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今渡立場

伏見宿を出てからは郊外型店舗の並ぶ国道21号を歩む。これといった見どころは無いのだが、愛知用水を越えた所で国道を離れると、今渡(いまわたり)の町へ向けて徐々に旧街道の雰囲気を携えていく。太田の渡しを控えた木曽川畔の今渡には立場が置かれ賑わった。


国道21号・上恵土付近
残雪の歩道を歩いて。


上恵土神社 木曽川・上恵土神社付近の流れ
国道沿いにある上恵土神社。裏手にまわると崖下にゆっくりと木曽川が流れている。木曽谷を共に歩んできた木曽川と久々の再会である。すっかり川の規模を逞しくしているが、グリーンに映る川面はそのままだ。


国道21号・中恵土付近
郊外型店舗の並ぶ国道21号。どこでも見かけるような景色。


恵土一里塚跡
江戸日本橋から97里目(約381km)にあたる恵土一里塚跡。当然何も残っていないが、跡地を示す石碑が置かれている。


愛知用水
大東橋で愛知用水を越えたら国道を離れる。


辞世塚
辞世塚なるものがあった。句碑には誰かの辞世の句が刻まれているようだが、何なのかよくわからない。


JR太多線・中仙道踏切
中仙道踏切を渡る。


旧中山道・住吉付近
この先、住吉交差点で国道21号を渡る。

可児市今渡にて
雪解け。


今渡公民館南交差点付近
今渡公民館南交差点で国道248号と合流し今渡へ。


今渡立場跡
今渡立場跡の町並み。太田の渡しを控えて旅人で賑わった。立場跡の街道筋には今渡神社や富士浅間神社、龍洞寺がある。写真の直進する道が旧中山道で今渡の渡し場跡へ至り、右に曲がる道は国道248号の道筋となり太田橋で木曽川を渡る。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

太田の渡し

木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい

伏見宿と太田宿の間を流れる木曽川。中山道は太田の渡しでこの木曽川を渡河していたのだが、これが相当の難所だったらしく、木曽の桟や碓氷峠と並び称されるほどの場所だった。木曽路では細々とした流れだった木曽川も、ここまで来ると大小様々な川の水を集めて大きな流れとなっている。現在は上流部にいくつもダムがあるので水量はある程度調整されるのだろうが、昔は雨が降れば降っただけ水が流れてきたのだろうから、水量が増せば流れも速くなり、渡し舟での川越えは相当難儀したことは想像できる。

そんな太田の渡しも船頭が櫓や櫂を操る旧態依然の渡船から明治34年(1901年)に岡田式渡船(両岸を渡すワイヤーと滑車により船を誘導する方式)が採用され安全に渡河することができるようになった。しかし昭和2年(1927年)に渡し場のすぐ上流部に太田橋が完成すると、渡し舟は時代に抗うことなく消え去った。

可児市教育委員会設置の案内板によると伏見宿側の渡船場を「今渡の渡し場」、太田宿側を「太田の渡し場」と呼称したとあるが、愛用の中山道ルート図には太田宿側は「川合の渡し場跡」と表記されている。いずれにしても呼称は案内板に従うこととし、ここでは総称して太田の渡しと表記する。


弘法堂 錦江水
今渡の渡し場跡に残る弘法堂と錦江水。「可児の名地水 美味しい!!飲み水!!」と案内書きされているので、言われるがままに錦江水を飲んでみる。外気温が低かったせいなのか、意外になまぬるく感じた。ここで湧き出ている水なのだろうか。


今渡の渡し場跡
今渡の渡し場跡。ここから渡し舟で対岸に渡ることができれば風流なんだけどなぁ・・・。現在はすぐ川上にある太田橋を渡るしかありません。


太田橋
これが太田の渡しに架かる太田橋。見ての通り歩道が無く、ダッシュで渡るのが賢明。


木曽川・太田の渡し跡
木曽川・太田の渡し跡夕景。渡し舟のシルエットがあればもっと絵になるんだけどなぁ・・・。


太田の渡し場跡
太田の渡し場跡から今渡の渡し場跡を望む。太田の渡し場跡付近の河川敷は化石林公園として整備されている。


木曽川土手
木曽川を渡ると美濃加茂市に入る。太田宿まで木曽川の土手を歩く。


太田の渡しの灯篭
今宵はこのあたりで失礼つかまつる。


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夕闇の中をひとり

夕闇に暮れゆく木曽川を眺めながら一人土手をトコトコと歩いていく。頬をなでる美濃路の風は日が落ちてなおさらに冷たい。一人旅は自由気ままに行動できる反面、茜色の空が徐々に明るさを失う頃、切なさというか、寂しさというか・・・そんな気分がこみ上げてくるものだ。そして閑かな太田宿へ。


木曽川土手・太田宿付近



太田宿にて



太田宿夜景



太田宿夜景



太田宿夜景



中華料理 壱番
今日の旅の終わりはここで。美濃加茂駅前にある中華料理壱番でビールをはらわたに染み渡らせながらラーメンをすする。そして宿泊先のルートイン美濃加茂へ。お疲れ様でした。

【第33日目】踏破距離 約12.6km(御嵩宿→伏見宿→太田宿)
日本橋から389.6km 京都まで144km まだまだ先は長い・・


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太田宿・上町

【第34日目】2008年2月11日(月) 太田宿→鵜沼宿→加納宿



建国記念日を迎えた月曜日の早朝、部屋のカーテンから漏れる陽光に目を覚ますと、まずは窓から空模様を確認する。歩き旅は何はともあれ天気が一番気になるのであるが、幸いなことに空は雲と晴れ間が半々といったところでまずまずな感じ。しかし厳しい寒さであることは街の佇まいにうかがえ、これで雨でも降ろうものなら旅というより修行以外の何物でもない。できるだけの厚着に身支度を整えてルートイン美濃加茂を出立。白じむ息に手を温めながら太田宿へ。

飛騨街道や群上街道が分岐し、東へ向かう中山道は難所・太田の渡しが控える。そんな交通の要衝に位置する太田宿は、かつて東へ西へと行き交う旅人で賑わったのだろうが、今は静かな佇まいの町並み。宿場跡は美濃加茂市中心部からやや外れた位置にあるうえ、国道21号のルートからも外れているため、家並みや道筋に宿場の雰囲気を良く残している。

太田宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西6町32間(約679m)、人口505人、家数118軒、本陣1、脇本陣1、旅籠20軒。江戸方から上町、仲町、下町と続き、宿場外れのそれぞれに枡形が設けられている。宿場中心の中町に本陣・脇本陣と問屋場2軒があり、上町にも問屋場が1軒置かれていた。


美濃加茂市街の早朝
美濃加茂市街の早朝。ホテルからの眺め。


祐泉寺
太田宿の東側(江戸方)入口に位置する祐泉寺が今日のスタート地点。祐泉寺は寺伝によると文明6年(1474年)湧泉庵という庵が結ばれたことにはじまるという。この寺の裏手に中山道が通っている。


太田宿・東の枡形
祐泉寺裏手の中山道。鉤の手の道筋はかつての枡形跡で、ここが太田宿東の入口だった。


太田宿上町
東の枡形から先は太田宿上町である。旧旅籠小松屋の吉田家住宅が江戸時代末期という建築を残している。休憩所として内部公開されており、明治時代に活躍した小説家で翻訳家の坪内逍遥について展示がある。坪内逍遥はここ太田宿で尾張藩士の子として生まれた。


旧旅籠小松屋・吉田家住宅
旧旅籠小松屋・吉田家住宅の内部。吉田家は江戸時代には伊勢参りの旅籠だったが、大正時代から戦前にかけて煙草の元売りを営んでいた。そのため内部は商家の色合いも残している。


旧旅籠小松屋・吉田家住宅
整然と並ぶ和室に旅籠だった頃の面影を感じさせる。


太田宿上町
太田宿上町の町並み。仲町付近から江戸方面を望む。


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太田宿・仲町から下町へ

太田宿の仲町は本陣や脇本陣が置かれた宿場の中心部。本陣跡は本陣門の遺構を残すのみだが、太田宿の見所はここを取り囲むように集まっている。まず本陣の隣には造り酒屋の御代櫻醸造が老舗らしい佇まいを見せ、中山道を挟んで向かい側に中山道太田宿会館の観光施設。そして斜向かいにある脇本陣・林家は太田宿最大の見せ場と言ってもよいだろう。本卯建を上げた威厳ある建物は明和6年(1769年)の再建で、今も子孫の方が住みながら保存している。中山道中でも脇本陣の遺構を残している唯一のものだという。その主屋の隣にある隠居家が一般公開されている。

西の枡形跡まで来ると下町。その曲がり角に高札場があった。辻に置かれた明治時代の道標を見て左へ右へと鉤の手に曲げられた旧道を行くと虚空蔵堂に着く。この辺りが宿場の京方外れだった。


旧太田宿本陣門
太田宿本陣跡に残る本陣門。文久元年(1861年)皇女和宮が14代将軍徳川家茂へ嫁ぐため、江戸へ向かう時に新築されたもの。余談だが、そろそろNHK大河ドラマ「篤姫」で堀北真希の演じる和宮が登場する頃だろう。初大河でどんな演技を見せてくれるのか楽しみだ。


御代櫻醸造
本陣跡にある造り酒屋・御代櫻醸造。老舗らしい佇まい。


中山道太田宿会館
中山道太田宿会館は食事処や物産品店があり、中山道を歩く旅人にとっては有り難い施設。また、併設する展示室には太田宿の歴史や江戸時代の宿場、旅の様子に関する展示がされているのだが、これが色々と趣向が凝らされており楽しい。本陣の東門(通用門)もここに移築されている。休憩がてらにどうぞ。

中山道太田宿会館のホームページへはこちらから↓
http://www.tono-gifu.net/daikokuya/


旧太田宿脇本陣・林家
旧太田宿脇本陣・林家の佇まい。享保の大火後、明和6年(1769年)の再建。明治15年(1882年)板垣退助が岐阜での遊説中、暴漢に襲われる前日までここに宿泊していた。


太田宿脇本陣・隠居家
旧太田宿脇本陣の隠居家は文政12年(1829年)の建築と推定され、内部が一般公開されている。林家では「隠居家」という名称は使用せず、通称として「西」と呼んでいたという。


神谷酒店
神谷酒店の佇まい。丸ポストがいい味を出しています。


太田宿・高札場跡
太田宿・高札場跡付近。写真左の電柱付近に高札場跡を示す標識が立っている。


明治時代の道標
西の枡形角にある明治時代に作られた道標。「右 関上有知」「左 西京伊勢」道と刻まれている。


太田宿・西の枡形
太田宿・西の枡形跡。この辺りが下町だった。


虚空蔵堂
太田宿京方外れに位置する虚空蔵堂。この辺り、「承久の乱」古戦場(大井戸の戦い)と伝わる場所である。今から約800年前、後鳥羽上皇方と鎌倉幕府方(武田信光軍)の軍勢が木曽川を挟み、ここで対峙したのだろうか。


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日本ラインロマンチック街道

太田宿を抜けると木曽川の土手から国道へと道筋を変え、再び日本ラインロマンチック街道と命名された土手道を勝山まで歩く。この辺りの木曽川はそそり立つ山々の裾を流れ、峡谷に煌めくグリーンの川面は木曽谷での姿を彷彿。雄大でありながら繊細に岩場の間を流れる様はドイツのライン川にたとえられ日本ラインとも呼ばれる。川下りの景勝地として有名な場所。


太田小学校
木曽川の土手に上ると、まず写真の太田小学校が右手に見える。この敷地はかつての尾張藩代官所跡。落合宿から鵜沼宿間の各宿と尾張藩領約5万6千石を統治していた。


木曽川土手
木曽川土手を行く。


深田神社 深田の石造庚申像
土手を下りてちょっと寄り道。深田神社とその境内にある石造庚申像。


木曽川土手
旧中山道は木曽川に注ぐ加茂川を渡ると、木曽川から離れる方向へ延びていたが道筋は消滅している。


旧中山道・加茂木材付近
ホテルリバティーの前から旧道の道筋が出現し、加茂木材の軒先を経て国道21号に合流する。


国道21号・坂祝町酒倉付近
坂祝(さかほぎ)町酒倉付近の国道21号。この辺りから勝山にかけて松並木の街道だったというが、現在は見る影も無い。木曽川に松並木、風光明媚な場所だったのだろうが・・・。


取組の一里塚跡
江戸日本橋から99里目にあたる取組の一里塚跡。遺構は残っておらず、跡地を示す標柱のみがひっそりと立っている。


国道21号・坂祝小学校付近
坂祝小学校付近から国道を離れ再び木曽川の土手へ。


ロマンチック街道・行幸巌付近
行幸巌の石塔付近からロマンチック街道を歩く。


日本ライン・木曽川
日本ラインの木曽川。残雪の白と川面の緑が美しい。


ロマンチック街道と猿啄城址
ロマンチック街道の先に見える山は猿啄城址の城山。”さるぶた”城!?かと思いきや、よく見ると豚ではなかった。”さるばみ”城と読みます。写真ではちょっとわかりにくいが、山のてっぺんに展望台らしきものが見える。


勝山の町並み 勝山の道標
木曽川の勝山湊と中山道という水陸交通の要衝を持つ勝山はかつて間の宿として栄えた町。刀鍛冶の町だった関へと続く関道が分岐する。左写真はその分岐点付近にある道標で「右江戸善光寺 左せきかじ」と刻まれている。


勝山湊跡
勝山湊跡付近の木曽川。勝山湊は尾張の桑名方面へ向かう年貢米の積み出し港として、また水上交通の要所として栄えた。


日本ライン・木曽川の流れ
日本ライン・木曽川の流れ。屹立する山裾を流れる木曽川は、どこか木曽谷の景観を彷彿させる。しかし豊富に水を蓄えて悠然と流れる様は、木曽谷での趣とは少々違う。


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岩屋観音の高巻き

勝山から先、雄大に流れる木曽川に猿啄城の城山が迫り行く手を阻む。そのため旧中山道は高巻きの道筋を辿るのだが、岩屋観音はそんな場所に祀られている。かつてはここも難所だったことに違い無いのだろうが、それをあざ笑うかの如くその下に平坦な国道が走り、JR高山本線の鉄路がトンネルの中を突き進む。


岩屋観音の高巻き
岩屋観音の高巻き上り口付近。木曽川が長い年月をかけて浸食してきた山裾の断崖を削り中山道が敷かれたようだ。写真の「中山道」看板上に旧道が通っており、現在は岩屋観音の参道として使われている。かつては国道辺りまで木曽川の流域だったことは想像できよう。


岩屋坂
岩屋観音の高巻きの道は岩屋坂と呼ばれる。左に国道、右に高山本線の間を心細い坂道が上っていく。


木曽川・岩屋坂からの眺望
木曽川・岩屋坂からの眺望。

岩屋坂
岩屋坂の途中、洞穴に地蔵が置かれている。どれだけの旅人を迎え、見送ってきたのだろうか。


岩屋坂の地蔵
柔和な優しい表情です。


岩屋観音堂
岩窟の中に観音様を安置している岩屋観音堂。これがまた凄い場所にあるわけで・・・。


岩屋観音堂
岩屋観音堂から上を見上げるとこんな具合。まさに背後は断崖絶壁。


岩屋坂
かつての中山道はどんな道筋だったのだろうか、現在は岩屋観音から階段の道を降り国道に戻る。


旧中山道・岩屋観音付近
国道の脇にはきれいに整備された石畳の歩道が敷かれている。これがかつての中山道の道筋なのだろうか。


国道21号・うとう峠登り口付近
いよいよ次は、うとう峠越え。


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うとう峠越え①

うとう峠は標高100m程しかなく、登り口から頂上まで標高差約50mの小さな峠である。ここも岩屋観音付近と同様、木曽川に侵食されて形成された崖が行く手を阻む場所であり、そのため鵜沼宿まで山間を抜ける中山道が切り開かれたようである。しかし、大した峠越えの道にもかかわらず通行する旅人には嫌われたようで、”疎う”という言葉に名の由来があるという。現代的に言うとウザイ峠といったところだが、旧街道の雰囲気をよく残しておりウォーキングには快適な道。


国道21号・うとう峠登り口付近
国道21号・うとう峠登り口付近。この辺りから木曽川を離れて右斜めに旧中山道は続いていたが、JR高山本線によりその道筋は分断され辿ることができない。ここは一旦、カフェテラスゆらぎの前から川岸の方向へ下りる。


木曽川・うとう峠登り口付近
写真を見ての通り木曽川と崖に阻まれる場所のため、川岸に街道を敷くことができなかった。現在はトンネルで突き抜ける国道が川岸を通るが、鵜沼宿まではうとう峠を越えた方が近い。


国道21号下のトンネル
国道とJR高山本線下にトンネルがあり、うとう峠の登り口へアクセスできる。この小さな川が坂祝町と各務原市の境。


うとう峠登り口
うとう峠登り口。「中山道 姫街道 うとう峠入口」の看板が立てられている。


うとう峠旧道 うとう峠旧道
うとう峠旧道。


うとう峠旧道
うとう峠付近一帯は日本ラインうぬまの森として自然が保護されており、旧道も当時の雰囲気をよく残している。


中山道いこいの広場
中山道いこいの広場。ここから石畳の道が続く。


うとう峠
うとう峠頂上付近はふれあい広場として整備されているが、付近まで住宅地の開発が進んでいる。


うとう峠rの一里塚
頂上から鵜沼宿方面へ少し下ったところにあるうとう峠(うとう坂)の一里塚。江戸日本橋からちょうど100里目(約393km)にあたる。北塚が原形を保っているが、南塚は太平洋戦争時の航空隊兵舎建設により半壊。


ふれあい広場
ふれあい広場で一休み。写真右の建物はセンターハウスやまびこ(もりの本やさん)。


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うとう峠越え②

うとう峠からは景色を一変させた住宅街の中を下る。旧街道の面影は無いが、眼下に各務原市街を望みながらのウォーキングコースも悪くない。足取りも軽快に鵜沼宿へ。


旧中山道・合戸池付近
合戸池(かっこいけ)付近の旧中山道。峠越えの旧道といった雰囲気ではない。


合戸池にて
合戸池にて。


旧中山道・鵜沼台付近 旧道
鵜沼台の住宅街を行く旧中山道。途中、旧道らしき道筋が残っている。


各務原市街
右手に各務原市街を望む。この先、写真中央に見える各務山に向かって中山道は延びている。


旧中山道・赤坂神社付近
赤坂神社付近の旧中山道。天王社の別称を持つ赤坂神社が付近にあることから、天王坂と呼ばれた坂道はこの辺りなのだろう。住宅街の中をどんどん下っていく。


\赤坂神社
鵜沼東町の旧村社・赤坂神社。拝殿は舞台として使われ、祭礼時に奉納芸(地歌舞伎等)が演じられた。


鵜沼東町の地蔵堂
鵜沼東町の地蔵堂。ここで旧中山道はほぼ直角に曲げられている。かつての鵜沼宿江戸方(東方)外れにあたる場所。


\中山道道標
うとう峠を越えれば鵜沼宿。


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鵜沼宿

英泉が浮世絵に描いた鵜沼宿は木曽川対岸の犬山城からの遠望。浮世絵を見るとかつては鵜沼宿付近まで河原が続いていたことがわかる。現在はその河原一帯が市街地と化しているため、浮世絵のような遠望は不可能であろうが、天守閣に登れば宿場を一望できるのかもしれない。宿場名の鵜沼というのも、長良川で有名な鵜飼いの鵜に由来があるのだろうが、実際に昔から木曽川でも鵜飼いが行われてきた。

鵜沼宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西7町半8間(約831m)、人口246人、家数68軒、本陣1、脇本陣1、旅籠25軒。宿長さが800m以上あったにもかかわらず、美濃16宿中で最も人口が少ない。宿場を分断するように大安寺川が中心に流れ、その川を挟んで江戸方を東町、京方を西町と呼んだ。現在の行政区域名にも面影を留めている。明治24年(1891年)濃尾地震により壊滅的な被害を受けたため、宿場時代の建築は残されていない。


鵜沼宿東町
鵜沼宿東町の町並み。宿場の面影は無い。


大安寺大橋
大安寺川に架かる大安寺大橋。この橋を渡った先から西町となり、本陣や脇本陣が置かれた宿場の中心だった。常夜灯や木製の欄干が整備されており宿場情緒の漂う場所になっている。


鵜沼宿・本陣跡付近
鵜沼宿・本陣跡付近の町並み。写真の街道右手前、塀の辺りが鵜沼宿本陣・桜井家跡で、その奥が脇本陣・坂井家だったと思われる。本陣跡は遺構はもちろんのことその跡地を示すものも無いのではっきりした跡地がわからないが、脇本陣に隣接していたというからこの辺なのだろう。脇本陣・坂井家跡は案内板と芭蕉塚があるので跡地が特定できる。


芭蕉塚
脇本陣・坂井家跡にある芭蕉塚。松尾芭蕉は3度にわたりここ鵜沼宿を訪れ、脇本陣の坂井家に宿泊した。その滞在時に詠んだという句碑が建てられている。

汲溜の 水泡立つや 蝉の声

ふぐ汁も 喰へば喰せよ 菊の酒



二ノ宮神社 二ノ宮神社とスギ
脇本陣・坂井家跡の隣に鎮座する二ノ宮神社。境内はちょっとした高台になっているのだが、実はここ、古墳時代後期(6世紀後半)に造られた墳丘だという。石垣の中に横穴式石室が露出している(右写真)。


菊川酒造
大安寺川から二ノ宮神社前にかけて街道に沿った南側一帯は菊川酒造の敷地になっている。旧中山道に面して本蔵や豆蔵といった2階建ての土蔵が並び建ち、鵜沼宿の景観を特徴的なものにしている。


旧旅籠丸一屋・坂井家住宅
江戸時代に丸一屋の屋号で旅籠を営んだ坂井家住宅。鵜沼宿脇本陣家と同姓であり、おそらく分家した家柄なのだろう。現在の建物は明治27年(1894年)の建築で寄棟屋根に特徴がある。


鵜沼宿西町
鵜沼宿西町の町並み。旧旅籠若竹屋・安田家住宅や梅田家住宅といった切妻造り平入りの建築が町屋の構えをよく伝えている。


鵜沼宿のモニュメント
鵜沼宿の京方(西)外れにあるモニュメント。ここで鵜沼宿は終わり。


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国道21号をひたすらに①

鵜沼宿から次の加納宿までは4里10町(約17km)の長丁場。しばらくは交通量の少ない旧中山道を気持ちよく歩けるのだが、鵜沼羽場町の西外れで国道21号に合流すると眼前の景色は一変、激しく車の行き交う国道を歩かされることになる。


旧中山道・鵜沼西町付近
鵜沼宿を出でて先へ。


翠池
鵜沼西町、旧中山道沿いにある翠(よし)池。普通の農業用溜め池であるが、7月下旬頃には蓮の花が咲く隠れた名所だという。訪れた時期が悪かった・・・。


旧中山道・空安寺付近
空安寺付近の旧中山道。S字を描くカーブがいかにも旧道らしい。この辺りから鵜沼羽場町に行政区域が変わる。


衣装塚古墳 衣装塚古墳
空安寺手前(東側)、旧中山道右手にある衣装塚古墳。直径52m、高さ7mの岐阜県下最大の円墳。古墳時代前期から中期(4世紀末から5世紀前半)にかけての築造と推定されている。右写真は頂上付近を撮ったものだが、墓石のようなものが点在している。


羽場公園
空安寺から600m程先へ進むと羽場公園がある。一角に津島神社が鎮座している。


津島神社 皆楽座
津島神社(左写真)とその境内にある皆楽座(右写真)。皆楽座は廻り舞台や地下に奈落といった仕掛けが備えられた本格的な農村歌舞伎(地歌舞伎)の舞台。当初の建物は濃尾地震により倒壊したが、明治31年(1898年)に再建された。初期の農村歌舞伎舞台の形式をよく残しているという。


旧中山道・鵜沼羽場町付近
鵜沼羽場町の旧中山道。この先で旧道は国道21号に合流。


国道21号・おがせ町信号付近 苧ヶ瀬の石仏
おがせ町信号付近の国道21号。路傍にひっそりと三面八臂の石仏が置かれていた。


JR高山本線
山の前交差点を過ぎると跨線橋でJR高山本線を越える。この付近に山の前一里塚跡があるようだが、お目にかかれずにスルー。街道地図によると江戸日本橋から102里目(約401km)の一里塚とあるのだが、うとう峠一里塚が100里目だとすると、ここは101里目になるはずなのだが・・・。ま、細かいことは気にしません。


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国道21号をひたすらに②

ただ一言。国道21号をひたすら西へ。


国道21号・鵜沼各務原町付近
鵜沼各務原町付近の国道21号。まだまだ辛い国道歩きは続く。


各務ヶ原駅
殺風景の中にある各務ヶ原駅。


各務山
国道西側の切り崩されつつあるハゲ山は各務山。


国道21号・三ツ池町付近
三ツ池町付近の国道21号。昔は原野の中を貫く街道だったのだろうが・・・。


神明神社 長楽寺
国道沿いにあるひと時の憩いの場、三ツ池の神明神社と長楽寺。


夜なおし居酒屋 ねずみ小僧
今回の記事の最大の見所はこれでしょうか。その名も「夜なおし居酒屋 ねずみ小僧」。しかしこのキャラは一体・・・コメントが難しいが一度見たら忘れられないよ。


川崎重工中工場
三ツ池町を過ぎると周辺一帯は川崎重工業の工場地帯。町の名も川崎町である。


三柿野駅
工場地帯の中にある名鉄各務原線の三柿野駅。この先、跨線橋で名鉄各務原線を渡る。


三柿野駅付近の跨線橋
三柿野駅付近、跨線橋からの眺め。


国道21号・三柿野町付近
三柿野町でようやく国道歩きも終わり。ここで国道を離れ直進する道へ。


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間の宿・新加納

苦しく長い国道歩きを終えてからは那加メーンロードをしばらく西へ進む。新加納交差点で更に新加納通りへ分岐すると新加納立場跡に着く。今は町並みに立場の面影は残っていないが、鍵の手に曲げられた街道だけが往時を偲ばせている。鵜沼宿と加納宿間は4里10町(約17km)もの長距離だったため、ここ新加納立場が間の宿として休息を得る旅人で賑わった。皇女和宮も江戸へ向かう道中、茶屋本陣の梅村屋で休息した。


旧中山道・六軒一里塚跡付近 六軒一里塚跡
国道21号を離れて那加メーンストリートを進むと、すぐに右写真の六軒一里塚跡がある。江戸日本橋から103里目(約405km)の一里塚であるが、見ての通り遺構は全く残っていない。


六軒の神明神社
六軒の神明神社。この付近に残る六軒町の地名は六軒の茶屋があったことに由来があるらしい。


旧中山道・那加信長町付近 旧中山道・那加織田町付近
途中、那加信長町と那加織田町なる町名が。さすがは岐阜の名付け親であります。


各務原自然公園
雪の残る各務原自然公園で一休み。


那加橋 旧中山道・那加栄町付斤
那加橋で新境川を渡る。その先、市街地の中を那加メーンストリートとなった旧中山道は直進する。


旧中山道・新加納交差点付近
新加納交差点付近でY字路にさしかかる。旧中山道は新加納通りとなって右斜めに進む。


新加納通り
新加納立場跡へと続く新加納通り。旧道らしい蛇行が見られる。


日吉神社にて
新加納立場の江戸方(東側)入口に位置する日吉神社。写真は境内にある禁止事項を記した木札なのだが、車馬の乗り入れ、魚鳥の捕獲、竹木の伐採は当然として、何故だか蛙を捕ることを禁じている。


新加納立場跡
間の宿として賑わった新加納立場跡。写真右手前の建物辺りが茶屋本陣で疝気妙薬を商っていた梅村屋跡と思われ、Y字路を直進する道が旧中山道。そのY字路分岐点辺りに新加納の一里塚があったようだ。この一里塚は江戸日本橋から104里目(約409km)にあたるが、どこにあったのかもはっきりしない。


新加納立場跡
新加納立場の街道は鍵の手に曲げられている。旧中山道は写真の突き当たりを右に曲がる道筋。その突き当たりに見える今尾医院は江戸時代から医者の家柄だったようで、江戸時代の分間延絵図にも記載が見られる。


旧中山道・東海北陸自動車道下
東海北陸自動車道下の旧中山道。新加納立場跡を抜けると街道に並ぶ家は徐々に減っていく。


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新加納立場から加納宿へ

新加納立場跡から高田、蔵前、切通、細畑、領下の地区を経て夕闇に暮れゆく加納宿へ。


旧中山道・高田橋付近 境川
旧中山道は高田に入り再び沿道に家を連ねはじめると、「割ぽう 太郎」なる料亭の先で高田橋を渡り境川を越える。


旧中山道・蔵前付近
高田3交差点から先で蔵前地区に入る。


手力雄神社鳥居 「左木曽路」の道標
旧中山道は手力雄(てぢからお)神社の鳥居前で直角に曲がる。右写真はその鳥居前に残る「左木曽路」の道標。ちょっとお疲れのようで斜めに傾いている。


旧中山道・切通立場跡
手力雄神社から浄慶寺にかけての街道筋は茶屋や菓子屋、履物屋等が軒を連ねる立場だった。また、付近には磐城平藩(現在の福島県いわき市平付近一帯を治めていた藩)の陣屋が置かれていた。


伊豆神社
伊豆神社の前を通る旧中山道。


旧中山道・細畑付近 旧中山道・細畑付近
切通4交差点から先は細畑地区。街道筋には古い家並みが残っている。


細畑の一里塚
細畑の一里塚は江戸日本橋から105里目(約412km)。両塚とも復元されたものだが、旧街道の風情が伝わってくる。


旧中山道・領下の地蔵堂付近
領下の地蔵堂付近の旧中山道。写真の直進する道が旧中山道で、地蔵堂から左斜めに分岐する道は笠松を経て伊勢名古屋に向かう脇街道への近道。分岐点に道標が置かれている。


八幡神社
領下の産土神・八幡神社。


旧中山道・茶所駅付近
名鉄名古屋本線を越えた先は加納宿。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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高札場
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