐ先に橋梁が架けられていたはずだが、今や自然が人の立入りを拒む。


空知川橋梁南詰の芦別線路盤跡
空知川橋梁の南詰[撮影ポイント⑦]から芦別方面。


北7条西6丁目の芦別線路盤跡
根室本線分岐点付近の芦別線路盤[撮影ポイント⑧から新城方向]。


高根信号場跡
根室本線の高根信号場と芦別線路盤跡。高根信号場は石炭貨物の増大に伴い、列車交換のため昭和37年(1962年)に設置された。線路を跨いで向こう左手に信号場の駅舎があり、。ここから芦別線が分岐する計画だった。昭和57年(1982年)廃止。

高根信号場の写真は道新写真データベースで見れます↓
http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090360435


星槎総合教育研究所
高根信号場跡近くにある星槎総合教育研究所。元は芦別工業高等学校、昭和63年(1988年)芦別工業高と芦別商業高が統合して芦別総合技術高等学校が開校するが、生徒数の減少から平成18年(2006年)に閉校。校舎は星槎グループに引き継がれた。


南8号踏切
南8号踏切より高根信号場跡方向。


芦別駅
芦別線の起点となるはずだった芦別駅。


芦別駅
駅舎前には健夏まつりの立て看板を置き、7月の開催に向けて準備が進められていた。


芦別駅
芦別駅と五重塔モニュメント。


芦別駅前
人通りは少なく、パチンコ屋はシャッターを閉め、活気を感じない芦別駅前。


芦別駅構内
芦別駅に滝川行の単行列車が間もなく到着。


芦別駅構内
芦別駅を発車するキハ40形気動車。


芦別駅構内
単行列車は芦別駅構内を走り抜ける。


キハ40形気動車
次の平岸駅へ向け、ディーゼル音を響かせて。


旭川への帰りがけに再び新城町を訪ねて↓

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三井芦別鉄道

芦別市街から芦別川に沿って南下し、西芦別から炭山川の上流部に入った山中、石炭需要が増大する昭和初期に三井芦別炭鉱は第一抗の開発をはじめ、昭和14年(1939年)に開抗する。翌年に石炭輸送を目的として芦別~西芦別間に三井鉱山芦別専用鉄道を開業させ、更に翌年には沿線の西芦別地区に炭住街が形成されたことで旅客営業を開始した。同19年(1944年)頼城地区西側山中に第二抗が開抗、三井鉱山芦別専用鉄道は頼城まで延伸し、同24年(1949年)三井鉱山芦別鉄道として地方鉄道に。昭和28年(1953年)石炭景気に湧く芦別市の人口は7万人を越えて全盛期を迎えるが、国内の石炭需要は減少をはじめ、昭和33年(1958年)三井鉱山芦別鉄道はで経営の持続を図るべく、高校通駅や山の手町駅など、6駅を開業させて石炭輸送から旅客営業へ本業の舵を切り、同35年(1960年)三井芦別鉄道を設立して鉄道部門を譲渡した。同38年(1963年)明治鉱業明治上芦別鉱業所の閉山を皮切りに、三菱鉱業芦別鉱業所、芦別高根炭鉱高根鉱業所、油谷鉱業油谷芦別炭鉱が相次いで閉山し、芦別の石炭産業は縮小の一途を辿る。時流に逆らえず平成元年(1989年)三井芦別鉄道は廃止、同4年(1992年)三井芦別炭鉱も後を追うように閉山した。




芦別駅構内
芦別駅構内より富良野方面。雑草が生い茂る島式ホームのこちら側が、三井芦別鉄道の旧ホーム。更に右手の草むらと化す場所には三井芦別鉄道の石炭貨物の列車が停車していた。
昭和47年(1972年)当時の同アングルで撮影された写真が『芦別物語』から見れるので参照を↓
http://aatama.saloon.jp/ashibetu/image/big-ashibetsu-fornishiashi-pano1972.jpg


芦別駅構内
三井芦別鉄道の芦別駅構内跡。城春にして草木深し。


南12号踏切
芦別駅から根室本線を富良野方面へ約700m、南12号踏切。かつては南12号踏切の西側(写真左奥)に三井芦別鉄道が根室本線に並行して通り、高校通駅を設けていた。


空中写真_高校通駅_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C10-16を基に作成

昭和52年(1977年)撮影の空中写真で高校通駅付近を見てみよう。左上隅が芦別駅、高校通駅から東側に駅名の由来となった芦別高校があり、駅から高校を東西に繋ぐ直線道(じぞうまち通)は通学路として利用されたのだろう。


高校通駅跡
高校通駅跡西側より”じぞうまち通”を望む。左手に見える白系の建物辺りが高校通駅跡。高校通駅は簡易な乗降ホームが設けられる停留所の扱いだった。


三井芦別鉄道跡・高校通駅跡付近
高校通駅跡付近より三井芦別鉄道跡(頼城方面)。


芦別隧道
高校通駅~山ノ手駅間、三井芦別鉄道に唯一あったトンネルの芦別隧道。写真左手の山に隧道が通されていた。


芦別隧道
芦別隧道の頼城口側。道路から少し上の山腹にトンネルらしき遺構が見えた。


芦別隧道
薮をかき分けて芦別隧道を間近に見る。立入禁止となって中には入れないが、しっかりと遺構を残している。


芦別隧道
芦別隧道内部。このトンネルは山裾が芦別川に迫る場所に鉄路を通すために設けられた。中には入れないが70m程の短いトンネルだけに向こう側の出入口が見える。


芦別隧道
芦別隧道より頼城方面。現在は隧道の頼城口側に桜ケ丘霊園や芦別市斎場に至る道が開削して通され、路盤跡は分断。


三井芦別駅前
三井芦別駅前通りより駅方向。最奥の建物が旧駅舎で、現在は芦別資源商の産廃保管施設。


三井芦別駅前
駅前通りより1本南側の通り。奥が三井芦別駅方向。西芦別は三井芦別駅を中心に大規模な炭住街を形成した町で、駅前には様々な商店が並び賑わった。


西芦別郵便局
西芦別郵便局。西芦別には再訪して近々に詳しく現況を見てみたい。


炭山川橋梁
炭山川の小さな流れが山間に渓谷をつくり芦別川へ注ぐ。その手前、入山駅跡と中の丘駅跡の間に三井芦別鉄道の炭山川橋梁が架けられ、今も鋼製6連プレートガーター桁橋とコンクリート造2連アーチ橋が残存、国の登録有形文化財に指定される。炭山川はその名が示す通り、上流部には三井芦別炭鉱の第一抗があった。


炭山川橋梁
橋梁上には石炭貨車をけん引したDD501ディーゼル機関車が展示され、往時を彷彿させている。


炭山川橋梁
炭山川橋梁の南詰(頼城・中の丘駅側)。


炭山川橋梁
石炭車セキ3000の後ろ姿が美しい。


炭山川橋梁南詰
炭山川橋梁南詰に残る鉄路と路盤跡。


頼城駅跡
三井芦別鉄道の終着だった頼城駅跡。駅前のロータリーがその跡地を示す。駅舎はロータリーの左手奥辺りにあった。


頼城駅跡
頼城駅跡構内。


頼城駅跡
頼城駅駅舎跡より駅前ロータリーを望む。


頼城駅北側の架道橋跡
頼城駅北側の架道橋跡。


頼城駅北側の架道橋跡
架道橋跡にはコンクリートの路盤を残す。


頼城(仲町)商店街
頼城(仲町)商店街。往時の活気は消え失せ。


頼城共同浴場
頼城共同浴場。かつては芦の湯という共同浴場があった場所で、裏手に芦の湯駅が存在した。


芦の湯駅跡
道路脇に草むらと化す芦の湯駅跡。道路に三井芦別鉄道の路盤跡が確認できる。


らいじょうストリート
国道452号と頼城本通の交差点角、頼城郵便局の隣りにある”らいじょうストリート”の看板。


坑夫の像
そして看板横、国道452号沿いに建つ坑夫の像。これは二代目、初代は昭和19年(1944年)の製作で、西芦別町の三井芦別石炭労務課外勤詰所前にあった。老朽化が著しく平成9年(1997年)にこの複製像が作られた。


芦別市青少年会館
芦別市青少年会館。元は映画や演劇を楽しむ娯楽施設のニ抗会館があった場所で、ヤマの娯楽の殿堂として親しまれた。昭和45年(1970年)にニ抗会館は解体、新たにこの青少年会館が建てられた。


頼城東町の公園
頼城東町の公園。朽ち果てゆく遊具が寂しい。


旧頼城小学校
旧頼城小学校。手前が旧体育館で、裏手に煉瓦造2階建の校舎(昭和29年築)を残す。頼城小学校は平成13年(2001年)に西芦別小学校へ統合されて廃校となり、現在は星槎大学校舎として利用されている。


旧頼城小学校
頼小っ子碑と旧頼城小学校体育館。


旧頼城小学校
旧体育館入口上には”星印に頼”の校章。


旧頼城小学校
体育館横壁には第59回卒業生一同が寄贈した掛け時計。14時35分で止まっている。


頼覚山大興寺
頼城市街東側の山手にある頼覚山大興寺。


頼覚山大興寺
大興寺本堂。廃寺になってしまったようで、本堂はがらんどう。近々建物も解体されてしまうのでは、という状況。


ペット霊碑
本堂横のペット霊碑。


頼覚山大興寺
お地蔵さんも台座を残してどこかへ移されてしまっている。


頼城神社
大興寺境内に鎮座する頼城神社。


頼城神社社殿
頼城神社社殿。今は参拝する人もいないようだ。


頼城神社鳥居
頼城神社鳥居。参道は雑草に覆われ。


大興寺境内にて
大興寺境内にて。


大興寺境内にて
ルールルルル…、呼びかけも空しく去りゆく。


玉川駅跡前
頼城駅から南へ約800mにあった玉川駅跡前。ここは頼城駅構内扱いで正式には停留所、三井芦別鉄道の南端にあたり、転車台が設けられていた。


玉川駅跡前
玉川駅跡前、国道からの駅跡入口に横たわる道路標識。おそらく”川岸”と書かれていたはず。


玉川駅跡
玉川駅跡前に残る横断歩道を示す道路標識。


玉川駅跡転車台跡
玉川駅南側の転車台跡。ここが三井芦別鉄道の末端にあたり、蒸気機関車を反転させる転車台を設けていた。


撮影日:2017年6月19日(月)

【参考サイト】
芦別物語
http://aatama.saloon.jp/index.html

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テーマ : 北海道
ジャンル : 旅行

滝里 ~ダムの湖底に消えた町~

北海道の根室本線にあった滝里駅を記事に書きたい。訪れたのは今年(2017年)8月のこと。平成3年(1991年)滝里ダム建造に伴い、根室本線の島ノ下駅~野花南駅間が島ノ下トンネル・滝里トンネルを通る現ルートに付け替えられ、その間にあった滝里駅は町ごとダムの水底に姿を消す。滝里は倉本聰の「北の国から’89 帰郷」のロケ地、中嶋朋子演じる蛍と緒形直人演じる勇次が滝里駅で下車し、空知川河畔に立つ木の幹に二人のイニシャルYとHを刻む恋愛シーンがあり、私と同年代の40代男性は心を揺さぶられた方も多いことだろう。もし、ダムが建設されなければ今見る滝里はどうなっていたのだろうか…、そんな思いで滝里の旧地である滝里湖(滝里ダム)を訪ねてみた。




滝里湖
滝里湖にやってきました。滝里湖は平成3年(1991年)に滝里ダム建造に伴い現れた人造湖で、ここに滝里の旧市街が湖底に沈んでいる。


滝里湖畔
湖畔に立ち旧滝里地区を望む。かつてここを列車が走り抜け、町があったなんて想像できようもない。


滝里ダム防災施設
滝里湖畔にある滝里ダム防災施設。滝里ダム資料館を併設しているので、見学してみよう。


滝里ダム資料館
1階休憩所。


滝里ダム資料館
1階休憩所には滝里の写真等のパネルを展示。いくつかピックアップして紹介しよう↓


地形図 滝里旧市街(昭和31年測量)
昭和31年(1956年)測量の地形図より滝里旧市街。滝里駅から空知川に架かる滝里橋に向かって駅前通りが延び、沿道には商店や郵便局などが並んで滝里銀座街と称する市街を形成、駅前通りの東側に滝里小中学校があった。


滝里駅前(昭和47年)
昭和47年(1972年)当時の滝里駅前。


滝里駅 ドラマ撮影(1976年頃)_1024
滝里駅でのドラマ撮影。昭和51年(1976年)頃の写真とあり、”北の国から”の撮影ではないようだ。


滝里俯瞰
滝里市街を西側から俯瞰した写真。滝里橋や滝里小中学校の大きな赤屋根が見える。


滝里駅古写真
滝里駅と駅前通り。


滝里駅構内古写真
滝里駅構内。旧国鉄色の懐かしいキハ56形気動車が入線するところ。


滝里銀座街
滝里駅前通りの滝里銀座街。


滝里湖
4階展望所から滝里湖に沈んだ滝里旧市街を望む。


滝里湖
往時に思いを馳せながら。


滝里ダム資料館
4階にはダム関係のパネルを展示。


滝里ダム資料館
壁面に滝里の歴史について投影展示する3階。


滝里ダム資料館
「たくさんの笑顔とふれあいが、歴史の中にきざまれている。」


滝里ダム資料館
3階から2階への階段。滝里湖の湖底に潜ってゆく感じ。


滝里小学校旧校舎模型
滝里小学校旧校舎の模型。


滝里神社
滝里ダム防災施設の北側、山裾に鎮座する滝里神社。滝里ダム建設に伴い現在地へ移転した。神社周辺には校門やバス待合所、記念碑など、滝里の遺構が移されている。


滝里神社手水石
滝里神社の手水石。「昭和五年九月吉日」と刻む。


滝里神社
滝里神社はダム湖に沈んだ滝里地区に向かって建てられている。


滝里記念公園
神社隣に整備された滝里記念公園。


旧滝里小中学校門
「滝里小中学校」と「奔茂尻尋常小学校」の表札を掲げる旧校門。奔茂尻(ぽんもしり)とは滝里の前地名で、昭和14年(1939年)滝里に改称された。


旧滝里小中学校門
校門の向こうにある建物が旧バス待合所。


我が母校滝里を偲ぶ記念碑
我が母校滝里を偲ぶ記念碑。平成17年(1995年)建立。


架橋記念碑
架橋記念碑。昭和8年(1933年)建立。


滝里の馬頭観音
滝里の馬頭観音。昭和8年(1933年)建立。


星の降る里百年記念館
滝里から場所を移して芦別市内の”星の降る里百年記念館”へ。


星の降る里百年記念館
記念館にある展示の中に見つけた滝里駅の駅名板。


星の降る里百年記念館
滝里駅の遺物がこんなところで見られるとは。


滝里駅前(昭和47年)
芦別温泉スターライトホテルにあった昭和47年(1972年)駅前通りから滝里駅を望む写真。ダム湖の水底に沈んでしまった滝里の駅や町は、そこに住んでいた人々、訪れた人々の心中に生き続けている。


撮影日:2017年8月11日(金)
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西芦別 ~かつて炭鉱景気に湧いた鉄道と町の名残~ 

今年(2017年)6月に訪れ記事に書いた三井芦別鉄道を再び。西芦別町にあった三井芦別駅跡を8月に再訪したときのこと。三井芦別鉄道の途中にあった三井芦別駅は、三井芦別炭鉱で産出された石炭の積出し駅として昭和15年(1940年)に開業、当初は西芦別駅と称した。石炭景気に湧いた駅周辺一帯は大規模な炭住街を形成、駅前の西芦別商店街には多くの買物客が訪れて賑わった。石炭から石油へエネルギーの主力が変わり、モータリゼーションの波が押し寄せて平成元年(1989年)に三井芦別鉄道は廃止、後を追うように平成4年(1992年)三井芦別炭鉱が閉山する。それから25年が経った今、西芦別町の現況を。

三井芦別鉄道跡を散策するにあたり大変参考になったホームページがある。
芦別を訪ねてみたいと思った方は必見↓
芦別物語
http://aatama.saloon.jp/index.html




空中写真_西芦別_1977年
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7728-C12-15を基に作成

昭和52年(1977年)撮影、西芦別町の空中写真。三井芦別駅前に商店街、周辺一帯に炭住アパートが整然と並び大きな町を形成していたことがわかる。小・中学校や病院はもちろんのこと、野球場もあった。


旧三井芦別駅
旧三井芦別駅駅舎。現在は芦別資源商という産廃業者に再利用されている。西芦別町は炭鉱労働者やその家族が多く定住し、この駅を中心にして町を発展させた。


旧三井芦別駅構内
旧三井芦別駅構内側。写真右奥に芦別方面の乗降ホームがあった。


旧三井芦別駅頼城方面ホーム跡
頼城方面の乗降ホーム跡。


旧三井芦別駅前通り
国道452号へ向かって延びる旧駅前通り。


旧芦別市立ひまわり幼稚園
旧駅前通り沿いにある芦別市立ひまわり幼稚園入口。


旧芦別市立ひまわり幼稚園
建物を残す旧芦別市立ひまわり幼稚園。昭和56年(1981年)開園、西芦別の過疎化が進み平成16年(2004年)に閉園。かつては子供たち元気な声が飛び交ったのだろうが、今は静寂に包まれる。


旧屋内プール
幼稚園近くにあった旧屋内プール。


西芦別商店街
駅前通りの南側を並行する西芦別商店街通り。かつては精肉店や魚屋、時計屋、菓子店、洋品店、電気店等が軒を連ねた。


旧三井芦別駅
西芦別商店街通りより旧三井芦別駅。


西芦別商店街(昭和58年)
芦別温泉スターライトホテルの展示より引用

昭和58年(1983年)に撮影された西芦別商店街。駅前より国道方向を望んでいる。


西芦別商店街
上写真の現況。昭和58年当時の写真から、左より三北商事イワイ釣具生花部、安部商店があったことがわかる。


中通り
商店街通りより南へ延びる中通り。かつて沿道は商店街で青果店、履物店、菓子店、食品店、食堂、豆腐店等が並んでいた。


田辺商店
中通り沿いに残る旧田辺商店。


西芦別商店街
中通りより商店街。突き当りに”珈琲屋JUN”。


西芦別商店街
かつて買物客で賑わった西芦別商店街、今は行き交う人もない。


一坑会館・映画館跡
一坑会館(映画館)跡。一坑会館は昭和48年(1973年)ボウリング場に改装され”西芦ボウル”を開業、同51年(1976年)から三北商事第一売店へと変遷した。1990年代に解体されたと思われる。


第三浴場(上の風呂)跡
第三浴場(上の風呂)跡。


西芦別郵便局
西芦別郵便局。もちろん今も営業してます。


旧西芦別小学校体育館
旧西芦別小学校体育館。現在は小林英一記念美術館として利用されている。西芦別小は昭和14年(1939年)西芦別尋常高等小学校として開校、全盛の同33年(1958年)には児童数2534名を数えた。平成18年(2006年)西芦別中学校へ校舎移転、同26年(2014年)閉校。

小林英一記念美術館
http://nishiashi-no-sato.co.jp/Museum.html


西芦別小開校五十周年記念碑
西芦別小開校五十周年記念碑。「七十四年間 ありがとう」の文言は閉校時に追記されたのだろう。


西芦別町全景(昭和40年)
芦別温泉スターライトホテルの展示より引用

最後に昭和40年(1965年)撮影の西芦別町全景。炭住アパートが整然と並ぶ圧巻な眺め。


撮影日:2017年8月11日(金)
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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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