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旧立場茶屋・多瀬屋

【第25日目】9月22日(土) 上松宿→須原宿



前回の旅から1週間後の土曜日。13時半頃上松駅に到着し旧中山道の旅を再開する。天気は晴れ。照りつける太陽もかつての勢いは無く、歩いていると汗ばむ程度のちょうどいい気温。木曽谷の風が心地よい絶好のウォーキング日和だ。

上松駅から旧中山道に歩みを戻し、上松宿下町を抜けたところで下町交差点を左折。小径の坂道を上りきると宮前集落で、ここにはかつて尾張藩材木役所の陣屋が置かれていた。中沢橋を渡って先へ進めば見帰集落、寝覚集落へと旧道は続く。


斎藤茂吉の歌碑 上松材木役所跡

駒ヶ嶽見えそめけるを背後にし 小さき汽車は峡に入りゆく

宮前集落にある上松小学校の一角に斎藤茂吉の歌碑がある。また上松小学校には「尾張藩上松材木役所御陣屋跡」の碑があり、この辺りには寛文3年(1663年)頃に尾張藩直轄の材木役所が置かれ、木曽谷の材木に関する業務を司った。


諏訪神社 上松小学校にて
旧中山道から上松小学校のグランドを横断した先に諏訪神社が鎮座している。諏訪神社に付き物の御柱が無いのだが、これは諏訪からではなく京都から勧請したことによるらしい。


宮前にて
宮前集落の旧中山道を行く団体。木曽路を歩くウォーカーは多い。


見帰集落 国道19号・見帰付近
中沢川を渡ると見帰(みかり)集落。国道19号を跨道橋で越え寝覚集落へ。


寝覚集落
寝覚集落の家並み。手前が多勢屋(たせや)で奥が越前屋の建物。多勢屋は江戸時代の立場茶屋で茶屋本陣も兼ねた旧家。越前屋は国内で三番目に古い蕎麦屋といわれ、十返舎一九の「木曽街道中膝栗毛」にも登場する老舗。弥次喜多がここで蕎麦を食べていたのかと想像するだけでも楽しい。


多勢屋
多勢屋は近年まで民宿を営んでいた。


多勢屋
多勢屋と隣にある越前屋は寿命そばが名物だった。今も国道19号沿いにある越前屋の新店で寿命そばを食することができる。


多勢屋
「寄っていきませんか?」
多勢屋のおばあちゃんのご厚意で内部を見学させていただく。大柱で組まれた高い天井からは自在鉤が下がり、幾年もの時間を経てきたのであろう古色を帯びた囲炉裏は火が灯っていないにもかかわらず温かい。多くの旅人が囲炉裏を囲んでくつろぎ、色々な話に花を咲かせてきたのだろう。往時の面影を色濃く残す空間に身を置くとそんな人々の思いを感じさせる。

この囲炉裏がある部屋は現在大広間となっているが茶の間と土間である。昔は修学旅行生が訪れることも多く、土間に土台を置き畳敷きの大広間にしたと、おばあちゃんは言う。大広間にはこの土間で蕎麦をゆでている先代の写真も飾られている。「先代の奥様はきれいな方でした。写真を撮られるのを嫌がったので、ほとんど写真が残ってないのですが、これには写っているんですよ。」おばあちゃんは壁に飾られた写真を見上げながら目を細める。


多勢屋
長い年月、共に風雪を凌いできた家を見つめるおばあちゃんの目は優しく温かい。すぐ近くには木曽川の名勝寝覚の床もあるのだが、旧中山道のこの小さな集落を訪れる人は少ない。旧立場茶屋の家で江戸や明治の昔に思いを馳せ、おばあちゃんの話に耳を傾けてみるのも、旅に一興を添えてくれるのではなかろうか。


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寝覚の床

木曽の山中で浦島太郎の伝説とは意外な気もするが、海岸で亀を助けて竜宮城へ行ったというのは、丹後の天橋立でのこと。浦島太郎が竜宮城から帰ってくると親兄弟に知人は誰一人として居なくなり、家や村は変わり果て、何百年もの月日が流れていたというのは広く知られた話である。途方に暮れた浦島太郎がこの木曽の山中にさまよいこみ、玉手箱を開いてしまったというのが、ここ寝覚の床であるという。

寝覚の名の由来もこの浦島伝説による。玉手箱を開けた浦島太郎は白髪のおじいさんになってしまう。まさに何百年もの夢から寝覚めたことから、この名が付いたらしい。その後の浦島太郎は村人から怖れられ消息不明になってしまったようで、奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し・・・竜宮城でこの世の春を謳歌した浦島太郎のお伽噺に、平家物語の縮図を感じてしまうのは大袈裟だろうか。そんな伝説を残す木曽八景の一つである寝覚の床は、木曽川の水流によって巨大な花崗岩が長い年月をかけて侵食されてできた自然の造形美。


臨川寺参道 臨川寺
寝覚集落の多勢屋と越前屋の間から木曽川へ向かう道が臨川寺参道。参道入口には門柱の礎石が残っている。
臨川寺は読んで字の如く木曽川を臨む寺。拝観料200円を払って境内に入り寝覚の床へ。


寝覚の床



寝覚の床



寝覚の床



弁才天堂
臨川寺境内にある弁才天堂。尾張藩四代藩主徳川吉通の命により、正徳2年(1712年)に完成。上松町内では現存する最も古い建築物。


臨川寺宝物館
臨川寺宝物館では浦島太郎が愛用したという釣竿や硯を展示。


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小野の瀑布

旧中山道は寝覚簡易郵便局の前でY字路左の道を選び、上松中学校の前を通る。中学校付近には石畳の坂道が残っており、少しだけ往時の面影を残している。滑川橋を渡り小野原集落まで来ると、旧道は中央本線と並行して坂道を一気に下る。下りきったところで線路を潜り抜け国道19号に合流すると小野の滝は近い。

木曽八景の一つ「小野の瀑布」として紹介されている小野の滝。歌川広重と渓斎英泉の合作、「木曾街道六十九次」の浮世絵には上松宿として小野の滝が描かれている。すぐ上には中央本線の鉄橋が架かり、景観を損ねているようにも見えるが、なかなか珍しい光景でもある。白糸のように流れ落ちる優美な清水は、旅人にひとときの憩いの場を提供する中山道の名所であった。


寝覚集落・桂の木
再び参道を通り寝覚集落へ戻る。写真正面に見える大きな木は、上松町の天然記念物に指定される桂の木。


旧中山道・上松中学校付近
上松中学校付近に残る石畳の坂道。


滑川橋 滑川橋
滑川橋を渡る。昔は桟、伊奈川橋とともに木曽三大橋の一つといわれたらしい。現在の橋もかなり古そう。かつては国道19号線だったことがうかがい知れる。


旧中山道・小野原付近 旧中山道・小野原付近
坂道を上って小野原集落を抜けると、今度は中央本線と並行して一気に坂道を下る。


旧中山道・小野の滝付近 国道19号・小野の滝付近
坂道を下りきると右へカーブし線路下を潜り抜ける。国道19号を進み小野の滝へ。


小野の滝
国道19号のすぐ脇にある小野の滝。滝壺脇に不動尊の御堂や常夜灯が残る。古くから中山道の広く知られた名所であり、御嶽信仰の水行の場でもあった。


小野の滝
白糸のように水が落ちる様は美しい。

小野の滝
滝のすぐ上に中央本線の鉄橋が架かる。


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暗闇の恐怖に耐えて

小野の滝から国道19号の中山道を700mほど南進し、国道を左の小径にそれると荻原集落に入る。集落入口には一里塚があった。集落を過ぎて国道に戻り、荻原沢を越えた先で再び国道を左に離れ、中央本線東側に残る旧中山道を歩む。串ヶ下と室戸の集落を経て、くるみ坂の野道を下り立町立場跡へ。


荻原一里塚跡
荻原の一理塚跡。街道両脇の塚上には榎が植えられていたが、今や塚も榎も現存しない。江戸日本橋から73里目(約287km)の一里塚。


荻原集落 荻原集落にて
荻原集落には立場茶屋が置かれていた。


国道19号・荻原付近 荻原沢
荻原集落を過ぎると国道19号に合流し、コンクリートの護岸に固められた荻原沢を越える。


串ヶ下集落
串ヶ下集落付近。中央本線東側を並進する旧中山道。

/室戸集落 室戸集落
室戸集落には「木曽古道」の標識がある。民家の軒先を進む旧中山道。


くるみ坂
くるみ坂を下り立町集落へ。


立町集落 立町集落
静かな町並みは夕闇の中に暮れゆく。立町集落はかつての立場。

18時を過ぎて空は急速に明るさを失っていく。ここから先、旧道の道筋を辿るのは困難となり、翌日倉本駅から旅を続行することにする。今日の宿泊先である須原へ向けて国道を行くのだが、街路灯がほとんどなく、月明かりもない国道はまさに暗闇。車のヘッドライトとわずかな携帯の明かりで足元を確認しながら歩く・・・。


須原駅

19時、ほうほうの体で暗闇を脱出し須原駅へ。正直、この山中の暗闇の国道は怖かった。これからどんどん日は短くなる。時間には余裕を持って行動しなければならないと、良い教訓になった。何せ木曽の山中、国道とはいえども全く何も見えない真っ暗闇なのだから。


「民宿いとせ」にて 「民宿いとせ」にて
須原駅から木曽川の対岸に渡り「民宿いとせ」へ。早速、夕食をいただくことにする。冷えたビールが五臓六腑に染み渡り、ボリューム満点の食事は飢えた体を生き返らせる。ここで先日中山道を歩いている大学生の女の子が泊まりに来たという話を聞く。

なんでも一人で旅をしているようで、倉本辺りで私と同じように暗闇の国道に足止めされてしまい、倉本駅から須原駅まで電車を使ったようだ。しかしこの辺りの電車は2時間に1本くらいの運行、夜間の強行軍もままならないので、計画的に歩かないとにっちもさっちもいかなくなる。それにしても逞しい女性がいるもんだ。

【第25日目】踏破距離 約12.6km(上松宿→須原宿)日本橋から296.7km 京都まで237km
まだまだ先は長い・・


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大沢川越えの旧道

【第26日目】9月23日(日) 倉本→須原宿→野尻宿→十二兼



早めの朝食を取り、7時頃に「民宿いとせ」を出発。空は一面明るい雲で覆われているが、昨日と変わらず今日の天気も良さそうだ。朝の清々しい川風が吹く木曽川を渡り須原駅へ。7時27分発の松本行きに乗車し、隣の倉本駅で下車。線路を潜って倉本駅の裏側にまわり、線路に分断された旧道から中山道の旅を再開する。

倉本集落から庚申塚を過ぎ、蛇行しながら急坂を下って大沢川を渡河する。近年までこの渡河地点には丸木橋が架かっていたようだが、朽ち果ててしまったのか橋は無い。飛び石で渡るしかないのだが、ここで思わぬアクシデントが。


倉本駅
早朝の倉本駅を出発。さすがに自分以外に降りる人はいない。


倉本駅裏の旧道
倉本駅の裏側にまわり、線路に分断された旧道から中山道の旅を再開。写真は旧道の分断地点。


倉本集落にて
倉本集落にて。しまむーの「嶋」です♪


倉本集落
倉本集落の町並み。この辺りの民家は茶屋を営んでいた。


倉本の庚申塔
倉本の庚申塔。享保12年(1727年)の建立で、「除三戸之罪」と彫られている。庚申とは?ここにある案内板の説明文が絶妙なので紹介する。

「暦の上で六十日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、その夜を眠らずに過して、長寿を願う信仰を庚申待(こうしんまち)といいます。人間の身中には、誰でも三戸九虫(さんしきゅうちゅう)が宿っていて、この虫は庚申の夜に人が寝た時、天へ上って天帝に、人間の罪過を告げて、人の生命を縮めるといいます。この虫の報告が五百条になると、その人は死ぬそうです。そこで庚申の日に、三戸の虫が寝ている時、天へ上らぬように、夜起きているわけです。」


大沢川付近の旧道
蛇行しながら急坂を下り車道へ出る。


大沢川越えの旧道 大沢川越えの旧道
ガードレールの合間から藪の中へ入り大沢川へ。


大沢川越えの旧道 大沢川越えの旧道
大沢川の旧道渡河地点。近年まで丸木橋が架かっていたらしい。ま、これくらいの川なら問題なく渡河できるだろう・・・と安易に思ったのが運の尽き。ひょいひょいと石を飛びながら対岸へ向かうその時、ズルっと足を滑らせ転倒。左足大腿部を強打したうえに、ズボンはズブぬれ。何とか対岸へ渡るのだが、足に痛みを残す。


大沢川
大沢川の流れ。

大沢川越えの旧道 大沢川越えの旧道
大沢川を渡河した先の道筋は不明。竹やぶを掻き分け急斜面を上り平地へ。


国道19号の大沢橋
道なりに進み国道19号大沢橋の南側に出る。一歩を踏み出す度に左足が少々痛むが、旅を続けるには問題なさそうだ。


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上郷のエドヒガン桜

大沢橋から国道を少し先に進む。池の尻信号から右小径の坂道を下っていくと、池の尻集落。集落を抜けて再び国道を進み、境の沢を渡った先で、今度は左小径の道筋を辿り中央本線を越える。そして養魚場の池が点在する斜面をすり抜けるように上っていくと、エドヒガン桜の古木に出会う。


池の尻集落
大沢川を渡った先、国道を少し外れた旧道沿いに小さな集落。池の尻集落はかつての立場。


旧中山道・境の沢付近 養魚場付近の旧道
池の尻集落を抜け国道で境の沢を渡る。間もなく左写真の所で国道を左に離れる旧道が現れるのだが、線路に阻まれてしまう。道は線路の先に続いているが、「危険につき線路横断禁止」の立て看板に思わず足を止める。しかし近くに踏切らしきものも見当たらず、後ろめたい思いで左右をよく確認し線路の向こうへ。


上郷付近の旧道
上郷付近の旧道。斜面に点在する養魚場の間をすり抜けるように進む。


上郷のエドヒガン桜
大桑村天然記念物のエドヒガン桜に出会う。今の季節は緑の葉を携えた平凡な古木だが、これから冬を迎えて古葉を落とし、来春には見事な桜花を咲かせてくれるのか。何百年もの昔からこの木の下を行き来する旅人を見てきた古桜、ゆっくりと杯を交わしながら昔話を聞きたいものだ。かつて多くの人々が往来した旧道は、人通りもなくひっそりと寂しい場所となってしまったが、今なおエドヒガン桜は健在である。


エドヒガン桜付近の旧道 エドヒガン桜付近の旧道
エドヒガン桜から先の旧道は藪の中。不安にかられながら、わずかな踏み跡を辿って先へ進むと右写真の丸太橋がある。しかし腐食が著しく危険。


上郷付近の旧道
旧道は再び線路に阻まれる。やはり横断禁止の立て看板があるが、やむなくここで線路を渡り国道に出る。


 旧中山道・上郷付近 旧中山道・上郷付近
旧道は国道と木曽川の間を進む。右写真の古民家を見ると間もなく国道に合流する。


大淵沢 国道19号・上郷付近
大淵沢を渡り国道を先へ。


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エゲ坂の旧道

国道19号の猿沢付近から須原宿手前まで、エゲ坂の旧道がかつての中山道として僅かにその体裁を保っている。猿沢(江戸側)からのアクセスは藪に阻まれ困難であるが、須原宿手前(京都側)から猿沢手前までそのルートを辿ることができる。しかし廃道と化し、長い時間ほとんど人が入っていないようで、倒木や道が崩落している箇所もあるので要注意。


猿沢 ジョロウグモ
猿沢付近から旧道はエゲ坂の上り坂となるのだが、藪に阻まれ立ち入ることができない。しかも藪の中はジョロウグモが群生しており行く手を阻む。見た目にもデンジャラスなジョロウグモであるが、毒は人間に害を及ぼさない。


上町踏切 エゲ坂の旧道
須原宿手前の上町踏切まで移動する。踏切を渡りすぐに左折。線路に沿って急坂を上っていく野道からエゲ坂の旧道へアクセスできる。


エゲ坂の旧道
急坂を上りきったところで振り返ると、須原駅や須原の町並みを一望。


エゲ坂の旧道 エゲ坂の旧道
旧道は薄暗い林の中へ。途中、小さな沢へ向かって下る旧道は崩落が著しい。


エゲ坂の旧道
沢を渡ると蛇行しながら急坂を上っていく。


エゲ坂茶屋跡らしき石垣
坂道を上りきると平地になっており、苔の生すいかにも古そうな石垣がある。茶屋跡であろうか。

エゲ坂の旧道 エゲ坂の旧道
倒木を乗り越えながら進む。エゲ坂頂上付近の旧道は道幅も広く状態は良好。往時の道幅を残していると思われる。


エゲ坂の旧道 エゲ坂の旧道
猿沢付近まで来るとやはり藪が密集しはじめ、ジョロウグモがそこらじゅうにクモの巣を張る。藪を掻き分け、クモの巣を破壊しながら進むのだが、猿沢まで下りるのは無理。ここで断念。


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須原宿

須原駅前から先の旧中山道を歩めば須原宿の町並みとなる。須原宿は正徳5年(1715年)に木曽川の氾濫で流失し、享保2年(1717年)に現在地へ移転。広々とした街道に面して格子戸の家が連なり、宿場情緒を携えた静かなたずまい。宿内には丸太をくりぬいて作られた水舟という水場が点在し、今も昔と変わらず清水がこんこんと落ちる。

駅前の大和屋では江戸時代からの名物である桜の花漬を製造販売し、脇本陣と問屋を務め酒造業を営んだ西尾家は、現在も地酒「木曽のかけはし」の蔵元を続ける。宿場の京側外れには桝形跡である鍵屋の坂があり、道の中央に用水路が配され宿場町の原風景を残している。須原宿は江戸戸日本橋から39番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口748人、家数104軒、本陣1、脇本陣1、旅籠24軒。


大和屋 桜の花漬
須原駅前にある大和屋。須原名物「桜の花漬」を製造販売する。桜の花を塩漬けにしたもので、湯呑に桜の花房を入れ煮え湯を注いで飲む。
焼酎のお湯割りにいいかも!と、一つ購入。


西尾酒造
脇本陣、問屋、庄屋を務め江戸時代初期から酒造業を営んだ西尾家。現在も地酒「木曽のかけはし」の蔵元である。


須原宿の町並み
須原宿の町並み。


須原宿の水舟
丸太をくりぬいて作られたこの水槽は水舟と呼ばれる。宿内のあちこちに点在する水舟は須原宿の特徴のひとつ。井戸から湧き出た清水をなみなみと蓄え、人々の生活の場、憩いの場となっている。

須原宿の水舟
正岡子規の歌碑と水舟。正岡子規は明治24年(1891年)に須原を訪れた。


民宿すはら
旧旅籠の「民宿すはら」。近年民宿は廃業してしまった。


須原柏屋
旧旅籠の柏屋徳次郎。二階軒下に掲げられる三都講の古い講札が目を惹く。


定勝寺
須原宿京側外れにある定勝寺(じょうしょうじ)。室町時代初期(嘉慶年間1387~1389年)木曽家11代目親豊により創建されたと伝わる。二度の木曽川氾濫で流失し慶長3年(1598年)現在地に再建された。桃山時代末期から江戸時代初期頃に見られる庭園様式の「鶴亀蓬莱庭園」が見所。


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間の宿・弓矢

須原宿を抜けて長坂の長い坂を上りきると二軒茶屋。すぐ先の橋場集落から伊奈川橋を渡る。かつての伊奈川橋は橋杭の無い刎橋で、渓斎英泉の浮世絵にも描かれた。旧中山道は大島集落から木曽川を大きく迂回するように左へ折れ、東集落を経て中部保育園前で右折して木曽川方向へ戻る。間もなく左手に天長院の古刹があり、付近の街道筋には茶屋本陣の高樋家があった。そしてかつての間の宿、弓矢の集落へ。


長坂 第9中仙道踏切
須原宿を抜けると長坂が待ち受ける。その名の通りのだらだらと長い坂。坂の途中で第9中仙道踏切を渡る。


二軒茶屋跡
長坂を上りきると二軒茶屋跡。御宿喜久屋の屋号を掲げた家がある。


橋場集落
橋場集落の町並み。付近に京都の清水寺を彷彿させるという崖屋造りの岩出観音があるのだが、思いっきりスルー。


伊奈川橋
伊奈川橋は桟、滑川橋とともに木曽三大橋といわれた。かつては橋杭の無い刎橋が架けられ、渓斎英泉の浮世絵「伊奈川橋遠景」に描かれた。現在架けられている橋にも橋杭が無く、何となく往時の姿を残しているようにも・・・。


伊奈川
伊奈川の流れ。伊奈川橋より望む。


大島集落 大島集落
左写真の大島橋手前で旧中山道は左に折れ、木曽川を大きく迂回する。初期の中山道は直進して大島橋を渡り、木曽川畔を辿る道筋だったが、度重なる水害に遭い現在の大回りの道に付け替えられたようだ。右写真は大島集落の旧道左折地点。ここにも水舟が置かれている。


東集落にて 東集落にて
東集落にて。先を急ぐ中山道ウォーカーにあっという間に追い越される。こちらはのんびりいきましょう。


地久山天長院
地久山天長院。文禄年間(1592~1596年)定勝寺七代天心和尚の開山。寛文年間(1661~1673年)に中山道の付け替えにより現在地へ移転した。


茶屋本陣・高樋家付近 水溜りとアメンボ
天長院付近の街道筋には茶屋本陣・高樋家があったらしい。右写真の家がそれっぽいのだが、特定できず。現在この辺りは長野中と呼ばれる地域だが、古くは平沢と称したらしい。
水溜りに目をやるとアメンボが元気に跳ね回る。ひと雨来るのだろうか・・・


間の宿・弓矢
上田沢を渡るとかつての間の宿、弓矢の集落。大桑駅に近く役場も置かれ、大桑村の中心地ともいうべき場所であるが、集落はそこはかとなく街道情緒を残すひっそりとした山里である。


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関所跡はモーテル?

弓矢集落から第10中仙道踏切を渡り国道19号に合流する。すこし国道を歩くと右手に関山関所跡がある。この辺りは木曽川が迫り、片欄干橋(桟のようなものか)が架けられる難所だったという。この狭い通路を利用して木曽義仲が関所を置いたといわれる。この難所も今や国道の開削によって安全な平地と化し、関所跡には廃墟のホテルと関山というドライブインが並び建つ。そんな場所ではあるが、奇跡的に旧道が少しだけ残り往時を偲ぶ。


第10中仙道踏切
弓矢集落から第10中仙道踏切を渡り国道19号に出る。


関山関所跡
ここが片欄干橋が架けられた難所で、木曽義仲が関所を置いたという関山関所跡。写真手前がドライブインの関山、奥は廃墟のホテルで裏手は木曽川の崖となっている。写真奥、雑木林の中の斜面に旧道が残っている。次の次の写真で紹介。


関所跡にある石碑
関山関所跡には「関所跡 モーテル○」と彫られた意味深な石碑がある。○は何という字なのか判読不能。廃墟のホテルはモーテルだったのか・・・どんな経緯があって置かれたのか・・・真相は闇の中。


関所付近に残る旧道
廃墟のホテル横、国道と木曽川の間の斜面にひっそりと旧道が残る。石積みのようなものも見えるが、これは片欄干橋の遺構なのか。


道の駅大桑
関所跡から500mくらい国道を進むと道の駅大桑がある。ここで一休み。


旧中山道・道の駅大桑付近 第11中仙道踏切
道の駅から更に500m程行くと国道を右の小径に離れ、第11中仙道踏切を渡る。


木曽川・林集落付近
林集落付近、木曽川の流れ。


林集落
旧中山道は林集落を進む。


野尻宿付近の旧道 野尻宿付近の旧道
集落を抜けると野道となり線路を越える。やはりここにも横断禁止の立て看板があるのだが、道は先へ続いている。やむなく・・・横断し倉坂の車道へ。


倉坂
倉坂を上れば野尻宿は近い。


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野尻宿

野尻宿は左右にくねくねとうねる街道筋に家々が軒を連ねる町並み。この宿場を貫く道は「七曲がり」と呼ばれ、先を見通せないようにすることで外敵の進入を防ぐ目的があった。本陣は問屋を兼ねて森家が務め、脇本陣の木戸家も問屋を兼ねていた。しかし両建築とも明治27年(1894年)の火災により焼失し、遺構は残っていない。

天保14年(1843年)当時の宿場は東西六町三尺(約655m)の長さで、人口986人、家数108軒、本陣1、脇本陣1、旅籠19軒。東(江戸より)から上町、中町(本町)、横町、荒田(新田)と続く。東と西のはずれに「はずれ」という屋号の家があった。江戸日本橋から40番目の宿場。


野尻宿上町
野尻宿上町の町並み。


野尻宿中町
野尻宿中町の町並み。この辺りに本陣、脇本陣が構えていた。


旅館庭田屋
かつての旅籠だろうか、旅館庭田屋は宿場の雰囲気が漂う建物。


野尻宿横町
野尻宿横町の町並み。こじんまりとした出桁造りの二階屋が軒を連ね、宿場情緒を残している。


野尻宿・与川道分岐点
与川道の分岐点。左折する道が与川道で、ここから根の上峠を越えて三留野宿へ至る。実はこちらの道も中山道。野尻宿と三留野宿間には木曽川の断崖が迫る木曽路最大の難所があり、これを避けるために享保年間(1716~1736年)与川道の迂回路が造られた。


西の宿はずれ
西の宿はずれにある家は、その屋号も「はずれ」。宿場の東はずれにも同じ屋号の家があった。


二反田橋
二反田橋を渡れば野尻宿は終わり。


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シラナミ坂の旧道

野尻宿を出ると下在郷の集落。道は三角形の飯盛山へ向かって続く。やがて中央本線と並進し、旧道は第13中仙道踏切手前の左斜面からシラナミ坂の上りとなる。しかし線路敷設の開削等により道は廃絶してしまったようで、現在辿ることはできない。シラナミ坂には新茶屋の立場が置かれていたのだが、その跡らしき石垣が山中に取り残されている。


下在郷集落
下在郷集落には築300年の新町屋や下在の一里塚跡があるらしいが、確認できず。正面に見える三角形の山は飯盛山。飯をてんこ盛りにしたような形をしている。飯盛山というと会津の白虎隊を頭に浮かべる人も多いと思うが、それと同名の山で特にゆかりは無いと思う。


野尻信号 野尻信号付近
集落の家並みが途切れると、野尻信号で一旦国道に接触。すぐにフォレスパ木曽方面の真新しい道に進路をとり、右写真の踏切手前で左の道へ。


第13中仙道踏切付近
中央本線と並進する。旧道は第13中仙道踏切手前の左斜面(写真付近)からシラナミ坂の上りとなるのだが、廃絶してしまい現在辿ることはできない。


第13中仙道踏切
第13中仙道踏切を渡り中央本線と木曽川の間の迂回路を進む。


シラナミ坂の旧道
写真左の山中を通ったシラナミ坂の旧道は、線路越しに下から見上げるしかない。


第14中仙道踏切
第14中仙道踏切を越えた所でシラナミ坂の旧道が下りてくる。ここから藪を掻き分け山中へ入ってみる。


シラナミ坂の新茶屋跡?.
新茶屋跡らしき石垣が山中に取り残されている。旧道の道筋は全くわからない。


新茶屋橋
第14中仙道踏切から旧道を少し先へ進むと、小さな橋に新茶屋の名が残されている。


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たどり着いたらいつも雨降り

シラナミ坂を越えた旧中山道は八人石(はちにんいし)集落を経て十二兼(じゅうにかね)集落へ。十二兼には牛方が多く住んでいた。


八人石橋付近 八人石集落
旧道から国道を少しだけ歩き八人石橋を渡る。ここを流れる川が大桑村と南木曽町の境。そして左写真の正面に見える坂道を上りきると、八人石集落に入る。


八人石の熊野神社
八人石の熊野神社。しとしとと雨が降る山里の神社には静寂感が漂う。


十二兼北信号 十二兼北信号のトンネル
旧道は十二兼北信号で国道と線路に分断されているが、線路向こうの木曽川に沿って道は続いている。ここは横断歩道を渡らず、道路下のトンネルを進み十二兼集落へ。


十二兼にて
十二兼集落にて。


十二兼集落
牛方が多く住んでいた十二兼集落。牛方とは牛を使って荷物を運ぶ人のことで、運送業の原形である。


十二兼駅
17時前十二兼駅に到着。雨は完全な本降りとなりタイミングよく駅に着いた。静かな無人駅で激しく屋根に打ちつける雨音を聞きながら、雲に煙る山々をしばらく眺めている。

やっとこれでおいらの旅も
終わったのかと思ったら
いつものことではあるけれど
ああ ここもやっぱり どしゃ降りさ♪

たどり着いたらいつも雨降り・・・か、何て吉田拓郎の曲が頭をよぎる。
深い雨雲に閉ざされた空はしだいに明るさを失いつつあり、やがて山里に静寂な闇夜をもたらすのであろう。ここから塩尻駅に向かい、例の如くスーパーあずさに乗車し帰京。

【第26日目】踏破距離 約7.2km(須原宿→野尻宿)日本橋から303.9km 京都まで230km
日本橋から300km越え!しかしまだまだ先は長い・・


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民宿ほていや

【第27日目】10月28日(日) 十二兼→三留野宿→妻籠宿



12時ちょうど新宿発のあずさ17号に乗車。関東は台風の急襲を受け天候は雨。今晩には関東沿岸に台風が接近し、明日には台風一過の晴天になるようだ。そんな台風から逃げるように一路塩尻へ。しかし世の中そんなに甘くない。茅野駅を目前にして特急は急に停車。何事かとおもったら倒木により線路が塞がれたと車内アナウンスがあり、復旧作業のためしばらく停車するという。ようやく2時間半後の16時半過ぎに運転再開。17時過ぎに塩尻駅へ到着する。

塩尻駅でこの特急の到着を待っていた中津川行きのローカル列車に飛び乗り、十二兼駅まで約1時間半の旅。十二兼駅へ着いた頃にはあたりは真っ暗で、今日の宿泊先である民宿ほていやに連絡し迎えにきてもらう。ほていやは十二兼から木曽川を隔てた対岸の柿其にある民宿。近郊に柿其渓谷という景勝地があり、夕景の柿其渓谷でも散策しようかと計画していたのだが、それも叶わず明日の早朝に予定変更。

食事をいただきながら、民宿のご主人としばし歓談。テレビでは日本ハムと中日が激戦を繰り広げている。ご主人は先日、72才にしてエージシュートを達成したという。エージシュートとはゴルフで自分の年齢以下でラウンドすること。しかも1アンダーで回ってきたというから相当のツワモノである。翌日気づいたことだが、玄関前の庭にはゴルフボールが散乱しており、並々ならぬ努力を物語っていた。


民宿ほていや
民宿ほていやの客間。今日の宿泊は私一人。贅沢な空間だ。


囲炉裏
古色を帯びた囲炉裏には風格が漂う。灰が舞ってしまうのでコンクリートで固めてしまったとのこと。


民宿ほていや
今日はこの部屋で床に就く。やはり畳の上は落ち着きます。


民宿ほていや
早朝、民宿ほていやの玄関。くぐり戸と土間の玄関が何とも懐かしい風情。


民宿ほていや

ほていやの建物は築150年以上の古家屋。この辺りの集落では最も古い建物だと、ご主人はいう。入口前に置かれた布袋様が目印だ。


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柿其の朝

早起きは三文の得とはよく言ったものである。夜明け間もない早朝、朝食の前に柿其渓谷へ散策に出かける。秋の装いを急ぐ山里は淡い陽光に映し出され、静寂の漂いの中に美しい風景を見せてくれた。


わずかに色付く紅葉



柿其にて



柿其にて



柿其にて



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柿其渓谷

木曽谷の隠れ里ともいわれる柿其(かきぞれ)渓谷。柿其川の水流が長い年月を経て花崗岩の山肌を侵食し、美しいV字形の渓谷をつくり出した。あまり知られた場所ではないのか、それとも朝の早い時間だったからなのか、観光客も無く閑散としていたが、エメラルドグリーンに透き通る水は神秘的で、巨大な花崗岩を縫うように落水する牛ケ滝は壮観のひと言だ。


恋路のつり橋
「つり橋はゆれるものです、ゆらす物ではありません。」と、注意書きに納得・・・。恋路のつり橋を渡って柿其渓谷へ。


柿其川
恋路のつり橋付近、柿其川の流れ。


柿其渓谷・黒渕
水の透明度を実感する黒渕。


柿其渓谷・黒渕
黒渕は天然の流水プールだとか。水はエメラルドグリーンに透き通る。


柿其渓谷
柿其川に沿って遊歩道が設置され、渓谷美を存分に堪能できる。


牛ケ滝
豪快な牛ケ滝を独り占め。言葉もありません。


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柿其水路橋

柿其渓谷から民宿ほていやに戻って朝食を済ませ、いざ中山道へ向けて出発。柿其川と木曽川を渡り中山道に歩みを戻す。その途中、柿其水路橋という水の架け橋がある。なにゆえ水が豊富なこの木曽谷でこんなものが必要なのか?これも柿其の見どころの一つ。


柿其川
篭渕橋で柿其川を渡る。観光地でもなく何気ない場所にもかかわらず、川筋の風景は美しい。


柿其川にて
柿其川にて。


柿其水路橋
これが柿其水路橋。


柿其水路橋
柿其水路橋は木曽川上流の読書ダムから下流妻籠宿付近にある発電所へ水を送る導水路の架け橋。ダムから導水路でゆるやかに水を引き、発電所で一気に落水させて発電動力を得る仕組みなのだ。大正時代、木曽川の水力発電開発に情熱を注いだ当時の大同電力(現在の関西電力)社長、福沢桃介により建設された。


柿其橋より、木曽川の流れ
柿其橋で木曽川を渡る。ここで柿其川と木曽川が落ち合う。


中河原立場茶屋跡
柿其橋から国道に出るとすぐ右手に明治天皇御小休所跡の石碑がある。ここが中河原立場茶屋跡の桜井家。明治天皇は明治13年(1880年)御巡幸の際、ここで休憩をとった。


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羅天の大難所を迎えて

中河原立場茶屋を出ると羅天と呼ばれる大難所にさしかかる。この辺りは木曽川の両岸に山が迫り、険しい断崖が川沿いに続く。中山道は断崖の僅かな平地に通路を確保し、それのできない場所には桟を架けて道を通す。この桟は羅天桟道とも羅天の桟とも人々に呼ばれる。と、いってもこれは過去の話。現在、桟が架けられていたであろう場所には、崖を削ってコンクリートとアスファルトで固められた安全な国道が敷かれ、車で通り過ぎてしまうとかつての大難所に気づく事はない。しかし国道を歩きながら木曽川をのぞき込むと、その高さに思わず足がすくみ、先人たちの苦労と恐怖が身にしみてわかるというものだ。


国道19号・羅天付近
中河原立場茶屋から国道19号を歩む。徐々に山が両側から迫ってくる。


羅天の木曽川
羅天を流れる木曽川。


羅天桟道跡
羅天桟道跡。羅天から与川渡にかけて断崖絶壁が続き、羅天桟道が架けられる中山道随一の大難所であった。ちなみに前述した与川道の迂回路はここを避けるために造られた。


木曽川と与川の合流
木曽川と与川の合流。この付近が与川渡と呼ばれる場所。


与川渡付近・木曽川の流れ
与川渡付近の木曽川。上流に読書ダムができたために水量が減り、大石がごろごろしている。


カラフルに色付く山
山の頂上付近はカラフルに色付く。


金知屋集落
金知屋集落。国道と並行して旧道が残り、数軒の家が連なる。羅天の大難所を抜けてきた旅人はここでほっと胸を撫で下ろし、これから向かう旅人は気を引き締めたことであろう。


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三留野宿

切妻造り妻入りの古建築が街道沿いに軒を連ね、各家の玄関にはかつての屋号を記した表札が掲げられる。そんな歴史を物語り静かな佇まいをみせる三留野(みどの)宿。しかし、宿場だった頃の建物は明治14年(1881年)の大火で全焼してしてしまい、現在の建物はそれ以降に建てられたもの。本陣や脇本陣もこの時に例外なく焼失し、往時を物語るものは類焼を免れた本陣跡の枝垂梅と明治天皇御膳水の井戸だけである。明治天皇はこの大火の前年、三留野宿本陣で宿泊された。

天保14年(1843年)当時の宿場は南北2町15間(約245m)の長さ。人口594人、家数77軒、本陣1、脇本陣1、旅籠32軒。江戸寄りから新町、上仲町、下仲町、坂の下と続く。三留野宿の江戸寄り外れから与川道が分岐する。江戸日本橋から41番目の宿場。


県道264号へ べに坂
国道19号から県道264号へ進む道が旧中山道。ここからべに坂を上る。


牧ケ沢川 べに坂からの眺め
牧ケ沢川を渡り、べに坂を上りきれば三留野宿である。


三留野宿・与川道との分岐
与川道との分岐点。何度もしつこいが、与川道は羅天の大難所を避けるために造られた迂回路。ここから木曽川を東側に避けて野尻宿へ至る。写真正面の上り坂が与川道。


三留野宿にて
三留野宿にて。


三留野宿・脇本陣付近
脇本陣付近、三留野宿の町並み。写真右のブッロク塀が脇本陣跡の宮川家。代々脇本陣を務める傍ら、三留野村の庄屋を兼ねた。


三留野宿本陣跡
三留野宿本陣跡。鮎沢家が代々本陣を務めた由緒ある場所だが、現在は森林組合の事務所となっている。写真に見える枝垂梅が本陣の名残をわずかに留めている。


三留野宿の町並み
三留野宿の町並み。


三留野宿・下仲町付近 三留野宿・坂の下
下仲町から道は二つに分岐する。どちらの道筋にもそれらしい雰囲気があり、どちらが中山道なのかわからない。おそらく左の緩やかに下る坂道は明治以降に開通した新道と思われる。ここは歴史の道の標識に従い、右急坂の階段を下り坂の下へ。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
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15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
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22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
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高札場
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