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日高本線 ~2023正月 苫小牧駅・勇払駅~

苫小牧駅から北海道の太平洋沿岸を通って146.5km先の様似駅(様似郡様似町)を鉄路で繋いでいた日高本線。平成27年(2015)1月に厚賀駅~大狩部駅間で高波を受けて路盤の土砂が流出、鵡川駅~様似駅間が不通となって後、台風や地震の自然災害により不通区間が大きなダメージを受けたこともあり、再び開通することなく令和3年(2021)4月1日に鵡川駅~様似駅間が廃止された。現在の日高本線は苫小牧駅~鵡川駅間で運行を継続しているがその運行距離は30.5km、本線とは名ばかりの支線と化している。




日高本線の起点、苫小牧駅が所在する苫小牧市は明治43年(1910)王子製紙の工場が操業開始したことをはじまりに、昭和18年(1943)大日本再生製紙(現 日本製紙)の工場が勇払で操業を開始。小さな漁村に過ぎなかった集落は製紙産業が盛んになったことをきっかけに、高度経済成長期には大規模な港湾が建設され、石油精製業や自動車工業などが進出し工業都市として大きく発展を遂げた。人口は増加の一途を辿ってきたが平成25年(2013)の17万4469人をピークに減少へと転じており、現在は17万人を下回っている。

苫小牧駅は明治25年(1892)北海道炭礦鉄道の一般駅として開業。同39年(1906)所属線が国有化され同42年(1909)室蘭本線に改称した。大正2年(1913)苫小牧軽便鉄道が苫小牧駅~佐瑠太駅(現 富川駅)間が開業、昭和2年(1927)国有化され日高線に改称、同12年(1937)様似駅まで全通した。現在の駅舎は昭和57年(1982)完成の4代目で、室蘭本線・千歳線・日高本線の3路線が乗り入れるターミナル駅となっている。

駅名に付けられている地名”トマコマイ”の語源について苫小牧市のホームページ「苫小牧市の概要」より引用。『以前、苫小牧川が流れる一帯を、当時の河川名であったマコマイ(アイヌ語で「山奥に入っていく川」)と呼んでいた。沼のあった旧樽前山神社付近一帯はアイヌ語で沼の意味がある「ト」の字をつけて「ト・マコマイ」と呼ばれるようになり、今日の苫小牧になった。』

空中写真_苫小牧駅駅_CHO759-C26A-31_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C26A-31を基に作成
昭和50年(1975)撮影、苫小牧駅周辺の空中写真。駅舎は3代目の前駅舎で、駅裏手の北側は開発がはじまっていない。駅前も現在とは随分と様相を異にしているようだ。


苫小牧駅_駅名全百科
小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(昭和54年(1979)初版第1版発行)より。現駅舎が完成する昭和57年(1982)以前の3代目駅舎。「苫小牧は製紙の町。乗降客にはビジネス客も多く、特急も全列車停車するが、駅舎は狭い。」と少々ディスり気味に紹介されている。


苫小牧駅
日高本線の起点、苫小牧駅に。


苫小牧駅前
駅前にでんと構える旧商業施設の”苫小牧駅前プラザエガオ”。閉鎖から8年も経っているらしい。ようやく来年(2024)度に解体され跡地に複合施設などが建設されるとのこと。


苫小牧駅_S80年代
1980年代中頃に私が撮影した苫小牧駅。まだ真新しい。エスタという商業施設が入っており、駅付近には人も多く賑わっている様子をうかがう。しかしエスタは平成28年(2016)に閉店、時の流れをを感じる。


苫小牧駅
現駅舎が完成してから40年が経ち、老朽化が進んるなあ…と。エスタの表記も消えて駅に活気を感じない。


苫小牧駅
駅舎全景。


苫小牧駅前
駅前には立派なホテルルートインがあるが、近年に駅周辺から商業施設が無くなり空洞化が否めない。


苫小牧駅
駅の中に入ってみよう。


苫小牧駅
駅舎内コンコース。


苫小牧駅
券売機は3台。その上にきっぷ運賃表。


苫小牧駅
きっぷ運賃表。札幌まで1680円、新千歳空港まで660円。


苫小牧駅
日高本線は鵡川まで750円。


苫小牧駅
改札口。


苫小牧駅
苫小牧駅の”北の大地の入場券”


苫小牧駅
苫小牧いぶりカレー店。”まるい弁当”と”肉のあおやま”がコラボしたカレー店らしい。苫小牧名物の”ホッキカレー”を食べてみたかったが、本日は正月2日だけに休みのようだ。次の機会にとっておこう。


苫小牧駅から13.1km、勇払川河口部西側の太平洋沿岸に勇払市街があり、その少し内陸部(北側)に勇払駅がある。苫小牧市字勇払に所在。大正2年(1913)に苫小牧軽便鉄道の一般駅として開業したのがはじまりで、後に国有化され日高本線の駅に。昭和30年(1955)駅舎改築、同37年(1962)苫小牧港建設に伴う苫小牧駅~浜厚真駅間の線路付け替えにより現在地へ移転した。昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され駅員無配置となり切符販売が簡易委託化。現在は簡易委託も廃止され完全な無人駅となっている。

駅名になっている地名の由来を角川地名大辞典より引用。『地名の由来はアイヌ語のイプッで「それの入口」という意(地名とまこまい)。勇払は古くから勇払川-ウトナイ沼-美々川-千歳川-石狩川に出る千歳越(勇払越)のための要地で、イプッは当時シコツと呼ばれた千歳サケ漁場への入口を指したものと思われる。また一説に、「ユープト」で「湯川の口」とする説もある(蝦夷地名考并里程記・東蝦夷日誌・北海道蝦夷語地名解)。』

空中写真_勇払駅_CHO759-C26B-2_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C26B-2を基に作成
昭和50年(1975)撮影、勇払駅周辺の空中写真。駅舎から少し離れたところに島式ホームを持つ構造は今と変わらないが、ホームと駅舎を繋ぐ構内跨線橋を設けている。駅前から北西方向一帯に山陽国策パルプの社宅が整然と並び、かつてパルプ工場で栄えた町だったことをうかがう。


勇払駅
何かの事務所みたいな駅舎を持つ勇払駅。


勇払駅
4席のベンチを置く駅舎内。正面にかつて切符売場や荷物取扱い窓口があったと思われる。


勇払駅
駅前側出入口。


勇払駅
かつての改札口。


勇払駅
壁伝いに木製ベンチが配される。


勇払駅
発車時刻表。1日に苫小牧方面9本、鵡川方面8本の列車が発着する。


勇払駅
きっぷ運賃表、もとい普通運賃表。同じJR北海道管内でも表記の仕方が違う。


勇払駅
勇払戸別明細図。駅南側太平洋沿岸に形成する勇払市街が一目瞭然。


勇払駅
駅構内。駅舎から少し離れた場所にホームがある。


勇払駅
ホーム側より駅舎。


勇払駅
ホーム入口のスロープ。


勇払駅
ホームより苫小牧方面。


勇払駅
少々劣化気味の駅名標。


勇払駅
駅名標のバックには苫小牧港の工業地帯。


勇払駅
ホームより鵡川方面。


勇払駅
苫小牧方面乗車口。


勇払駅
苫小牧方面乗車口より鵡川方面。


勇払駅
不自然に離れているホームと駅舎。


勇払駅
かつて駅舎とホームの間には線路が通っており構内跨線橋が設けられていた。


勇払駅
寂寥感が漂う駅前。


勇払駅前
駅前に道南バスの停留所があるが学生専用。


勇払駅
傾きかけた陽を浴びて映える駅舎。コンクリート造り2階建ての立派な駅舎だが、窓が塞がれ廃墟にも見えてしまう。


勇払市街案内図
駅前に設置される勇払市街案内図。駅裏手に勇払小学校と中学校の表記があり今も現役の学校である。


キタキツネ
勇払駅から次の浜厚真駅へ向かっている途中、「ルールルルルル」と呼びかけてもいないのにキタキツネが寄ってくる。


キタキツネ02
人に餌付けされて学習しているのだろう、何か食い物をくれと言わんばかりのおねだり顔がりりしくも可愛らしい。餌をあげたくなる人の気持ちもよくわかる。野生動物に人の食べ物をあげてはいけないという理屈もよくわかる。ヒグマやエゾシカにしてもそうだが、人間と野生動物の関わりは難しい問題だと改めて思う。


訪問日:2023年1月2日(月)
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日高本線 ~2023正月 浜厚真駅・浜田浦駅~

勇払駅から鵡川方面へ向って約9km、厚真川を渡れば間もなく浜厚真駅に着く。厚真町の南端、太平洋沿岸の厚真町浜厚真に所在する浜厚真駅、厚真町内にある唯一の鉄道駅だが、内陸部にある町の中心部とは直線距離で約13kmも離れており、大多数の町民にとっては使い勝手がよくないと思われる。しかしながら駅周辺に苫小牧港東港区があり、港を中心に苫小牧東部地域の工業地帯が形成され、JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H29~R3の5年平均)は19.8人とあり、日高本線が廃止されなければ存続していくだろう。

浜厚真駅は大正2年(1913)に苫小牧軽便鉄道の厚真駅として開業したのがはじまり。同14年(1925)現駅名に改称、昭和2年(1927)所属路線が日高線に改称した。昭和52年(1977)貨物・荷物取扱いと共に旅客業務が廃止され無人駅となり、乗車券販売を簡易委託化。同61年(1986)簡易委託も廃止され、同62年(1987)貨車駅舎に改築された。厚真町字浜厚真に所在、駅名の由来は所在地名から。




空中写真_浜厚真駅_CHO759-C29A-6_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C29A-6を基に作成
昭和50年(1975)撮影、浜厚真駅周辺の空中写真。千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線に有人駅だった前駅舎、島式ホームに通じる構内踏切が見える。駅裏手には浜厚真小中学校があり駅から通学路が延びていた。駅前には建物が多くあり集落を形成、現在とは随分と様子を異にしている。


厚真川橋梁
勇払駅~浜厚真駅間に流れる厚真川。凍結した川面が北海道の厳しい寒さを物語る。厚真川橋梁を1両編成の列車が足早に駆け抜けてゆく。


厚真川
厚真川河口方面。右岸に苫小牧東部地域の工業地帯が見える。


浜厚真駅
厚真川から約600m東、寂寥感を漂わせる浜厚真駅。


浜厚真駅
北海道の無人駅によく見られる貨車駅舎ながら、波と浜辺をモチーフにした外装を施す。


浜厚真駅
駅舎横に設置される駅名標。


浜厚真駅前
駅前の国道沿いには店や民家すらなく寂しい雰囲気。


浜厚真駅
駅舎前のアスファルト舗装は有人駅だった前駅舎の遺構だろう。


浜厚真駅
ホームに設置される駅名標。


浜厚真駅
ホームより苫小牧方面。


浜厚真駅
ホームより鵡川方面。


浜厚真駅
駅舎ホーム側。


浜厚真駅15
苫小牧側の駅舎横外装にはこんなイラストが。駅舎が擬人化されており宗谷本線下沼駅の”妖怪ぬまひきょん”を思い出す。
下沼駅(宗谷本線) ~妖怪ぬまひきょんの棲み家~


浜厚真駅
外装に反して地味な駅舎内。


浜厚真駅
4人ぐらい座れるベンチを設置する。


浜厚真駅
普通運賃表。


浜厚真駅
発車時刻表。1日に苫小牧方面9本、鵡川方面8本の列車が発着。


浜厚真駅
暖房が無く駅舎内は寒い。夏はきっと暑いんだろうな。


浜厚真駅
ベンチに置かれていた駅ノートと写真立て。


浜厚真駅
写真立てに掲げるスケッチ画はどこかで見た画風。函館本線の池田園駅や銚子口駅とかで見たあのスケッチ画と同作者なのだろうか。なんか再び出会えた感じがして少し嬉しくなってしまった。


浜厚真駅
擬人化貨車駅舎のコラボだ!


浜厚真駅から鵡川方面へ4.3km、むかわ町田浦の太平洋沿岸に所在する浜田浦駅。単式ホーム1面1線と待合所を有する無人駅で、昭和34年(1959)に開業してから駅の形態は大きく変わっていないのだろう。JR北海道が公表した駅別乗車人員(H29~R3の5年平均)によれば1日平均の乗車人員は2.4人、わずかに利用客がいたようだが、駅を置く意義を失ったと判断され今年(2023)3月のダイヤ改正に伴い廃止となる。

空中写真_浜田浦駅_CHO759-C33A-3_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C33A-3を基に作成
昭和50年(1975)撮影、浜田浦駅周辺の空中写真。単式ホームと待合所を設ける駅構造は今と変わらない。


浜田浦駅
国道沿いの原野にポツンと待合所。ここが浜田浦駅。


浜田浦駅
駅の周りには何もない。


浜田浦駅
普通に車で走り抜けたらここが駅だとは気づかないだろう。


浜田浦駅
コンクリートブロック造りにトタン屋根を載せる待合所。


浜田浦駅
駅は浜辺から約600m内陸部にあり、海抜6メートル。


浜田浦駅
待合所内。駅らしく発車時刻表と運賃表を掲げている。


浜田浦駅
ベンチ上の片隅に駅ノートとあのスケッチ画を置く写真立て。


浜田浦駅
浜田浦駅を舞台に女の子のちょっとした物語を想像させるこのスケッチ。


浜田浦駅
殺風景な駅に花を添えている。


浜田浦駅
発車時刻表。1日に上り下り6本の列車が発着。


浜田浦駅
普通運賃表。


浜田浦駅
駅舎内より出入口。扉がないので換気だけはよい。


浜田浦駅前
駅前は国道が通っているが何も無い。


浜田浦駅17
ホーム出入口よ待合所。


浜田浦駅
苫小牧方面乗車口。


浜田浦駅
鵡川方面。


浜田浦駅
駅名標より鵡川方面。


浜田浦駅
長年の風雪に耐え劣化気味の駅名標。


浜田浦駅
駅名標より苫小牧方面。


浜田浦駅
鵡川方面乗車口より苫小牧方面。


浜田浦駅
開業から64年、浜田浦駅に思い出を残す人も多くいるだろう。間もなく長い歴史に幕を閉じようとするこの駅に、敬意を表したい思いで待合所の正面に立ち一礼。長年にわたるお務め、ご苦労様でした。

2023年(令和5年)3月18日浜田浦駅廃止。


訪問日:2023年1月2日(月)
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日高本線 ~2023正月 鵡川駅~

日高本線の終着、鵡川駅。起点の苫小牧駅から30.5km、頑張れば1日で歩ける距離だ。今や日高本線は名ばかりの日本一短い本線である。鵡川駅の開業は今から遡ること110年前の大正2年(1913)、苫小牧軽便鉄道の苫小牧駅~佐瑠太(後の富川駅)駅間が開通、その途中に一般駅として設けられたのがはじまり。昭和2年(1927)国有化されて所属路線が日高線に改称、同4年(1929)線路付け替えにより現在地へ移転。同18年(1943)鵡川駅から富内線(沼ノ端~富内)の豊城駅を繋ぐ新線が開通、これにより富内線の沼ノ端~豊城間 (24.1km)が休止(後に再開することなく廃止)となり、鵡川駅が富内線の起点になった。

昭和61年(1986)富内線の廃止にあわせて鵡川駅は旅客業務を廃止、駅員不在の無人駅となり乗車券販売が簡易委託化された。同62年(1987)現駅舎へ改築、平成10年(1998)旅客業務が復活したが同18年(2006)再び無人駅となり切符販売が駅舎内のキヨスクに簡易委託されている。同21年(2009)キヨスク閉店に伴い簡易委託を廃止。平成27年(2015)1月の高波被害で鵡川駅~様似駅間が不通となり、再び開通することなく令和3年(2021)4月1日をもって鵡川駅~様似駅間が廃止、鵡川駅は日高本線の終着となり現在に至っている。




空中写真_鵡川駅_CHO759-C34A-5_1975(昭50)03
空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C34A-5を基に作成
昭和50年(1975)撮影、鵡川駅周辺の空中写真。現駅舎へ改築される前の旧駅舎が見え、千鳥式に配された2面のプラットホームは今と変わらない。駅東側で分岐し北東へ延びる線路が富内線。


鵡川駅
日高本線の終着、鵡川駅。かつては日高本線と富内線が接続する駅だった。


鵡川駅
昭和62年(1987)に完成した駅舎。


鵡川駅
築35年を感じさせないログハウス風の素敵な駅舎。


鵡川駅
駅前広場。


苫米地商店
駅を出てすぐ左手にある苫米地商店。かつては鵡川駅の駅弁を製造販売していた。


鵡川駅
駅舎に入って左手に待合所。


鵡川駅
待合所には両サイドに長ベンチ、中央に6席のベンチを置く。


鵡川駅
駅舎に入って右手にみんなの茶店。かつては正面が切符売場で窓口と自動券売機を設け、左側シャッターの場所にキヨスクがあった。


鵡川駅
日高線を走った車両たち。現在はキハ40形が通常運行で使用されている。


鵡川駅
旧切符売場窓口の卓上に駅ノートが置かれていた。


鵡川駅
日高線でキハ40三昧!のポスター。昨年4月末から11月にかけて開催されていたイベント。通常のキハ40に加えてラッピング車両「道央花の恵み」と「カムイサウルス(むかわ竜)復興号」を運行、これに合わせてフリーエリア内の普通・快速列車の自由席に自由に乗降できる”一日散歩きっぷ”を販売し、日高本線に乗って”いつでもウォーク「むかわウォーク」”への参加を募った。


鵡川駅
みんなの茶店より駅舎内。


鵡川駅
1日に上り苫小牧方面9本の列車が発車、下りは8本が到着する。


鵡川駅
普通運賃表。日高本線起点の苫小牧駅までは750円。


鵡川駅
駅舎改札口よりホーム苫小牧方面。


鵡川駅
終着駅らしく表記を新たにした駅名標。


鵡川駅
駅舎に面する旧1番ホーム。かつては苫小牧方面の乗降ホームだったが、鵡川駅~様似駅間の廃止により柵が設けられ、現在は使われていない。


鵡川駅
現在使用するホームは島式の旧2番ホーム。駅舎からは構内踏切を渡ってアクセスする。


鵡川駅
構内踏切より様似方面。廃線となった線路が先へ延びる。


鵡川駅
旧2番ホームより様似方面。


鵡川駅
様似方面の線路は先へ続いており終着駅の雰囲気はない。


鵡川駅
”苫小牧行きのりば”より苫小牧方面。


鵡川町案内図
むかわ町案内図。「北海道のなかでもおだやかな気候で、町の中央を鵡川が流れ、太平洋にそそいでいます。春には、たんぽぽのじゅうたん、夏は雄大な牧野の景色、秋にはシシャモや鮭がのぼる緑豊かな自然に恵まれた町です。」と紹介。

この記事の最後に鵡川(むかわ)の地名について。起源はアイヌ語にあり、角川日本地名大辞典によれば『アイヌ語のムカ(水が湧くの意、による説(蝦夷地名考并里程記)、ムツカペッ(ふさがる川の意)による説(北海道駅名の起源)、ムカ(羊乳草(つるにんじん)のある所の意)による説(北海道蝦夷地名解)など諸説がある。また一説には、かつてモシリカペッ(鵡川)一帯が凶漁となり、人々は川筋に多いムック(バアソブ)の根を掘って食べて助かったため、ムックアッというようになり、訛ってムカワとなったという(鵡川町史)』とある。


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日高本線 ~2023正月 汐見駅跡・富内駅跡~



平成27年(2015)1月の高波被害で鵡川駅~様似駅間が不通となって以来、再び開通することなく令和3年(2021)に廃止された日高本線を少しだけ見てみようと、鵡川駅から様似方面へ車を走らせ汐見駅跡に。勇払郡むかわ町汐見一区に所在する汐見駅は鵡川漁港を中心に形成される汐見市街の北東側に設けられていた。昭和34年(1959)の開業から旅客扱いのみの無人駅で、廃止時には単式ホーム1面1線と待合所を有していた。開業時には待合所が無く後に周辺住民からの寄付により設置されたという。開業から4年経った昭和38年(1963)に撮影された空中写真を見てみると待合所らしき建造物が確認できる。


空中写真_汐見駅_MHO634X-C5B-3_1963(昭38)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_MHO634X-C5B-3を基に作成
昭和38年(1963)撮影、汐見駅周辺の空中写真。ホームがよく見えないが待合所らしき建造物が確認できる。


空中写真_汐見駅_CHO759-C36-3_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO759-C36-3を基に作成
昭和50年(1975)撮影、汐見駅周辺の空中写真。現在と変わらない単式ホームと待合所が確認できる。


汐見駅跡
野ざらしに原野に取り残される汐見駅。


汐見駅跡
駅横を通って線路を渡る道路。かつては汐見駅踏切が設けられていた。


汐見駅跡
汐見駅踏切跡より鵡川方面。


汐見駅跡
待合所とホームをそのまま残す。


汐見駅跡
汐見駅から鵡川漁港方面の汐見市街へ延びる道路。


汐見駅跡
ホーム上には駅名標の枠だけが残されていた。


汐見駅跡
コンクリートブロック造りの待合所。


汐見駅跡
出入口扉の窓には列車代行バスから公共バスへ運行が変わることを知らせるポスターが残されていた。


汐見駅跡
待合所の扉にカギが掛かっておらず内部見学可。


汐見駅跡
ベンチとソファーがそのまま残される。


汐見駅跡
壁には業務用の電話箱とスピーカー。このスピーカーで列車の到着を知らせていたのだろうか。


汐見駅跡
かつては右手の卓上に駅ノートがあったようだ。


汐見駅跡
待合所出入口。


汐見駅跡
汐見駅を後にし次の富川駅へ向かおう。


富川駅は大正2年(1913)苫小牧駅を起点に開通した苫小牧軽便鉄道の終着駅として開業、当初は佐瑠太駅と称す。大正11年(1922)馬車軌道を転用し沙流軌道(後に沙流鉄道)佐瑠太駅~平取駅間が開通、同13年(1924)日高拓殖鉄道佐瑠太駅~厚賀駅間が開通し3路線の接続駅となった。昭和2年(1927)苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道が国有化され日高線に改称、昭和19年(1944)佐瑠太駅は富川駅に改称し全盛期を迎えるが、終戦後に製紙原料となる木材輸送が減少したうえ、トラックの代替輸送が普及したことで昭和27年(1952)沙流鉄道廃止が廃止。更にモータリゼーションによる需要減少から同57年(1982)富川駅は貨物取扱いを廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され、同61年(1986)無人駅となり切符販売が簡易委託された。平成元年(1989)現駅舎へ改築、後に簡易委託も廃止され完全な無人駅に。令和3年(2021)4月1日、日高本線(鵡川~様似間)の廃止に伴い廃駅となった。


空中写真_富川駅_USA-M149-14_1952(昭27)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_USA-M149-14を基に作成
昭和27年(1952)撮影、富川駅周辺の空中写真。沙流鉄道が廃止される2ヶ月前に撮影されたもの。駅南側の沙流川右岸に広大な貯木場が見え、製紙産業で発展する苫小牧方面への木材搬出が盛んに行われていたことをうかがう。


空中写真_富川駅_CHO759-C39-7_1975(昭50)
空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO759-C39-7を基に作成
昭和50年(1975)撮影、富川駅周辺の空中写真。現駅舎へ改築される前の旧駅舎が見え、当時は単式ホームと島式ホームを有し構内踏切で連絡していた。沙流鉄道が廃止されて23年が経ち線路跡は道路や住宅地に消失、沙流川沿岸の貯木場も縮小し木材輸送が下火になっていることをうかがう。


富川駅跡
駅前を通る道道289号(富川停車場線)の路傍には富川駅を示す道路標識が残る。


富川駅跡
廃止から約2年が経った富川駅。


富川駅跡
平成元年(1989)に建てられた駅舎は築34年ながらまだ新しい印象。


富川駅跡
駅舎左手には駐輪場を設けている。


富川駅跡
出入口上の鋭角な三角屋根が特徴的。


富川駅跡
駅と道道289号を繋ぐ駅前通り。かつては駅前に商店や飲食店があったのだろう。


富川駅跡
駅舎の出入口扉は閉ざされ”営業終了のお知らせ”が。


富川駅跡
出入口扉の窓より中を覗き。


富川駅跡
駅舎内左側にシャッター。かつて売店があったらしく、このシャッターはその名残りなのだろう。


富川駅跡
駅舎横にある電話ボックスと公衆トイレはまだ使えます。


富川駅跡
ホームへは立入禁止で入れない。


富川駅跡
汐見・鵡川方面へ延びる線路はまだ残っていた。


沙流川橋梁
今回見てきた日高本線の最後は富川~日高門別間を流れる沙流川に架かる沙流川橋梁。この先は次の機会に。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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