大井宿 竪町・茶屋町・橋場

本町から旅館いち川の角を右へ曲がると竪町の家並みとなり、その中心に大井村庄屋・古屋家の風格を感じさせる建築が現れる。竪町の突き当りに市神神社があり、ここを左折すれば茶屋町、橋場町と町並みは続く。そして橋場町で最後の枡形を右へ曲がると阿木川に架かる大井橋。ここで大井宿は終わりとなる。


大井村庄屋・古屋家
古屋家は江戸時代には商家を営み、天保元年から20年間程大井村の庄屋を務めた。


市神神社
竪町と茶屋町の境、4つ目の枡形角にある市神神社。かつては付近で良質の煙草を算出し、毎年1月7日に煙草の市が開かれていた。現在もその伝統は引き継がれ、同日に七日市が開かれる。


大井宿茶屋町の町並み
大井宿茶屋町の町並み。写真右、柳屋食料品店と隣に見えるマンションの間に番所道と呼ばれる小道があり、奥に尾張藩の白木番所が置かれていた。


茶屋町と橋場町境の枡形
茶屋町と橋場町の境、5つ目の枡形。


大井宿橋場町の町並み
大井宿橋場町の町並み。


大井宿京方外れの枡形
大井宿の京方外れにあたる最後の枡形。橋場町から突き当たりの大津屋菓子舗前を右折する道筋がかつての街道。ここで大井宿は終わりとなる。


大井橋
大井宿の京方入口にあたる大井橋。下を流れるのは阿木川。


阿木川 東銀座商店街
大井橋には中山道六十九次の浮世絵が並ぶ。橋を渡った先に東銀座商店街が続く。


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旧中野村

大井宿から大井橋を渡れば旧中野村の村域。旧中山道の景色は東銀座商店街から中野村庄屋の家や高札場跡、観音堂が残るかつての村中心部へと移り変わる。ここに流れる永田川には景観に配慮された長島(おさじま)橋が架かり、旧街道の雰囲気が漂う。


東銀座商店街
大井橋を渡り東銀座商店街へ。ここから旧中野村の村域となる。


菊水堂
中央通1交差点を越えたすぐ先にある和菓子屋の菊水堂。ここでオリジナル商品の「傘岩まんじゅう」をゲット。


東銀座商店街 東銀座商店街にて
東銀座商店街を行く旧中山道。


旧中野村の町並み
旧中野村の町並み。この辺りが中野村の中心部だったようで、庄屋の家(写真左、白壁の大きな家)や高札場があった。


中野村庄屋の家
中野村庄屋の家。かつての屋号は本酒屋という。文久元年(1861年)、ここに滞在していた岩村藩代官吉田泰蔵を野井村百姓代の熊崎新三郎が斬りつけるという刀傷沙汰が起きた。野井村は大湫宿の助郷村だったにもかかわらず、和宮降嫁の大通行の際に岩村藩代官より強制的に賄役に任じられ、この不公平な負担に事の発端があった。


中野観音堂
旧中野村の中心部、長島橋の袂にある中野観音堂。建築年代は不明であるが、江戸時代から現在地にあったことは古地図や古文書で確認できるという。かつては中野村の高札場でもあった。写真に見える秋葉灯篭は寛政8年(1796年)の建立。


長島橋
永田川に架かる長島(おさじま)橋。かつては洗橋と呼ばれる橋が架かっていた。周辺の景観は旧街道の雰囲気が漂う。


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西行ゆかりの地

嘆けとて 月やは物を思はする かこち顔なる 我が涙かな

唐突だが、この歌は小倉百人一首の86番で、西行法師が詠んだものである。西行は鎌倉時代の僧侶で歌人、俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)という。鳥羽院に仕える武士であったが、23歳で出家して諸国を行脚しながら数多くの名歌を残した。鳥羽院に仕える頃に同僚だった平清盛とは同い年にあたる。あの松尾芭蕉も憧れた人で、奥の細道は西行の足跡を訪ねる旅でもあった。

長島橋から豊玉稲荷を経て西行硯水公園へ。この辺りは西行が3年間逗留したというゆかりの地で、今も地域の方々に慕われているようだ。


坂の上交差点
坂の上交差点の五差路。正面に豊玉稲荷の赤い幟が見える。


豊玉稲荷神社
豊玉稲荷の境内。赤の鳥居が並ぶ長い石段を登りきるとここに着く。


水戸屋
新田の旧中山道沿いにある水戸屋。喫茶店なのだが自然薯を自社生産し販売しているという変り種。今日は残念ながら定休日のようで・・・。


西行硯水公園
水戸屋の先、旧中山道沿いにある西行硯水公園。ここにある説明板を全文紹介。
「文治2年(1186年)西行は二度目の奥州の旅に伊勢を出発した。鎌倉で源頼朝に会い、平泉で一年滞在した後、木曽路を経てこの地を訪れ、三年間暮したといわれる。歌人である西行は、多くの歌を詠み、こんこんとわき出るこの泉の水を汲んで、墨をすったと伝えられている。」


西行硯水
これが西行が墨をすったと伝わる西行硯水。


新田付近の旧中山道
新田付近の旧中山道。写真右に分かれる道が旧道で分岐角に西行公園がある。


西行公園
築山式庭園のような西行公園。西行がこの地を訪れてから800年以上も経つのだが、今なお周辺地域の住民がら慕われているようだ。


中仙道踏切
中仙道踏切の先へ続く旧中山道。いよいよ十三峠の難所が間近にせまる。


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十三峠越え①

大井宿と大湫宿間の約3里半(約14km)は連続する上り下りの坂道が続く。これが十三峠と呼ばれる峠越えの道で、「十三峠におまけが七つ」と言われるほど峠の多い難所だった。中山道制定当時、大井宿から御嵩宿間の中山道は釜戸を経由する比較的平坦な道筋だったが、慶長9年(1604年)にこの十三峠を越える道に付け替えられた。それに伴い大湫宿が設けられ、後に細久手宿が置かれた。何故、この難所を越える道に付け替えられたのかは不明な点も多いのだが、距離が短くなるということと、軍事防衛的な理由もあったらしい。

降りしきる雨の中、十三峠へ。


十三峠入口
十三峠の入口。「是より西 十三峠」の石標が立ち、石畳が敷かれた上り坂が始まるj。


西行坂
入口から最初の上り坂は西行坂と呼ばれる。付近に西行の墓とも供養塔とも伝わる塚があるのでこの名が付いたようだ。


槙ヶ根一里塚
西行坂を上りきれば槙ヶ根一里塚に着く。江戸日本橋から88里目(約346 km)の一里塚で両塚が現存する。かつては両塚の上に榎が植えてあった。現在は姫街道400年記念の植樹として榎の幼木が植えられている。


槙ヶ根・桜百選の園
一里塚の先にある桜百選の園。春には百種類の桜が咲き乱れるという。桜って百種類もあったんだ・・・


槙ヶ根付近の旧道
きれいに整備された槙ヶ根付近の旧道。


七本松坂
沿道に7本の松が並んでいたという七本松坂の上り。


槙ヶ根立場跡・水戸屋と槙本屋跡付近 茶屋水戸屋跡
七本松坂から車道に合流したとこで槙ヶ根立場跡となる。すぐに茶屋の水戸屋跡(右写真)があったのだが、見ての通り荒地を残すのみである。前回の記事で紹介した水戸屋と何らかの関係がありそうだが、真相は不明。


槙ヶ根坂 茶屋松本屋跡
セントラル建設の前で車道を離れ、槙ヶ根坂を上っていく。右写真は坂の途中にある茶屋の松本屋跡だが、やはり荒地となっている。

槙ヶ根立場跡・中野屋と伊勢屋跡
槙ヶ根立場の中野屋と伊勢屋があった場所。井戸や排水溝、かまど、炊事場の痕跡が残されている。槙ヶ根立場は9戸の茶屋からなる集落で、店先に草鞋を掛け餅を並べて旅人を迎えたという。立場内には伊勢神宮遥拝所が設けられていた。


炊事場跡
これが炊事場跡で奥に見える囲いは古井戸。深い井戸の底には今も水があるのだが、覗くと引きずり込まれそうな感じで怖い。まさか貞子は出てこないだろうけど・・・。


槙ヶ根・追分の道標 下街道と上街道の追分
槙ヶ根立場の京方外れで上街道(中山道)と下街道(伊勢道)が分かれ、その追分(分岐点)に「右西京大阪 左伊勢名古屋」と刻まれた道標がある。下街道は竹折、釜戸から高山(現土岐市)、池田(現多治見市)を経て名古屋へ至り、伊勢神宮参拝にも利用された道である。

ここから名古屋までの距離は中山道を利用するよりも下街道を利用したほうが約18kmも近かったため、商人や旅人に加え伊勢神宮の参拝者等で大変賑わったが、幕府は中山道の宿場保護のため商人荷の通行を禁止した。しかし、利便性が高い下街道を通行する商人荷は後を絶たず訴訟沙汰を繰り返したという。

右写真の左へ分かれる下りの道が下街道で、直進する道が中山道。


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十三峠越え②

槙ケ根の追分からは上りの坂道。坂の頂は祝峠と呼ばれ付近に姫御殿跡と子持ちの松跡、すぐ先に首なし地蔵という少々穏やかではない地蔵がある。石畳の乱れ坂を下り、乱れ橋を渡る。四ツ谷の集落へ入れば道はお継原坂の緩やかな上りに。


十三峠旧道・祝峠への上り
槙ケ根の追分から祝峠へ向かう上りの旧道。


祝峠の馬頭観音
坂の途中にある馬頭観音。


姫御殿跡
坂を上りきると旧道を見下ろす高台に姫御殿跡があり、ここを祝峠と呼ぶ。付近に松かさ(松の子)を多くつける子持松という大木があり、枝越しに馬籠(孫目)が見えることから、子と孫が続いて縁起が良いとされてきた。縁起もさることながら眺望も良かったので、文化元年(1804年)十二代将軍家慶に嫁いだ楽宮(さぎのみや)や文久元年(1861年)和宮の下向による通行の際、仮御殿を建て御休所となった。


子持松跡
子持松跡付近の旧中山道。写真左手が子持松の跡で、現在は何代目かの松の若木が立っている。奥に姫御殿のある祝峠。


首なし地蔵
首なし地蔵は宝暦6年(1756年)に地元住民によって旅行者の安全を願って建立された。もちろん当初は首が付いていたのだが、無くなってしまった理由についてこんな話が伝わる。説明板より抜粋して紹介。

『昔、二人の中間(ちゅうげん)がここを通りかかった。夏のことで汗だくであった。「少し休もうか」と松の木陰で休んでいるうちにいつの間にか二人は眠ってしまった。しばらくして一人が目覚めてみると、もう一人は首を切られて死んでいた。びっくりしてあたりを見回したがそれらしき犯人は見あたらなかった。怒った中間は「黙って見ているとはなにごとだ!」と腰の刀で地蔵様の首を切り落としてしまった。』

中間とは武家に奉公する士分の者のこと。言われなき難癖をつけられたうえ、首を刎ねられるとは何とも可哀想な地蔵様である。私と同じような思いだったのか、首を付けようと何人かの人が試みたというが、現在も見ての通りである。


「中山道みだれ坂」の石碑
「中山道みだれ坂」の石碑。ここから乱れ坂の下り。


下座切場跡
坂の途中にある下座切場跡。街道を通行する要人を村役人が土下座で迎えたところ。


乱れ坂の石畳
乱れ坂の石畳。乱れ坂は「みたらし坂」「祝い上げ坂」とも呼ばれる急勾配の坂道。そのため大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女人の裾も乱れるほどだったので、「乱れ坂」の名が付いたという。


乱れ川と乱れ橋
乱れ坂を下りきったところに流れるのが、これまた乱れ川といわれた小さな川。今は静かな流れだが、昔は石も流れるほどの急流だったという。宝暦年間(1751~1763年)飛脚たちが出資して土橋が 架けられ、「乱れ橋」とも「祝橋」とも呼ばれた。有料で通行させた頃もあったという。


お継原坂
お継原坂の緩やかな上りにさしかかれば、街道筋は四ツ谷集落の家並み。中山道四ツ谷休憩所の先、ぎふ建築住宅センター前に貴重な自動販売機があるので、ここで喉を潤そう。


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十三峠越え③

降ったり止んだりの雨模様だったが、天気は雲の合間から日が差すほどに回復。このまま天気がもってくれれば・・・と祈りつつ寒空の下、この辺りでは貴重な自販機で缶コーヒーを買い体を温める。とにかく真冬の雨は辛いのだ。

四ツ谷集落を抜け夫婦岩跡まで来ると、その先からはかくれ神坂、平六坂の上りが続く。ここを上りきれば、平六茶屋跡、びやいと茶屋跡のある平坦地に至り、更に歩めば紅坂一里塚に着く。この先から石畳の敷かれる紅坂を下った先に、うばが茶屋や馬茶屋が軒を連ねていた。本当はこの先にある深萱立場跡まで紹介したかったのだが、途中にある坂を調べているうちに一つの疑問が・・・。ここで筆(タイプ)が止まってしまったので今回はここまで。


かくれ神坂
かくれ神坂の上りは妻の神へと続く。賽の神坂、妻神坂とも呼ばれるこの坂の名は、いずれにしてもこの妻の神に由来があると思われる。


妻の神
悪霊の侵入をを防ぐと信じられてきた妻の神。かくれ神坂の頂にある。


平六坂の石碑 平六坂
妻の神から次に控えるのは平六坂の上り。


平六茶屋跡
平六坂を上りきれば平六茶屋跡。平六さんの茶屋だったんでしょうか。


旧中山道・ぴやいと茶屋跡付近
平六茶屋跡の先は一気に視界が開け、平坦な道が続く。沿道にぴやいと茶屋があったという。「びやいと」とは「枇杷湯糖」と書き、枇杷の葉に薬草を加えて煎じたものという。旅人の疲れを癒す薬湯だったのだろうか、江戸時代版の元気一発?


夫婦岩跡
夫婦岩跡。それらしきものは見当たらない。


紅坂一里塚
夫婦岩跡から緩やかに坂を上がれば紅坂一里塚。江戸日本橋から89里目(約350 km)の一里塚で両塚が現存する。


ぼたん岩
一里塚の先から紅坂の下り。石畳が敷かれているのだが、坂の途中で路面に写真のぼたん岩が現れる。この石畳の大石は牡丹の花に見えることからその名を付けた。


でん坂
紅坂を更に下っていくと路傍に「でん坂」の石碑がある。この坂は紅坂ともでん坂とも呼ばれていたということか。


うばが茶屋跡
紅坂(でん坂)の麓にある「うばが茶屋」跡。姥が営んでいた茶屋なのか?まさか乳母ではないだろうが・・・。ここで紅坂の石畳が終わる。


馬茶屋跡の集落
うばが茶屋跡のある集落には馬茶屋があった。馬が繋げるように深い軒が設けられ、馬に乗る台石が置かれていたという。


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十三峠越え④

里すくも坂なのか?黒すくも坂なのか?
うばが茶屋跡と深萱立場跡の間にある坂のことなのだが、参考にしている中山道の経路図には里すくも坂とあり、深萱立場跡の説明板にはくろすくも坂と表記さていることに気づいた。どちらが正しいのか?どっちでもいいといえばそれまでなのだが、少々気になったので調べてみた。まず、現地にある石碑の写真をじっくりと見てみたが、これが里とも黒とも読めるわけで・・・。そもそもこの石碑の文字が曖昧なのが、事の発端なのだろう。ネットで調べてみても里と黒の両方の表記が見られ、由来等結論づけさせてくれる資料も見あたらない。

そもそも”すくも”とは一体何のことなのだろうか。高知県に宿毛(すくも)市があるが、これはさすがに関係ないだろう。他には藍葉を発酵させたものを”すくも”と呼び、藍染の染料に使われるものだという。この坂の近隣で”すくも”を作っていたというのは十分有り得る話で、しかもこの”すくも”とやらは写真で見る限り黒い。更に”すくも”を調べてみると、ありました有力な情報が。同じ愛知県内に黒砂雲(くろすくも)という同名の地名があるのだ。この地名の由来について調べてみれば、この坂の真相がわかるかもしれない。しかし、そこまでの気力もなく、どなたか真相をご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

前置きがながくなってしまったが、今日のところは”黒すくも坂”説を採ることに。黒すくも坂から深萱立場跡までの旧中山道を紹介。


黒すくも坂
これが問題の黒すくも坂。うばが茶屋、馬茶屋跡の集落から続く何てことはない下り坂なのだが。


黒すくも坂の石碑
そして問題の発端となったと思われる石碑がこれ。里なのか黒なのか・・・どう見える?


佐倉宗五郎大明神 三社灯籠
坂の途中にある佐倉宗五郎大明神と三社灯籠。こんな所で佐倉惣五郎の名を見るとは意外や意外。千葉県民にとっては宗吾霊堂で馴染み深い人。徳川四代将軍家綱の時代、窮乏する佐倉藩の領民を救うために将軍へ直訴し、磔刑の死罪に処された義民である。この地にも惣五郎と同じような義民がおり、その功績を称え祀られたらしい。


藤村高札場
坂を下りきったところで、永久(ながひさ)橋を渡る。先に見えるのは藤(ふじ)村の高札場跡。


深萱立場跡
大井宿と大湫宿の中間に位置する深萱立場跡。茶屋、立場本陣、馬茶屋等の10戸余りの人家があり、餅や栗おこわが名物だった。立場本陣は加納家が務めたが、その建築は残されていない。


深萱立場跡・山形屋
深萱立場跡にて。門前に「山形屋 渡邉」の石碑が置かれているが、この家は山形屋の屋号で茶屋を営んでいたのだろうか。


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十三峠越え⑤

深萱立場跡からは西坂、みつじ坂の上り。その頂が三城峠である。ここから茶屋坂を下りきれば恵那市から瑞浪市へ入り、旧中山道は観音坂と新道坂の二又に分かれる。本来の中山道を歩きたければ観音坂へ、先を急ぐのであれば新道坂を上ろう。新道坂の方が150mくらい距離が短縮される。坂上で再びこの二路が合流すると、道は木々の合間を抜けて大久後(おおくご)立場跡へと続く。


西坂・馬茶屋跡付近
深萱立場跡からアスファルトに舗装された西坂を上ってくると、写真の民家が現れる。この辺りは少しだけ平坦地になっており、かつては馬茶屋があった。馬茶屋跡の標柱が立てられている。


西坂・馬茶屋跡付近
馬茶屋跡から先はアスファルトの舗装が途切れ、落ち葉の敷き詰められた土道を上る。


西坂・茶屋跡付近 茶屋跡の水場
西坂の途中には茶屋跡があり、水場らしきものが残っている。


みつじ坂
西坂の次はみつじ坂の上り。


三城峠
みつじ坂の頂は三城峠である。愛用の中山道経路図には「ここより権現山、奥の権現 藤の三城が見えた」と峠の名の由来らしきものが書いてあるが、藤の三城とは何のことなのかよくわからない。


ばばが茶屋跡
三城峠にあるばばが茶屋跡。ばばさんが茶屋を開いていたから、ばばが茶屋だそうで。


茶屋坂
三城峠からは茶屋坂の下り。


中山道石碑と茶屋坂
茶屋坂を下りきると大きな中山道の石碑が現れる。ここが恵那市と瑞浪市の境。


傘岩まんじゅう
時計を見るとすっかりお昼を過ぎた13時半。腹も減るわけだ。こんな山の中ではコンビニもあるはずがなく、大井宿で買った傘岩まんじゅうを食べて腹ごしらえ。


大久後の向茶屋跡 旧中山道・大久後の向茶屋跡付近
大久後の向茶屋跡を経て観音坂・新道坂の上り口へ。


観音坂・新道坂の上り口
観音坂と新道坂の上り口で分岐点。左の道は農道で右の舗装された上りが新道坂。そしてこの二又の間を直進する鬱蒼とした上りが観音坂である。観音坂と新道坂は再び合流するのだが、観音坂が約400mあるのに対して新道坂は150m程短くなっている。観音坂の途中には馬頭観音があり、これが坂の名の由来だろう。


新道坂 新道坂と観音坂の合流
今回は距離の短い新道坂を選択。坂を上りきったところで左から観音坂経由の旧道が合流してくる。


大久後立場跡
灰くべ餅の出茶屋跡の標柱を過ぎると、木々の合間に数軒の民家が見えてくる。これが大久後の集落で、かつては立場であった。灰くべ餅とやらが名物だったのだろうが、どんな餅だったのだろう?


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十三峠越え⑥

大久後の集落からは権現山の麓に沿って権現坂、鞍骨坂、吾郎坂、樫の木坂、巡礼水の坂と、ひたすらに上り坂が続く。その途中には立場跡や一里塚、石畳等が残り、旧街道歩きの気分を存分に盛り上げてくれる。


大久後の観音堂と弘法様
大久後集落の京方外れにある観音堂と弘法様。この先から権現坂の上りとなる。


権現坂
権現坂は短いが急勾配の上り。ここから権現山の裾に沿って旧道は西へ延びる。


鞍骨坂
権現坂の次は鞍骨坂の上り。この坂の名も由来が気になる。鞍骨とは馬や牛の背に載せる鞍の骨組みのようなものらしいが・・・何故この名が付けられたのか。


炭焼立場跡
鞍骨坂を上りきれば炭焼立場跡の集落に着く。この炭焼立場という名も気になるのだが、その由来については不明。周辺の木材を焼いて炭を作っていたのか、何か炭焼きの名物があったのか・・・。


吾郎坂
そして炭焼立場の先に控える上りは、これまた意味深な名の吾郎坂。太田南畝の壬戌紀行には炭焼の五郎坂と書かれている。


吾郎坂上
吾郎坂上の平坦地を歩いていると、熊の目撃情報を伝える看板が立てられていた。さすがに今時期は冬眠中だろうけど、やはり不安になるものだよ。


樫の木坂
樫の木坂の上り。この先に約80mの石畳と一里塚が残っている。


権現山一里塚
樫の木坂の途中にある権現山一里塚は江戸日本橋から90里((約353 km)の一里塚。その両塚の間を石畳の旧道が通る。


巡礼水の坂
一里塚を過ぎれば巡礼水の坂を上る。


巡礼水の坂の頂 十三峠の巡礼水
巡礼水の坂の頂にはその名の由来となった小さな池の跡があり、これが巡礼水と呼ばれた清水の名残。案内板によると、「その昔、旅の母娘の巡礼がここで病気になったが、念仏によって目の前の岩から水が湧き出し、命が助かったと言い伝えられています。」とある。

右写真が巡礼水の跡で、見ての通り水は枯れ、落ち葉で埋め尽くされているが、僅かに湧水が残っているらしい。何故だかわからないが8月1日に水が枯れることがないという。


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十三峠越え⑦

巡礼水からは一転して坂道を下ることになる。びあいと坂、曽根松坂、地蔵坂を下り、次にしゃれこ坂、山の神坂の上りと少々忙しい。童子ヶ根という場所から山中を抜けると、十三峠最後の坂道となる寺坂の急な下り坂。その先、眼前に大湫(おおくて)宿の町並みが現れる。


旧中山道・中山道GC付近 中山道GC
ゴルフ場の中を通る旧中山道。ネット越しにコースが見え、路傍にはカートのリフターが設置されている。このゴルフ場はその名も中仙道ゴルフ倶楽部。一度プレーしてみたいなぁ。


びあいと坂
中仙道ゴルフ倶楽部のネット横を下るびあいと坂。ここから旧道は一転して下りとなる。途中にびあいと出茶屋があったので、この名が付けられたようだ。前にも説明したが”びあいと”とは琵琶湯糖という飲み物のことである。


曽根松坂
次に控える曽根松坂は松並木の下り坂。一部石畳も残っているらしいが未確認。


阿波屋の茶屋跡
曽根松坂を下りきった所に阿波屋という茶屋があった。茶屋の遺構は無く現在は石碑があるのみだが、阿波屋観音の石窟(写真右奥)が残されている。


阿波屋観音
これがその石窟内部。阿波屋観音は道中の安全を祈って天保11年(1840年)に建立され、33体の馬頭観音が納められている。そのため三十三観音とも称された。この馬頭観音は大湫宿の馬持ち連中と助郷の村々から寄進されたもの。


地蔵坂
阿波屋の茶屋跡から地蔵坂を下る。


尻冷しの地蔵尊
途中には坂の名の由来となったと思われる尻冷しの地蔵尊がある。昔、ここに飲み水となる貴重な清水が湧いており、感謝の意をこめてこの地蔵が建てられた。ちょうどその清水で尻を冷やしているように見えたことから、この愛称で呼ばれるようになったという。現在は残念ながらその清水は見えない。


しゃれこ坂上り口 しゃれこ坂
一旦、林を抜けて車道を横切ると、しゃれこ坂の上り口から再び林の中へ。この坂の名は”しゃれこうべ”から採られているようだが、由来については不明。八町坂とも呼ばれていたようだ。坂の途中に石碑があり、太田南畝の壬戌紀行から一文が紹介されている。

「曲がりまかりて登り下り、なお、三、四町も下る坂の名を問えば、しゃれこ坂という。
右の方に南無観世音菩薩という石を建つ。 
向うに遠く見ゆる山は、かの横長岳(恵那山)なり。」 


しゃれこ坂
しゃれこ坂で久々に人の気配。挨拶を交わし、落ち葉を踏みしめながら先へ。


山の神坂
次に控えるのが山の神坂の上り。これが十三峠最後の上り坂となる。


童子ヶ根
山の神坂を上りきると童子ヶ根という場所に着く。


寺坂
童子ヶ根を過ぎれば寺坂の下りとなり、目の前に大湫宿の町並みが突如として現れる。長い長い十三峠の山道を越えて、ようやく見る宿場町・・・何と表現してよいのか。とにかく感慨深いのだ。


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大湫宿

東に十三峠、西に琵琶峠を控え、いかにも山間の宿場町といったロケーションの大湫(おおくて)宿。寺坂の急勾配を下りきった先から、その家並みを連ねる。大湫は大久手とも表記されるのだが、久手とは湿地や窪地のことを意味する。周辺からの山水がここに集まり滞るのだろうか、山間の狭い平地にもかかわらず、それを物語るように宿場の裏手には水田がひしめき合う。

大湫宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西3町6間(約338m)、人口338人、家数66軒、本陣1、脇本陣1、旅籠30軒。江戸方から北町・白山町・中町・神明町・西町と続き、北町と白山町の境に枡形の曲がり角、神明町に弓形の曲りが設けられている。本陣は白山町の街道西側、大湫公民館の裏手辺りにあったのだが、現在は大湫小学校の校庭と化している。脇本陣と問屋は白山神社と神明神社の間、中町に置かれていた。


寺坂 寺坂の石仏群
寺坂を下りきった先から大湫宿の家並みが連なる。寺坂は坂の途中に宗昌寺があることからこの名が付いた。左写真の街道左手が宗昌寺の敷地で、右写真はその街道を挟んで向かいにある寺坂の石仏群。


大湫宿・北町
大湫宿・北町の町並み。ここにある若竹屋は大湫宿唯一の店。次に控える琵琶峠越えのために、ここで飲料や食料を補給しよう。


大湫宿・白山町
北町と白山町の境が枡形の曲折点だったとすると、この枡形から白山神社の参道付近までが白山町だったのだろう。旅籠の三浦家や問屋の丸森森川家が江戸末期の建物を残しており、本陣跡もここにある。写真右手奥に見える建物が三浦家で、手前が丸森森川家。その向かいにある大湫公民館の裏手が本陣の敷地で、現在は大湫小学校の校庭と化している。


大湫公民館 大湫小学校
左写真が大湫公民館で、右写真はその裏手にある大湫小学校。手前の校庭が本陣の敷地跡である。見ての通り遺構は何も残されていないが、皇女和宮が宿泊したことを記念し、傍らに和宮の歌碑が建てられている。

遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり



おもだか屋
大湫宿無料休憩所の「おもだか屋」。かつては旅籠を営んでいた。大湫宿は天保14年(1843年)当時、家数66軒の小さな宿場町なのだが、半数に近い30軒もの家屋が旅籠だった。


大湫宿・中町
白山神社参道付近から神明神社付近までが中町だったと思われる。白山町と中町辺りが宿場の中心で、中町には脇本陣や問屋場が置かれていた。脇本陣を務めた保々家は規模を縮小しながらも母屋や門、庭を残している。


大湫宿・神明町
神明神社周辺が神明町だったのだろう。街道が弓形に曲げられている。


神明神社の大杉
神明神社の境内にそびえ立つ大杉は樹齢1300年と推定されている古木。幹周り約11m、高さは約60mもあるそうで、これほどの大木はそうお目にかかれない。近年、落雷があったようだが軽微な損傷で済んだのは、さすがは御神木といったところか。その大杉の前にある泉は神明の清水と呼ばれ、昔は飲料水として重宝されていたという。


大湫宿・西町
神明神社を過ぎれば西町。道幅が狭くなり宿場情緒の漂う町並みを残す。京方外れに高札場が置かれていた。


大湫観音堂
西町の街道右手、高台にある大湫観音堂。道中安全、病気全快の観音様として信仰を集めた。現在の建物は弘化4年(1847年)の再建。


大湫宿・観音堂から望む
観音堂からは大湫宿を一望。宿場の裏手は水田地帯となっている。


大湫高札場跡
大湫宿京方外れにあたる高札場跡。ここで大湫宿は終わり。


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母衣岩と烏帽子岩

大湫宿から琵琶峠の上り口にかけての旧中山道。大湫の二つ岩とも夫婦岩とも称される大石が路傍に並び一際目を惹く。それぞれ母衣(ほろ)岩、烏帽子(えぼし)岩と呼ばれる。

『道の左に立てる大きなる石二つあり 一つを烏帽子石という 高さ二丈ばかり巾は三丈に余れり また母衣石というは高さはひとしけれど巾は是に倍也り  いずれもその名の形に似て 石のひまひまに松その外の草木生いたり まことに目を驚かす見ものなり』
太田南畝の壬戌紀行より


旧中山道・小坂付近
大湫宿を抜けると小坂の緩やかな下り坂となる。写真左手前に紅葉洞の石橋、その奥に小坂の馬頭観音が見える。


紅葉洞の石橋 小坂の馬頭観音
左の写真が紅葉洞の石橋。車道両脇にそれぞれの欄干が移されてしまったため、石橋らしさはないが、橋の下には今も小さな水の流れがある。欄干に何か文字が刻まれているが判読不能。左の写真が小坂の馬頭観音。


浮世絵「大久手宿」のポイント
県道から右に分かれる旧道を進むと休憩所がある。ここが広重の浮世絵、木曽街道六十九次の「大久手宿」が描かれた場所らしい。浮世絵と比較してみると、確かに風景が良く似ている。


大洞の馬頭様
この休憩所付近に大洞の馬頭様がある。


大湫の二つ岩・母衣岩
大湫の二つ岩と呼ばれる大石が路傍に並び姿を晒している。こちらがその一つ、母衣岩(ほろいわ) 。真ん中に割れ目があり、お尻のようにもみえる。


大湫の二つ岩・烏帽子岩
こちらが大湫の二つ岩のもう一つ、烏帽子(えぼし)岩。もちろんここには海辺もホテル・パシフィックもありません。


旧中山道・大湫病院付近 大湫病院付近の路傍にて
大湫病院付近の旧中山道。しっかりと舗装された県道であるが、右手の路傍にはゴツゴツと大きな岩が突出している。


琵琶峠東上り口
ここで県道を離れ、いよいよ琵琶峠の上り口にさしかかる。いざ琵琶峠へ!


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琵琶峠越え①

大湫宿と細久手宿の間、標高約560mの山間に位置する琵琶峠。東西どちらの上り口からでもそれほど高低差はなく、距離も約1kmと短い。しかしながら、昭和45年(1970年)に確認された約400年前の石畳が500m以上に渡って残り、往時の面影を色濃く残している。久手と久手を結ぶ湿地帯を行く峠道だったことから、この石畳の舗装がなされたようだ。古の中山道を体感でき、ウォーキングにはお奨めのコース。


琵琶峠旧道
いざ、琵琶峠へ。


琵琶峠旧道
琵琶峠の石畳は一つひとつの石が大きい。


琵琶峠旧道
当時の側溝も確認できる。


琵琶峠の頂付近
琵琶峠の頂付近。道幅を狭めながらも石畳の道が続く。


琵琶峠頂上の馬頭様
琵琶峠の頂上には馬頭様が祀られ、その傍らに和宮の歌碑が建てられている。

住み馴れし 都路出でて けふいくひ  いそぐもつらき 東路のたび



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琵琶峠越え②

琵琶峠は何ゆえ琵琶峠と呼ばれるようになったのだろうか。日本最大の湖、琵琶湖まではまだまだ遠い美濃路の峠、当然に頂からその姿を望むこともできない。何らかの形で琵琶に由来があるのだろうが、真相はわからない。ネットで調べてみると「琵琶の修行に来ていた京都の法師が奥義を悟った場所」 「西からの姿が琵琶に似ている」 「琵琶湖に近い伊吹山が正面に望める」など諸説あるようだが、これといった決め手に欠ける。案外、頂上に近づくにつれ勾配がきつくなり、峠で鋭角に上り下りが反転することから、琵琶の形状が想像されたのではなかろうか。歩いてみると、そんな気がしてくる。

そんな琵琶峠を下る。石畳はなおも続き八瀬沢一里塚(琵琶峠一里塚)を経て八瀬沢立場跡へ。


八瀬沢一里塚
琵琶峠を越え下り坂に反転すると、間もなく八瀬沢一里塚(琵琶峠一里塚)。江戸日本橋から91里目(約357km)で、両塚ともほぼ完全な形で残っている。


琵琶峠旧道
下り坂の石畳は続く。先に見える建物は琵琶峠休憩所。


琵琶峠旧道
車道を越えて石畳は続く。さすがに車道に敷かれた石畳は復元されたものだろうけど。


琵琶峠の石畳終点
この先で石畳は終わり。


琵琶峠旧道
石畳が終わると落葉畳の道を下ることになる。


八瀬沢立場跡
ここが琵琶峠西の上り口にあたる八瀬沢立場跡。難所と呼ぶには少々大げさな峠越えの道だったが、琵琶峠には古の旅人の気分を体感できる中山道が残されていた。


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琵琶峠越え③

北野坂、焼坂の旧中山道。琵琶峠・西の上り口の先からはアスファルトに舗装された道となるのだが、細久手宿に向けてまだまだ上り下りが続く。路傍には地蔵や馬頭観音が置かれ、旧街道筋に花を添えていた。そうこうしているうちに日没を迎え、西の空は茜色に染まりつつ・・・。


琵琶峠西の上り口
琵琶峠西の上り口を過ぎると、旧中山道はアスファルトに舗装された県道に姿を変える。


北野坂
北野坂の上り。この辺りの地名が北野ということから、この坂の名が付いたのだろう。


北野坂上
北野坂上まで来ると「北野坂の廻国塔」の標柱が立っており、ここから道は二又に分かれる。旧中山道は左の道へ。廻国塔とは何なのか、スルーしてしまったのでわかりません。


旧中山道・国際犬訓練所付近
国際犬訓練所なる施設がある。


旧中山道・一つ屋茶屋跡付近 一つ屋茶屋跡
国際犬訓練所を過ぎると北野バス停の先から下り坂となる。坂の途中、わずかな平坦地に「一つ屋茶屋跡」なる標柱が立っているのだが、雑木と藪に覆われ何もない。かつては1軒の茶屋があったのだろうか。


旧中山道・天神前バス停付近 天神辻の地蔵尊
更に坂道を下り、天神前バス停まで来ると天神辻の地蔵尊に出会う。バス停付近から北野天神へ至る道が分かれている。


旧中山道・焼坂 焼坂の馬頭様
焼坂を下る。やはりここにも馬頭観音がある。


焼坂の空
焼坂から夕暮れの空を撮ってみた。西の空は茜色に染まりつつあり、辺りはしだいに色を失っていく。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
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下野国今市宿を発ってから…
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武蔵国千住宿を発ってから…
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【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
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【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
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