鳥籠山
小野を出た旧中山道は原町を経て芹川を渡る。その芹川の手前には木々の鬱蒼と生い茂る台形状の大堀山(鞍掛山とも)があり、この山が万葉集に登場する鳥籠(とこ)の山ではないかといわれている。鳥籠山は壬申の乱に際して戦場にもなった場所であり、付近に平安期編纂の「延喜式」に記されている東山道の鳥籠駅があったとされる。今となってはその鳥籠駅がどこにあり、いつまであったのか、はっきりしたことはわからない。
淡海路の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉川(いさやがわ) 日(け)のこのごろは 恋ひつつもあらむ
【万葉集巻4-487】
犬上(いぬがみ)の 鳥籠の山なる 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名告ぐらすな
【万葉集巻11-2710】

原町を行く旧中山道。

原町の原八幡神社。

昼顔に 昼寝せうもの 床の山
松尾芭蕉が吉野、高野山・和歌の浦、奈良、大坂、須磨明石と旅した「笈(おい)の小文」の帰路、大津から岐阜へ向かう途次にこの地で詠んだもの。床の山は鳥籠山を指しており、昼寝にかけて床の字を使っているようだ。原八幡神社の境内には芭蕉来訪を記念して造られたのであろう昼寝塚なるものがあり、そのためなのだろうが原八幡神社には床山八幡宮の別称がある。

正法寺町を行く旧中山道。

旧中山道は大堀山の裾を通り抜ける。この小さな山が万葉集に登場し、壬申の乱の戦場となった鳥籠山なのだろうか。歴史舞台の謎は一種のロマンでもある。

芹川を大堀橋で渡る。写真に見える鬱蒼とした木々の山が大堀山。

大堀山の麓を流れる芹川。万葉集の不知哉川(いさやがわ)は芹川であるという説が有力。

芹川を渡ると大堀町に入る。その入口にあたる交差点角に「旧中山道旧跡 床の山」と刻まれた石碑が建てられている。

大堀町の岩清水神社は応神天皇とその母、神功皇后を祀る。この神社から中山道を挟んだ向かい側に「かどや」という茶屋があった。約200年前に建てられたという建物は更地になってしまったが、井戸らしきものだけが残っている。この井戸水で煎れられた茶が大正天皇に献上されたという。
淡海路の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉川(いさやがわ) 日(け)のこのごろは 恋ひつつもあらむ
【万葉集巻4-487】
犬上(いぬがみ)の 鳥籠の山なる 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名告ぐらすな
【万葉集巻11-2710】

原町を行く旧中山道。

原町の原八幡神社。

昼顔に 昼寝せうもの 床の山
松尾芭蕉が吉野、高野山・和歌の浦、奈良、大坂、須磨明石と旅した「笈(おい)の小文」の帰路、大津から岐阜へ向かう途次にこの地で詠んだもの。床の山は鳥籠山を指しており、昼寝にかけて床の字を使っているようだ。原八幡神社の境内には芭蕉来訪を記念して造られたのであろう昼寝塚なるものがあり、そのためなのだろうが原八幡神社には床山八幡宮の別称がある。

正法寺町を行く旧中山道。

旧中山道は大堀山の裾を通り抜ける。この小さな山が万葉集に登場し、壬申の乱の戦場となった鳥籠山なのだろうか。歴史舞台の謎は一種のロマンでもある。

芹川を大堀橋で渡る。写真に見える鬱蒼とした木々の山が大堀山。

大堀山の麓を流れる芹川。万葉集の不知哉川(いさやがわ)は芹川であるという説が有力。

芹川を渡ると大堀町に入る。その入口にあたる交差点角に「旧中山道旧跡 床の山」と刻まれた石碑が建てられている。

大堀町の岩清水神社は応神天皇とその母、神功皇后を祀る。この神社から中山道を挟んだ向かい側に「かどや」という茶屋があった。約200年前に建てられたという建物は更地になってしまったが、井戸らしきものだけが残っている。この井戸水で煎れられた茶が大正天皇に献上されたという。

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