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SLキマロキ編成排雪列車 ~かつて豪雪地帯の鉄路を守った除雪車~

名寄駅から名寄本線の廃線跡を約800m行ったことろ、旧名寄本線の線路上に”SLキマロキ編成排雪列車”が静態展示されている。キマロキ編成とは機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車の順に連結し、それぞれの頭文字を取って名付けられた。北海道内陸部などの豪雪地帯では線路両側に高い雪壁ができ通常のラッセル車では対応できず、キマロキ編成が線路の除雪に出動した。昭和50年(1975)12月に国鉄の蒸気機関車(SL)は全て運行を終了し、同51年(1976)キマロキ編成排雪列車が国鉄から名寄市へ無償貸与された。平成22年(2010)JR北海道が準鉄道記念物に指定。




名寄本線跡(名寄~中名寄)
公園通り跨線橋より旭川方面。右が宗谷本線で左が旧名寄本線。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
名寄本線は平成元年(1989)に廃止され線路が途絶えている。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
北国博物館前、残された名寄本線のレール上に”SLキマロキ編成排雪列車”を静態展示する。


SL排雪列車キマロキ編成
SLキマロキ編成排雪列車。


SL排雪列車キマロキ編成
まずは解説板を読んで事前学習。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
解説板付近より中名寄方面。路盤跡は舗装されて遊歩道になっている。


SL排雪列車キマロキ編成
先頭車両は9600型蒸気機関車。


SL排雪列車キマロキ編成
9600型蒸気機関車の運転台。


SL排雪列車キマロキ編成
運転台の裏に石炭庫。SLを走らせるには大量の石炭と水が必要だった。


SL排雪列車キマロキ編成
2両目のマックレー車(かき寄せ式雪かき車)。


SL排雪列車キマロキ編成
マックレー車で掻き集めた線路両側の雪を、後ろのロータリー車が遠くへ吹き飛ばす仕組み。


SL排雪列車キマロキ編成
近くで見ると圧倒されるロータリー車の回転羽根。


SL排雪列車キマロキ編成
3両目のロータリー車(回転式雪かき車)。


SL排雪列車キマロキ編成
ロータリー車の機関室。


SL排雪列車キマロキ編成
後方の機関室。蒸気機関であの大きな羽根を回転させていた。


SL排雪列車キマロキ編成
4両目のD51型蒸気機関車。”デゴイチ”の愛称で親しまれた最も有名なSL。牽引する9600型だけでは力が足りなかったのだろう、後押しするために連結された。


SL排雪列車キマロキ編成
D51型蒸気機関車の運転台。


SL排雪列車キマロキ編成
石炭をくべる焚口戸を中心に様々な計器や配管、ハンドルを設ける。これを操作してSLを走らせた当時の運転士は凄いなと、改めて思う。


SL排雪列車キマロキ編成
最後尾に連結された車掌車(緩急車)。


SL排雪列車キマロキ編成
どういった経緯なのか、深名線・天塩弥生駅の駅名標が設置されている。


名寄本線跡(名寄~中名寄)
名寄方面の名寄本線跡。信号機だけが取り残されたような状態だが、これが名寄本線の残存物なのかは不明。


SL排雪列車キマロキ編成
わずかな距離だが名寄本線の鉄路が残されてよかった。


勾配標識
勾配標識。ここから先の勾配を表しており、この標識だと1km行けば16.2m下るという意味。


SL排雪列車キマロキ編成
距離標識とキマロキ。


距離標識
距離標識。ここに記される数字は名寄本線終点の遠軽駅からの距離で、この地点が137.3km地点であることを示す。


勾配標識
1km先が水平であれば”L”を表記。


SL排雪列車キマロキ編成26
かつて冬場にここを走り抜け活躍したキマロキ。先へ延びていた名寄本線は消え失せ、今は引退後の余生をのんびりと過ごしている。


北国博物館
キマロキの見学を終えて北国博物館を訪ねてみることに。


北国博物館
小学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた昭和後半の家。


北国博物館
大関名寄岩に関する展示。


北国博物館
幾度ものケガや病気から不屈の精神で復活してきた名寄岩。名寄出身のこんな力士がいたことを知らなかった私にとって、いい勉強の場になりました。


北国博物館12
宗谷本線・北星駅の駅名標ときっぷ運賃表を展示していた。北星駅は昨年(2021)3月のダイヤ改正に伴い廃止。


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中名寄駅跡(名寄本線) ~仮乗降場から有人駅に昇格した駅~

平成元年(1989)名寄本線の廃止と共に駅の役目を終えた中名寄駅。名寄本線起点の名寄駅から5.8km地点の一駅目にあたり、名寄市字朝日に所在した。無人化後に改築されたプレハブ駅舎を今も残す。周辺一帯は北側に名寄川が流れる農村地帯で、駅近くに現役の中名寄小学校がある。

中名寄駅は大正8年(1919)名寄線(後の名寄本線)名寄駅~下川駅間が開通してから28年後の昭和22年(1947)、名寄駅と上名寄駅の間に中名寄仮乗降場として開業。仮乗降場名の由来は駅名に”名寄”を持つ両隣の駅の中間にあったから。3年後の同25年(1950)駅に昇格し荷物取扱い開始、エビデンスが無いがこの頃に有人駅となり木造駅舎が設けられたと思われる。同38年(1963)業務委託化、同53年(1978)荷物取扱いが廃止され再び無人駅に。それから間もなく後に有人駅時代の木造駅舎を解体しプレハブ駅舎に建て替えられた。




空中写真_中名寄駅_CHO7712-C13B-10_1977(昭52)_
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7712-C13B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、中名寄駅周辺の空中写真。有人駅時代の駅舎と単式ホームが見える。駅前は木々に囲まれている感じ。


中名寄駅跡
国道239号から駅前通りと旧中名寄駅跡。


中名寄駅跡
廃止から33年経っても駅舎を残す中名寄駅。


中名寄駅跡
昭和53年(1978)無人駅となって後に建て替えられた駅舎。プレハブながら立派な駅舎である。


中名寄駅跡
構内側より駅舎。


中名寄駅跡
駅舎より名寄方面。廃止前は駅舎から名寄側に1面1線の単式ホームが設けられていた。


中名寄駅跡
駅舎より上名寄・下川方面。路盤は水田になって消え失せている。


中名寄駅跡前
駅舎より駅前通り。


中名寄駅跡前
駅前には何もなく、駅舎から駅前通りを50m程行けば国道239号に接続する。


中名寄駅跡
駅舎出入口にはしっかりと駅名表記を残す。


中名寄駅跡
駅前側出入口。


中名寄駅跡
廃止当時の状態を残す駅舎内。


中名寄駅跡
ベンチもばっちり残っている。


中名寄駅跡
ホーム側出入口。


中名寄駅跡
名寄本線関連の立て看板やポスター。


中名寄駅跡
おそらく駅ノートが置かれていたのだろうが今は無い。


中名寄駅跡
壁面に天北線・深名線・興浜北線の基準運転図表。


中名寄駅跡
現役時代の中名寄駅写真。


中名寄駅跡
駅舎左横に自転車置き場らしき小屋がある。


中名寄駅跡
駅舎内よりホーム跡を望む。


中名寄5線停留所
中名寄駅近くにある中名寄5線停留所。現在は名士バスが中名寄の公共交通を担う。


中名寄5線停留所
名寄行は1日に14本のバスが発着。意外と交通の便はよい。


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上名寄駅跡・矢文駅跡・岐阜橋駅跡(名寄本線) ~2023夏~



名寄本線起点の名寄駅から2駅目にあった上名寄駅。一つ手前の中名寄駅は名寄市に所在したが、当駅は上川郡下川町に所在した。下川町西部に位置する上名寄地区は中央を名寄川が横断して流れ沖積平野を形成、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「下川町」によれば、「1901年(明治34年)岐阜県郡上郡高鷲村および北濃村(いずれも現郡上市)から25戸の開拓団が名寄原野16線~19線に集団移住する(開拓元年)。」とあり、下川町で最も早く開拓が始まった地域である。

上名寄地区には12線に上名寄駅、16線に矢文駅、19線に岐阜橋駅の3駅があり、中でも大正8年(1919)名寄線名寄~下川間開通に伴い上名寄駅が開業したことで、鉄道輸送による木材搬出が盛んとなり駅周辺に市街を形成、木工場や澱粉工場などが建設され賑わいをみせた。斜陽の時代を迎えて昭和35年(1960)貨物取扱い廃止、同53年(1978)荷物取扱い廃止に併せて旅客取扱いが廃止され無人駅となり、平成元年(1989)名寄本線の全線廃止に伴い廃駅となる。

空中写真_下川_USA-R327-LR-26_1948(昭23)02
空中写真データ:国土地理院 整理番号下川_USA-R327-LR-26_を基に作成
昭和23年(1948)撮影、上名寄駅周辺の空中写真。駅の裏手と西側に広大な敷地を持った土場が見え、木材が山積みになっているのだろう。駅舎から国道に向かって駅前通りが延び、国道沿い南側には家が建ち並び市街が形成されている。


空中写真_名寄_CHO7712-C14-30_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号名寄_CHO7712-C14-30_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、上名寄駅周辺の空中写真。無人駅になる1年前に撮影されたもの。千鳥式に配された相対式ホームと駅舎が見えるが、かつて駅裏手と西側にあった土場は消え失せている。市街東側の国道は新道に付替えられているが、わずかに旧道の路盤が確認できる。


中線跨線橋01
名寄本線(中名寄~上名寄)跡より上名寄方面、中線跨線橋を望む。


中線跨線橋02
中名寄駅と上名寄駅の中間地点に位置する中線跨線橋。上を跨ぐのは国道239号。


中線跨線橋03
中線跨線橋下より中名寄方面。


中線跨線橋04
中線跨線橋下より上名寄方面。


上名寄駅跡01
駅跡前の国道沿いにある上名寄12線バス停留所。


上名寄駅跡02
上名寄駅跡を示す駅名標のレプリカ。


上名寄駅跡03
裏面には沿革が記される。訪れた人にとってこういった配慮は有難い。


上名寄駅跡09
駅跡前、バス停留所の裏手には新しい下川町新規就農促進住宅。農業後継者の定住を目的として平成29年度に建てられた。


上名寄駅跡13
上名寄12線バス停留所と下川町新規就農促進住宅。


上名寄駅跡05
停留所待合室内。


上名寄駅跡06
ベンチにはお洒落な市松模様のマットが敷かれていた。


上名寄駅跡04
駅跡前より国道239号下川方面。店は無いが自販機を置く建物があり、奥左手に上名寄郵便局がある。


上名寄駅跡07
駅跡前より国道239号名寄方面。かつての賑わいを想像するには難しい現況。


上名寄駅跡12
停留所裏手。駅跡や駅前通りは野っ原と化し遺構は何も残っていない。


上名寄駅跡11
駅跡より下川方面。


上名寄駅跡10
駅跡より名寄方面。かつて広大な敷地を有した土場は見る影もない。


大正8年(1919)名寄~下川間が開通してから37年後、昭和31年(1956)16線に矢文仮乗降場が設けられ、同34年(1959)駅に昇格。単式ホーム1面1線を有するだけの無人駅だった。駅から約600m(徒歩8分)の場所に上名寄小学校(2003年廃校)があった。

空中写真_名寄_CHO7712-C14-32_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号名寄_CHO7712-C14-30_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、矢文駅周辺の空中写真。16線道路の踏切から名寄方に向いて線路右側に単式ホームを設けていた。待合所は無い。


矢文駅跡03
国道より南へ延びる16線道路。かつては右手奥の畑になっている辺りにホームが見えていたはず。


矢文駅跡01
16線道路の踏切跡より名寄方面。路盤跡は農道と化し右側にあったはずの駅は農地となり跡形もない。


矢文駅跡02
踏切跡より下川方面。


矢文駅跡04
踏切跡より16線道路国道方面。


上名寄神社
16線道路の南端にある上名寄神社。立入禁止となっていて社殿を見ることができず。もうここには神様が鎮座されていないのだろうか。


昭和31年(1956)矢文駅と共に開業した岐阜橋駅。仮乗降場として19線に設けられ、同34年(1959)駅に昇格。駅名の由来は19線道路の名寄川に架けられた岐阜橋にある。この橋名は明治期に入植した岐阜の開拓団が名付けたものといい、現在の永久橋に引き継がれている。

空中写真_名寄_CHO7712-C15-33_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号名寄_CHO7712-C15-33_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、岐阜橋駅周辺の空中写真。19線道路の踏切から下川方に向いて線路左側に単式ホームを設けていた。ホーム入口付近に待合所がみえる。


19線道路
19線道路南端より北方に延びる同道路。途中の道路右脇に岐阜橋駅、約1.0km先に名寄川が流れ岐阜橋が架かる。


岐阜橋駅跡01
19線道路の踏切跡より下川方面。倉庫手前辺りが岐阜橋駅跡。ホームや待合所は跡形なく消失している。


岐阜橋駅跡02
岐阜橋駅跡付近より名寄方面の路盤跡。


岐阜橋駅跡03
国道付近より19線道路。かつては左手に岐阜橋駅が見えていたはずだ。


訪問日:2023年8月15日(火)
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下川駅跡(名寄本線) ~2023夏~



スキージャンプ界のレジェンド葛西紀明を生んだ町、下川。町内のスキー場には幾多の名選手を輩出してきたジャンプ台が設置される。現在は人口約3千人の小さな町であるが、大正15年(1926)珊瑠鉱山が操業を開始し金や銀を産出、昭和16年(1941)には下川鉱山が操業を開始して銅・亜鉛を産出し、林業の発展も相まって同35年(1960)には1万5千人を超える人口を有していた。しかし栄華は長く続かない。昭和58年(1983)下川鉱山が休山、同61年(1986) 珊瑠鉱山が休山して人口が激減、更には平成元年(1989)交通インフラの要だった名寄本線が廃止され、過疎化が進む。

下川駅は大正8年(1919)名寄線名寄~下川駅間開通に伴い終着の一般駅として開業、翌年(1920)に上興部まで延伸開通しその中間駅となった。昭和9年(1934)珊瑠森林鉄道(1956年廃止)が開業、同17年(1942)中名寄森林鉄道(1959年廃止)が開業して木材集散地として駅は賑わいをみせ、町と共に駅も全盛を迎える。しかし1960年代から始まったモータリゼーションの進展と過疎化の進行から利用者は減少の一途を辿り、昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同62年(1987)荷物取扱い廃止、平成元年(1989)ついには名寄本線が全線廃止という運命を辿る。

空中写真_下川_USA-R327-45_1948(昭23)04
空中写真データ:国土地理院 整理番号下川_USA-R327-45_を基に作成
昭和23年(1948)撮影、下川駅周辺の空中写真。駅北側と南側に広大な土場があり山積みの木材で埋め尽くされている。北側土場には珊瑠森林鉄道、南側土場には中名寄森林鉄道を引き込んで盛んに木材が集めれられ、下川駅から鉄道輸送により搬出していた。

空中写真_名寄_CHO7712-C15-36_1977(昭52)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号名寄_CHO7712-C15-36_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、下川駅周辺の空中写真。森林鉄道が廃止されて20年近く経ち、広大な敷地を持っていた土場は一部が宅地化され、保管される木材もかなり減っている。木材需要が減り鉄道輸送も下火となっていることをうかがう。


下川駅跡01
ここが下川駅跡。かつては写真中央の交差点手前辺りに駅舎を構えていた。


鉄道記念碑
駅跡前、平成5年(1993)下川町により建立された鉄道記念碑。名寄本線の沿革を刻む。


まちおこしセンター「コモレビ」
駅跡前にある”まちおこしセンター「コモレビ」”。


下川駅跡04
駅跡より南側、下川町スキー場へ延びる道路。かつての土場は完全に消え失せている。


下川駅跡02
駅跡より興部方面。線路跡はふるさと道路に整備された。


下川駅跡03
駅跡より名寄方面。


にぎわいの広場01
駅跡より少し名寄側、にぎわいの広場に静態保存されるキハ22形気動車2両。


にぎわいの広場03
ここに保存される2両は昭和40年(1965)製造、北海道内を駆け巡り名寄本線の廃止と共に廃車となった。


にぎわいの広場04
下川行の行先プレート。


にぎわいの広場05
下川の短く暑い夏空の下、朱色の車体が映える。


にぎわいの広場06
今にも下川駅へ入線していきそうな光景だ。


にぎわいの広場07
ひと気が無く少々寂しい”にぎわいの広場”。


にぎわいの広場08
”にぎわいの広場”より下川町スキー場のジャンプ台。シーズンになれば未来のオリンピック選手が練習に励むのだろう。


下川町バスターミナル
駅跡前にある下川町バスターミナル合同センター。


下川町バスターミナル02
下川町バスターミナル合同センターに設けられる鉄道記念ホール。


下川町バスターミナル03
鉄道記念ホールでは下川駅をはじめ名寄本線に関連する資料を展示する。以下、展示写真をピックアップして紹介。


下川駅_下川バスターミナル_01
下川駅廃止年の平成元年(1989)に撮影、駅員のみなさん。


下川駅_下川バスターミナル_02
昭和55年(1980)撮影の下川駅。


下川駅_下川バスターミナル_03
薄く雪化粧された夕暮れ時の下川駅。初雪が長く寒い冬の到来を告げる中、降車客が足早に構内踏切を渡る。自分の部屋に飾りたいぐらいにすごく素敵な写真だ。


下川駅裏土場風景_S40年_鉄道記念ホール
昭和40年(1965)撮影、下川駅裏の土場。木材が山積みされる往時の貴重な写真。


下川町バスターミナル04
漫才師”おぼんこぼん”のサイン色紙。平成9年(1997)下川に訪れたらしい。「水曜日のダウンタウン」で仲直り企画をずっと見てきただけに、思わず目が留まってしまった。


下川町バスターミナル05
定期券や切符の展示。名寄本線を使い下川から名寄へ通っていた高校生は結構いたのだろうな。


下川町バスターミナル06
これからも忘れません!名寄本線。


下川町バスターミナル07
上名寄跨線橋のプレート。上名寄跨線橋は上名寄~矢文間の中間、国道239号と名寄本線の交差点に架けられていた。国道の整備により跨線橋が撤去され、取り外したプレートを展示している。


下川町バスターミナル08
下川駅に代わり今はここがまちの玄関口である。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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