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巴ヶ淵

国道19号の中山道は吉田橋の側道橋で木曽川を渡り川の西側へ。国道は再び川を渡り山吹トンネルの中へ消えていく。旧道はここで川を渡らず、木曽谷に大きく突き出た山吹山を迂回する回廊道へ。急斜面に付けられた回廊道は、山吹山の急斜面と木曽川の間に付けられた難所越えの道。途中まで旧国道の道筋で辿れるが、大部分は崩落が著しく通行は困難。ここは旧国道から現国道を進み山吹橋で木曽川を渡って回廊道の対岸を進む。そして山の麓にエメラルド色の水面を浮かべる巴ヶ淵へ。その神秘的な姿には息を呑む。

山吹も巴もいでて田植かな

芭蕉の弟子、森川許六が詠んだ。山吹も巴も木曽義仲の愛妾の名である。


国道19号・ドライブイン権兵衛付近 吉田付近国道筋にて
中山道の国道19号を進む。路傍には夏の名残を惜しむかのようにひまわりが咲く。晩夏の木曽谷はどんな姿を見せてくれるのか。今日の旅も楽しみだ。


吉田側道橋 下嶋(下吉田)の一里塚跡付近
木曽川を吉田橋の側道橋で渡った先で歩道が無くなり狭い歩行帯となる。大型車の交通量が多いので通行には十分注意が必要だ。この辺りに下嶋(下吉田)の一里塚があった。江戸日本橋から67里目(約263km)の一里塚。


国道19号・山吹トンネル手前 山吹トンネル
国道は山吹トンネルへ。500m先で伊那方面へ分岐する国道361号はかつての権兵衛街道。姥神峠と権兵衛峠を越えて伊那(長野県伊那市坂下)へ通じる道は、古畑権兵衛が伊那谷から木曽谷へ米を運ぶため、牛馬の通行に適するよう開削改修した歴史の道。現在は2つの峠の下にトンネルが開通している。

旧中山道はトンネル手前の木曽川を渡らず、ガードレールの右側に入り旧国道から山吹山回廊道へ。


旧国道・日義村境
旧行政区域名である日義村の標識が残る旧国道。現在ここは木祖村と木曽町の境界である。


旧国道 木曽川と旧国道
山吹山と木曽川の急斜面を開削して付けられた旧国道(廃道)が500m程の道筋を残している。旧国道の半ばから更に斜面上を行く山吹山の回廊道は崩壊しており通行困難。この旧国道も落石崩壊の危険地帯らしく、木曽町側の現国道と旧国道の合流地点には立入禁止を示すゲートと看板が設置されていた。しかしながら中山道を歩く人たちは車の喧騒を避け、あえてこの旧国道を歩いて行くようだ。


山吹山の麓を行く国道 国道19号・山吹橋付近
神谷入口信号で再び国道に合流し、山吹山の麓を進む。旧道の山吹山回廊道は右手斜面上を辿っており、道跡らしき平地も見える。ここは山吹橋で木曽川を渡り、回廊道とは対岸の県道を進み巴ヶ淵へ。


木曽川・山吹橋付近
山吹橋から眺める木曽川。


巴ヶ淵
巴御前の伝説を秘める巴ヶ淵。巴状の渦を巻くことから名の由来となった。山吹山に巻きつくように流れる木曽川が、川幅を狭めてエメラルド色に淀む深い淵を形作る。巴御前が水浴した場所と伝わり、ここに棲んでいた竜神が巴御前に化身したとの伝説も。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

宮ノ越宿

巴ヶ淵を後にして徳音寺集落を行く旧中山道。葵橋で木曽川の対岸に渡れば宮ノ越宿の静かなたたずまいとなる。この辺りは木曽谷には似つかわず木曽川に沿って平地が広がり、古くは木曽義仲の拠点となった地である。前述した山吹山や巴ヶ淵、旗揚八幡宮、徳音寺など義仲にまつわる地名や旧跡が多い。義仲が幼少を過ごし平家追討の兵を挙げた時代に思いを馳せながら歩くのも楽しい。永劫の時が流れようとも木曽谷の狭い空と横たわる山々、そして清らかな川の流れは変わらない。

宮ノ越宿は江戸日本橋から36番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口585人、家数137軒、本陣1、脇本陣1、旅籠21軒。宿場の往還中央に流れていた用水路は道路脇に追いやられ、広々とした道を挟んで連なる家並みは新しい。明治16年(1883年)の大火で宿場の大部分を焼失し、本陣や脇本陣の建築もこの時に失われた。そのため江戸期の建物は残っておらず、宿場の面影は薄い。


徳音寺集落 徳音寺集落・手塚家
徳音寺集落を行く旧中山道。集落内の手塚家には有栖川宮御小休之跡の石碑がある。明治6年(1873年)有栖川宮幟仁親王と、薫子妃が中山道を通行した折、ここ手塚太左衛門宅で小休止した。


葵橋
葵橋を渡り木曽川の対岸へ。


宮ノ越宿・旭町 中山道とうふや
宮ノ越宿・旭町の町並み。路地の奥には「中山道とうふや」なる看板も見える。


義仲館
木曽義仲の生涯を紹介する義仲館。竜胆(りんどう)紋の入った門幕をくぐれば、勇壮な義仲と巴御前が出迎える。


徳音寺山門 徳音寺の巴御前像
木曽義仲の菩提寺・徳音寺は仁安3年(1168年)義仲の母小枝御前を弔うために建立。源氏再興の祈願所ともなった。義仲公と巴御前をはじめ、今井兼平や樋口兼光等家臣の墓所がある。

徳音寺山門である鐘楼門は享保8年(1723年)犬山城主成瀬公の母堂が施主となり建立。夕暮れ時に撞かれる鐘の音は、木曽谷の山間に響き渡り、古くから木曽路を旅する人の心象に残してきた。「徳音寺の晩鐘」として木曽八景の一つに数えられる。


木曽川・宮ノ越宿付近
宮ノ越宿付近の木曽川の流れ。


宮ノ越宿本陣跡
宮ノ越宿本陣跡の村上家。現在残っている建物は明治16年(1883年)大火後のもの。空き家になっているらしく庭や建物は荒廃しつつある。


宮ノ越宿・本陣付近
宮ノ越宿・本陣付近の町並み。かつて宿場中央に流れていた用水路は道脇に移されている。


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中山道の旅もようやく半分!

宮ノ越宿を出ると木曽谷には珍しく田園が広がる。といっても所詮は深い深い木曽の谷間、まわりは深い山々に囲まれ僅かに恵まれた平地に黄金色の稲穂が風になびく。宮ノ越の一里塚を過ぎれば間の宿・原野。出梁造りの家々が往時を僅かに物語る。そして中山道の中間点へ。


下島付近からの眺め
宮ノ越宿を抜ければ、黄金色に輝く稲穂が美しい木曽谷の風景。


日義下島付近にて
今日は日義小学校の大運動会!太陽VS雷??


宮ノ越(樋口)の一里塚跡
宮ノ越(樋口)の一里塚跡。江戸日本橋から68里目(約267km)の一里塚。判読できない標識が立つのみで何も残っていない。


第5中仙道踏切
中央本線に沿って線路西側を進み、第5中仙道踏切を渡る。踏切から先へ延びる道が旧中山道。


日義松沢付近にて
日義松沢の集落を行く旧中山道。


日義中町の町並み
日義中町はかつての間の宿・原野。出梁造りの旧家が軒を連ね、何となく街道情緒が漂うたたずまい。


日義中町の石造物群
間の宿・原野にて。


明星岩 中央アルプスの山々
無佐沢橋を渡り元原集落に入ると明星岩公園に着く。ここから西側の山々に目を向けると、ぽっかりと山の中腹に顔を出す三角形の大岩が見える。これが明星岩。そして振り返れば中央アルプスの山々を眺望。


中山道中間点
明星岩公園のすぐ先に民宿むつみ荘があり、向い側の畑の一角に中山道中間点の看板が立っている。江戸、京都双方から67里38町(約268km)の位置だという。日本橋をスタートしたのが8ヶ月前・・・ようやく半分か。


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正沢川越えの旧道

かつて立場茶屋が置かれた小沢集落。ここから旧中山道は鬱蒼とした藪の中へ入り、正沢川越えとなる。正沢川は日義村と木曽福島町の境界線だったが、平成17年に両町村と開田村、三岳村が合併し木曽町となったため境界線も消滅した。それはさておき、正沢川越えの旧道はいかにも旧道といった雰囲気。道なき道は中山道歩きの醍醐味でもある。


旧中山道の路傍にて
旧中山道の路傍にて。


小沢集落
山吹橋から歩いてきた県道をここで離れる。右の小径が旧中山道で、小沢集落へ入っていく。左県道の突き当たりに見えるスーパー和泉屋はかつての立場茶屋。


小沢の道祖神
小沢集落にて。


正沢川越えの旧道
小沢センター前、「中山道→ この下の橋を渡り木曽福島へ」の標識に従い車道を離れ鬱蒼とした藪の中へ。それにしてもこれが中山道ですか・・・


正沢川越えの旧道 正沢川越えの旧道
踏み跡を辿って先へ。


正沢川越えの旧道にて
小さな清流を越える。


正沢川越えの旧道 正沢川越えの旧道
踏み跡の草道を行く。正沢川の川岸を下流方向に進むと橋が見える。


正沢川
正沢川をここで渡り対岸へ。大石に橋桁を載せた鉄骨の橋が架かっている。正沢川は日義村と木曽福島町の境界だった。


正沢川越えの旧道 正沢川越えの旧道
土手を上り民家の庭先のような道を行く。そして坂道を上がり栗本集落へ。


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夕闇の路を木曽福島へ

正沢川を越えてきた中山道は栗本集落を経て上田集落へ。上田の地はかつて山下と呼ばれ、木曽義仲が幼少を過ごした地。上田から国道を歩き旧道跡の残る「おと坂」を下る。そして再び国道を歩く頃には木曽谷は夕闇に包まれ、山や川は急速に色を失っていく。そんな闇の中をとぼとぼと歩いていくうちに町の灯りが近づき関所の町・木曽福島へ。


栗本集落 手習天神
栗本集落に入り天神橋を渡ると手習天神が鎮座する。古くは山下天神と呼ばれたこのお宮は、木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として勧進したという伝承が残る。江戸末期創建の社殿横には樹齢千年のイチイの大木が立ち、小さなお宮ながらも古社の風格を感じさせてくれる。


上田集落 上田跨線橋
上田集落に入る。案内板によると、ここは古くは山下といい、源平盛衰記に義仲を木曽の山下に隠し養育したとの記述があるとのこと。先の手習天神や近くに養親中原兼遠の屋敷跡、義仲元服の松があることから、ここ上田の地は木曽義仲が幼少を過ごした地であることは間違いなさそうである。そんな上田集落を抜けると国道に合流し上田跨線橋で中央本線を越える。


木曽福島の遠望
日も暮れ始めた頃、ようやく木曽福島の町が見えてきた。


おと坂 おと坂の石仏群
国道沿いにあるフジベ印刷のすぐ先に旧道跡の下り坂が残っている。この「おと坂」と呼ばれる小さな坂道を下っていくと、暗闇の中に石仏群と出会う。


国道19号・出尻付近
出尻で再び国道に合流。


木曽川
木曽川に沿って国道をひたすら先へ。深い山間の木曽谷、駆け足で日が暮れて行く。


夕闇の木曽川
山と川は瞬く間に色を失い夕闇の中に。川音だけが耳に響く。


関所門を潜り福島宿へ
巨大な関所門のモニュメントを潜れば木曾福島の町はもうすぐだ。


福島宿上町夜景
ひと気の無い静かな夜が過ぎ行く木曽福島。


「旅館さらしなや」にて
19時ちょっと前、道に迷いながらもようやく今日の宿泊先「旅館さらしなや」に到着。早速、山や川の幸をふんだんに使った夕食に舌鼓を打ち、冷えたビールがはらわたに染み渡る。魚は裏の川で取れたもの、と民宿のおばちゃん。裏の川とはもちろん木曽川のことである。おそらく魚はアマゴだと思うが、川魚がこれほど美味だとは・・・。これもまた歩き旅の醍醐味である。

【第23日目】踏破距離 約14.5km(薮原宿→宮ノ越宿→福島宿)日本橋から274.6km 京都まで259km  ようやく半分!まだまだ先は長い・・・


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福島宿

【第24日目】9月16日(日) 福島宿→上松宿



木曽川の両岸に山が迫る狭隘の地に設けらた福島関所。この関所を無事に通過できれば福島宿である。関所の紹介については次に譲るとして、福島宿の上ノ段地区には古い町並みが残り、宿場の雰囲気を存分に堪能させてくれる。

山蒼く暮れて夜霧に灯をともす 木曽福島は谷底の町

長野県出身の歌人太田瑞穂が詠んだ。木曽川に沿って建ち並ぶ崖屋造りの家並みを見れば、谷底の町を実感。福島宿は江戸日本橋から37番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口972人、家数158軒、本陣1、脇本陣1、旅籠14軒。


旅館さらしなや
8時過ぎ、朝食を済ませ旅館「さらしなや」を出発。今日の予定は午前中を木曽福島の散策に充て、午後から上松宿へ向かう。


福島宿・中八澤橋
中八澤橋を渡り古い町並みの残る福島宿上の段へ。


福島宿・上の段にて
上の段に残る宿場時代の井戸。清く冷たい水は中山道を往来する旅人の喉を潤した。江戸時代中頃に掘られたもの。


福島宿・上の段
福島宿上の段の町並み。古きよき日本を感じさせてくれる建築が美しい。


福島宿・上の段用水
この水場は上の段用水と呼ばれ、昭和初期まで上水道として利用されてきた。水は八沢川上流の水無神社付近から引いており、戦国時代に上の段城の水の手として造られた歴史を持つ。


観光文化会館
上の段にある観光文化会館。木曾福島の歴史文化を伝える。敷地内には陰陽師安部晴明を祀った晴明社がある。


寺門前小路
なまこ壁の土蔵が美しい。上の段から大通寺へ続く寺門前小路。


大通寺
木曽氏居館跡に建てられた大通寺。慶長4年(1601年)柱山和尚を開山とし、木曽代官の山村良勝によって創建された。


真里姫供養塔
大通寺にある真里姫供養塔。真理姫は武田信玄の三女。信玄が木曽へ侵攻し、その政略として当主木曽義康の嫡子木曽義昌へ嫁がせた。大通寺を創建した山村良勝が木曽家の重臣だった由縁からここに供養塔が建てられたといわれる。


西の小路
上の段城郭の西外れにあたる西の小路。乱れ積みの石垣は武家屋敷の名残。ここから上の段を離れ木曽川へ。


福島宿・崖屋造り
木曽川に沿って崖屋造りの家々が建ち並び、河原に立てば谷底の町木曽福島を実感する。


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福島関所

東海道の箱根、新居、中山道の碓氷とともに四大関所の一つと並び称された福島関所は、木曽川の断崖を望む隘路に設けられ、関所にはこれ以上ないといったシチュエーションにあった。中山道を往来する旅人はもちろんのこと、商人や大名行列が必ず通らざるをえないこの要衝に、木曽代官の山村氏が詰め厳重な取り締まりを行った。関所を抜けたすぐ先に、その山村家に仕え関所上番を務めた高瀬家の屋敷が現在も構えている。

そんな福島関所も明治2年(1869年)に廃関となって取り壊されると、旅人の往来を阻んだ木曽川の断崖も大きく開削され国道が敷かれたため、すっかり変貌を遂げてしまった。現在この要害の地を見ても、高台にポツンと関所跡が取り残されているのみで往時の様子を偲ぶことは難しい。しかし復元された関所門や番所を見ながら眼下に木曽川を望むと、当時の人々が畏れ慄いた関所の原風景に想像を膨らませる。


福島関所跡
福島関所跡。手前の東門と奥に見える西門は学術発掘調査に基づき昭和50年に復元された。


福島関所
復元された番所は資料館として公開されている。


福島関所資料館・上番所
資料館内部は上番所・下番所・勝手が復元され、当時の様子を知ることができる。


福島関のジオラマ
資料館に展示されている福島関所全景のジオラマ。当時の関所付近はこんな感じだったようで。


高瀬家
関所近くに構える高瀬家。木曽代官山村氏に仕えた高瀬家は島崎藤村の姉である園の嫁ぎ先で、小説「家」のモデルとなった家である。土蔵を改装した資料館が併設され、藤村直筆の手紙や「千曲川旅情の歌」の書、遺品等が展示されている。徳川家献上の薬「寄応丸」の製造販売元でもあった。


木曽福島の眺望
高瀬家のある高台から木曽福島の町を一望。


初恋の小径
高瀬家のすぐ先から高台を降りる。この階段には「初恋の小径」なる粋な名前が付けられ、所々に初恋にちなんだ俳句が掲げられる。読みながら階段を下りて行くと何となくノスタルジーな気分に・・・


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福島宿本陣と山村代官屋敷

福島宿の中心に位置する本陣。現在は跡形も無く、木曽町木曽福島支所と広場に化している。この広い敷地に立ち、間取図を眺めながら想像を膨らませるしかない。そして本陣から木曽川の対岸に渡れば木曽代官を務めた山村家の豪壮な屋敷が構えていた。この辺りは福島宿の行政の中心でもあり、木曽谷の政治の中心でもあったわけだ。

山村氏は戦国大名木曽氏の旧臣で、後に関ヶ原の戦いで徳川家に与し、その功労により木曽谷の徳川直轄支配を任された。以来明治維新に至る274年間を木曽代官、福島関所の関守として木曽11宿を含む木曽一帯を支配した。


福島宿本陣跡
正面の建物は旧役所の木曽町木曽福島支所。この建物と入口前の広場が福島宿本陣の敷地跡で、代々白木家が本陣と問屋を兼ねて務めた。本陣建築は明治中頃に取り壊され役場庁舎が建てられたため痕跡は全く留めていない。その庁舎も昭和二年の福島大火で焼失し、現在の庁舎はその後の再建のもの。


大手橋付近・木曽川にて
大手橋を渡る。ラフティングを楽しむ人たちが木曽川を下っていく。


山村代官屋敷
山村代官屋敷は現在の福島小学校を含む敷地に20もの庭園を持つ壮大な屋敷構えだった。享保8年(1723年)再建の下屋敷の一部と築山泉水の庭園が現存する。


稲荷の祠
山村家の護り神として代々奉られてきたお稲荷様。ご神体としてキツネのミイラが祀られているという。


城陽亭・看雨山房
下屋敷の遺構である城陽亭。「看雨山房」と呼ばれる書院造の座敷は、12代山村良祺(たかのり)の書斎だった。



城陽亭庭園
城陽亭庭園は駒ケ岳を借景とした築山泉水式の庭園。


翠山楼
城陽亭のはなれにある翠山楼。9代山村良由(たかよし、別名に蘇門)の家臣で学友でもあったという漢学者石作駒石の書斎として建てられた。天明8年(1788年)の建築。


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木曽福島を後にして

美しい木曽川を眺めながら、ゆっくりと足湯に浸かるのも木曽谷を旅する醍醐味である。ほのかに香る温泉の匂いが心と体を癒し、明日に控える月曜日の現実を忘れさせてくれる。木曽福島の町を抜ければ塩渕の古集落。静かな集落には一里塚が築かれていたが、今は石碑と標柱が往時を偲ぶ。


木曽福島・木曽川
再び木曽川を渡り福島宿へ戻る。


本町親水公園の足湯 足湯でまったり・・・
本町親水公園の足湯。源泉名は二本木温泉2号泉で、泉質は含二酸化炭素、カルシウム、炭酸水素塩冷鉱泉。といっても良くわからないが、温泉らしい心地よい香りが漂う。木曽川を眺めながらしばしまったり・・・


旧中山道・木曽福島駅付近 木曽福島駅
旧中山道に歩みを戻し木曽福島駅前を経て先へ。


御嶽教木曽大教殿 木曽福島駅付近旧道
駅前にある御嶽教木曽大教殿の横を抜け県道の坂を下りて行くと、旧中山道へアクセスできる道が擁壁斜面にある。ここから草付きの小道を上っていく。


木曽福島駅付近旧道
途中、擁壁上まで来ると中山道と書かれた吸殻入れを見つける。何となくうれしい。


木曽福島駅付近旧道 塩渕集落
旧中山道の小道を進めば塩渕集落に着く。この山中で何ゆえ塩渕なのか・・・地名の由来について案内板から抜粋。「昔、中山道を馬の背中に塩を載せて運んできたところ、その馬が木曽川の渕に転落し塩をまいてしまったところから、塩渕という地名がついたと伝えられている。」なるほどね。


塩渕の一里塚跡
塩渕集落内にある一里塚跡。「塩渕くらぶ」という施設の前に石碑と標柱がある。江戸日本橋から70里目(約275km)の一里塚。


塩渕の石碑群
塩渕集落から左斜面を見上げると石碑群が見える。廿三夜塔、勢至大菩薩、新田記念、堤防記念、塩渕開発記念の石碑が並ぶ。


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中平立場茶屋

塩渕集落から坂道の旧道を上り、中平(なかだいら)集落へ。ゆっくりと時を綴る小さな集落であるが、昔は木櫛を作り売り、立場茶屋が置かれていた。


越畑沢 旧中山道・塩渕付近
塩渕集落を抜け越畑沢の流れを左に見ると、旧道はJR東海の木曽福島変電所の敷地の中に消失する。この変電所付近には江戸時代中期頃、川渕と呼ばれる家数5軒の集落があったらしい。ここは道なりに進んで国道19号へ迂回。


塩渕付近・国道19号 旧中山道・中平付近
変電所を越えた所で左斜面に旧道の小径が現れる。国道を離れ坂道を上る。


旧中山道・中平付近
坂道の途中で振り返ると木曽福島南部の町並みを一望。ここでこの町ともお別れである。


中平の道祖神
中平(なかだいら)集落の入口にある道祖神。


中平集落
かつて立場茶屋が置かれた中平集落。天保9年(1838年)刊行の木曽巡行記に「中平は木櫛挽き売る」とあり、立場茶屋を営むかたわら木櫛を作り売っていたようだ。


中平集落にて
中平集落にて。


津島様を祀った祠
中平の隣に位置する沼田野(ぬたの)集落には津島様を祀った祠がある。


旧中央本線廃線跡・沼田野付近

沼田野から先の旧道は消失しているので、旧中央線の廃線跡を辿って県道の下を進む。


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トンネルを抜けると・・・

旧中央本線の廃トンネルを歩き国道19号に合流。御嶽遥拝所のある神戸集落、板敷野集落からかつての立場で茶屋本陣が置かれた沓掛集落へと歩みを進める。次に難所、木曽の桟が控える。


旧中央本線トンネル トンネル内部
旧中央本線の廃トンネルが不気味に口を開ける。入口壁面に書かれた列車注意の文字が妙にリアルな情感。トンネル内部は車や人、もちろん列車の通行も無く、薄暗い蛍光灯の明かりの中、不安を覚えながらトボトボと出口へ向かう。ちなみにこのトンネル上に旧道の跡も残っているらしい。


旧中山道・元橋付近 国道19号・元橋付近
トンネルを抜けると雪国・・・のはずもなく、現中央本線に隣接し国道19号へ。


木曽川・元橋からの眺め
国道を300m程歩くと右へ分岐する道に元橋が架けられている。下を流れる川はもちろん木曽川。橋上から下を覗くと足がすくむほど高さがある。元橋から先へ続く道は王滝・三岳・御岳山方面へ向かう。


神戸集落
国道から中央本線の神戸架道橋下を潜り抜け神戸集落へ。神戸と書いて”こうど”と読む。ここはかつて王滝川と木曽川の合流だったことから合渡(こうど)村と称していた。どういう経緯かはわからないが現在は神戸の文字が当てられている


御嶽遥拝所
神戸集落を抜けたすぐ先にある御嶽遥拝所。御嶽山四方遥拝所の一つ。北は長峰峠、西は三浦山、東は鳥居峠、ここが南の遥拝所にあたり、遥かに山岳信仰の地、御嶽山を仰ぎ拝む場所だった。残念ながら見えませんでしたが・・・


旧中山道・御嶽遥拝所付近 旧中山道・板敷野付近
中央本線に沿って坂道を下っていく。下りきった所で線路下を潜り抜け国道へ合流する。


国道19号・板敷野入口 板敷野集落
国道を歩いてすぐ、左の小径に入れば板敷野集落。くねくねと曲がる道がいかにも旧道らしい。


沓掛集落付近の国道19号
板敷野集落から線路に沿って進んでいけば、木曽義仲ゆかりの馬頭観音堂がある沓掛集落。しかしここはミスで国道を進んでしまい思いっきりスルー。沓掛の茶屋本陣を務めた塚本家には門構えと上段の間が残されているらしい。


沓掛一里塚
沓掛集落を抜けてきた下り道と国道が合流する地点に沓掛一里塚がある。江戸日本橋から71里目(約279km)の一里塚。


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木曽の桟

深山幽谷の木曽の谷間、木曽川に沿って続く断崖絶壁の岩肌は旅人の往来を阻んだ。そんな難所に木曽の桟(かけはし)は架けられ、わずかな通路が確保された。当初は岩間に丸太と板を組み藤づる等でゆわえたもので、戦国乱世の頃ならば焼いてしまえば敵の侵入を防ぐには格好の桟だったのだろう。しかし時代が変わり太平の世になると、燃えやすい桟は逆に不利益なものとなった。

正保4年(1647年)通行人の松明がもとで桟が焼失すると、翌年慶安元年(1648年)尾張藩は中央部を木橋(8間、14.5m)とした長さ56間(102m)にも及ぶ石垣の桟を完成させた。そして寛保元年(1741年)の大改修を経て、木橋部分の全てに石積みが施された。

そんな先人の苦労の賜物である桟には国道19号が敷かれ、ここを通行しているだけでは木曽路の難所であったことに気付くことは無い。しかし木曽川の対岸に渡れば、国道下に残されている石垣の一部を見ることができ、往時の姿を偲ばせている。

桟や いのちをからむ 蔦かづら
「松尾芭蕉・更科紀行より」


桟バス停
桟バス停付近の国道19号。ここに木曽の桟が架けられていたわけだが、国道を歩いているだけでは全く気付かない。


木曽川と桟
木曽川を渡って対岸へ向かう。国道下に往時の石垣が見えてくる。


桟温泉
木曽川対岸にある桟温泉。ゆっくり温泉に体を浮かべて、木曽川と桟の景観を楽しみたいところだが・・・


木曽の桟
木曽の桟。中央部の乱れ積みになっている石垣部分は寛保元年(1741年)の大改修で積まれた石垣。それ以前は木橋が架けられていた。


木曽の桟絵図
昔の桟はこんな感じだった。


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現代の難所を乗り越えて

木曽の桟から新茶屋を経て笹沢へ。笹沢の旧道は国道敷設等による開削で消滅。国道を進むしかないのだが、上松宿を目前にして行く手を阻む現代版の難所に遭遇する。


国道19号・木曽の桟付近 新茶屋付近の木曽川
木曽川に沿ってはるか先に続く国道をひた歩く。


新茶屋川 新茶屋バス停
途中、新茶屋川なる小さな川を越える。旧道はこの川の上流側へ迂回する高巻きの道であったが、その道跡も確認することはできなかった。この高巻きには名物わらび餅を売る弥生茶屋があったという。


吊り橋と木曽川 古い吊り橋
新茶屋から国道を進んだ先、右の木曽川にはいかにも古そうな吊り橋が架かっている。渡ってみたい気もするが、さすがにその勇気はないなぁ・・・。


国道19号・笹沢付近
笹沢付近の国道19号。この辺りから斜面上を通り上松宿手前へ至る旧道があったらしいが、国道や鉄道敷設による開削でその道筋を消した。国道は歩行帯が急に狭くなる。


現代の難所・国道19号笹沢付近
そして現代版の難所ともいうべき場所へ。見ての通り歩行帯がほとんどなく、横を大型車が猛スピードで走り抜けていく。ここまで来たら覚悟の決死行。車が来ない隙にダッシュで駆け抜けながら撮影したため写真はブレ気味。

武州路や上州路では同じように中山道を歩く人はほとんど見かけなかったが、木曽路の中山道を歩く人は意外に多い。にもかかわらず笹沢付近の国道は歩行者にとっていかにも危険極まりない場所である。この難所越えのために現代版木曽の桟を設けてほしいものだ。


笹沢架道橋 上松第三トンネル
笹沢架道橋まで来れば歩行帯も広がり、ほっと一安心。上松第三トンネル手前で車の往来が激しい国道を右に離れ上松宿へ。


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上松宿

中央アルプス木曽駒ヶ岳の山容を望み、木曽ヒノキの集散地として知られる上松町。町面積の94%を占める豊かな森林を持ち、古くからヒノキをはじめとするサワラ・アスナロ(ヒバ)・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)の良木を産出してきた。この木曽五木と呼ばれる森林資源は江戸時代、尾張藩によって伐採を厳しく管理され、「ひのき一本首ひとつ」と言われたのもこの時代のことだ。

明治時代を迎えると政府により更に厳しい管理が行われ、明山(住民が自由に立ち入れる山林)もほとんどが官有となり、住民の立ち入りが禁じられた。生活の糧を失った住民にとっては死活問題であった。この辺の事情については島崎藤村の小説「夜明け前」に詳しい。そんな時代を経てきた原生の森は赤沢自然休養林で見ることができ、樹齢300年以上のヒノキがそびえる美林には、今や多くの観光客が森林浴に訪れる。

そんな歴史背景を持ち森林と共に生きてきた上松宿は、江戸戸日本橋から38番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口2482人、家数362軒、本陣1、脇本陣1、旅籠35軒。江戸寄りから上町、本町、仲町、下町の4町から成り、上町に宿場時代の町並みを残している。


十王橋
十王橋を渡ると上松宿の町並み。この橋の袂に高札場があった。


上松宿上町
江戸時代から度々の大火に遭い、再興してきた上松宿であるが、昭和25年の大火で宿場時代の町並みはほとんど失われてしまった。しかし上町だけはこの災禍を免れ宿場の面影をわずかに留めている。


上松の八幡神社 玉林寺
宿内にある八幡神社と玉林寺。


上松宿本陣跡・塚本歯科医院 脇本陣跡
塚本歯科医院が上松宿本陣跡。塚本家が代々本陣を務めた。向かいに脇本陣と問屋を務めた原家がある。


上松の一里塚跡
本町にある上松の一里塚跡。両塚とも現存しない。江戸日本橋から72里目(約283km)の一里塚。


上松宿仲町
上松宿仲町から下町にかけての町並み。宿場の面影はない。


上松駅
上松駅の裏手にはヒノキの集積場があり、ヒノキの心地よい香りが漂う。

第24日目】踏破距離 約9.5km(福島宿→上松宿)日本橋から284.1km 京都まで250km
まだまだ先は長い・・・


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
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川越時の鐘
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【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
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2008年10月13日(月)
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京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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