加納宿の夜

加納宿本陣跡に辿り着いたところで今日の歩き旅は終わり。鵜沼宿から新加納立場までの旧中山道は大部分が交通量の多い国道と化しており、排気ガスと騒音に耐えながらのしんどいウォーキングコース。しかし新加納立場から加納宿にかけては旧街道の雰囲気を残しておりそれなりに楽しめた。今日のゴールは岐阜市街に位置するにもかかわわらず静かな夜の加納宿。ポケットに手をつっ込み肩をすぼめながら本陣跡付近までとぼとぼ歩く。


加納橋



荒田川



加納宿・善徳寺付近



加納宿・加納新町付近



清水川



加納宿・加納本町付近



岐阜駅
JR岐阜駅から名古屋へ向かい新幹線で帰京。お疲れ様でした。

【第34日目】踏破距離 約24.5km(太田宿→鵜沼宿→加納宿)
日本橋から414Km 京都まで119km まだまだ先は長い・・・


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加納城址

【第35日目】2008年3月29日(土) 加納宿→河渡宿→美江寺宿



朝寝坊のため予定より出発が遅れる。手早く身支度を整え大急ぎで東京駅へ。例の如く東海道新幹線で名古屋へ向かい、何とか昼前に岐阜駅へ到着。何よりも気になる岐阜の天気は・・・晴れ!少々風は強いが気温も空模様もグーグー。このところ歩き旅の度に雨に降られ続けている自分にとって、これほど有難いことはない。加納宿東番所跡から中山道の旅を再開する。

関ケ原の合戦に勝利し天下の大勢をほぼ手中に収めた徳川家康は、戦略的意義を失った山城の岐阜城を廃し、豊臣家をはじめとする西国諸大名の抑えとして美濃国中山道の要衝に加納城を築いた。加納宿はそんな加納城の城下町として栄えた宿場である。加納宿を知るには何よりもまず加納城を訪ねねばなるまい。大手門跡から中山道を離れ加納城址へ。


加納宿東番所跡
加納宿東番所跡。加納城下には3つの番所が設けられ、出入りする人々を監視していた。


加納宿・善徳寺付近
加納宿はさすがに城下町だけあって東側に枡形の曲り角が6つも設けられている。写真は江戸方宿場入口から3つ目と4つ目の枡形を撮影したもの。旧中山道は突き当たりの善徳寺を右折する。


加納宿・加納新町付近
加納宿・加納新町付近の町並み。


加納宿・加納新町付近 中山道と岐阜道分岐点の道標
左写真は江戸方から5つ目の枡形付近の旧中山道。横断歩道から左折する。この枡形は岐阜道(御鮨街道)の分岐点でもあり、右写真の「左中山道 右ぎふ道」道標が置かれている。


清水川
清水川を広井橋で渡る。川辺に桜が満開に咲き誇り、水面に映える桜が美しい。


加納宿高札場跡
広井橋の袂に高札場が置かれていた。


加納城大手門跡
加納城大手門跡付近の旧中山道。手前の横断歩道から右に曲がる道が旧中山道の道筋で、直進する道は大手門から加納城本丸へと続く道だった。大手門は中山道に面して建てられていたというから、横断歩道の下辺りにでーんと構えていたのだろう。


加納城址
金華山の岐阜城を廃して築城された加納城は、中山道の要衝を抑えた本格的な城郭を持つ平城。岐阜城の建材や石垣を再利用して建てられたという。写真は本丸跡に残る石垣で、手前の広場は内堀(水堀)の跡である。


加納城本丸跡 加納城本丸跡
加納城は明治4年(1871年)廃藩置県により廃城、建物はすべて取り壊され堀も埋められた。現在、本丸跡は加納公園として整備されているが、土塁に囲まれた敷地は城郭の雰囲気を残している。


岐阜城遠望
加納城大手門跡付近から岐阜城を遠望。美濃のマムシこと斎藤道三の居城(稲葉山城)だったが、後に織田信長が入城し岐阜城と名を改めた。


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加納宿

加納城下は築城当初、西国大名を抑える重要な軍事拠点として整備された城下町だったが、慶長19年~20年(1614年~15年)大阪の役により徳川政権の全国支配が完全に確立すると、城下町としての役割は薄れ、宿場町を中心に繁栄してきた。加納宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西21町半余(約2344m)、人口2728人、家数805軒、本陣1、脇本陣1、旅籠35軒。美濃路16宿中最大規模を誇った宿場町。


二文字屋
大手門跡から旧中山道を西へ進むと、二文字屋という料理店の前を通る。二文字屋は元和6年(1620年)創業という老舗で、かつては御勅使、大名高家の御飛脚使宿だった。


加納宿当分本陣跡
加納宿当分本陣跡。当分家の本陣跡かと思っていたら大間違いで、当分の間本陣として定めらていた臨時の本陣だったらしい。江戸時代末期に参勤交代制が崩壊し、江戸から帰還する大名家の妻子が頻繁に往来するようになると、本陣だけでは対応することができず、有力者の家を一時的に本陣とした。加納宿はここ宮田家と三宅家が務めたようである。


加納宿本陣・西問屋跡
当分本陣跡から駅前通りの加納桜通りを横断すると、加納宿本陣跡と西問屋跡がある。ともに松波家が務めていた。写真左手前から奥にかけての街道に沿って西問屋と本陣が軒を連ねていたが、現在は松波医院に本陣家の名を残しているにすぎない。


加納宿脇本陣跡
加納宿脇本陣跡の森家は脇本陣を務めた家柄らしい風格ある佇まい。森家の角を右折すると加納天満宮がある。


加納天満宮
学問の神様、菅原道真を祀る加納天満宮。さすがに合格祈願の絵馬がたくさん奉納されていた。文安2年(1445年)斎藤利永が沓井城(旧加納城)を築いた際、その守護神として天満宮を建てたことに由緒があるという。


道三まつりのポスター
やはり美濃といえばこの人なのでしょうか。下克上といえば油売りから身を起こした斎藤道三の名を頭に浮かべる人も多いことでしょう。


加納宿脇本陣跡
加納宿脇本陣跡の森家から更に西へ歩みを進めると、もう一つ脇本陣跡の標柱がある。この奥にある小林家もやはり風格ある立派な家である。加納宿に置かれた脇本陣は1軒だけだと思っていたが、2軒置かれた時代があったのか、それとも脇本陣家の交代があったのか、詳細は不明。


加納本町秋葉神社
加納城下には秋葉神社がたくさん残っている。旧中山道を歩いているだけでも、路傍に多くの秋葉様が祀られていることに気付く。それだけ火事が多く、住民を悩ませてきたのだろう。


加納宿西番所跡
加納宿西番所跡。加納本町8丁目の秋葉神社内にその跡地を示す標柱が立っている。東番所からここ西番所までの中山道は約1.8kmの道程。


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小紅の渡し

かつての中山道は加納宿を抜けると本荘村を経て、鏡島村から長良川を河渡の渡しで渡河する経路だった。現在、河渡の渡し跡付近に河渡橋が架かり、旧中山道をトレースして歩くのであれば、この河渡橋を渡って河渡宿へ向かうルートが正式であろう。しかし、今回は鏡島の乙津寺から小紅の渡しを使って河渡宿へ向かう。小紅の渡しは現在も渡し舟を運行しており、わずかな時間であるが風情ある川舟の旅を楽しめる。これを使わない手はない!


旧中山道・清水町2交差点付近 旧中山道・本荘町付近
加納宿を抜けると清水町2交差点から東海道本線を潜り抜けて本荘町へと入る。


夫婦銀杏と天満神社
鹿島町8西交差点角にある夫婦銀杏と天満神社。夫婦銀杏は大正11年(1922年)三社合祀を記念して植樹された。


鹿島町8西交差点の道標
天満神社前にある昭和4年(1929年)建立の道標。「本荘村ヲ経テ加納ニ至ル 市橋村ヲ経テ墨俣ニ至ル』と刻まれている。


論田川と旧中山道
旧中山道は論田川に沿って木曽川岸の鏡島へと向かう。


旧中山道・鏡島付近 河渡橋
かつての中山道は鏡島から河渡の渡しで木曽川を渡る。右写真はその河渡の渡し跡に架かる河渡橋であるが、今回はここを渡らずに土手を加納宿方面へ戻り、乙津寺裏から中山道の裏街道だった小紅の渡しへ向かう。


鏡島弘法・乙津寺
鏡島の弘法様として親しまれる乙津寺は、天平10年(738年)行基が草庵を結んだことに始まるという古刹。弘法大師が滞在し乙津寺(おつしんじ)と名付けたとの伝承が残っている。


小紅の渡し・船乗り場
小紅の渡しの船乗り場。対岸に向かって「おーい!」と掛け声をかけて手を振ればこちらに来てくれる。小紅の渡しは古くから長良川を渡河する交通路として乙津寺の参拝者や旅人で賑わった。ここから約1km下流に表街道(中山道)の河渡の渡しがあった。


小紅の渡し
いざ、対岸へ!旧街道歩きに渡し舟・・・サイコーです♪


長良川
渡し舟から長良川を望む。川風が気持ちイイ!


小紅の渡し
現在、小紅の渡しは県道の一部になっており、そのためのなのか渡船賃も無料だった。いつまでも残してほしいと願うばかりである。


河渡宿へ
堤防を歩き河渡宿へ。


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河渡宿

かつては鏡島村から河渡の渡しで長良川を越えると、川岸から河渡(こうど)宿の町並みが続いていたようである。しかし現在は宿場の中心部が河川敷と堤防の中に消えてしまったのか、本陣跡がどこにあったのかもわからない。もともと長良川畔に位置する低地だったため、大雨の時には度々水害に遭っていたようである。そのため中山道沿いの宿場全体を盛り土し、家屋が浸水しないように備えていた。

河渡宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西3町(約327m)、人口272人、家数64軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠24軒。美濃路16宿中、3本指に入る小規模の宿場町であるが、河渡の渡しの渡船場という場所柄、長良川が増水し川止めになった時には、多くの旅人がここで足止めをくらったようで、家数のうち約四割が旅籠を営んでいた。


長良川・河渡の渡し跡
長良川・河渡の渡し跡。明治14年(1881年)合渡橋が架けられ舟渡しはその役目を終えた。


河渡宿
現在の河渡宿を長良川土手から望む。町並みの背景に伊吹山が構える。


河渡宿
河渡宿は太平洋戦争の空襲で大部分を焼失し、河川改修により宿場の一部も失われてしまった。そのため往時を偲ぶ遺構は何も残っていない。


河渡宿
宿内から長良川方面を望む。中山道は堤防に遮られ町並みは途絶えているが、昔は川岸の渡し場まで家を連ねていたのだろう。


慶応橋と柚木川
柚木川に架かる慶応橋を渡れば河渡宿は終わり。


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本田立場跡

かつての中山道は河渡宿を抜けると生津村を経て糸貫川を渡り本田村に至る。本田村には立場、高札場、代官所が置かれていた。そこはかとなく昔日の街道情緒を残している。


旧中山道・生津付近
生津付近の旧中山道。この辺りは長良川と糸貫川に挟まれた低湿地帯で生津畷(なまづなわて)と呼ばれていた。昔は田んぼの中を細々と中山道が延びてゆく場所だったのだろう。


生津の地蔵堂
生津小学校を越えたすぐ先、右手の路傍に地蔵堂がある。所縁も何もわからない地蔵堂であるが、ここを守る主だけは確かなようで・・・。


生津の地蔵堂にて
生津の地蔵堂にて。


糸貫橋
糸貫橋を渡り本田へ。


本田地蔵堂
糸貫橋の袂にある本田地蔵堂。文化6年(1809年)建立の延命地蔵が安置されている。毎年8月24日に盛大な地蔵祭が行われるという。


本田立場跡
糸貫川から先は本田立場跡の町並み。


本田代官所跡
本田立場は東町、仲町、西町と分かれていたようで、現在もそのままに地名が残っている。中川橋(写真に見える石の欄干)を境に仲町から西町となり、橋の袂にある家前に本田代官所跡の説明板が立てられている。本田には寛文10年(1670年)から明和7年(1770年)まで幕府直轄の代官所が置かれていたが、その場所等詳細は定かでないという。


本田高札場跡
本田高札場跡。ここから不自然に道幅が広がっている。枡形の道筋だったのだろうか。


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黄昏の美江寺宿へ

五六川を渡り美江寺宿へ向かう。黄昏時を迎えた美江寺宿は人影も無く車のヘッドライトだけが行き交う静かな宿場町。美江寺には宿泊施設が無いので樽見鉄道で大垣へ向かい、今日の宿泊場所を探すことに。


本田松原交差点
本田松原交差点の旧中山道。昔は街道周辺に松原が広がっていたのかなぁ。


五六橋と五六川
五六川を渡る。次の美江寺宿が江戸日本橋から56番目の宿場だったことから、この川の名を五六川と呼ぶようになったらしい。


旧中山道・美江寺五六町付近
美江寺五六町付近の旧中山道。ここまで来れば美江寺宿は近い。


美江寺宿江戸方入口
樽見鉄道樽見線の踏切を越えた先から美江寺宿の町並みが続く。


樽見鉄道樽見線と旧中山道
樽見鉄道樽見線と旧中山道。


黄昏の美江寺宿
18時過ぎ、黄昏時の美江寺宿に到着。

樽見鉄道・美江寺駅
樽見鉄道・美江寺駅から大垣へ向かう。

この日は大垣駅前のアパホテルにでも泊まろうかと思っていたのだが、何と満室・・・。徳州会という病院が大垣市内に開院間近とのことで、こぞって関係者の方々が泊まっているらしい。こりゃ付近のホテルは望み薄だなと、携帯でカプセルホテルかサウナを探してみる。
ありました。駅から随分と離れた国道258号沿いにカプセルイン大垣が。これ以上歩くのも嫌だったので仕方なくタクシーで向かうことに。

【第35日目】踏破距離 約10.6km(加納宿→河渡宿→美江寺宿)
日本橋から425Km 京都まで109km まだまだ先は長い・・・
カプセルイン大垣は大浴場や居酒屋があって意外に良かったです。


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美江寺宿

【第36日目】2008年3月30日(日) 美江寺宿→赤坂宿→垂井宿



美江寺という地名は想像の通りここにあった同名の寺社に由来する。養老年間(717~724年)の創建と伝わる美江寺は伊賀国の伊賀寺に安置されてた十一面観音を美濃国に移したことに由緒があるという。この古刹を中核にして人々が集まり門前町を形成していったのだろうが、戦国時代の天文8年(1549年)肝心要の十一面観音は斎藤道三によって稲葉山城下(現岐阜市内)に移されてしまったという。しかしながら町名にその名だけは留め、太閤秀吉が天下人となった頃には問屋場が設けられ、荷継ぎの役にあたるほどに栄えていたようだ。

寛永14年(1637年)徳川の世となって中山道が整備されるにあたり宿場町となったが、本陣が置かれたのは遅れること32年後の寛文9年(1669年)のことであった。宿場は大雨が降ると長良川の逆水により浸水し、そのうえ幕末頃には治安も悪かったようで、旅人の評判は良くなかったらしい。美江寺宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西4町28間(約486m)、人口582人、家数136軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠11軒。明治24年(1891年)の濃尾大地震で壊滅的な被害に遭ったので、現在の町並みに古い建物はほとんど残っていない。

大垣健康センター 樽見鉄道・美江寺駅
どんよりとした曇り空の早朝、カプセルイン大垣こと大垣健康センターを出発。バスで大垣駅へ向かい樽見鉄道で美江寺駅へ。


美江寺の道標
美江寺宿江戸方(東方)入口付近。路傍には「左 北方谷汲ニ至ル 右 岐阜加納ニ至ル」と刻まれた道標が置かれている。大正10年建立。


美江寺宿・美江寺大門裏信号付近
美江寺大門裏信号付近 の美江寺宿。分間延絵図には記載がないのだが、この辺りが上町だったと思われる。この信号先に美江寺一里塚があった。江戸日本橋から108里目(約424km)の一里塚で、現在は消滅している。


布屋酒店
連子格子の窓に旧商家の面影を残す酒の布屋。美江寺宿内で濃尾大地震による倒壊を免れた唯一の家である。


美江寺宿・仲町
美江神社前で街道は枡形の曲折となる。この辺りがかつての仲町で、庄屋を務めた和田家(写真左の家)がある。


美江神社 美江寺観世音
美江神社とその境内にある美江寺観世音。戦国時代斎藤道三によって持ち去られた十一面観音の代わりに安置されたのが現在の美江寺観音。本家本元は今も岐阜市内にある。


美江寺宿本陣跡
美江寺宿下町にあった本陣は寛文9年(1669年)に設置され、当時問屋役だった山本金兵衛が兼ねて務めたことにはじまる。明治3年(1870年)宿駅制が廃止されるまで、代々山本家が継承することになる。本陣の遺構は濃尾大地震により全壊してしまったようで残っていない。


墨俣道の分岐点 美江寺の道標
墨俣道との分岐点で中山道は右折。ここが美江寺宿京方入口で木戸が設けられていた。「左 大垣墨俣ニ至ル 右 大垣赤坂ニ至ル」と刻まれた大正10年の道標が置かれている。


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美江寺城址

L字形の街道筋に家を連ねる美江寺宿。その2辺に囲まれるようにして美江寺城址がある。美江寺城は応仁・文明年間(1467~1487年)頃、美濃守護土岐氏の家臣和田八郎が築いたと伝わる。以後和田氏の居城となるが、下克上の雄斎藤道三が美濃で台頭すると、天文11年(1542)和田氏は土岐頼芸と連合して斎藤氏に抗したが、時流には逆らえず城は灰塵に帰し滅亡。その後美江寺城は廃城となった。

現在の美江寺城址は中小学校の敷地となっており、遺構は何も残っていない。わずかにその跡地を示す小さな石垣のモニュメントと石碑、説明板があるだけだった。戦国期の早い段階で廃城となったため、江戸幕府が作成した分間延絵図を見ても城跡は草木と鳥居の記載が見られるくらいで、荒地か農耕地にでもなっていたようだ。中山道は城跡の北辺から北西角で折れ曲がり西辺を通っている。

中小学校
美江寺城址に建つ中小学校。中世平城の遺構は全く残っていない。


美江寺城址
そしてその中小学校の敷地内にある美江寺城址のモニュメント。かつてここに城があったというのがわかるだけで、その縄張りの様子等を知る術は無い。


美江寺宿を出でて
美江寺宿を出でて。


美江寺千手観音
千手観音に見送られて美江寺を後に。


犀川
新月橋で犀川を渡る。


富有柿畑と犀川
犀川に沿って旧中山道は続く。河川敷には背の低い木が所狭しとたくさん植えられていた。何の木だろうかと地元の人に尋ねてみたところ富有柿と呼ばれる甘柿の木だという。全国で生産される甘柿の60%はこの富有柿という品種で、ここ瑞穂市はその発祥地で名産地。


新月の神明神社と旧中山道
新月の神明神社と旧中山道。現在この辺りは田之上という地区になっているが、昔は新月という村だったらしく、村の守り神として神明神社は尊崇されてきたという。


田之上にて
JAぎふ巣南支店の敷地に満開に咲いていた桜。春夏秋冬、日本の四季の移ろいは美しいなぁ・・・と、つくづく思う。


旧中山道・長護寺川付近
旧中山道は長護寺川に阻まれ、その先巣南中学校の敷地に消失。ここは県道の長護寺橋に迂回する。


長護寺川にて
長護寺川にて。


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中山道跡と松並木跡

巣南中学校の敷地に消失した中山道はその校門前から中山道跡地として姿を現す。真新しい石畳と木橋に整備された中山道は道としてではなく、公園のモニュメントとして生き残っていた。この跡地公園を過ぎると揖斐川に向かって真っ直ぐに旧道は延び、鷺田橋を渡った先から呂久の集落に入る。現在の田之上(新月)から呂久にかけての街道筋は見事な松並木だったようであるが、面影を感じ取るのは難しい。


中山道跡
巣南中学校の校門前から中山道跡として旧道は復活。道筋には松も植えられているが、松並木と呼ぶにはまだまだ木が幼い。


中山道跡
旧中山道石標の間をかつての中山道は通っていた。旧中山道を歩く者にとっては、こういった配慮がうれしい。


戦前の中山道松並木
ちなみに戦前の中山道はこんな感じ。確かに松並木がすばらしい街道である。


旧中山道・大月付近
揖斐川に向かって延びる大月付近の旧中山道。松並木は消滅し面影をとどめていないが、道幅だけは昔のままのようだ。


揖斐川
旧中山道は揖斐川の中に消失する。かつてこの辺りに川は無く地続きであったが、昭和初期に呂久川(現揖斐川)の河川改修によって600m程東の現在地に遷移した。


鷺田橋
鷺田橋で揖斐川を渡る。


伊吹山
橋上からはきれいに冠雪した伊吹山が望めた。


呂久の歩道橋
鷺田橋を渡りきると歩道橋をつたって呂久の集落へ。


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呂久の渡し跡

落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ

文久元年(1861年)皇女和宮が14代将軍徳川家茂へ嫁ぐために京の都から江戸へ向かう途次、呂久の渡しでこの歌を詠んだという。”落ちて行く”という言葉を使っているところに、公武合体の犠牲となった和宮の心情が汲み取れるというものである。

呂久の渡しは中山道を遮る呂久川(現揖斐川)を舟渡しでつなぐ渡し場であった。その東岸の渡船場として賑わったのが呂久で、慶長15年(1610年)頃には船頭屋敷が13あり、船年寄の馬渕家には船頭8人、助務7人が置かれていたという。大正14年(1925年)大規模な河川付替工事により流路が東側に移動すると、呂久地区は揖斐川に分断される格好となり、呂久の中心部は逆に川の西岸になってしまった。


白鳥神社
鷺田橋を渡り、まずは白鳥神社に寄る。白鳥神社は継体天皇(507~531年)在位の頃に堂宇を建立し、日本武尊とその后、弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀ったことに始まると伝わる。その頃の呂久の人家はわずか13軒だったという。


呂久にて
呂久にて。


呂久・良縁寺付近
揖斐川西岸側の呂久入口付近にある良縁寺。良い縁がありますように・・・と、思わず願ってしまう。


呂久の町並み
この辺りが呂久の中心部だったと思われる。手前の建物が船年寄を務めた馬渕家の長屋門で、その奥に蓮生寺本堂の屋根と鐘楼が見える。


船年寄馬渕家
船年寄の馬渕家には明治天皇も立ち寄られたようで、「明治天皇御小休跡」の標柱が立てられている。


小簾紅園
昭和4年(1929年)和宮の遺徳を偲び呂久の渡し場跡に小簾紅園(おずこうえん)が建設された。日本庭園風に整備された公園に和宮の歌碑が建てられている。


旧中山道・小簾紅園付近
小簾紅園付近の旧中山道。


呂久の渡し跡
呂久の渡しが設置されたのは中山道制定以前、織田信長が安土城に居城を移し天下を窺った頃で、近江と美濃の往来が盛んになると呂久を経由するルートが新設され、信長の嫡男信忠によって渡し場が開設された。


呂久の渡し跡
呂久の渡し跡には今も小さな川というか用水路が流れてはいるが、ここに渡し場があったことを想像するのは難しい。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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