道南いさりび鉄道 ~泉沢駅・釜谷駅・渡島当別駅~
木古内からサラキ岬へ向かうため、道南いさりび鉄道に乗車して泉沢駅で下車し、歩いてサラキ岬へ。咸臨丸が沈んだ津軽海峡を望んだ後、更に歩いて釜谷駅、渡島当別駅まで見て回った。以前から道南いさりび鉄道の各駅を訪ねてみたかったので、今回はその第1弾、木古内駅から札苅駅を次の機会にとばして渡島当別駅までを。
道南いさりび鉄道は平成28年(2016年)北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)の開通に伴い、在来線の函館~木古内間(江差線、津軽海峡線)がJR北海道から経営分離され、第三セクター鉄道として運営が開始された。かつては北海道と本州を結ぶ幹線鉄道として特急の”はつかり”や”白鳥”、”スーパー白鳥”をはじめ、寝台特急の”日本海”や”北斗星”などが走り抜けた鉄路。私は18歳で上京してから北海道との往来に何度ここを通過したことだろう。津軽海峡線には思い出が多いなあ。

まずは道南いさりび鉄道の終点、木古内駅から。10:40に木古内駅で”はやぶさ1号”を降車して撮影。

キハ40形を改装した”ながまれ号”が出発を待つ。
地域情報発信列車ながまれ号
https://www.shr-isaribi.jp/nagamare/

道南いさりび鉄道の駅舎内に設けられている”きこない鉄道コレクション”。

木古内駅北口(新幹線駅口)。箱館戦争に関わった旧幕府方主要人物の解説柱が所々に設けられている。写真は伊庭八郎のもの。3ヶ月前に旧街道歩きで訪れた小田原と箱根湯本の間、山崎という地で伊庭八郎の名を見たことを思い出す。戊辰戦争の局地戦、箱根山崎の戦いで伊庭八郎は旧幕府遊撃隊を率い、小田原藩を先鋒とする新政府軍に抗戦。この一戦で片腕を失い隻腕の剣客と呼ばれることになる。

木古内郷土資料館”いかりん館”の見学を終えて木古内駅に戻り。ホームでは15:19発函館行の列車が待つ。

4・5番ホームへ降りて。

これに乗車する。目的地はサラキ岬の最寄、泉沢駅。

「函館←→木古内」の行先プレート。

木古内駅の駅名標。

道南いさりび鉄道のキハ40形もいい顔をしてます。

発車まで20分くらいあったので、車内はガラガラ。

木古内駅から札苅駅を経て泉沢駅着。跨線通路より乗ってきた列車を見送り。

次の釜谷駅に向けて。

泉沢駅の2・3番乗降ホーム。駅の発車時刻表を見る限り、全ての函館行は3番ホームで発着する。1番が木古内行。2番は通常発着に使われていない。

泉沢駅構内。

駅舎内には切符売場があるが、窓口は閉じていた。日曜日以外は簡易委託で切符を販売しているらしい。記念に切符を買いたかったが、本日は日曜日…。

泉沢駅前通り。

泉沢駅の駅舎。泉沢駅は昭和5年(1930)上磯線(後の江差線)の有人一般駅として開業、昭和57年(1982)荷物扱い廃止とともに無人化されたが、国鉄からJR北海道へ経営が継承されて後に簡易委託の切符販売がはじまった。JRから分離して第三セクター鉄道となった現在も続けられている。

泉沢駅前の国道228号を函館方面へ向かって約700m、亀川を渡る手前に古泉神社の鳥居が立つ。

そして、前の記事に書いたサラキ岬。

サラキ岬を貨物列車が通過。

サラキ岬から国道を歩いて釜谷駅に。

釜谷駅の開業は泉沢駅と同じく昭和5年(1930)。それから40年後の同45年(1970)に貨物・荷物扱い廃止、無人駅となり切符販売が簡易委託化された。同61年(1986)現在のコンテナ駅舎に建て替えられる。

釜谷駅17:13発木古内行が発車。

次の泉沢駅に向けて。

元々は無人の待合所程度で設置されたのだろうが、現在の駅舎内は見ての通り明るい雰囲気。デスクを置いて”きっぷうりば”としているのが微笑ましい。泉沢駅と同じく日曜日はやってないのか、人はいない。

過去にはテレビに取り上げられたようで。

釜谷駅のホームを見ていたら、貨物列車が入線。

そして停車。10分くらいか、しばしホーム上に足止め。

釜谷駅前通り。ここから国道に出て次の渡島当別駅へ歩こう!

釜谷~渡島当別間、線路と海峡に挟まれて延びる国道228号。

そして日没直前に渡島当別駅へ。

渡島当別駅前。今もやってそうな商店が1軒ある。それだけでも嬉しくなってしまう。

トラピスト修道院の最寄り駅だけに駅舎内にはそんな雰囲気も。

駅舎内の待合室。泉沢駅や釜谷駅に比べて大きく立派な駅舎だが、切符売場は無いようだ。ただし、郵便局が併設されている。

渡島当別駅構内。

列車の到着を待っていたらすっかり日が暮れ。

19:21発函館行が間もなく到着。

渡島当別駅の整理券。

渡島当別駅から約40分で函館駅着。

旅して青森 恋して函館。

1年ぶりの函館。ホテルのチェックイン前にハセストへ”やきとり弁当”を買いに行こう!
撮影日:2019年8月4日(日)
道南いさりび鉄道は平成28年(2016年)北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)の開通に伴い、在来線の函館~木古内間(江差線、津軽海峡線)がJR北海道から経営分離され、第三セクター鉄道として運営が開始された。かつては北海道と本州を結ぶ幹線鉄道として特急の”はつかり”や”白鳥”、”スーパー白鳥”をはじめ、寝台特急の”日本海”や”北斗星”などが走り抜けた鉄路。私は18歳で上京してから北海道との往来に何度ここを通過したことだろう。津軽海峡線には思い出が多いなあ。

まずは道南いさりび鉄道の終点、木古内駅から。10:40に木古内駅で”はやぶさ1号”を降車して撮影。

キハ40形を改装した”ながまれ号”が出発を待つ。
地域情報発信列車ながまれ号
https://www.shr-isaribi.jp/nagamare/

道南いさりび鉄道の駅舎内に設けられている”きこない鉄道コレクション”。

木古内駅北口(新幹線駅口)。箱館戦争に関わった旧幕府方主要人物の解説柱が所々に設けられている。写真は伊庭八郎のもの。3ヶ月前に旧街道歩きで訪れた小田原と箱根湯本の間、山崎という地で伊庭八郎の名を見たことを思い出す。戊辰戦争の局地戦、箱根山崎の戦いで伊庭八郎は旧幕府遊撃隊を率い、小田原藩を先鋒とする新政府軍に抗戦。この一戦で片腕を失い隻腕の剣客と呼ばれることになる。

木古内郷土資料館”いかりん館”の見学を終えて木古内駅に戻り。ホームでは15:19発函館行の列車が待つ。

4・5番ホームへ降りて。

これに乗車する。目的地はサラキ岬の最寄、泉沢駅。

「函館←→木古内」の行先プレート。

木古内駅の駅名標。

道南いさりび鉄道のキハ40形もいい顔をしてます。

発車まで20分くらいあったので、車内はガラガラ。

木古内駅から札苅駅を経て泉沢駅着。跨線通路より乗ってきた列車を見送り。

次の釜谷駅に向けて。

泉沢駅の2・3番乗降ホーム。駅の発車時刻表を見る限り、全ての函館行は3番ホームで発着する。1番が木古内行。2番は通常発着に使われていない。

泉沢駅構内。

駅舎内には切符売場があるが、窓口は閉じていた。日曜日以外は簡易委託で切符を販売しているらしい。記念に切符を買いたかったが、本日は日曜日…。

泉沢駅前通り。

泉沢駅の駅舎。泉沢駅は昭和5年(1930)上磯線(後の江差線)の有人一般駅として開業、昭和57年(1982)荷物扱い廃止とともに無人化されたが、国鉄からJR北海道へ経営が継承されて後に簡易委託の切符販売がはじまった。JRから分離して第三セクター鉄道となった現在も続けられている。

泉沢駅前の国道228号を函館方面へ向かって約700m、亀川を渡る手前に古泉神社の鳥居が立つ。

そして、前の記事に書いたサラキ岬。

サラキ岬を貨物列車が通過。

サラキ岬から国道を歩いて釜谷駅に。

釜谷駅の開業は泉沢駅と同じく昭和5年(1930)。それから40年後の同45年(1970)に貨物・荷物扱い廃止、無人駅となり切符販売が簡易委託化された。同61年(1986)現在のコンテナ駅舎に建て替えられる。

釜谷駅17:13発木古内行が発車。

次の泉沢駅に向けて。

元々は無人の待合所程度で設置されたのだろうが、現在の駅舎内は見ての通り明るい雰囲気。デスクを置いて”きっぷうりば”としているのが微笑ましい。泉沢駅と同じく日曜日はやってないのか、人はいない。

過去にはテレビに取り上げられたようで。

釜谷駅のホームを見ていたら、貨物列車が入線。

そして停車。10分くらいか、しばしホーム上に足止め。

釜谷駅前通り。ここから国道に出て次の渡島当別駅へ歩こう!

釜谷~渡島当別間、線路と海峡に挟まれて延びる国道228号。

そして日没直前に渡島当別駅へ。

渡島当別駅前。今もやってそうな商店が1軒ある。それだけでも嬉しくなってしまう。

トラピスト修道院の最寄り駅だけに駅舎内にはそんな雰囲気も。

駅舎内の待合室。泉沢駅や釜谷駅に比べて大きく立派な駅舎だが、切符売場は無いようだ。ただし、郵便局が併設されている。

渡島当別駅構内。

列車の到着を待っていたらすっかり日が暮れ。

19:21発函館行が間もなく到着。

渡島当別駅の整理券。

渡島当別駅から約40分で函館駅着。

旅して青森 恋して函館。

1年ぶりの函館。ホテルのチェックイン前にハセストへ”やきとり弁当”を買いに行こう!
撮影日:2019年8月4日(日)

スポンサーサイト