美濃不破関
今回の宿泊先は大垣駅前にあるアパホテル。悠々と朝食を済ませて8時過ぎにホテルを出発し、大垣駅から東海道本線を関ヶ原駅へ向かう。昨日と変わらずどんよりと曇ってはいるが、いくぶん空は明るく雨は降っていない。このまま天気が持ってくれればいいなぁ・・・と、淡い期待を抱きつつ関ヶ原駅から旧中山道の国道21号へ歩みを戻す。さてさて、今回はどんな歩き旅が待っていることやら。
関ヶ原宿を抜けると間もなく美濃不破関(みのふわのせき)跡に着く。不破関は古代東山道の関所であり、東海道の伊勢鈴鹿関(いせすずかのせき)、北陸道の越前愛発関(えちぜんあらちのせき)とともに三関(さんげん、さんかん)として、都を守るため壬申の乱(672年)後に天武天皇の命により設置された。奈良時代末期の延暦8年(789年)には関所としての機能は停止したが、後も関守は置かれ体裁だけは保っていたようである。江戸時代には完全に遺跡と化してしていたようで、芭蕉の句からもその様子がうかがい知れる。
秋風や 藪の畠も 不破の関

関ヶ原宿を出でて西へ。

梨木川を越えたすぐ先にある西首塚。関ヶ原合戦後数千に及ぶ戦死者の首級を葬った塚で、胴塚とも呼ばれる。明治期の鉄道敷設工事の際、周辺から白骨が多数出土したという。関ヶ原駅近辺の北国脇往還沿道に東首塚がある。

旧中山道は松尾信号を左へ。

美濃不破関の東側入口だった東城門(ひがしきもん)跡。古代東山道の時代にはここに城門や楼が設けられ、通行を取り締まった。

東城門跡から旧中山道を南側に少し外れた場所に関ヶ原合戦の福島正則陣跡がある。賤ヶ岳七本槍の一人、剛勇の猛将と謳われたあの福島正則である。東軍の先鋒となった福島勢は、ここで天満山麓の宇喜多勢と対峙した。
旗指物の裏に見える杉の巨木は月見宮大杉(つきみのみやおおすぎ)と呼ばれ、関ヶ原合戦図屏風にも描かれる推定樹齢800年余りの古木。関ヶ原町天然記念物に指定される。

不破関跡付近の旧中山道。見慣れぬ顔にかなり警戒されています・・・。

この辺りが不破関の中心的な建物があったという関庁跡。畑の中にポツンと説明板が立ち、傍らに大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が壬申の乱の時に兜を掛けたと伝わる兜掛石と、皇子が使用したという沓脱石がある。

美濃不破関跡を行く旧中山道。平安時代以降、多くの文人墨客がここを訪れた。

美濃不破関跡にある不破関資料館。跡地から出土した土器や貨幣、復元模型を展示している。

美濃不破関西側入口だった西城門(にしきもん)跡。
