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上州の山々と浅間山の大パノラマ!

見晴台から眺める上州の山々

浅間山



【第13日目】4月29日(日) 軽井沢宿→沓掛宿→追分宿



今日はいつもより早起きし上野駅から長野新幹線に乗車。10時前、軽井沢駅に到着する。軽井沢の天気は晴れ、気温は少々肌寒い10℃。信州長野県、ひんやりした空気はさすがにおいしい。駅前で思いっきり深呼吸をして、軽井沢宿へ向かい再び碓氷峠を登る。軽井沢宿から旧中山道の最短距離を行けば、徒歩でも30分程度で登れる。
あづまやの力餅
まずは「あづまや」で念願の峠名物・力餅を味わい、見晴台へ向かう。見晴台からは上州の山々や浅間山のパノラマが広がり、彼方には蓼科山の冠雪した頂も望める。次に控えた難所、和田峠があの山の向こうかと思うと、何だか身震いがしてきた。
ホント一日ここにいても飽きないほどのすばらしい眺めである。できれば夕暮れも見てみたいほどだ。しかしその割には意外に観光客は少ない。軽井沢にお越しの際は、是非とも遊歩道で旧碓氷峠に登ってください。1時間もかからないで、マイナスイオンをたっぷり吸収できた上に、こんな絶景を見ることができるのですから。ショッピングやテニス、ゴルフだけではもったいないですよ。
タゴール記念像
「神は名もない野の草に、何億年もかけて、一つの花を咲かせ給う」
「大地一面の微笑みを咲かせるのは、天地の涙あればこそだ」
アジアで初めてノーベル文学賞を受けたインドの詩人タゴールが軽井沢を訪れたのは、大正5年(1916年)夏のことである。軍国主義に傾く日本を強く危惧し、講演では再三警告したという。そんなタゴールも軽井沢を愛した一人だ。
聖沢を渡る旧中山道、左上のガードレールが車道
旧中山道の険しい道を再び降りる。遊歩道が合流する所で右の道に入り、前回断念した聖沢を渡る旧道を辿ることにする。斜面を聖沢へ降りていくと、沢を渡るところに石が敷き詰められ、ここが渡河地点であることを僅かに示す。ここから上の車道に向けて再び斜面を上がっていくのであるが、道は藪の中に消失しかかりわかりにくい。車道と合流する地点に中山道の道標が置かれているが、これに気付く人は少ないであろう。

別荘が点在する車道を下っていき、二手橋を渡って軽井沢宿に入る。さすがはゴールデンウィーク、今日は観光客でごった返している。
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ジャンル : 旅行

軽井沢宿

お洒落な店舗が並び、人であふれる軽井沢宿

浅間山の麓に位置する軽井沢宿は江戸日本橋から18番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口451人、家数119軒、本陣1、脇本陣4、旅籠21軒。沓掛宿、追分宿とともに浅間根腰の三宿と並び称され、碓氷峠を控えた旅人で賑わった。最盛期には100軒近くの旅籠があり、多くの飯盛女が働いていたという。
アレキサンダー・クロフト・ショウ像
しかし明治12年(1879年)碓氷新国道(現国道18号)が開通すると軽井沢宿は衰退の一途を辿るのであるが、同19年(1886年)英国人宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショウが布教の途上に軽井沢を訪れたことが状況を好転させる。美しい自然と清涼な気候が故国スコットランドに似ていることから、夏には家族を伴って避暑に訪れるようになり、2年後には簡素な別荘まで建てた。そして軽井沢の素晴らしさを内外に紹介すると、外国人をはじめ多くの人々が訪れるようになり、別荘地軽井沢の形がつくられることになった。

現在の軽井沢宿は旧軽井沢銀座と称して、休日には多くの人が足を運ぶ観光地となった。その一方、宿場時代の面影は急速に失われてしまい、今では当時茶屋を営んでいた「つるや旅館」の名に、面影を留めているにすぎない。

軽井沢宿の西はずれのロータリーは枡形の跡。ここにある土産物屋で信州地区限定の信州あんずコロンと野沢菜茶づけを買う。やはり限定物には・・・
店を出て宿場を後にするところで、背後から突然声をかけられる。
「しまむーさんですか?」
「あ、そうですが。」
ブログにコメントを頂いていたhiroさんでした。しかしよくぞ見つけてくれました。この場を借りて御礼申し上げます。これも何かの縁、これからも応援よろしくお願いします。

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離山麓の別荘地を歩きながら

雨宮池と浅間山

別荘が点在する落葉松の並木道をしばらく進むと、右手に離山が見えてくる。和宮様が降嫁の折、その名を嫌って兜山や子持山とも変えられたというが・・・今も残る名前はやはり離山。真相はよくわからない。
軽井沢町歴史民俗資料館
離山交差点で国道18号に合流し、すぐ先の軽井沢町歴史民俗資料館に立ち寄る。民家の生活を再現している囲炉裏コーナーだけは撮影OKとのことなので、写真を撮らさせていただく。ここでは浅間三宿の歴史や暮らし、交通史、別荘の沿革、浅間山についての展示がされている。
市村記念館
同敷地内には市村記念館があり、この建物は大正15年(1926年)元首相の近衛文麿が第一号別荘として購入した一棟を、昭和7年(1932年)に市村今朝蔵・きよじ夫妻が譲り受け南原に移築したもの。市村夫妻の南原開発の活動拠点や学究の場となった。夫妻没後の平成9年(1997年)市村家より軽井沢町に寄贈され、現在地である雨宮池のほとりに移築復元され今日に至っている。

旧中山道は資料館前で国道18号としなの鉄道の鉄路に遮られる。国道を少し先に進み、軽井沢中学校前信号で踏切を渡ると、再び旧道の道筋を辿ることができる。そして前沢橋に至るのだが、ここから先の旧中山道の道筋は失われているので、ここは前沢橋で湯川を渡り、線路の下を潜って沓掛宿の町並みへと入っていく。

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沓掛宿

離山と沓掛宿の町並み

現在、沓掛という地名を聞いてもピンとくる人はそういないであろう。現在の国道18号に沿って町並みが続いていた沓掛宿であるが、宿場の面影は軽井沢宿と同様にほとんど失われ、それどころか沓掛駅が昭和31年(1956年)に中軽井沢駅と改称されると、面影どころか沓掛の名すら見出すことは難しくなった。
沓掛宿脇本陣跡
中軽井沢と呼ばれる現在の沓掛の町は、軽井沢のような賑わいはなく人影もまばらであるが、景勝地、鬼押出し園の玄関口であり、車の交通量だけは非常に多い。鬼押出しは天明3年(1783年)の浅間山噴火によってできた溶岩の海原で、火口で鬼が暴れ岩を押し出したという、当時の人々の恐れがこの名をつけた由縁だ。

宿場の名残を探しながら歩くのであるが、脇本陣が置かれていた旅館桝屋本店の玄関に「脇御本陣」の看板が掲げられ、本陣跡である土屋家に「本陣」の表札が掲げられているにすぎない。宿場の西外れに草津道の道標がかろうじて残され、上州草津へ続く道がここから分岐していたことを今に物語る。
草津道の分去れに建つ道標
沓掛宿は江戸日本橋から19番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口502人、家数166軒、本陣1、脇本陣3、旅籠17軒。「千両万両まげない意地も 人情からめば弱くなる 浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎」、長谷川伸の小説「沓掛時次郎」で知られる沓掛の名は、長倉神社の一角に建てられた記念碑に僅かにとどめられている。

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かつての中馬・中牛の宿も、今は昔

古宿の馬頭観世音と浅間山

旧中山道は沓掛宿を出ると国道18号を左斜めに離れる。双体道祖神を右に見ると、蛇行する道は起伏を繰り返しながら古宿集落へと入っていく。途中、右手には浅間山がきれいな姿を見せている。古宿は中馬、中牛の宿として賑わった集落で・・・ようは馬や牛による陸上運輸の中継地点になった場所だ。そのせいもあって、この辺りには馬頭観世音が多い。
借宿から分岐する女街道
川魚料理の「ゆうすげ」前で国道に合流すると、軽井沢バイパスの下を抜け次は借宿集落に入る。馬頭観世音が建つ変形四叉路から左へ曲がる道は女街道とも姫街道とも呼ばれる道で、「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まる碓氷関所を避けた女人が、和美峠や入山峠を越えて上州に向かう裏街道であった。
借宿の馬頭観世音
遠近(おちこち)神社の向かいにある自販機で缶コーヒーを買い一服。街道情緒が残る借宿集落のなだらかな上り坂を歩く。集落西外れには大きな馬頭観世音碑が建ち、中馬で賑わった往時の様子を彷彿させてくれる。浅間山が描かれた大きな看板が目を惹く「追分そば茶家」前で再び国道に合流すると、追分一里塚が道の両脇にあり、その間をスピードにのった車がひっきりなしに行き交う。
追分一里塚
これは日本橋から40里目の一里塚であるが、ガイドブックには36番目とある。距離からすると40里(約157km)が正しいのだが、数からすると36番目なのだろうか。なにせ江戸時代に造られたもの、ここまで来ると曖昧になってくる。そして一里塚の奥には喫茶店があり、その名もハーブカフェガーデン「一里塚」。旧道はここから国道を右斜めに離れ追分宿へと入っていく。

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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
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