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樋口立場跡

旧中山道は河南、樋口地区を通り抜け、三吉(息郷)の集落先で北陸自動車道の下を潜り抜ける。そのすぐ先が久禮の一里塚跡で、楓並木を過ぎると間もなく番場宿である。樋口の集落はかつての立場茶屋跡で、饅頭や餡餅が名物だったという。


旧中山道・河南入口
河南の入口にさしかかる旧中山道。旧道は国道21号を右に離れる。


茶屋道館
河南の中山道筋にある茶屋道館は、中山道散策者の「憩」と「いっぷく」の場として設けられた。ここは空き家の旧家を利用した建物で、この辺りの小字名が茶屋道ということから名付けられた。そんじゃ、ここでいっぷくしようかと思ったが・・・、と、戸が開かない(汗)。


樋口立場跡
集落内に用水路が流れる樋口の集落。何となく醒井宿を彷彿とさせる。かつては立場茶屋で、饅頭や餡餅が名物だったらしい。


敬永寺付近
息郷の敬永寺付近を行く旧中山道。


久禮の一里塚跡
江戸日本橋から117里目(約459km)にあたる久禮の一里塚跡。遺構は残っていないが、跡地を示す石碑が置かれている。


旧中山道・久礼の楓並木
久礼の楓並木を行く旧中山道。間もなく番場宿だ。


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番場宿

古代から東山道の宿駅として町を形成してきた番場宿。江戸時代より前は現在の西番場辺りに宿駅があった。古称を馬場といい、長い年月の間に転訛して、いつからか番場と呼ばれるようになったようだ。江戸時代初めに琵琶湖の水運が発達して米原に湊が開設されると、中山道から湊へ通ずる切通しの道(深坂道)が造られ、それに伴い宿場の中心は分岐点のある東(現在の東番場)へ移動した。随分と物資の往来も盛んになったのだろう、天保期には山間の宿場ながら問屋場が6軒もあったことがそれを物語る。番場宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ南北7町37間(約831m)、人口808人、家数178軒、本陣1、脇本陣1、旅籠10軒。

番場といえば番場の忠太郎と、その名前だけは聞いたことがるという人も多いであろう。私もその一人であるが、長谷川伸の戯曲『瞼の母』に登場する番場の忠太郎は、ここ番場宿の旅籠屋の息子という設定である。しかしながら、今となっては旅籠屋があったなんてことを想像するのも難しいくらい、町並みに往時の面影は薄く、忠太郎どころか中山道の宿場町だったことも忘れてしまったような感じである。そんな中で唯一の見所となっているのが古刹の蓮花寺。とにかくかくにも、この寺には一見の価値がある。


番場宿
番場宿東の入口付近。少しだけ宿場町の面影を残している。


番場宿問屋場跡
問屋場跡。番場宿には6軒もの問屋場が置かれていた。


「米原汽車汽船道」道標
中山道と米原湊へ通ずる道(深坂道)の分岐点。明治年間建立の「米原汽車汽船道」と刻まれた道標が残っている。


番場宿脇本陣跡と問屋場跡
番場宿脇本陣跡と問屋場跡。


番場宿本陣跡
番場宿本陣跡。この辺りが宿場の中心であったが、写真を見ての通り往時の面影はない。


番場宿問屋場跡
本陣跡の左に隣接するこちらも問屋場跡。


蓮花寺
ここが蓮花寺の入口にあたる山門。血の川という物々しい説明板が立っている。
『元弘3年5月、京都合戦に敗れた六波羅探題・北条仲時公は、北朝の天子光厳天皇および二上皇・皇族等を奉じ、東国へ落ち延びるために中山道を下る途中、当地にて南朝軍の重囲に陥り、奮戦したるも戦運味方せず戦いに敗れ、本堂前庭にて430余名自刃す。鮮血滴り流れて川の如し。故に「血の川」と称す。時に元弘3年5月9日のことである。』
ここで言う南朝軍とは、後醍醐天皇による倒幕の挙兵に応じた足利尊氏のこと。


北条仲時以下432名墓所
北条仲時以下432名の墓所。鎌倉幕府の終焉をまざまざと見せつけられた。因果応報、盛者必衰・・・正直、何と言葉にしてよいのか。


蓮花寺にて
蓮花寺は斎藤茂吉ゆかりの寺でもある。


番場宿の町並み
番場宿(東番場)の町並み。


番場宿・西番場
古代東山道の宿駅があった西番場。


まぼろしの礎石
昭和36年(1961年)付近を流れる菜種川の河川敷で偶然発見されたという礎石。そもそもこれが礎石なのか、礎石だったとすれば何に使われていたのかもわからないので、まぼろしの礎石と名付けられている。、河川敷で見つかったのなら橋桁の礎石なのでは・・・と思ってしまうのは、いかにも素人考えなのか。


西番場を行く旧中山道
西番場を行く旧中山道。かつて中山道の宿場だった東番場よりも、旧街道らしい町並みを残している。


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小摺針峠越え

旧中山道は西番場を離れ、名神高速道に沿って山間の田園地帯を行く。田んぼが途切れた所で緩やかな上り坂となり、高速道路はトンネルへと消え、旧道はそのトンネル上で頂を迎える。ここが小摺針峠で、次に控える摺針峠の前哨戦ともいうべき小さな上り下り。峠から少し下った路傍に泰平水という名水が湧き出しているのだが・・・。


西番場を出でて
西番場を出でて山間の田園地帯を行く。


小摺針峠越えの旧道
小摺針峠越えの旧道。名神高速道に沿って緩やかに坂道を上る。


小摺針峠越えの旧道
名神高速道はトンネルへ入り、旧道はその上で頂を迎える。


小摺針峠
小摺針峠を行く旧中山道。あっという間に上って下りとなる小さな峠であるが、米原市と彦根市の境界となっている。


小摺針峠越えの旧道
トンネルを抜けてきた名神高速道に沿って旧道は坂道を下る。


泰平水
旧道路傍に湧く泰平水。飲用できるのかと問われると甚だ疑問。


小摺針峠越えの旧道
小摺針峠を下りきった所に昭和30年建立の道標が置かれている。


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摺針峠越え①

小摺針峠の次は本元の摺針峠を越える。江戸から中山道を歩いてくると最後になる峠越え。意味深な摺針の名はこんな故事による。とある青年僧がこの峠にさしかかったとき、斧を石で研いでいる老婆に出会った。何と驚いたことに、大事な針を折ってしまったので、新しい針を作っているというではないか。その姿に感銘を受けた青年僧はまだまだ自分の意志は弱く未熟であると痛感し、それ以来修行に励み大層立派な僧になったという。その僧は弘法大師とも伝わる。

峠からは琵琶湖が遠望でき、ようやく近江の国まで来たのかと感慨にふけることができるはずだったのだが、雨男の本領発揮ということで・・・。


旧摺針村
摺針峠へ上る旧中山道。勾配のきつい沿道に旧摺針村の家々が軒を連ねている。


称名寺
摺針峠の集落にある称名寺。いかにも山里のお寺さんといった感じ。


摺針峠
摺針峠にさしかかる旧中山道。


摺針明神
摺針峠の頂にある摺針明神。峠の名の由来となった老婆を祀る。


望湖堂跡
摺針峠から琵琶湖方面を望む。この時、強い雨にみまわれる悪天候だったため、残念ながら琵琶湖を望むことはできなかった。写真に見える建物の場所に、かつて望湖堂という有名な茶屋があったのだが、平成3年の火事によって焼失してしまった。広重の浮世絵、木曽街道六十九次の鳥居本はここ摺針峠から琵琶湖を望む風景を描いている。


摺針峠にて
摺針峠には猿がいました。


摺針峠にて
気配を感ずかれたのか。サル者は追わず・・・。


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摺針峠越え②

草むらの旧道を辿って摺針峠を下りる。鳥居本宿側の峠越えの旧道は荒れているので、ある程度の覚悟を持ってかかなければならない。


摺針峠旧道
鳥居本宿側から摺針峠を望む。右の急坂が旧道の道筋で、正面の建物が峠の頂にあった茶屋・望湖堂跡。


摺針峠旧道
旧道は車道を離れ、草むらの中へ急斜面を下っていく。


摺針峠旧道
手すりが付いているので何とか旧道を辿れる。


摺針峠旧道
車道を横切って旧道は先へ続く。


摺針峠旧道にて
この辺りでは熊ではなく、チカンが出没するようで・・・。


摺針峠旧道
もう道なのか何なのかわからない所を雑草を掻き分けながら下る。


摺針峠旧道
旧道らしき道筋が現れる。


摺針峠旧道
竹やぶを抜けて。


摺針峠旧道
峠道を下りきる。雨が降っていたこともあって靴とズボンの裾は泥だらけに・・・。この先車道に合流して中山道中最後の峠越えは終わりとなる。


矢倉橋
矢倉川で旧道の道筋は途切れるので、すぐ近くの矢倉橋へ迂回。


摺針峠旧道
旧中山道は鳥居本宿へ。


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鳥居本宿

摺針峠を下りきって松並木を抜けると間もなくして鳥居本宿に着く。江戸方から来て宿内に入れば、まず曲り角に江戸時代初期創業の有川薬局が老舗らしい家構えを残している。有川家は300年以上も前から和漢健胃薬「赤玉神教丸」を製剤し、中山道を往来する参勤交代の大名行列や旅人相手に販売を続けてきた。かつて中山道や東海道には「和中散」「平安湯」「仙伝虫脱丸」「六味丸」等の道中薬があったのだが、現在残っているのはこの「赤玉神教丸」だけである。

鳥居本宿は「赤玉神教丸」の他に合羽とスイカが名産品で、いずれも赤色だったことから「鳥居本宿の三赤」として知られてきた。特に雨の多いこの地域で合羽は道中を行く旅人に重宝され、和紙に柿の渋を塗って防水を施していたので赤色だった。戦後、ビニール製品の登場で鳥居本の合羽製造は衰退し、スイカも皮が厚かったことが不評で生産されなくなり、共に今の世に残っていない。鳥居本宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ南北13町(約1418m)、人口1448人、家数293軒、本陣1、脇本陣2、旅籠35軒。江戸方(北側)から旧鳥、下町、中町、上町と続く。


鳥居本宿の松並木
鳥居本宿江戸方(北側)入口付近の中山道松並木。


鳥居本宿へ
いざ、鳥居本宿へ!


有川薬局
今から300年以上も前から和漢健胃薬「赤玉神教丸」の製造販売を続ける有川家。現在の店舗は宝暦3年(1753年)以来の建築で、200年以上は経っているという。

「赤玉神教丸」についてはこちらから↓
有川製薬(株)ホームページ


鳥居本宿・旧鳥
鳥居本宿・旧鳥の町並み。


木綿屋
天保3年(1832年)創業の木綿屋。「鳥居本宿の三赤」の一つ、合羽を製造販売していた。柿渋を用いた鳥居本合羽は保温性と防水防湿に優れ、最盛期には25軒もの合羽製造販売業者があったという。


鳥居本駅
道の突き当たりに見えるのは近江鉄道の鳥居本駅。昭和6年(1931年)に駅舎が完成し、開業当時の建築様式を残している。


鳥居本宿・下町
鳥居本宿・下町の町並み。下町に本陣と脇本陣が置かれていた。


松屋
合羽の製造販売を営んだ松屋。昔はこのように看板を屋根上に掲げるのが普通だった。


鳥居本宿・中町
鳥居本宿・中町の町並み。


鳥居本宿・上町
鳥居本宿・上町の町並み。


彦根道(朝鮮人街道)
鳥居本宿京方(南側)外れから中山道を分岐する彦根道。彦根、安土、近江八幡を経由して野洲で再び中山道に合流する。徳川家康が関ヶ原合戦後にこの道を通って上洛したことから、後にも将軍上洛の際に通行するのが慣例となった。また、慶長12年(1607年)から文化8年(1811年)にかけて、朝鮮通信使の通行に使われたことから朝鮮人街道とも呼ばれる。


鳥居本宿・上町
静かに暮れゆく鳥居本宿を戻り、鳥居本駅へ。

【第39日目】踏破距離 約7.9km(醒井宿→番場宿→鳥居本宿)
日本橋から約466km 京都まで約68km 
京の匂いがしてきた・・・


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小野小町の出身地は?

【第40日目】(2008/6/29) 鳥居本宿→高宮宿→愛知川宿



朝8時過ぎ、宿泊先のホテルサンルート彦根を出発。彦根駅前のマクドナルドで手早く朝食を済ませ、近江鉄道で鳥居本駅へ向かう。この日も昨日にひき続き雨降り。雨が多い地域なのか、それとも自分がやはり雨男なのか・・・。旅人に鳥居本の合羽が重宝されたわけが何となくわかったような気もしてくる。雨、雨、降れ降れ、もっと降れー♪さてさて、今日も雨の近江路のはじまりである。

鳥居本宿を後にした旧中山道は東海道新幹線に沿って小野町へ向かう。古くから東山道の宿駅として町を形成してきた小野。平安期の女流歌人で絶世の美女と言われる小野小町の出生地とも伝わる。とはいっても、小野小町の出生に関する伝説は全国各地に点在しており、中でも秋田県湯沢市が有力で主流の説らしいが・・・。いくら絶世の美女とはいえ今から1200年も前の人のこと、真相なんてものは誰にもわからないわけで。


鳥居本宿にて
鳥居本宿にて。雨の日には紫陽花が良く映える。


中山道・彦根道の追分
さてさて雨の中、鳥居本宿から中山道近江路の旅を再開。


鳥居本宿を出でて
鳥居本宿を出ると周りの景観は一変して田園地帯へ。


旧中山道・小野町古宿
小野町古宿を行く旧中山道。


小野の町並み
東山道の宿駅として機能を果たした小野の集落へ入る。


小野の町並み
小野の町並み。


東海道新幹線
小野の集落を出ると左に名神高速道、右に東海道新幹線が迫ってくる。やっぱ新幹線は早いよなぁ・・・。


小野小町塚
名神高速道と東海道新幹線に挟まれた狭隘地にその出生の伝承を今に語る小野小町塚がある。15世紀後半頃建立という小町地蔵が祀られている。


旧中山道・小野町角路
小野町角路で東海道新幹線の下を潜りぬける。


旧中山道・十所谷
東海道新幹線の下を潜りけた先は十所谷(とどころだに)と呼ばれる場所。往時の宿場と書かれた標識が旧中山道の路傍に立てられているのだが、この辺りが東山道の宿駅があった場所ということなのか・・・が、見ての通り殺風景な場所です。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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