越ヶ谷宿 越ヶ谷2・3丁目・中町・越ヶ谷本町
日光街道では千住宿、宇都宮宿に次ぐ規模を誇った越ヶ谷宿は、天保14年(1843年)当時の宿長さ南北18町48間(約2.0km)、人口4603人、家数1005軒、本陣1、脇本陣4、旅籠52軒。現在の越ヶ谷2・3丁目・中町・越ヶ谷本町から元荒川を挟んだ大沢にかけての旧日光街道筋がかつての越ヶ谷宿にあたり、宿場から東側(現 御殿町)の元荒川沿岸に徳川家の越ヶ谷御殿が設けられていた。この御殿は慶長9年(1604年)徳川家康によって築かれたが、明暦の大火(1657年)で江戸城が焼失した際、その再建のために解体され建材として使われたという。
なお、現在は”越谷”の表記が用いられるが、旧表記は”越ヶ谷”であるため、ここではこれに従う。

旅籠の名残を感じさせる佇まいの白屋旅館。越谷宿南外れにあたる越ヶ谷2丁目の旧街道筋に今も現役で旅館業を営んでいる。

越ヶ谷3丁目の越谷宿町並み。横田診療所の古風な洋風建築に目を惹かれるが、この建物は大正5年(1916年)建築の旧越谷郵便局である。

中町にある金物屋の木下半助商店。店内に所狭しと商品が陳列され、老舗らしい味のある店構え。

木下半助商店の向かいにある旧商家「太物荒物店 塗師屋市右衛門」。かつては呉服店を営み、屋号が示すように漆も扱っていたという。レンガ造りの一風変わった”うだつ”を残している。

塗師屋の隣には日用雑貨を扱う鍛冶忠商店が蔵造りの見事な店舗を構えている。明治期以前は屋号からもわかるように鍛冶屋だったという。

越ヶ谷本町の越谷宿町並み。写真中央に見える河内屋旅館は創業300年といい、旅籠屋だった江戸時代から続く老舗旅館。

越ヶ谷本町にある会田金物店。この店の佇まいも宿場情緒を感じさせてくれる古風な店構え。越ヶ谷2・3丁目から越ヶ谷本町にかけてが越谷宿の見所と言ってよいだろう。

越ヶ谷本町の旧街道筋に鎮座する市神社。この神社は神明社であり、昔は境内で市が開かれていたのでこの別名が付けられたのだろう。草加宿の神明宮と同じことである。この神社の裏手に”宝楽”という中華料理店があったので、ここで遅めの昼食を取ることにした。

中華料理 宝楽にて。ラーメンにライス・・・普段の昼飯と変わらんなあ、と思いつつ、とにかく歩き旅には充分なエネルギーの補給が必要である。それにしてもトレーが社員食堂っぽい・・・。

元荒川の手前、越ヶ谷本町の町並み。米長乾物店が絵になる旧街道の風景。
