松前城(福山城)址
前から行ってみたいと思っていた北海道の南端、松前町にある松前城。今年8月、ついに行く機会を得たので記事にしたい。松前城は所在する地名から別名を福山城とも呼ばれ、松前藩主松前氏の居城であり、日本最北で北海道唯一の日本式の近世城郭。前身は蠣崎家(後の松前家)が居館としていた大館で、慶長5年(1600年)から同11年(1606年)にかけて現在の松前城がある場所に陣屋(福山館)を築き居館を移したことに始まりがある。 嘉永2年(1849年)ロシア艦隊などに対する北方警備を目的に、幕府は松前藩に福山館の改築を命じ、安政元年(1854年)に近世城郭の松前城が完成した。
松前城は戊辰戦争時に旧幕府軍と新政府方の松前藩との間で激しい攻防戦が繰り広げられ、明治元年(1868年)旧幕府方の土方歳三率いる700名程の旧幕府兵によって防御力に弱点がある東側の搦手を攻められ数時間で陥落、しかし翌年(1869年)には旧幕府軍が降伏して再び松前氏の領有となり、同4年(1871年)廃藩置県を迎えた。後に本丸御門や本丸御殿、三重櫓(昭和24年に焼失、同36年再建)などを残してほとんどの建築物が撤去、本丸表御殿は明治8年(1875年)に開校した松城小学校の校舎に再利用されるが、同33年(1900年)新校舎建設に伴い取り壊されることに。現在は旧二ノ丸の地に玄関のみが残されている。

道道380号、旧松前城下の町並み。

城内南東側出入口の天神坂。坂下には大松前川が流れている。

大松前川と天神坂。

天神坂上にある天神坂門。平成14年(2002年)の復元。

松前城外東側にある松前町役場。かつて松前奉行所があった。

馬坂下に架かる馬坂橋。馬坂は城内東側出入口の馬坂門に通じる。

馬坂上より坂下。

馬坂上の馬坂門跡。柵の向こう側が三ノ丸。

三ノ丸辺に復元された外堀。

三ノ丸から馬坂門跡と三本松土居を望む。外堀に架かる橋手前の左が番所跡。

三ノ丸番所跡には松前城の復元模型。

三ノ丸にある鉄砲置場跡。

三ノ丸にある五番台場。三ノ丸には砲台を設置するための台場が7ヶ所あった。

五番台場より松前城下を望み。

五番台場より三重櫓を望む。

三ノ丸と二ノ丸搦手枡形の間に設けられる三本松土居。

搦手二ノ門の奥が搦手枡形、三ノ丸から二ノ丸へ通じる。

多門櫓跡にある城門風の入館受付。ここから復元三重櫓の松前城資料館へ。

資料館に展示されていた松前市中図。こんな往時の様子を描いた絵図を見るのが好きなので、しばし興味深く拝見。

本丸御門と三重櫓。本丸御門は安政元年(1854年)建立。三重櫓は昭和24年(1949年)に焼失し、同36年(1961年)に再建されたもの。

二ノ丸側より本丸御門と三重櫓。

二ノ丸に移設されている本丸表御殿玄関。

二ノ丸より大手枡形と追手二ノ門跡を望む。

三重櫓下より本丸御門。

本丸側よ本丸御門と三重櫓。

本丸表御殿玄関跡。二ノ丸に移設されている表御殿玄関はかつてここにあった。

本丸表御殿跡。現在は芝生広場に。

二ノ丸と本丸を隔てる内堀。

往時にはここに橋が架けられており、本丸側に堀上門(現 阿吽寺山門)を設ていた。

堀上門跡。松城尋常高等小学校(明治8年開校)の門柱が残されている。

本丸表御殿跡の北辺に残る大土手の遺構。

大土手北側に鎮座する松前神社。往時には大きな池があった。

城内北側出入口だった寺町門跡。

寺町門跡前、本丸北辺の外堀跡。

松前城西辺の松前公園月琴堀。松前城の外堀を利用して明治15年(1882年)に竣工した。

松前城外堀跡(月琴堀)。

外堀跡にある松前線のトンネル坑口と路盤。昭和63年(1988年)に松前線が廃止されるまで、松前城の下を列車が通っていたのだ。

外堀の水は少なく、僅かに水面が確認できる程度。

城内南西側出入口の湯殿沢門跡から湯殿沢坂。

城内正面(南側)出入口の馬出門・馬出枡形跡。

道道380号から松前城内へ通じるこの車道は、沖之坂・馬出枡形西辺の石垣跡で、往時には坂下に向かって石垣が組まれていた。近年の発掘調査で石垣の遺構が確認されている。

馬出枡形と沖之口門跡。
撮影日:2018年8月6日(月)
松前城は戊辰戦争時に旧幕府軍と新政府方の松前藩との間で激しい攻防戦が繰り広げられ、明治元年(1868年)旧幕府方の土方歳三率いる700名程の旧幕府兵によって防御力に弱点がある東側の搦手を攻められ数時間で陥落、しかし翌年(1869年)には旧幕府軍が降伏して再び松前氏の領有となり、同4年(1871年)廃藩置県を迎えた。後に本丸御門や本丸御殿、三重櫓(昭和24年に焼失、同36年再建)などを残してほとんどの建築物が撤去、本丸表御殿は明治8年(1875年)に開校した松城小学校の校舎に再利用されるが、同33年(1900年)新校舎建設に伴い取り壊されることに。現在は旧二ノ丸の地に玄関のみが残されている。

道道380号、旧松前城下の町並み。

城内南東側出入口の天神坂。坂下には大松前川が流れている。

大松前川と天神坂。

天神坂上にある天神坂門。平成14年(2002年)の復元。

松前城外東側にある松前町役場。かつて松前奉行所があった。

馬坂下に架かる馬坂橋。馬坂は城内東側出入口の馬坂門に通じる。

馬坂上より坂下。

馬坂上の馬坂門跡。柵の向こう側が三ノ丸。

三ノ丸辺に復元された外堀。

三ノ丸から馬坂門跡と三本松土居を望む。外堀に架かる橋手前の左が番所跡。

三ノ丸番所跡には松前城の復元模型。

三ノ丸にある鉄砲置場跡。

三ノ丸にある五番台場。三ノ丸には砲台を設置するための台場が7ヶ所あった。

五番台場より松前城下を望み。

五番台場より三重櫓を望む。

三ノ丸と二ノ丸搦手枡形の間に設けられる三本松土居。

搦手二ノ門の奥が搦手枡形、三ノ丸から二ノ丸へ通じる。

多門櫓跡にある城門風の入館受付。ここから復元三重櫓の松前城資料館へ。

資料館に展示されていた松前市中図。こんな往時の様子を描いた絵図を見るのが好きなので、しばし興味深く拝見。

本丸御門と三重櫓。本丸御門は安政元年(1854年)建立。三重櫓は昭和24年(1949年)に焼失し、同36年(1961年)に再建されたもの。

二ノ丸側より本丸御門と三重櫓。

二ノ丸に移設されている本丸表御殿玄関。

二ノ丸より大手枡形と追手二ノ門跡を望む。

三重櫓下より本丸御門。

本丸側よ本丸御門と三重櫓。

本丸表御殿玄関跡。二ノ丸に移設されている表御殿玄関はかつてここにあった。

本丸表御殿跡。現在は芝生広場に。

二ノ丸と本丸を隔てる内堀。

往時にはここに橋が架けられており、本丸側に堀上門(現 阿吽寺山門)を設ていた。

堀上門跡。松城尋常高等小学校(明治8年開校)の門柱が残されている。

本丸表御殿跡の北辺に残る大土手の遺構。

大土手北側に鎮座する松前神社。往時には大きな池があった。

城内北側出入口だった寺町門跡。

寺町門跡前、本丸北辺の外堀跡。

松前城西辺の松前公園月琴堀。松前城の外堀を利用して明治15年(1882年)に竣工した。

松前城外堀跡(月琴堀)。

外堀跡にある松前線のトンネル坑口と路盤。昭和63年(1988年)に松前線が廃止されるまで、松前城の下を列車が通っていたのだ。

外堀の水は少なく、僅かに水面が確認できる程度。

城内南西側出入口の湯殿沢門跡から湯殿沢坂。

城内正面(南側)出入口の馬出門・馬出枡形跡。

道道380号から松前城内へ通じるこの車道は、沖之坂・馬出枡形西辺の石垣跡で、往時には坂下に向かって石垣が組まれていた。近年の発掘調査で石垣の遺構が確認されている。

馬出枡形と沖之口門跡。
撮影日:2018年8月6日(月)

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