蛇抜け
三留野宿を抜け梨沢橋を渡り先へ進むと、蛇抜(じゃぬけ)橋という何とも意味深な名を持つ橋に出会う。蛇抜けとは?・・・大蛇伝説でもあるのかと思ったら大間違い。この言葉は古くから木曽谷の人々が怖れてきた山津波ともいわれる土石流のことで、梅雨時等の大雨が降ったときに沢伝いの土砂が崩れ、沢を蛇が抜けていくように土石流が襲ってくるという。木曽谷ではこの蛇抜けが度々発生し、多くの家屋を押し流し人命が失われてきた。蛇抜橋は過去にその自然災害が起こったことを物語っているわけだ。
白い雨が降る。大雨が降り続くのに沢の水が止まる。
蛇抜けが起こる前、木曽谷での言い伝えである。


梨沢橋を渡り三留野宿を抜けると、読書(よみかき)小学校という一風変わった名前の学校前を通る。読書とはこの周辺一帯の地名。明治7年(1874年)に与川村(よがわ)、三留野村(みどの)、柿其村(かきぞれ)が合併し、それぞれの頭文字を取り読書(よみかき)村という地名ができた。後の昭和36年(1961年)読書村、吾妻村、田立村が合併し、現在の南木曽(なぎそ)町が発足した。

これが蛇抜橋。過去に蛇抜けが起きたことを想像するには難しいほど、橋下を流れる沢は小さくか細い流れであった。

蛇抜橋は見た通りの頼りない木製の橋であるが、普通に車が走り抜けていく。

蛇抜橋を渡ると右眼下に南木曽駅が見える。奥に小さく見える橋が桃介橋。大正の電力王、福沢桃介が読書ダム建設の運搬路として造った吊り橋で、国の重要文化財に指定される。
