草津宿
江戸日本橋から69次、板橋宿から数えて68番目の宿場町である草津宿。中山道と東海道の追分(分岐点)に位置し、交通の要衝として宿場町は賑わった。江戸方から中山道を歩いてくると、天井川の旧草津川を越えた所で宿場に入り、草津追分を迎えて東海道に合流する。中山道はここが終点となり、この先の京都までは東海道を歩くことになる。
草津宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ南北7町15間半(約792m)・東西4町38間(約505m)、人口2351人、家数586軒、本陣2、脇本陣2、旅籠72軒。宿場町はL字型に屈曲する東海道の道筋に家屋を並べていた。その屈曲点が草津追分で東海道から中山道が分岐する。本陣は田中九蔵本陣と田中七左衛門本陣の2軒が置かれ、現在は田中七左衛門本陣だけが貴重な本陣の遺構を残している。

東海道から中山道が分岐する草津追分。左のトンネルを行けば中山道で、右へ行けば東海道である。ここで分かれた両街道は再び日本橋で結ばれる。中山道のトンネルは草津川ずい道で、上に天井川である草津川(現在は流路が変わり廃河川となっている)が流れていた。このずい道が完成したのは明治19年(1886年)のことで、それまでは堤防をよじ登り渡河していた。

草津追分の石造道標は文化13年(1816年)の建立。「右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ」と刻まれ、その役目を終えた今も昔と変わらぬ姿で旅人に行先を示している。

草津追分には高札場が設けられていた。

名所図会に見る草津追分。道標と高札が並べて置かれ、中山道から草津川の堤防をよじ登ってくる旅人の様子がうかがえる。

草津宿本陣付近の町並み。この辺りが宿場の中心部だった場所で、本陣・脇本陣が置かれていた。

草津宿本陣を務めた田中七左衛門本陣。現在も本陣の遺構が残されている貴重な建物で国の史跡に指定されている。

草津宿本陣の玄関広間。大名の名が書かれた多くの関札が展示されていた。

写真左手前に見える「大喜」という店で”絵ろうそく”と”匂い袋”をお土産に購入。絵ろうそくは和ろうそくに手書きの花が描かれたもので、独自の調合という匂い袋からは京の香りがしました。
お香・ろうそく「大喜」のホームページはこちらから↓
http://www.est.hi-ho.ne.jp/taiki/

草津宿脇本陣付近の町並み。

「草津宿がわかる歴史館」では草津宿の歴史や様子、街道を歩いた旅人について紹介。

本四商店街付近にはかつて問屋場や貫目改所(街道を運ぶ荷物の重量検査を行う役所)が置かれ、草津の政所といわれいた。

草津宿の中心部を抜けてきた東海道は宮川土橋で志津川(伯母川)を渡る。

草津宿西外れにあたる立木神社。旧草津村と旧矢倉村の氏神を祀る。

立木神社の境内に置かれている草津追分の旧石造道標。現在の草津追分にある道標の前身のものと推定され、延宝8年(1680年)建立。「みぎハたうかいとういせミち ひだりは中せんたうをた加みち」等と刻まれている。
草津宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ南北7町15間半(約792m)・東西4町38間(約505m)、人口2351人、家数586軒、本陣2、脇本陣2、旅籠72軒。宿場町はL字型に屈曲する東海道の道筋に家屋を並べていた。その屈曲点が草津追分で東海道から中山道が分岐する。本陣は田中九蔵本陣と田中七左衛門本陣の2軒が置かれ、現在は田中七左衛門本陣だけが貴重な本陣の遺構を残している。

東海道から中山道が分岐する草津追分。左のトンネルを行けば中山道で、右へ行けば東海道である。ここで分かれた両街道は再び日本橋で結ばれる。中山道のトンネルは草津川ずい道で、上に天井川である草津川(現在は流路が変わり廃河川となっている)が流れていた。このずい道が完成したのは明治19年(1886年)のことで、それまでは堤防をよじ登り渡河していた。

草津追分の石造道標は文化13年(1816年)の建立。「右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ」と刻まれ、その役目を終えた今も昔と変わらぬ姿で旅人に行先を示している。

草津追分には高札場が設けられていた。

名所図会に見る草津追分。道標と高札が並べて置かれ、中山道から草津川の堤防をよじ登ってくる旅人の様子がうかがえる。

草津宿本陣付近の町並み。この辺りが宿場の中心部だった場所で、本陣・脇本陣が置かれていた。

草津宿本陣を務めた田中七左衛門本陣。現在も本陣の遺構が残されている貴重な建物で国の史跡に指定されている。

草津宿本陣の玄関広間。大名の名が書かれた多くの関札が展示されていた。

写真左手前に見える「大喜」という店で”絵ろうそく”と”匂い袋”をお土産に購入。絵ろうそくは和ろうそくに手書きの花が描かれたもので、独自の調合という匂い袋からは京の香りがしました。
お香・ろうそく「大喜」のホームページはこちらから↓
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草津宿脇本陣付近の町並み。

「草津宿がわかる歴史館」では草津宿の歴史や様子、街道を歩いた旅人について紹介。

本四商店街付近にはかつて問屋場や貫目改所(街道を運ぶ荷物の重量検査を行う役所)が置かれ、草津の政所といわれいた。

草津宿の中心部を抜けてきた東海道は宮川土橋で志津川(伯母川)を渡る。

草津宿西外れにあたる立木神社。旧草津村と旧矢倉村の氏神を祀る。

立木神社の境内に置かれている草津追分の旧石造道標。現在の草津追分にある道標の前身のものと推定され、延宝8年(1680年)建立。「みぎハたうかいとういせミち ひだりは中せんたうをた加みち」等と刻まれている。

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