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箱根旧街道 挟石坂・風越坂・釜石坂・赤石坂・向坂

【2018年11月4日(日)旧東海道 三島宿→箱根宿】
箱根峠を越えて伊豆国から相模国へ。箱根峠から箱根宿まで1km程しかなく、それほど遠くはない。しかし挟石坂・風越坂・釜石坂・赤石坂・向坂と呼ばれる急坂が続き、ここを登る者にとっては辛苦の道程だろう。反して降る者にとっては、足元に気を配りつつ石畳の坂道を一気に降り、苦も無く箱根宿へ辿り着く。芦ノ湖畔に宿場を形成した箱根宿は、江戸時代に宿の東方江戸方に箱根関所を設け、江戸へ出入りする「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。




箱根峠
箱根峠を越えて間もなく、国道1号と箱根新道が合流する。そのため地形が改変され旧道は消失。


箱根峠
ここを直進方向に渡らねばならないのだが、付近に横断歩道が無い。車の往来が途切れたところを見計らって急ぎ足で渡ろう。


挟石坂
合流地点から国道1号を少し下ったところ、国道沿いに挾石坂へアクセスする入口。


挟石坂
かなりの急勾配になっており階段が付けられている。


挟石坂03
国道から挟石坂へアクセスする階段。挾石坂の旧道に盛り土して国道を通したのだろう。旧道と国道を繋ぐためこんな急勾配な階段を付けたと思われる。


挟石坂下
階段下から石畳の下り坂が現れる。


風越坂
風越坂の石畳(坂下方向)。


風越坂
風越坂より坂上。


釜石坂
道の両側に杉並木を残す釜石坂(坂下方向)。


釜石坂
釜石坂より坂上。


赤石坂
国道1号の下を潜り抜ける赤石坂。石畳と杉並木を残す。


赤石坂
赤石坂より坂上。


向坂
峠から箱根宿へ向け降って最後が向坂。ここを降りきれば箱根宿の芦川町に。


向坂
向坂より坂上。


芦川の石仏群
向坂の上り口にある芦川の石仏群。元々は芦川の駒形神社境内にあったものをここに移したという。万治8年(1658)建立の庚申塔が最も古く、江戸時代後期に建てられた巡礼供養塔等がある。


箱根宿芦川町
箱根宿京方出入口、芦川の駒形神社前より向坂を望み。


駒形神社
芦川の駒形神社。


箱根宿芦川町
箱根宿芦川町の町並み。


箱根宿芦川町
芦川入口バス停。この辺りが芦川町と三島町の境。


箱根関所南交差点
箱根宿三島町の中心部、箱根関所南交差点。ここを左に曲がったところが箱根駅伝往路のゴール地点。


畔屋
天野平左衛門本陣跡に建つ畔屋。


箱根関所
宿内を一気に通り抜けて箱根関所へ向かう曲がり角に。


箱根関所前
箱根関所へ続く旧東海道。この辺りは新町と称していた。


ふれんず
”ふれんず”という土産物店でちょっと休憩。


ふれんずにて
関所まんじゅうと酒まんじゅうを生姜湯をチビチビやりながら頂き。


玉屋
関所前の玉屋。


箱根関所京口御門
箱根関所京口御門。日が暮れ始め閉館時間まであと僅か。箱根宿と関所は次の歩き旅で時間をとって巡ろう。


雲助だんご本舗
箱根町港バス停へ向かうべく宿内を戻り、途中で団子が食べたくなり”雲助だんご本舗”に寄る。


雲助だんご本舗にて
雲助だんごを食べながら再び一休み。


箱根登山バス
箱根町港バス停から箱根湯本駅行きのバスに乗車し帰途につく。


【旧東海道歩き 第34日目】三島駅→三島宿→箱根宿→箱根町港バス停 歩行距離約19Km
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箱根宿

【旧東海道歩き 第35日目】箱根町港バス停→箱根宿→畑宿(間の宿)→畑宿バス停



【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿】
Hiroshige_le_Lac_dHakone.jpg
東海道五十三次之内箱根 湖水図
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典「箱根宿」より引用

東海道を京方から来れば相模国最初の宿駅であり、神奈川県としても最初の宿駅となる箱根宿。箱根峠越えの最中、標高725m地点の芦ノ湖畔に位置し、東海道53次の中で最も標高が高い場所にある。箱根宿が誕生するのは、箱根関所が開設する前年の元和4年(1618)、箱根峠越えの利便を図るため、三島と小田原から50戸ずつを移転させ、新たに宿場町を成立させた。徳川家康により五街道の宿駅伝馬制度が敷かれてから17年後のことになる。なお、箱根関所の開設は箱根宿成立以前の慶長年間(1596~1615)まで遡るとの説もある。

箱根宿は江戸日本橋から東海道五十三次を10宿目、京都三条大橋から44宿目。天保14年(1843年)当時の人口844人、家数197軒、うち本陣6、脇本陣1、旅籠屋36軒。小規模な山間の宿場ながら、6軒もの本陣があったのが特筆すべきところ、箱根峠越えが大難所だったうえに、箱根宿から東の小田原まで約16.6km、西の三島まで約14.8kmと距離が長く、ここで宿泊する大名が多くいたのだろう。京方より芦川町・三島町・小田原町・新町・新谷町と続く町並み、宿東方の新町と新谷町の境に箱根関所が設けられ、江戸に入る鉄砲と江戸から出る女性を厳しく監視した。名産品は寄木細工、甘酒や山椒魚が名物。広重は「東海道五十三次之内箱根 湖水図」の題で、芦ノ湖と天下の険と言われた箱根の山間を延びる石畳の東海道を描く。




芦川の石仏群
箱根宿芦川町の京方(西)外れ、向坂の登り口。前回の歩き旅でここを降ってきた私は、路傍に並ぶ芦川の石仏群に迎えられた。本日はここがスタート、石仏様に見送られて。


芦川橋
箱根宿京方出入口だった芦川橋。


駒形神社
芦川橋袂から参道を延ばす駒形神社。駒ヶ岳の地主神”駒形大神”を祀る宿内の鎮守。


芦川橋
駒形神社参道入口前より箱根峠・向坂方面。


箱根宿芦川町
芦川町の町並み。中世の宿場はここにあったが、現在は中心部から外れて行き交う人も少なく、少々寂れた感じ。



箱根宿芦川町
旧東海道(静岡県道737号)と国道1号の合流地点。左が国道1号、右が芦川町の旧東海道(箱根峠・向坂方面)。


石仏と山の神・関白道碑
上写真の合流地点にある石仏と山の神・関白道碑。山の神碑には橋向町と刻まれ、付近に存在した町名と思われる。関白道碑には秀吉が小田原城攻略の際に開削した道で、鞍掛山十国峠旧登山道に通じているとの説明書きがあるが、詳細不明。これを調べてみるのも面白そう。


芦川入口バス停
芦川入口バス停。この辺りが芦川町と三島町の境にあたる。


箱根宿三島町
三島町、天野又左衛門本陣跡(写真左手前)前。三島町には2軒の本陣と脇本陣1軒が設けられていた。


箱根駅伝往路ゴール
箱根関所南交差点を左に曲がったところが箱根町港。ここは箱根駅伝往路ゴールで復路のスタート地点。


箱根町港
海賊船が係留する箱根町港。


箱根駅伝ミュージアム
箱根町港に隣接してある箱根駅伝ミュージアムと畔屋。


畔屋
畔屋の場所が天野平左衛門本陣跡。三島町にあった本陣2軒のうちの一つ。


畔屋(天野平左衛門本陣跡)
畔屋前、箱根宿の町並み(小田原・江戸方面)。畔屋が三島町の北(江戸方)端にあたり、その先から小田原町。


石内太郎左衛門本陣(鎌倉屋)跡
小田原町に入ってすぐ、写真左手に石内太郎左衛門本陣(鎌倉屋)、奥に向かって駒佐五右衛門本陣、川田覚衛門本陣が並び建っていたが、当時とは随分と様相が変わってしまったようで、本陣の遺構を見ることはなかった。


駒佐五右衛門本陣跡
雲助だんご本舗の辺りが駒佐五右衛門本陣跡。


箱根ホテル(川田覚衛門本陣跡)
箱根ホテル辺りが川田覚衛門本陣跡。


小田原橋
箱根ホテル北側を流れる水路に架かる小田原橋。小田原町と新町の境にあたる。


小田原橋
小田原橋は長さ2m程の小さな橋ながら橋名を示すプレートがある。


箱根宿新町
新町に入って写真の横断歩道辺りで旧東海道は左へ鉤の手に曲がる。現在は国道1号が直進するが、かつては曲がり角辺りに高札場が設けられていた。


箱根宿新町
鉤の手から振り返って箱根宿。


箱根宿新町
鉤の手から関所へ向かう旧東海道と新町の町並み。


箱根関所周辺散策図
鉤の手付近にある箱根関所周辺散策図。箱根宿は本陣や脇本陣の跡地に標識が無く、この周辺散策図に示されているのみ。箱根の歴史は関所ばかりがクローズアップされ、宿場についてはおざなりにされているように感じた。6軒もの本陣があったのだから、せめて宿場の歴史的場所に解説板があってもよいのでは、と思う。


箱根宿新町
新町の町並み。正面には箱根関所の京口御門。


傳兵衛蕎麦
店構えが老舗らしい傳兵衛蕎麦。意外と創業は新しいのかも。


箱根関所
そして箱根関所京口御門の門前に。続きは次の記事で。


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箱根関所

【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿】
箱根関所は箱根宿が成立して翌年の元和5年(1619)、宿場東方の芦ノ湖と山に挟まれる要害地に開設された。前の記事にも書いた通り箱根関所の開設は慶長年間(1596~1615)にまで遡るとの説もあるが、いずれにしても徳川家康が五街道に宿駅伝馬制度を定めた以降のことで、江戸に入る鉄砲と江戸を出る女性(入り鉄砲に出女)を取り締まることで、江戸を防衛するという目的があった。鉄砲等の武器はわかるにしても、何ゆえ江戸を出る女性を取り締まる必要があったのかといえば、多くの大名の妻子は人質として江戸に住んでおり、幕府としては知らぬ間に国元へ逃げ帰られると謀反を起こされるリスクがあったから。そのため関所破りは死罪という厳しい厳罰が科せられた。

小田原から西へ向かう道は東海道だけではなく、主に5通りの脇道があった。ならば箱根関所がある東海道を通らずに脇道を通ればよいではないか、私なら単純にそう考えてしまうが、幕府はそんなことを当然ながら見通しており、その道中の根府川(熱海入湯道)や矢倉沢(矢倉沢往還)、川村・仙石原・谷ヶ村(箱根裏街道)の5ヶ所に脇関所を設けていた。しかしながら、箱根を越える間道が他に幾つも存在していたことは想像に難くなく、関所を通らずに往来しようとする人も少なからずいたことも想像に難くない。おそらく関所破りで捕まった人も多くいたはずだが、江戸期を通して死罪となった件数は非常に少なかったらしい。天下泰平が長く続いた時代背景だけに関所は有名無実化しており、よっぽどの重罪人が見せしめのために死罪とされ、それ以外はそれ相当の刑罰に処されたのだろう。お玉という女性が関所破りで捕まり死罪になったとの悲しい伝説も残っているが、その真相は今となっては確かめようもない…。




京口御門
京口御門から関所の中へ。無事に通行させてくれるでしょうか。


厩
まずは厩を覗いて。


大番所・上番休息所
そして関所の中心となる建物の大番所。


面番所
大番所内にある面番所。ここで私のような旅人が役人から通行改めの吟味を受けた。


上の間
面番所の右隣、上の間。ここは大番所で最も格式の高い部屋で、関所最上層部の伴頭や横目付が座り、大名などの接待の間としても使われた。


勝手板の間
勝手板の間。面番所の奥にある。囲炉裏が設けられ、関所役人の食事や休息に使われた。


勝手板の間
今で言えば食堂の勝手板の間だが、くつろいでいる雰囲気はなく、何かの打ち合わせをしている感じ。


上番休息所
上の間の奥にある上番休息所。明日の仕事に備えて役人がここで休息していた。


大番所・上番休息所
大番所・上番休息所を出て。


足軽番所
次は足軽番所に。日中は足軽が控え、夜は休息していた建物。不審者を留め置く揚屋(あがりや)や、罪人などを拘置する獄屋を併設していた。


足軽番所休息所
足軽番所の休息所。囲炉裏を囲んで役人たちが談笑しているようだ。


復活の井戸
足軽番所裏手にある井戸。平成13年度の遺構調査で井戸の木枠が発掘され、同19年に木枠を復元したところ井戸に水が戻ったという。以来、復活の井戸と名付けられた。井戸の中には硬貨がいっぱい、ちょっと趣旨が違っているような…。


遠見番所へ登る階段
足軽番所裏手から遠見番所へ登る階段。


箱根関所と芦ノ湖
階段上から箱根関所と芦ノ湖を望み。


遠見番所
関所破りを監視する遠見番所。芦ノ湖が一望でき、湖の向こうには冠雪した富士山の頂が見える。


箱根関所と芦ノ湖
遠見番所より、箱根関所と芦ノ湖。


箱根関所と芦ノ湖
展望広場より、箱根関所と芦ノ湖。


御制札場
江戸口御門内側に設ける御制札場。通行人の頭巾や笠を外すことなど、関所改めのルールについて書かれている。


矢場
江戸口御門前の湖側、弓や鉄砲の練習場だった矢場。


御番所茶屋
矢場の隣にはお休み処の御番所茶屋がある。


江戸口千人溜と遠見番所
江戸口御門前の山側、工事用フェンスの向こうが江戸口千人溜。関所改めを受ける通行人がここで待機した。


江戸口御門
無事に関所を通行させて頂き、振り返って江戸口御門。


箱根関所資料館
そして箱根関所資料館に。ここで関所破りの記録等を見学、お玉という女性が関所破りで捕まり死罪となった伝説が元になり、近辺には於玉坂やお玉が池と呼ばれる場所があるとの解説に最も興味をひかれる。


恩賜箱根公園駐車場
新谷町の杉並木を抜ければ恩賜箱根公園駐車場。ここで旧道はいったん途切れ。


新谷町の杉並木
新谷町の杉並木(箱根関所方面)。

無事に関所は越えられた。いざ、小田原に向けて箱根旧街道(箱根東坂)を降ろう。


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箱根旧街道 権現坂・天ヶ石坂・白水坂・於玉坂・甘酒茶屋

【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿】
箱根関所を後にして箱根旧街道を小田原宿へ向け歩こう。往時の面影を色濃く残す芦ノ湖畔の杉並木道を進み葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚前で国道1号に合流、箱根神社の第一鳥居前で右に分かれ、杉並木歩道橋から権現坂の上りに。坂上から緩やかな上り坂の石畳が続き、やがて下りに転じたところで路傍に天ヶ石と呼ばれる大石に出会う。ここから旧道は勾配を急にして天ヶ石坂、白水坂を下り国道1号に交差、その先から悲しい伝説を残す於玉坂を下りきれば甘酒茶屋に着く。江戸時代初期の創業という甘酒茶屋は、店名にある甘酒と力餅を名物にして今も箱根を訪れる旅人の休憩所として知られる老舗の名店。砂糖を加えず江戸時代伝来の麹を発酵させて素朴な甘さを引き出す甘酒は、疲れた体を癒してくれるうえにもうひと頑張りしようとの気にさせてくれる。機会があれば甘酒を口にしてこの感覚を体験してみてほしい。




箱根旧街道杉並木入口
恩賜箱根公園駐車場から先へ延びる杉並木の旧道。


箱根旧街道杉並木
国道1号に並行して杉並木の旧道を残している。


箱根旧街道杉並木
江戸時代から残る道、どれだけの旅人がここを往来したことか。


箱根駒ヶ岳と芦ノ湖
杉並木を外れれば芦ノ湖と箱根駒ヶ岳が眼前に。


芦ノ湖と富士山
箱根駒ヶ岳の山裾、湖畔には箱根神社の”平和の鳥居”が厳かに立ち。


芦ノ湖と富士山
そして湖の最奥には冠雪した見事な富士山。ここには日本の美しい景観があると思った。


箱根旧街道杉並木
杉並木の旧街道に戻って。


箱根旧街道杉並木05
往時を偲ばせる箱根旧街道杉並木。


葭原久保の一里塚跡
葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚前を行く旧東海道。ここは江戸日本橋から24里(約94km)、京三条大橋からは89番目で実測約420km地点(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定、薩埵峠上道ルートによる)にあたる。Wikiの『東海道の一里塚一覧』によれば京方隣の山中一里塚が26里、山中から葭原久保まで実測約4kmなのに、1里(約4km)の誤差が生じているうえ、25里目の一里塚は存在なしないとある。江戸期に約4kmものルート短縮があったのだろうか、この謎は謎のまま…。


元箱根港
箱根神社第一鳥居と元箱根港。


箱根神社 第一鳥居
旧東海道は第一鳥居を潜らずに右方向へ。


塞の河原
第一鳥居の横にある塞の河原。それほど広くはない敷地に石仏や石塔が集められている。ここは江戸時代に地蔵信仰の霊地として知られ、往来の旅人から信仰を集めた場所。かつては多くの地蔵や石塔が湖畔に並ぶ壮観な眺めだったようだが、明治期の廃仏毀釈や観光開発等、時流に抗えず徐々に規模を縮小して現在に至っている。現存する最古のものは鎌倉後期と推定されている。


元箱根港
元箱根港で芦ノ湖は見納め。


旧東海道(国道1号) 元箱根
第一鳥居から旧東海道(国道1号)を進もう。


箱根旧街道
元箱根の箱根旧街道入口。ここには箱根にゆかりのある二人の外国人を紹介する解説碑を置く。


ケンペルとバーニーの解説碑
一人はドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペル、元禄4年(1691)とその翌年に箱根を訪れ、海外に向けて箱根の美しさを紹介した。もう一人は英国の貿易商C・M・バーニー、当地に別荘を持つほど箱根を愛した人物で、大正11年(1922)ケンペルの著書から引用し、「自然を大切するように」と啓発する碑を建てた。


杉並木歩道橋
旧道はここで国道が通ったことにより途切れる。杉並木歩道橋を渡ろう。


杉並木歩道橋
杉並木歩道橋より箱根宿方面の箱根旧街道。


箱根旧街道石畳
杉並木歩道橋を渡った先から権現坂の石畳が延びる。権現坂の名の由来は箱根神社(箱根権現)にあるという。


権現坂
権現坂上の路傍に立つ赤鳥居。


権現坂
権現坂(八町坂)上より坂下(箱根宿方面)。


権現坂の鳥居
権現坂の赤鳥居から延びる参道。


権現坂の祠
参道の突き当りにある祠。古木の根元に小さな赤鳥居と賽銭箱があり、ここが信仰の対象になっているようだが、祭神や由緒は不明。


権現坂上
権現坂上から小田原宿方面へ続く石畳。交差する車道を左に曲がればお玉観音があるので。


お玉観音
箱根旧街道を外れて興福院のお玉観音に。関所破りで捕まり処刑された少女お玉を祀る。興福院設置の解説板によれば、お玉は伊豆半島先端部の大瀬村出身、江戸の奉公先を出奔して実家に戻ろうと決意、元禄15年(1702)箱根関所に差し掛かり、夜陰に乗じて裏山から抜けようとしたところを捕らえられた。


二子山
お玉観音より二子山を望む。左は下二子山で、右が上二子山。その山裾に”薺ケ(なずなが)池”があり、別名をお玉ケ池と称す。


お玉ケ池への道標
せっかくなので、箱根の森を通り抜けてお玉ケ池へ行ってみよう。


お玉ケ池
ここが”薺ケ(なずなが)池”。処刑されたお玉の首を洗ったとの伝説があり、いつからかお玉ケ池と呼ばれるようになったという。


お玉ケ池
池の畔にある”お玉ケ池碑””と解説板。ここの解説板によれば”お玉”の奉公先は江戸新田嶋だったらしい。新田嶋は現在の東京都江東区永代2丁目辺り。


箱根旧街道
お玉ケ池から箱根旧街道に戻り先へ進もう。権現坂上からは平坦な道が続き、かつては八町平と呼ばれた。


馬子唄碑
八町平の路傍に箱根馬子唄碑。


馬子唄碑
碑面には「箱根八里は馬でも越すが こすに越されぬ大井川」。この馬子唄は箱根八里の峠越えより、大井川を越えるほうがはるかに大変だったということなのだろうが、今を歩く者にとっては箱根八里の方がよっぽど難所。


箱根旧街道
”箱根馬子唄の碑”付近に残る石畳。


箱根旧街道
現代人には歩きにくいと感じる石畳の道だが、江戸や明治時代の旅人がここを踏みしめた歴史を感じられれば、足取りも軽やかになろう。


箱根旧街道
すれ違うハイカーは意外に外国人が多い。


箱根の森展望広場への分かれ道
箱根の森展望広場への分かれ道。すぐ先に大石があり、下り傾斜がきつくなる。


天ヶ石坂02
その大石は”天ヶ石”と呼ばれ、ここを通る坂名を示す”天ヶ石坂”の石碑を置く。


天ヶ石坂碑
天ヶ石坂碑。登り七間余と刻まれている。


天ヶ石坂
天ヶ石から急傾斜に下る石畳の坂道。


天ヶ石坂
天ヶ石坂の次は白水坂になるのだが、その境がどこなのかわからない。石畳の坂道はひたすら下る。


天ヶ石坂
2人の旅人とすれ違い、振り返って坂上を望み。


排水路
坂の途中に石畳を横切る排水路。石畳の水はけをよくするために設けられた江戸時代の工夫。


白水坂下
路傍に白水坂碑。この辺りが坂下にあたるのだろう。少し先で神奈川県道732号に分断される。


白水坂下
白水坂下、県道に分断される箱根旧街道。


於玉坂
県道から先の下りは於玉坂。


於玉坂碑
坂上にひっそりと於玉坂碑。その傍らには往来の旅人が積んだと思われる石積みがある。坂名の由来になった”お玉”の悲運を偲んでのものだろう。


於玉坂
於玉坂を降って。


於玉坂
だんだん道は心許ないほどに細くなり。


於玉坂
石畳が現れて。


甘酒茶屋
甘酒茶屋横に着く。


甘酒茶屋
江戸時代から箱根東坂を往来する旅人に甘酒をふるまってきた甘酒茶屋。文政年間(1818~29)箱根地域には9ヶ所の甘酒茶屋があったが、現在はこの1軒が残るのみ。


甘酒茶屋(明治14年小林清親筆)
現地解説板より明治14年(1881)小林清親 筆による甘酒茶屋。当時は東海道を挟んで現在地の向かい側に3軒の茶屋が並んでいたことをうかがう。


大正時代の甘酒茶屋
現地解説板より、大正時代の甘酒茶屋。写真は東海道の箱根宿方面を望んでおり、大正期も現在地の向かい側に茶屋があったことがわかる。


甘酒茶屋
甘酒と力餅を頂いてしばし休憩。


箱根旧街道休憩所
甘酒茶屋を後にしてすぐ近くにある箱根旧街道休憩所へ。


箱根旧街道休憩所
休憩所内に設けられている”神崎与五郎詫証文の場”。これは忠臣蔵に関するエピソードの一場面。神崎与五郎とは本当のところ赤穂浪士・大高源吾のことで、忠臣蔵が芝居になって時が流れるにつれ脚色が入り、同志だった神崎与五郎に人物が変えられたらしい。浅野内匠頭の切腹後、大石内蔵助の命を受け仇討急進派を抑えるべく江戸へ急ぎ向かった大高源吾は、道中の三島宿で馬子の国蔵に言いがかりをつけられ足止めをくらう。大事を控える源吾は争いごとで時間をとられることを避けるため、屈辱に耐えやむなく詫び証文を書き酒代を支払い謝った。その場面を再現したれのがこの展示。源吾が書いたといわれる証文が実際に現存しているらしい。


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箱根旧街道 追込坂・猿滑坂・橿木坂・西海子坂

【2018年11月24日(土)旧東海道 箱根宿→小田原宿】
甘酒茶屋で体力を回復させた。さてさて間の宿、畑宿へ向けて箱根旧街道を降ろう。当時は甘酒茶屋から畑宿にかけて、追込坂・猿滑(さるすべり)坂・橿木(かしのき)坂・西海子(さいかち)坂の石畳が続いていたはずだが、昭和初期辺りに現在に見る七曲がりの神奈川県道732号ルートが敷設され、半分近い石畳が失われた。しかし現存する旧道には江戸時代に敷設された石畳が良好な状態で現存している場所も多くおり、歩いていて見どころは多い。また、旧道消失地点の歩道には随所に急傾斜の階段が設けられており、往時の相当な難所ぶりが感じられよう。




追込坂
甘酒茶屋から畑宿に向けて追込坂を降ろう。


追込坂
坂上から右に曲がり神奈川県道732号に合流する。現在の県道ルート敷設により追込坂旧道の大部分は失われたようだ。


追込坂碑
追込坂旧道と県道の合流地点にある追込坂碑。


親鸞聖人碑
追込坂筋にある親鸞聖人碑。この辺りは笈ノ平(おいのだいら)と呼ばれ、東国の教化を終えて帰路についた親鸞上人が、当地で更なる東国の強化を図りたいと考え、二人の弟子に東国へ戻るよう諭した。子弟の悲しく辛い別れの場だったと伝わる。


猿滑坂上
猿滑坂上。旧道は失われており、神奈川県道732号横の斜面に歩道が設けられている。


猿滑坂
猿滑坂を階段で一気に降る。


猿滑坂
旧道は失われているが、往時の難所ぶりが感じられよう。


猿滑坂
猿すべり坂バス停。


猿滑坂下
猿すべり坂バス停から旧道にアクセスする階段。


猿滑坂下
階段を降りきったところに猿滑坂の解説板があり、この辺りが坂下と思われる。『新編相模国風土記稿』には「殊に危険、猿猴(猿類の総称)といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と書かれ、あまりの急斜面に猿すら滑って登れないほどの難所だったらしい。


猿滑坂下
猿滑坂下に架かる橋を渡って。


箱根旧街道 箱根町畑宿
江戸時代の歴史を感じる石畳が続き。


甘酒橋
そして甘酒橋を渡る。


甘酒橋北詰
甘酒橋北詰。元箱根まで約2.7km、畑宿まで約1.8kmの道標。


箱根旧街道 箱根町畑宿
名もなき橋を渡り。


箱根旧街道 箱根町畑宿
石畳の旧道は山中に延びる。


小田原市街の遠望
山間に小田原市街を遠望。


山根橋
石畳がいったん途切れて山根橋。


山根橋北詰
山根橋北詰から畑宿・小田原方面へ延びる石畳。


見晴橋
七曲がりの神奈川県道732号に合流する手前、見晴橋が架かる。


橿木坂
見晴橋からは橿木(かしのき)坂の下り。


橿木坂
旧道は失われており、現代の坂道は急勾配の階段に。


橿木坂
県道横に付けられた橿木坂の階段と歩道。


橿木坂
橿木坂の解説板。高く険しい崖に樫木があったことが坂名の由来で、東海道名所日記に「険しきこと道中一番の難所なり」と書かれていることを紹介している。現在の県道ルートは七曲がりになっており、この坂が相当きつかったことは想像に難くない。


橿木坂
七曲がりの県道横に付けられる石畳風の歩道。


橿木坂
橿の木坂バス停。


橿木坂
七曲がりの県道と石畳風の歩道。橿木坂がいかに難所だったかを感じられよう。


橿木坂
私の横をビュンビュンと車が下ってゆく。


橿木坂
急勾配の階段を下りて七曲がりをショートカット。


七曲がり標識
路傍には七曲がりの標識。


西海子坂
箱根旧街道の標柱。


西海子坂
県道から階段を降れば西海子坂の道標が路傍に。


西海子坂
西海子坂下から石畳は下へ延びる。


西海子坂
路傍には「石畳の構造」の解説板。


西海子の坂排水路
石畳を斜めに横切る排水路の遺構。


西海子坂
県道との交差地点に橋を架けて石畳を現状維持するという画期的な保存方法。


西海子坂
橋から畑宿へ向かって石畳は延びる。


西海子坂
歴史を感じさせる素晴らしい西海子坂の石畳。


西海子坂
坂を下りきったところから畑宿の町並み。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
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2013年1月13日(日)
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