湧網線 大曲仮乗降場跡
かつて網走から能取湖やサロマ湖の沿岸を通って名寄本線の中湧別まで繋いだ湧網線(路線距離89.8km)。路線名は起終点がある地名(網走、湧別)の頭文字を取って付けられた。昭和10年(1935)に中湧別~計呂地間(16.5km、湧網西線)、網走~卯原内間(13.2km、湧網東線)が開業したことを皮切りに、18年の歳月をかけて延伸工事が進められ、同28年(1953)最後に中佐呂間(後に佐呂間駅に改称)~下佐呂間(後に浜佐呂間駅に改称)間が繋がって全通、路線名が湧網線に改称された。昭和40年代から利用客の減少が顕著となり、同59年(1984)特定地方交通線の第2次廃止対象路線として承認され、同62年(1987)全線が廃止、52年にわたる歴史に幕を閉じた。
湧網線終点の網走から1.9km、ひと駅目にあったのが大曲仮乗降場で、網走刑務所の近く網走市大曲1丁目に所在していた。駅名になっている大曲という地名は、網走川が当地でU字状に大きく曲がっていることに由来している。湧網線が全通して2年後の昭和30年(1955)に開業、同62年(1987)湧網線の全線廃止に伴い廃駅。1面1線の単式ホームを設けるだけの無人駅だった。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、大曲仮乗降場周辺の空中写真。石北本線と湧網線が合流する少し手前、湧網線北側に単式ホームが確認できる。網走川の北側一帯が網走刑務所。

網走駅から国道39号を歩いて大曲仮乗降場跡に向かう途中、沿道にあった網走ヤングボウル。そういや、久しくボウリングやってないなあ…。

空を見上げたら。

国道39号を更に進んで網走刑務所近くの沿道にはオホーツクバザール。

オホーツクバザールにあった網走刑務所の解説板。

そしてここが湧網線の大曲仮乗降所跡。写真手前から奥が網走方面の路盤跡で、左手「売物件」の看板が立っているところに単式ホームが設けられていた。

大曲仮乗降所跡から中湧別方面。

大曲仮乗降所跡から国道39号に続く旧駅前通り。

次の二見ヶ岡方面へ湧網線跡を辿ってみる。ここは湧網線と国道39号が交差していた場所で、写真は二見ヶ岡・中湧別方面の路盤跡を望んでいる。かつては国道の跨線橋が架かっていたが、今はその交差地点は平面に改変され、山下通線の跨道橋が交差している。

ローソン 網走大曲店辺りは山田製軸所跡。明治24年(1891)にマッチの軸木製造工場として創業、集治監網走分監の受刑者を使役した。明治38年(1905)閉鎖。

涌網線(大曲~二見ヶ岡間、中湧別方面)跡。

涌網線(大曲~二見ヶ岡間、中湧別方面)跡。

涌網線(大曲~二見ヶ岡間、中湧別方面)跡。イエローハットがある辺りから右方向へ緩やかに曲がっていた。

網走川橋東詰、大曲駐輪場内にある湧網線跡碑。

網走常呂自転車道線の地図。ここからサロマ湖畔まで湧網線の廃線跡を利用して自転車専用道路が整備されている。

人間道路会議賞大賞受賞記念碑。平成8年に受賞したそうです。

大曲駐輪場より大曲・網走方面の路盤跡。

大曲駐輪場より二見ヶ岡・中湧別方面の路盤跡。少し先に網走川を渡る網走川橋が見える。

網走川に架かる網走川橋。銘板には平成7年3月完成とあるが、元々は湧網線の網走川橋梁で、自転車道路の整備に伴って再生された。

鉄道橋時代の面影を残す網走川橋。

鉄道橋時代の名残り。

網走川橋より大曲・網走方面の路盤跡。

網走川橋より二見ヶ岡・中湧別方面の路盤跡。

網走川橋より二見ヶ岡・中湧別方面へ少し行ったところに架かる三眺跨道橋。

三眺跨道橋は平成6年2月竣工。こちらも鉄道橋を再利用したものだろう。

三眺跨道橋より網走川の大曲がりを望む。
ここで湧網線廃線跡を辿るのを終わりに。網走駅へ引き返そう。

網走川沿岸にレンガの長塀が続く網走刑務所。

網走川向こうの網走刑務所へ連絡する鏡橋。ここを渡る人たちが川面を鏡にして我が身を見つめ、自らの襟を正して対岸へ渡るようにとの思いから、鏡橋という名が付けられたという。

鏡橋より網走川下流を望み。

網走川と鏡橋。

すっかり日が暮れた網走駅に戻って。

夜の静かな駅舎内。

本日の宿泊先はドーミーイン網走。

網走駅の駅弁屋で購入した”タラバちらし”を晩飯に。

イクラやタラバのほぐし身がふんだんに盛られた”タラバちらし”。何て贅沢なお弁当でしょう♪
訪問日:2020年8月4日(火)
湧網線終点の網走から1.9km、ひと駅目にあったのが大曲仮乗降場で、網走刑務所の近く網走市大曲1丁目に所在していた。駅名になっている大曲という地名は、網走川が当地でU字状に大きく曲がっていることに由来している。湧網線が全通して2年後の昭和30年(1955)に開業、同62年(1987)湧網線の全線廃止に伴い廃駅。1面1線の単式ホームを設けるだけの無人駅だった。

空中写真データ:国土地理院 地理院地図(電子国土Web)にて作成
昭和52年(1977年)撮影、大曲仮乗降場周辺の空中写真。石北本線と湧網線が合流する少し手前、湧網線北側に単式ホームが確認できる。網走川の北側一帯が網走刑務所。

網走駅から国道39号を歩いて大曲仮乗降場跡に向かう途中、沿道にあった網走ヤングボウル。そういや、久しくボウリングやってないなあ…。

空を見上げたら。

国道39号を更に進んで網走刑務所近くの沿道にはオホーツクバザール。

オホーツクバザールにあった網走刑務所の解説板。

そしてここが湧網線の大曲仮乗降所跡。写真手前から奥が網走方面の路盤跡で、左手「売物件」の看板が立っているところに単式ホームが設けられていた。

大曲仮乗降所跡から中湧別方面。

大曲仮乗降所跡から国道39号に続く旧駅前通り。

次の二見ヶ岡方面へ湧網線跡を辿ってみる。ここは湧網線と国道39号が交差していた場所で、写真は二見ヶ岡・中湧別方面の路盤跡を望んでいる。かつては国道の跨線橋が架かっていたが、今はその交差地点は平面に改変され、山下通線の跨道橋が交差している。

ローソン 網走大曲店辺りは山田製軸所跡。明治24年(1891)にマッチの軸木製造工場として創業、集治監網走分監の受刑者を使役した。明治38年(1905)閉鎖。

涌網線(大曲~二見ヶ岡間、中湧別方面)跡。

涌網線(大曲~二見ヶ岡間、中湧別方面)跡。

涌網線(大曲~二見ヶ岡間、中湧別方面)跡。イエローハットがある辺りから右方向へ緩やかに曲がっていた。

網走川橋東詰、大曲駐輪場内にある湧網線跡碑。

網走常呂自転車道線の地図。ここからサロマ湖畔まで湧網線の廃線跡を利用して自転車専用道路が整備されている。

人間道路会議賞大賞受賞記念碑。平成8年に受賞したそうです。

大曲駐輪場より大曲・網走方面の路盤跡。

大曲駐輪場より二見ヶ岡・中湧別方面の路盤跡。少し先に網走川を渡る網走川橋が見える。

網走川に架かる網走川橋。銘板には平成7年3月完成とあるが、元々は湧網線の網走川橋梁で、自転車道路の整備に伴って再生された。

鉄道橋時代の面影を残す網走川橋。

鉄道橋時代の名残り。

網走川橋より大曲・網走方面の路盤跡。

網走川橋より二見ヶ岡・中湧別方面の路盤跡。

網走川橋より二見ヶ岡・中湧別方面へ少し行ったところに架かる三眺跨道橋。

三眺跨道橋は平成6年2月竣工。こちらも鉄道橋を再利用したものだろう。

三眺跨道橋より網走川の大曲がりを望む。
ここで湧網線廃線跡を辿るのを終わりに。網走駅へ引き返そう。

網走川沿岸にレンガの長塀が続く網走刑務所。

網走川向こうの網走刑務所へ連絡する鏡橋。ここを渡る人たちが川面を鏡にして我が身を見つめ、自らの襟を正して対岸へ渡るようにとの思いから、鏡橋という名が付けられたという。

鏡橋より網走川下流を望み。

網走川と鏡橋。

すっかり日が暮れた網走駅に戻って。

夜の静かな駅舎内。

本日の宿泊先はドーミーイン網走。

網走駅の駅弁屋で購入した”タラバちらし”を晩飯に。

イクラやタラバのほぐし身がふんだんに盛られた”タラバちらし”。何て贅沢なお弁当でしょう♪
訪問日:2020年8月4日(火)

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