指宿枕崎線

旧東海道歩きが滞っているので、今年6月の九州旅行を記事にしたい。梅雨時の悪天候の中、鹿児島空港に降り立った私は、空港から慌ただしくバスに乗車して鹿児島中央駅へ。鹿児島の第一ミッションは日本の最南端を走る指宿枕崎線に乗車して、錦江湾を車窓に眺めながら枕崎で温泉に入り、そして終点の枕崎まで行く!そんな思いを定めて、鹿児島中央駅から指宿行の特急「指宿のたまて箱」に乗車した。「砂むし」で有名な温泉地の指宿駅を経て指宿枕崎線の終着枕崎駅まで、乗り鉄な旅人が見た光景を。




指宿のたまて箱号
鹿児島中央駅3番ホームに入線する特急「指宿のたまて箱」。


指宿のたまて箱号
特急「指宿のたまて箱」が停車し乗降扉が開いたところ。


指宿のたまて箱号
出発前の車内清掃に。


指宿のたまて箱号
清掃が終わるまで、しばし乗車を待つ。


指宿のたまて箱号
車両の半分が黒白に塗り分けられた斬新なデザイン。


指宿のたまて箱号
指宿のたまて箱号に乗車。


指宿のたまて箱号
錦江湾を車窓に眺めながら指宿までの旅を楽しみませう。


指宿のたまて箱号
そして1時間弱、鉄道の旅を楽しんで定刻の12:47指宿駅に到着。


指宿のたまて箱号
Welcome to いぶすき!


指宿駅前
指宿駅前には竜宮城のゲートが。


指宿駅
指宿駅の駅舎。


指宿駅
指宿は砂むし温泉で有名なだけに”いぶすき”と読めるが、知らなければ”さしやど”等と読みそうな難読地名。


指宿駅前通り
平日の月曜日だけに閑散としていた指宿駅前通り。


指宿駅前ふれあい足湯
指宿駅前のふれあい足湯。


指宿駅前ふれあい足湯
のんびり足湯に浸かり枕崎行きの列車を待とう。


指宿駅前ふれあい足湯
ふれあい足湯と指宿駅。


竜宮写真館
指宿枕崎線の終着、枕崎駅へ向かうべく駅構内通路の竜宮写真館を通り抜けて乗降ホームへ。


竜宮写真館
竜宮城をイメージした竜宮写真館。浦島太郎は薩摩半島最南端の長崎鼻から竜宮城に向かったとの伝説がある。


指宿駅
13:17指宿発、枕崎行の普通列車が入線。


山川駅
枕崎行普通列車に乗車して山川駅に着、車窓から鹿児島中央方面の普通列車。


開聞岳
山川駅を過ぎれば前方に開聞岳が。


西大山駅
JR日本最南端の駅、西大山駅に着く。


枕崎行普通列車
客車内はガラガラの貸切状態。


東開聞駅
東開聞駅に着く。


開聞岳
東開聞駅を過ぎれば開聞岳が真横に。


西頴娃駅02
難読駅名の西頴娃(にしえい)駅。山川駅から枕崎駅まで間にある唯一有人の簡易委託駅。つまり有人駅の山川駅から枕崎駅まで、ここを除いて全て無人駅なのである。


御領駅
御領駅。


石垣駅
石垣駅。


枕崎駅
指宿枕崎線の終着、枕崎駅に着いた!つづく。


撮影日:2017年6月26日(月)
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指宿枕崎線の終着、枕崎駅

指宿枕崎線の終着、枕崎駅。本土最南端の始発・終着駅であり、約3100km先の最北端が稚内駅。それってどこ?…わかんない。などと、つまらないダジャレを言っていてもしょうがない。北海道最北を走る宗谷本線の終着が稚内駅、途絶えた先の鉄路は間宮海峡でありロシア領のサハリンなのだ。そんな縁もあって枕崎市と稚内市は平成24年(2012年)に友好都市を締結している。乗り鉄な旅人ならば枕崎駅から稚内駅まで”青春18きっぷ”を使って日本縦断をやってのけたいと、きっと誰しもが思い描くことだろう。私もその一人、もし1ヶ月の休暇がもらえるなら、リュックを背負って真っ先に枕崎駅へ向かうはず。今回は事前学習の思いで指宿枕崎線に乗り、ここ枕崎駅まで来た。

枕崎駅は昭和6年(1931年)南薩鉄道(鹿児島交通枕崎線)の駅として開業、昭和38年(1963年)国鉄の指宿枕崎線が延伸開業して枕崎駅に繋がった。しかし、利用客の減少から昭和59年(1984年)に南薩鉄道は廃止、指宿枕崎線の単独駅となり終着駅に。平成18年(2006年)駅前再開発事業により指宿方面に100m程ホームが移設され、旧駅舎が撤去。平成25年(2013年)市民をはじめとする寄付金から現駅舎が建設された。現駅舎のコンセプトは「来てよかった、レトロ感あふれる癒しとパワーを感じる最南端の終着駅」なのだが、もう少し終着駅感たっぷりの雰囲気がほしかった。今考えると増毛駅は秀逸な終着駅だったなあ。




枕崎駅
北の始発・終着駅が宗谷本線の稚内駅で、南がここ指宿枕崎線の枕崎駅。ここから北の稚内駅までは約3100kmの遥か先。
本土最南端にある盲腸線ならば、哀愁が漂う感じがあって終着駅でよいと思うのだが…。


枕崎駅
枕崎駅で折り返しの発車を待つ鹿児島中央行普通列車。発車は2時間半後。


枕崎駅
枕崎駅にて。


枕崎駅
枕崎駅駅舎と乗降ホーム。鹿児島中央行普通列車の発車まで時間がたっぷりあるので、枕崎駅と駅前周辺を観光しよう。


枕崎駅07
小綺麗に改築された駅舎。その出入口前には”かつお節行商の像”。枕崎は明治28年(1895年)7月24日に”黒島流れ”と呼ばれる台風被害によって29隻の漁船が遭難、411名もの死者を出した。大黒柱を失い遺族となった女性たちが、生計を立ててゆくべく始められたのが”かつを節バラ売り行商”、当時の大願寺住職がそんな不遇の人々がいることを宣伝すべく尽力した。


枕崎駅
本土最南端の始発・終着駅、枕崎駅。


枕崎駅前
駅前広場にはトリックアートが描かれる。


枕崎駅
トリックアートと枕崎駅。


和洋菓子青柳
駅近くにある”和洋菓子青柳”。ここで鹿児島名物の”かるかん”を買いました。


だいとく
駅から少し離れた国道226号沿いにある郷土料理店の”だいとく”。ここで遅めの昼飯に。


かつお丼
かつお丼を注文。鰹らしからぬモチモチとした食感に感動、普段刺身で食べる鰹とは随分とイメージが違う。一本釣りした鰹を船上で血抜き(活き〆)し、直後に急速冷凍する”枕崎ぶえん鰹”と呼ばれる製造方法がこんな食感を作り出しているという。遠く枕崎まで来た甲斐があった。


枕崎市街
枕崎駅東側の片平山公園より枕崎市街と遠く立神岩を望む。


立神岩
枕崎のシンボル的存在、立神岩。


枕崎市街
片平山公園より枕崎駅方面の市街。


枕崎駅
枕崎駅で鉄路は途絶える。ホームには鹿児島中央行普通列車が発車を待つ。


枕崎駅
枕崎駅へ戻り。


枕崎駅12
鹿児島中央行普通列車に乗車。次に来るのは”青春18きっぷ”を使って日本縦断をしようと思い立ったときか。


鹿児島中央行普通列車の車内にて
”和洋菓子青柳”で頂いた洋菓子を食べながら、約2時間40分の旅を楽しもう。


山川駅
山川駅に到着、平日の夕方だけに多くの学生が乗降する。


指宿駅
定刻通りの17:20に指宿駅着。発車まで14分あるので、ホームをぶらぶらと。


鹿児島中央駅
指宿駅から列車に揺られて約1時間半、鹿児島中央駅に着。大観覧車がひときわ目を惹く。


若き薩摩の群像
駅前にある若き薩摩の群像。薩摩藩から英国へ渡航した17名からなる銅像が現代に蘇り観光客を迎える。


撮影日:2017年6月26日(月)
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下加治屋町 ~明治維新の原動力となった偉人を育んだ町~

指宿枕崎線の全線乗車を終えて”かごしまプラザホテル天文館”にチェックイン、鹿児島の歓楽街である天文館で少々夜遊びを楽しんだ翌日、ホテルからぶらぶらと歩きながら鹿児島城下を散策する。甲突川左岸の加治屋町は西郷隆盛や大久保利通をはじめ、西郷従道、大山巌、村田新八、東郷平八郎、黒木為楨といった明治維新の原動力となる多くの偉人を輩出した。”孟母三遷の教え”とは、まさにこういうことであろう。来年(2018年)の大河ドラマは「西郷どん」、一足早く西郷隆盛ゆかりの地を訪ねてみることに。




篠原国幹誕生之地
鹿児島中央高校の敷地東南辺に「篠原国幹誕生之地」碑がある。戊辰戦争では薩摩三番小隊長として活躍し、明治5年(1872年)陸軍少尉となる。征韓論に敗れた西郷隆盛に従い鹿児島へ戻り私学校の設立に尽力、子弟の養成に励むべく監督に就任した。西南戦争で薩軍の一番隊長を任され、田原坂で官軍と激戦の末に銃弾に倒れた。


井上良馨誕生之地
篠原国幹誕生之地から鹿児島中央高校敷地東南辺を60m程西、「井上良馨誕生之地」碑がある。


井上良馨誕生之地
井上良馨は明治期に元帥まで上り詰めた海軍の軍人。19歳の時に薩英戦争(1863年)に参加、沖ノ島砲台で英軍に応戦して初陣を飾り、戊辰戦争では軍艦「春日」に乗りくんで,阿波沖から,奥州、箱館と転戦した。明治7年(1874年)砲艦「雲揚」の艦長に就任、翌年に江華島で朝鮮との武力衝突(江華島事件)が起こっている。西南戦争では国産第1号の軍艦「清輝」の艦長として鹿児島湾入り。後の日清・日露戦争では佐世保や横須賀、呉等で鎮守府司令長官を歴任し、戦後に軍事参議官、明治44年(1911年)元帥に叙せられた。


村田新八誕生之地
鹿児島中央高校敷地東南隅、ここには”村田新八誕生之地”碑。村田新八は幼少時代から西郷隆盛を兄として慕い、戊辰戦争では西郷が東征大総督府の下参謀に就くと二番小隊長を任され、上野戦争、白河奪還戦、二本松戦から会津若松城攻囲戦へ参戦した。戊辰戦争が終結すると岩倉使節団の一員に加わり欧米諸国を視察。帰国して西郷が鹿児島に下野したことを知り、自らも職を辞して帰郷し、西南戦争では薩軍の二番大隊指揮長を任される。熊本城や田原坂、安政橋口を転戦し奮闘するも、明治政府軍の城山総攻撃の日に西郷の最期を見届けてから自刃した。


吉井友実誕生之地
維新ふるさと館入口交差点の南西角にある「吉井友実誕生之地」碑。吉井友実は精忠組の中心人物として尊王討幕運動を推進、薩長連合の成立に尽力した。戊辰戦争の発端となる鳥羽・伏見の戦いでは自ら兵を率いて旧幕府軍と戦い、明治維新後は新政府にあって司法・民部・工部・宮内省の要職を歴任、明治14年(1881年)日本鉄道会社社長に就き、同17年(1884年)伯爵に叙せられる。同21年(1888年)枢密顧問官を兼任、同24年(1891年)63歳で死去した


二本松馬場
鹿児島中央高校敷地北西辺の直線道はかつての二本松馬場。


東郷平八郎誕生地
二本松馬場沿道には東郷平八郎の生家があった。


東郷平八郎誕生地02
東郷平八郎は15歳のときに薩英戦争(1863年)に初陣として従軍、世界と日本の力の差をまざまざと見せつけられ、海軍への道を志したという。戊辰戦争で軍艦春日丸に乗り組み新潟・箱館に転戦、維新後は海軍士官としてイギリスのポーツマスに留学し、帆船ハンプシャー号に乗り込んで世界一周を体験した。日清戦争では浪速艦長。日露戦争では連合艦隊司令長官として旅順港封鎖作戦を指揮し、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を全滅させ勝利に大きく貢献、”東洋のネルソン”と称され世界に名を知らしめた。


鹿児島中央高校
加治屋町の中心にある鹿児島中央高校。


大山巌誕生之地
鹿児島中央高校前には”元帥公爵 大山巌誕生之地”の大きな碑。


大山巌誕生之地02
大山巌は下加治屋町の元気坊として育ち、青年期に過激派に属して寺田屋事件(1862年)により謹慎処分に。薩英戦争(1863年)に参加、スイカ売決死隊に加わり英旗艦ユーリアスに乗り込んだとも。戊辰戦争では鳥羽・伏見や会津などの各地を転戦、維新後は渡欧してジュネーヴに留学。西南戦争(1877年)では政府軍の攻城砲隊司令官として薩軍と戦う。日清戦争で陸軍大将、日露戦争では元帥陸軍大将に就いて満州軍総司令官を務め、奉天大会戦に勝利するなど、日本の勝利に大きく貢献。「陸の大山、海の東郷」と言われ、「ナポレオン以来の戦略家」」「ブルドックの如き猛将」「人格はグラント将軍、戦略はリー、ジャクソン両将軍に伍する」と、世界に名声を馳せた。


西郷隆盛誕生地
そしてここが西郷隆盛の誕生地。


西郷隆盛誕生地
文政10年(1827年)西郷隆盛はここ下加治屋町に生まれ、藩校造士館に学び、下加治屋町の郷中頭として、明治維新に活躍する多くの少年たちを指導した。2018j年の大河ドラマの主人公、生まれ育った地に来れたことで来年は大河ドラマを一味楽しく見れそうだ。


西郷従道邸の庭石
西郷隆盛誕生地にある”西郷従道邸庭園の庭石”。平成12年(2000年)東京都目黒区にあった従道の庭園跡が公園に整備されるに伴い、この庭石が鹿児島市に寄贈され従道の生誕地でもあるここに移された。


西郷従道邸の庭石
西郷従道は兄隆盛の15歳下の実弟。戊辰戦争に参加して各地を転戦。維新後は山県有朋とともに渡欧して兵制を視察、帰国後に兵部権大丞に就任した。兄隆盛が鹿児島へ下野した際には薩摩藩出身者の多くが従う中、従道は明治政府に残り兄と袂を分かつ。明治7年(1874年)に陸軍中将へ昇進、征討都督として台湾出兵を指揮。西南戦争(1877年)では従軍することなく東京に残り留守を守った。明治18年(1885年)初代海軍大臣に就任、海軍の拡張整備に尽力し、内務大臣や枢密顧問官などを経て初代海軍大将に就任、明治31年(1898年)海軍軍人として初めて海軍元帥に列せられた。


維新ふるさと館
西郷隆盛誕生地近くにある維新ふるさと館。


維新ふるさと館
維新ふるさと館を見学。薩摩藩伝統の郷中教育や明治維新の原動力となった偉人たちの歴史について学べる施設。


維新ふるさと館
”西郷どん”と記念撮影。


維新ふるさと館
篤姫(天璋院)コーナー。2008年の大河ドラマ「篤姫」で使われた衣装を展示している。


維新ふるさと館
明治30年代頃から流行した”手合わせ歌”。全国各地に様々なバリエーションで歌い継がれ、西郷隆盛の娘が墓参りに行くという内容の歌詞。当時”西郷どん”が庶民にいかに人気があったことをうかがい知れよう。


二つ家
薩摩藩下級武士の屋敷を再現した”二つ家”。屋外展示されている。


二つ家間取り
現地解説板より引用
二つ家の間取り。下加治屋町には70数戸の下級武士の屋敷があり、多くは座敷を中心として”おもて”と、台所等の日常生活に使う”なかえ”が、”樋の間”で繋ぐ住居形態だった。


二つ家玄関
二つ家玄関。


二つ家
二つ家”おもて”の縁側。


南州橋
維新ふるさと館を後にして南州橋に。


南州橋
南州橋から甲突川の下流方向。


山之口馬場
甲突川左岸から山之口馬場。


維新ふるさとの道
高麗橋から高見橋にかけての甲突川左岸は”維新ふるさとの道”として散策の道に。


甲突川
高麗橋より南州橋を望み。


大久保利通誕生之地
高麗橋南詰から”ナポリ通り”を少し東に行ったところに大久保利通誕生之地。


高島鞆之助誕生地
南州橋南詰付近、甲突川右岸には”高島鞆之助誕生地”。天保15年(1844年)高麗町(現 鹿児島市上之園町)に生まれる。戊辰戦争に従軍、西南戦争では別働第1旅団司令長官を務めた。明治16年(1883年)陸軍中将に昇進、後に陸軍大臣や枢密顧問官などを歴任した。


大久保利通生い立ちの地
南州橋を渡って甲突川左岸に渡り、維新ふるさと館に戻って上流(北西)側へ。、維新ふるさと館のすぐ隣には”大久保利通生い立ちの地”。西郷隆盛の盟友、大久保利通は高麗町で生まれ、間もなくここ下加治屋町に移り育った。


二本松馬場
甲突川左岸から二本松馬場。昔は正面に武大明神ヶ岡(武岡)が見え、その岡に二本の大きな松が生えていたことが道名の由来と云われる。


萩原小路
甲突川左岸から萩原小路(はっぐわらんしゅっ)。小路のことを鹿児島弁で「シュッ」と発音する。この小路は萩原家の屋敷があったことが由来とされる。


大久保利通像
高見橋東袂に立つ大久保利通像。「為政清明(いせいせいめい)」、政治を為すには清く明瞭でなければならない、大久保の座右の銘である。西郷と共に倒幕を推し進め、明治維新を成し遂げた維新三傑(他に西郷隆盛、木戸孝允)の一人。


西田橋
五大石橋跡に架かる西田橋。高見橋より上流側に向かって次の橋。かつてここに架かっていた五大石橋は天保期(1831年~45年)に薩摩藩家老の調所広郷が肥後の名石工、岩永三五郎を招いて架けさせた。平成5年(1993年)8月の集中豪雨で、武之橋と新上橋の2石橋が流失、五大大橋は被害を免れたたものの、河川改修に合わせ保存のため祇園之洲町に移設された。


旧五大石橋
現地解説板より引用。在りし日の旧五大石橋。江戸時代には鹿児島城下入口にあたり、東詰に御門が設けられていた。

加治屋町の散策はこれで終わり。次は西郷どん最期の地、城山に登ろう!


撮影日:2017年6月27日(火)
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城山 ~西郷隆盛最期の地~

明治6年(1873年)征韓論に敗れた西郷隆盛は政府の要職を辞して鹿児島へ帰郷する。これに同調して桐野利秋や篠原国幹、淵辺群平、別府晋介、村田新八といった薩摩藩出身が下野して後を追い、西郷を中心に私学校を設立して運営に尽力、しだいに鹿児島にあって大きな勢力となっていく。
明治7年(1874年)に起きた佐賀の乱を皮切りに、神風連の乱や萩の乱、秋月の乱と、士族の反乱が続く時代背景の中、鹿児島での反乱勃発を恐れた政府は、秘密裏に鹿児島から武器弾薬を運び出したうえ、更に西郷の暗殺まで計画してしまう。これが発覚して私学校生や幹部らが激怒、同10年(1877年)西郷を擁して挙兵し、政府相手に武力をもって対立することになった。西南戦争のはじまりである。
熊本城を急襲するも攻略できずにいた薩軍の主力は、熊本城へ向け南下してくる政府軍を田原坂で迎え撃ち、約1ヶ月に及ぶ激闘の末に敗れて退却、この田原坂の戦いを機に薩軍は劣勢に立たされていく。政府軍の包囲網は九州南部に着々と迫り、ついに薩軍は鶴丸城(鹿児島城)裏手の城山に籠り徹底抗戦の構えをみせるが、大勢は衆寡敵せず。最期を決めた西郷は岩崎谷から城山を降りて岩崎口に進出したところで被弾、「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に声をかけ、皇居のある東を向いて跪き、晋介の介錯をもって自刃した。




城山登山道
照國神社(鹿児島市照国町)裏手、城山の登山口。ここから城山に登る。


城山登山道
悪天候の中、長い石段に重い足を上げて一歩一歩。


城山売店
城山公園駐車場の一角にある城山売店。ここで缶コーヒーを買って一休み。


城山公園駐車場
城山公園駐車場。駐車した観光バスからぞくぞくと中国人観光客が降りてくる。


城山茶屋
城山展望台にある城山茶屋。


城山展望台からの眺め
城山展望台から鹿児島市街を望む。市街奥に見える海が錦江湾、天気が良ければその向こうに桜島が望めるのだが…。


城山公園トンネル
城山を貫く城山公園トンネル。


石仏十三体
城山公園トンネルから岩崎谷へ下る途中、路傍に石仏十三体。昭和3年(1928年)弘法大師の徳を慕う鹿児島市内の人々が、弘法大使の尊像88体を建立し、伊敷の梅ケ淵や谷山の慈眼寺、ここ城山に安置した。城山には88体の石仏のうち13体が残されている。


せごどん
岩崎谷にある”Brocente Mercerie Annie”という店。店舗横に大きな西郷隆盛像を設けている。


「目で見る西南戦争始末記」三十六景展示場
西郷隆盛像の裏手に「西南戦争始末記」三十六景展示場。洞窟の中に展示があるようで、「ご自由にお入りください」とあったので洞窟内部へ。


「西南戦争始末記」三十六景展示場
洞窟内には西南戦争の顛末を描いた作品を展示。


西郷隆盛洞窟
そして”Brocente Mercerie Annie”の店舗右隣りに本家本元の西郷隆盛洞窟。城山に立てこもり政府軍に最後まで抵抗した薩軍はわずか300余り、これに対する政府軍は4万。西郷はこの洞窟で5日間を過ごし、わずかな兵を率いて谷を降り最期を迎えた。


城山の薩軍陣地跡
現地設置の解説板より。堡塁が残る城山の薩軍陣地跡。西南戦争終結直後に撮影したものだろう。リアリティを存分に感じる。


西郷隆盛洞窟
写真より更にリアリティがあるのは現物。こんな小さな洞穴で偉丈夫の西郷どんが最期の5日間を過ごしたのか…。そんな実感ができただけでも、遠く鹿児島まで来た甲斐があった。


西郷隆盛洞窟
名残り惜しく洞窟を後に。


西郷隆盛洞窟
洞窟から岩崎谷を下る道。舗装道が通され近代的な建物があって当時とは様相を異にしているのだろうが、西郷隆盛は最期の日にここを降りて、命尽きるまで政府軍に立ち向かったのだ。


岩崎谷
岩崎谷を通す鹿児島本線の城山トンネル。


城山トンネル
トンネル出入口上には西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」。


岩崎谷
坂道を下りきった所から西郷隆盛洞窟方面の岩崎谷を望む。


西郷隆盛終焉の地
そして、ここが岩崎口にある西郷隆盛終焉の地。


西郷隆盛終焉の地
西郷隆盛はこの地で股と腹に被弾し、別府晋介の介錯をもって自刃した。
「晋どん、もうここらでよか」
西郷の声が聞こえてきそうだ。


鹿児島本線
”西郷隆盛終焉の地”前を走り抜ける鹿児島本線の特急、時代は随分と流れた。

次は鹿児島城を散策に↓

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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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