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老蘇の森

旧中山道は石寺で国道8号を離れ老蘇(おいそ)の森へと道筋を変える。老蘇の森は万葉の昔から多くの歌に詠まれてきた太古の森であり、旅人は鬱蒼と生い茂る老大木の中を、目を見張らせて歩いてきたことだろう。現在、東海道新幹線と国道8号線によって分断されてしまい、その規模も縮小してしまったようだが、そんな森の中に奥石神社が鎮座している。奥石と書いてやはり”おいそ”と読ませ、こちらも延喜式に記される相当の古社。もともとは繖山(きぬがさやま、別名観音寺山)山頂にある磐座の遥拝場だったという。

東老蘇、西老蘇、西生来町を経て、すっかり西空が暗闇に沈んだ頃、武佐宿に到着。


奥石神社
老蘇の森に鎮座する奥石神社。藤原氏の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀る。


旧中山道・東老蘇
東老蘇を行く旧中山道。わずかな道路灯の明かりを頼りに先へ。


旧中山道・西老蘇
西老蘇を行く旧中山道。


旧中山道・亀川交差点
亀川交差点を渡る。


旧中山道・西生来町
西生来町を行く旧中山道。こう暗いと、ただひたすらに歩くだけ。


武佐宿
街道が明るく照らされはじめると武佐宿である。


武佐宿
静寂に包まれる夜の宿場町もいいもんだ。


武佐宿
武佐宿に着いたところで今日の旅は終わり。宿泊先のビジネスホテル シェルは国道8号沿いにあり少々距離がある。疲れきった足を引きずりつつ、今日のビールはうめぇだろうなぁ・・・と、思いながら。

近江路の夜は陽が落ちても酷暑の余韻を残しつつ・・・。

【第41日目】踏破距離 約9.8km(愛知川宿→武佐宿)
日本橋から約489km 京都まで約45km 
京の匂いがしてきた・・・


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

ここでちょっと彦根城

ここでちょっとだけ寄り道。中山道とは特に関係無いが、彦根城を少しだけ紹介。一度行ってみたかった城だったので、この機会に愛知川宿へ向かう前に訪ねてみました。

彦根城は慶長11年(1606年)に徳川四天王の一人、赤備えで有名な井伊直政の嫡子直継によって、琵琶湖北東岸に位置する金亀山に築城された連郭式平山城。彦根藩の藩庁が置かれ、幕藩体制が整えられた江戸時代初めから井伊氏が代々藩主を務め幕末を迎えた。現存する天守は築城当時の姿を維持し続けており、国宝に指定されている。

最近ではゆるキャラの”ひこにゃん”の方がすっかり有名になった感があるが、やはり彦根城といえば井伊大老こと、井伊直弼でしょう。ペリー提督率いる黒船到来後、独断で開国政策にはしり、将軍継嗣問題を強行裁決するなど、その強引な政治手法から多くの人々の反発を受けたこの御方。その反対勢力に対して安政の大獄という過酷な処分を下し世間を震撼させた。その反動というべきなのだろうが、井伊大老は桜田門外の変の凶事に遭い横死する。この事件をきかっけに時代は幕末の動乱期へと入っていくわけである。


彦根城・馬屋
まずは特別公開中だった馬屋の内部から。二の丸佐和口多聞櫓の北側にあり、常時藩主の馬十数頭が繋がれていた。推定建築年代は元禄年代(1688年~1703年)頃で、国の重要文化財に指定される。


彦根城・二の丸佐和口多門櫓
二の丸には京橋口・佐和口・船町口・長橋口という4ヶ所の城門があり、ここはその一つ佐和口多門櫓。ここで城内への道は鉤の手に曲げられ、枡形を形成している。


彦根城博物館
表御殿を復元した彦根城博物館。


彦根城・天秤櫓
大堀切に分断された鐘の丸と太鼓丸を繋ぐ天秤櫓。豊臣秀吉の居城だった長浜城大手門を移築したものと伝わる。


彦根城・太鼓門櫓
ここに太鼓を置いて城中に合図を送ったことから太鼓門櫓と呼ばれる。太鼓丸と本丸を繋ぐ。


彦根城・本丸跡
彦根城の中心、本丸跡。天守の他に御広間・宝蔵、矢櫓・着見櫓等が置かれていたが、明治期に天守以外の建物は全て取り壊されてしまった。


彦根城・天守
小ぶりながらも荘厳さを感じさせる天守。三階三重の建物は大津城の天守を移築したものと伝わる。


彦根城・黒門跡付近の内堀
本丸跡から搦め手を降りてくると、黒門跡の土橋で内堀を渡る。


彦根城・槻御殿
延宝7年(1679年)建築の槻(けやき)御殿。彦根藩の下屋敷として建てられ、後に楽々之間が増築されたことから楽々園とも呼ばれる。井伊直弼は文化12年(1815年)ここで生まれた。


玄宮園
彦根城の北東にある玄宮園は、大池泉回遊式の旧大名庭園。江戸時代初期に彦根藩4代藩主の井伊直興により造営されたもの。現在は隣接する楽々園(槻御殿)とともに、玄宮楽々園と称している。彦根城を借景とする美しい庭園は一見の価値ありです。


井伊直弼の銅像
そして最後はやはりこの御方で。彦根藩第13代藩主で大老にまで上り詰めた井伊直弼であります。


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武佐宿

第42日目(2008/8/4) 武佐宿→守山宿



朝8時、ビジネスホテル シェルを出発。今回の旅が中山道中で最も過酷な歩き旅になるとは夢にも思わず、今日も暑くなりそうだなぁ・・・と、見事に青く染まった空を眺めながら軽快な足取りで武佐宿へ。しかし、この日はその道中に500mlペットボトルを7本も消費するという猛烈な暑さに見舞われ、草津宿まで歩く予定だったのが、結局途中の守山宿でリタイアするという悲しい結末に。ひとつ間違えば熱中症でぶっ倒れてもおかしくないぐらいに疲労困憊を極めた。炎天下の近江路をなめていたとしか言いようがない。

近江商人の町として賑わった八幡の隣町で、その八幡と東海道の桑名を結ぶ八風街道と中山道の交差点に武佐宿はある。そういった場所柄、多くの近江商人が行き交った宿場町であることは容易に想像できるが、近世に商業都市として発展した八幡(現近江八幡市)に比べると、現在の武佐はいかにも地味で静かな町である。しかし往時は人や物資の集散地として、また近郊に観音正寺、長命寺の観音霊場があり、商人や参詣客の往来も頻繁で武佐宿は賑わった。

宿名の由来である武佐寺は太平記に登場するほどの著名な寺院だったようだが、現在は存在しておらず、武佐宿南側にある長光寺(宿内の広済寺とも)の前身が武佐寺ともいわれる。武佐宿はその武佐寺の門前町として町を形成しつつ、江戸時代に中山道沿道に家々が集められ宿場町としての体裁を整えた。武佐宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ東西8町24間(約916m)、人口537人、家数183軒、本陣1、脇本陣1、旅籠23軒。本陣が下川家、脇本陣は奥村家が務め、2軒の問屋場が置かれた。


武佐宿
武佐宿の朝。宿場東入口付近の町並み。


牟佐神社
武佐宿東の入口に鎮座する牟佐神社。かつては神社前の街道筋に高札場が置かれた。


広済寺
明治11年(1878年)明治天皇御巡幸の際、行在所となった広済寺。かつての武佐寺ともいわれる。


武佐宿脇本陣跡
武佐宿脇本陣跡の敷地は武佐町会館となっている。冠木門のモニュメントが置かれ往時を偲ぶ。


武佐宿・脇本陣付近
今は行き交う人も少なく、静かに時間が流れる武佐宿。


武佐宿・武佐町交差点
武佐宿には往時を偲ばせる町並みが残る。


料理旅館 中村屋
かつての旅籠・中村屋は今も料理旅館として健在。


武佐宿本陣跡・下川家
武佐宿本陣跡・下川家。宿場当時の本陣門と土蔵が現存する。


中山道と八風街道の道標
旧中山道と八風街道の分岐点に残る道標。「いせ みな口 ひの 八日市 道」と刻まれている。


武佐宿・西の高札場跡
西の高札場跡付近を行く旧中山道。


武佐駅
旧中山道は武佐駅前を通り近江鉄道八日市線を渡る。


伊庭貞剛邸跡
武佐宿の西外れにある伊庭貞剛邸跡。近年屋敷は解体され楠の巨木だけが残されている。伊庭貞剛はここ蒲生郡西宿(現近江八幡市西宿)の出身で明治期の実業家。日本人の誰もが知る巨大財閥・住友の第二代総理事。別子銅山煙害事件の紛争解決にあたり、環境復元に心血を注いだ。


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日野川(横関川)の舟渡し

武佐宿を出でて千僧供町、馬淵町、東横関町を経て日野川(横関川)へ。現在の旧中山道は日野川に阻まれるため、国道8号の横関橋へ迂回するしかないのだが、明治8年(1875年)に橋が架けられるまで渡し場があった。川の水量が平常の時は舟渡しの渡河で、水量が減ると二艘の船を繋ぎ合わせ、その上に板を渡した舟橋が架けられた。


国道8号・六枚橋
武佐宿を出た旧中山道は国道8号に合流し六枚橋交差点へ。どうでもよいとは思われるかもしれないが、ここで六枚橋の由来を少しだけ。六枚橋は交差点手前、国道8号の小さな橋の名で、車で走っているとまず気付かない。江戸時代に板石6枚を使い、人夫425人の手によって橋が架けられたことから”六枚石橋”と呼ばれるようになったという。


旧中山道・千僧供町
六枚橋交差点から国道を離れ千僧供(せんぞく)町の旧道を行く。


住蓮坊首洗い池
千僧供町の旧道筋にある住蓮坊首洗い池。その名前から何とも物騒な感じがする池なのだが、やはりその通りで、鎌倉時代に住蓮房という僧がここで打首になりその首が洗われたという。水も干上がる程の暑い日だったためか、池は枯渇していた。

住蓮房は法然上人(浄土宗の開祖)の弟子。後鳥羽上皇が熊野臨幸で留守の間に、住蓮房・安楽房の開いた念仏会で、松虫姫・鈴虫姫という寵愛の女官二人を帰依させてしまった。そのため上皇の逆鱗に触れて住蓮房・安楽房が打首の死罪、法然上人までが流罪となった。この事件は”建永(承元)の法難”と呼ばれる。


国道8号・千僧供橋
国道8号に合流し白鳥川を千僧供橋で渡る。


国道8号・馬淵町
馬淵町信号付近の国道8号。この辺りはかつての馬淵村。写真右に見える八幡社の鳥居前に高札場が置かれていた。


馬淵の八幡社
源義家が奥州遠征の途次に造営し、この地の守護職で馬淵氏を称した佐々木広綱が社殿を建立したと伝わる八幡社。本殿は元亀2年(1571年)織田信長の兵火に焼失したが、文禄5年(1596年)に再建された。


旧中山道・馬淵町
馬淵町を行く旧中山道。旧街道に茅葺屋根の家は良く似合う。


馬淵町にて
馬淵町にて。うだるような暑さの中、川床に涼を求めたくもなり・・・。


旧中山道・東横関町
東横関の集落を過ぎると旧中山道は日野川へ。


日野川(横関川)の舟渡し跡
日野川(横関川)の舟渡し跡。この先に日野川が流れているのだが、河原の藪に阻まれて先へ進むことはできない。


木曽海道六拾九次之内 武佐
広重の浮世絵「木曽海道六拾九次之内 武佐」。日野川(横関川)の舟渡しの様子を描いている。


日野川
横関橋から日野川を望む。日野川の両岸に旧中山道の道筋が残っているが、さすがに今や舟橋は無いので土手から国道8号の横関橋へ迂回して川を渡るしかない。


日野川土手にて
日野川土手にて見つけたハグロトンボ。何となく高貴さが漂います。


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源義経元服の地

平治元年(1159年)源義朝の九男で常盤御前の子として生まれる。幼名を牛若丸、後に父の義朝が平治の乱で平清盛に敗死すると、京の鞍馬寺に預けられ遮那王(しゃなおう)を名乗った。さて、誰でしょう?

人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!と怒られそうな気もするが、そう、正解は判官贔屓の日本人が誰もが好きな源義経。鏡の宿は遮那王こと源義経が奥州平泉の藤原秀衡の元へ下る途次、元服を果たした地として知られる。中世東山道の宿駅として古くから家々を連ねた鏡の宿は、中山道が整備された江戸時代に宿場にはならなかったが、武佐宿と守山宿間の距離が約16kmと長かったため、間の宿として賑わった。

日野川から西横関を経て鏡の宿へ。


鏡山遠景
日野川土手から鏡山を望む。旧中山道は日野川から鏡山の麓へ向かって延びる。


若宮神社
西横関の集落に鎮座する若宮神社。


旧中山道・西横関町
西横関町を行く旧中山道。


国道8号・西横関町
旧道は国道8号へ合流し鏡の集落へ向かう。


旧中山道・鏡
旧中山道は国道8号をいったん離れ鏡の集落へ。


旅籠吉田屋跡
かつて間の宿として賑わった鏡の中心は、国道8号が貫いてしまった。写真は旅籠の吉田屋跡。


真照寺
万葉の女流歌人額田王(ぬかたのおおきみ)の父、鏡王(かがみのおお)が葬られる真照寺。


白木屋跡
中世東山道の時代、旅籠”白木屋”があった所。さすがに当時のものではないだろうが、近年まで茅葺屋根の建物が残っていたという。現在はその跡地に”源義経宿泊の館跡”の石碑が建てられている。義経はここで源氏の象徴である左折れの烏帽子を作り元服したと伝わる。


国道8号・鏡の宿本陣跡付近
鏡の宿本陣跡付近の町並み。写真右手前がその本陣跡。東山道であり中山道だった街道は、国道8号へと変貌してしまったため、町並みに往時の面影は残っていない。


鏡神社
本殿は南北朝時代の建築という鏡神社。源義経が元服に際して参拝したと伝わる。


烏帽子掛けの松
源義経が参拝したときに烏帽子を掛けたと伝わる”烏帽子掛けの松”。明治6年(1873年)の台風で折れてしまったため、幹の一部分だけが保存されている。


鏡の宿
鏡の宿の町並み。鏡神社付近から江戸方面を望む。


元服の池
義経元服の地の最後を飾るのはその名も元服の池。義経はこの池の水を使い元服したと伝わる。小さな池ではあるが今も水を湛え、義経伝説を今に語る。


道の駅・竜王かがみの里
道の駅・竜王かがみの里。灼熱のアスファルト砂漠を歩いている最中、まさにここはオアシスだった。昼食を取り1時間程休憩。屋外で焼き栗を煎っていたが、さすがにこの暑さでは・・・。


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奢る平家は久しからず

さてさて、またしてもクイズをひとつ。平家が滅亡した場所はどこでしょう?

それはもちろん、源平合戦(治承・寿永の乱)の最後の舞台となった”壇ノ浦”でご名答であるわけだが、平氏一門の主だった諸将が壇ノ浦で入水して最後を遂げる中、総大将の平宗盛とその嫡男清宗は生き残り、源氏方に捕らわれて鎌倉へ送られた。鎌倉で源頼朝と面会した宗盛父子は京の都へ送り返される途中、近江国篠原の地にて斬首。ここで平清盛から続く平氏一門の血筋は途絶えたわけである。

そういった事情から篠原(現 野洲市)は平家終焉の地と称している。旧中山道(東山道)筋にある宗盛父子の胴塚には案内板が置かれ、その冒頭に「平家が滅亡した地は壇ノ浦ではなくここ野洲市である。」と、はっきりと主張しているわけだ。確かにその通りだとは思うのだが、やはり平家が滅亡したのは壇ノ浦じゃないかと思ってしまうわけで・・・。

猛烈に照りつける太陽を恨めしく眺めながら旧中山道を篠原へ。


旧中山道・大篠原
大篠原の旧中山道。国道8号を少し離れた場所に旧道の道筋が残る。


平宗盛卿終焉の地
篠原の旧中山道筋にある平宗盛卿終焉の地。ここに鎌倉から京への送還中に首を刎ねられた平宗盛父子の胴が葬られたという。今も大切に供養されていることがうかがえる。


蛙不鳴池
平宗盛父子の胴塚前に広がる蛙不鳴(かわずなかず)池。斬首となった平宗盛父子の首をこの池で洗ったといわれ”首洗い池”とも呼ばれた。この世の栄華を極めた平家の最期を哀れんだのか、それから蛙が鳴かなくなったという伝説があり、池の名の由来になっている。


国道8号と東池
光善寺川を越えて東池の畔を行く。


旧中山道・大篠原村立場跡
大篠原村の立場跡を行く旧中山道。中世には東山道の篠原駅があったとされる場所で、中山道となった江戸時代には立場が置かれた。


西池
大篠原村立場跡を過ぎると西池の畔を進む。西池と街道(現国道8号)の間には長い堤が築かれており、これは源平盛衰記に出てくる篠原堤ではないかと言われている。


国道8号・西池付近
西池の畔を行く国道8号。左の土手の向こうに西池が広がっている。


旧中山道・家棟川新橋
家棟(いえむね)川を渡り小堤から辻町へ。ちなみに家棟川は天井川と呼ばれる川で、周辺の平地より川底が高くなっている。関西地方で多く見られ、この辺りでは草津川が有名。


旧中山道・辻町
辻町を行く旧中山道。


子安地蔵堂
辻町の子安地蔵堂。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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