国道17号を進み白山上の大円寺に至る。ここには「八百屋お七」にちなむ地蔵尊、ほうろく地蔵がある。「八百屋お七」とは・・・せっかくなので日本昔ばなし風にまとめてみました。語りは市原悦子でお願いします。

『むかしむかしのお話じゃ。江戸の本郷にそれは大きな八百屋がありました。そこの主人、太郎兵衛の娘として生まれたお七はすくすくと育ち、それは素直で、たいそう気立てのいい娘となったそうな。16となったお七は店を手伝うかたわら弟や妹の面倒も良く見、貧しいながらも幸せな暮らしを送っておりました。
そんなさなかのことでした。大火事が起きたのです。火の見やぐらの鐘が町中に響きわたります。火のまわりは早く、お七は幼い弟と妹の手を握り、火の合間をかいくぐって必死に逃げました。
ようやく火は鎮まりましたが、本郷あたりもずいぶんと焼けました。お七の八百屋もすっかり焼けてしまい、白山の坂下にある圓乗寺というお寺で、家族ともどもしばらくそこで暮らすことになりました。
そこでお七は一人の寺小姓と知り合いました。寺小姓の名は佐兵衛といいました。
若いふたりの間にどんな会話があったのでしょうか。日を重ねるにつれ、いつしか二人は恋仲となりました。それはお七にとって初めての淡い恋でした。お七は火事のことも忘れ毎日が楽しくて仕方がありませんでした。
しかしそんな楽しい暮らしも、そう長くは続きませんでした。
八百屋も再び建て直され本郷に戻ることになったお七は、佐兵衛に別れも告げぬまま寺を後にしました。
しばらく時が流れました。
佐兵衛のことはいずれ忘れてしまうだろうと思っていたお七でありましたが、それとは裏腹に思いはつのるばかりで、夜な夜な涙で頬をぬらしました。
お七は考えました。また大火事があれば佐兵衛に会えるのではないかと・・・
ある晩お七は家を抜け出し、必死に火打ち石を鳴らしました。ようやくついた幽かな火を眺めながら佐兵衛の顔を思い浮かべました。しかしその火はお七の思いのごとく激しく燃え上がりはじめたのです。
「あっ!」
火は瞬く間に家に燃え移り、さらに大きくなってしまいました。
結局それほど大きな火事にはならなかったのですが、お七は捕まりお縄となりました。
このころ放火は死に値する重い罪です。お奉行様はお七の若さを哀れんで「お主は15であろう」と問いかけます。15より下の者は罪を軽くできたのです。しかしお七は自分の犯した罪の重さを感じていたのでしょうか、あくまで16と答えるのです。
そしてお七は鈴ヶ森の刑場で火にあぶられます。
そんなとき一体のお地蔵様が現れました。お地蔵様は焙烙(ほうろく)という素焼きの鍋をかぶり、お七の苦しみを一身に受けました。
お七は苦しむことなく天に召され、その短い生涯を閉じたのです。
いつしかこの地蔵様はほうろく地蔵とよばれるようになり、後の世まで人々に大切にされました。そしてお七は今も圓乗寺に静かに眠っています。』

お七が焼け出された江戸の大火事は、1682年(天和2年)12月の天和の大火といわれる。
うら若き16歳という乙女の心情を考えると何とも切ない話なのである。この事件は江戸庶民にも同情をかい、井原西鶴の「好色五人女」など、数々の作品に描かれた。
早速、ここから浄心寺坂を下り白山下の圓乗寺へ行く。ここにはお七の墓がある。この場所で恋に落ちたお七を思い、墓前で静かに手を合わせた。
テーマ : 旧街道の徒歩紀行
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