いざ上州路、上野国へ

武蔵国に別れを告げ、神流川を渡り上野国こと群馬県へ突入。ここからは上州路だ。

神流川は今でこそ神流川橋で渡河できるが、橋ができる以前は仮土橋が架けられ、増水時には渡し船により対岸へ渡っていた。渡し場の両岸には目印として見通し灯籠と呼ばれる常夜燈が置かれていたが、本庄側にあった灯籠は近くの大光寺に移されている。現在、神流川橋の両端にはこの灯篭を模した常夜燈が設置されている。

群馬県高崎市に入るとすぐ左手には神流川古戦場跡の碑。この辺りは織田信長が本能寺の変で討死した直後の天正10年(1582年)に、織田方の滝川一益と北条氏直が争った神流川の戦いの戦場跡だ。北条軍5万に対し滝川軍1万6千は暑い夏のさなか、ここを舞台に激戦を繰り広げ、滝川軍は3760名もの戦死者を出し敗走した。
古戦場跡から国道17号を250m程進むと旧中山道は右斜めに分かれる。分岐点には中山道新町宿の標柱と常夜燈が置かれている。ここから先が上州路最初の宿場、新町宿だ。
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