碓氷峠について
東山道駅路が整備された飛鳥時代から奈良時代にかけて、碓氷坂の道は入山峠から碓氷峠を越えるルートに変わっており、平安時代の昌泰2年(899年)には山中に碓氷坂の関所が設けられた。後の江戸時代に整備された中山道も、東山道とほぼ同じルートを踏襲したとの説が有力となっており、碓氷坂の関所と推定される場所が中山道筋に残っている。
軽井沢側がら碓氷峠まで旧中山道の道筋を辿ると、蛇行しながら登る車道と遊歩道の間を、ほぼ直線状に最短距離を登って行く。峠から子持山に向かうと、尾根伝いに比較的平坦な道筋をとり、刎石山から急坂を一気に降りて行く。実際に歩いてみると、人馬が越える道としては比較的安全で経済的なコースを辿っているのかがわかる。
江戸時代末期から明治期にかけて和宮道や明治天皇御巡幸道の迂回路が付けられたが、和宮道は平坦ではあるが大回りの道で、御巡幸道にいたっては危険なため現在通行禁止になっている。そう考えるとやはり東山道と中山道は同じようなルートだったのではないかと思うのである。
ちなみに現在の碓氷峠は国道18号に移っており、旧中山道の碓氷峠は旧碓氷峠と表記されている。時代の変遷を経てきた碓氷峠であるが、我々の先祖が苦渋した碓氷峠越えは、現在も変わることなくその道筋を残しているので、機会があれば是非とも歩いていただきたい道なのである。