原の前一里塚跡

【水戸街道歩き 第5日目】荒川沖宿→中村宿→土浦宿



【2010年3月20日(土)水戸街道 荒川沖宿→中村宿 道中】
桜の開花が本格的な春の到来を告げようとする3月下旬の関東地方。天気は前回同様の晴れで風も爽やかに吹く程度。絶好のウォーキング日和だ。水戸街道歩きは天候に恵まれているというよりは、天気が悪ければ延期と日を選んでいるのだから当然といえば当然なのだ。中山道のような遠出になると宿泊場所等の事前準備が必要なので、みぞれ混じりの寒中歩行や土砂降りの雨中歩行の強行軍を決行したり、更には炎天下の猛暑の中を死にかけながら歩いたりと、ほとんど修行に近い酷な状況下に置かれたこともままあった。やっぱ、ウォーキングはポカポカ陽気の日本晴れの日が一番楽しい。

今回は土浦城下の散策に時間を費やしたいので、荒川沖宿から土浦宿までの道程約8kmと短めに設定。そのため前回のゴール地点であるJR荒川沖駅に着いたのが10時半と余裕のスタートになった。まずは荒川沖宿内の水戸街道を歩いて北上し、学園東大通り入口交差点の手前で国道6号に合流。中村南4丁目交差点で国道から右斜めに離れる旧道を進んで再び国道6号と交わる原の前交差点に至る。更にもう少し先へ旧道を進めば中村宿である。かつて原の前交差点付近には一里塚があったのだが、おそらく国道6号の開通によって撤去されて遺構を見ない。しかし交差点から荒川沖宿寄りの西側旧道筋には松並木の遺構と思われる連続した土盛りが残っている。

水戸街道 中村南・中村東


旧水戸街道 荒川沖西1丁目
荒川沖西1丁目、旧道と国道6号の合流点付近。


国道6号 中村南4丁目交差点
中村南4丁目交差点、国道6号を右に離れる道が旧道。


旧水戸街道 中村南1丁目
中村南の商店街を行く水戸街道。


旧水戸街道 中村東1丁目
中村東1丁目、サンタスワールドの裏手を進む。


旧水戸街道 中
水戸街道の遺構と思われる旧道筋の連続した土盛り。松並木の名残だろう。


原の前一里塚跡付近
土盛りの途切れた少し先が国道6号に交差する原の前交差点。ここから交差点にかけての旧道筋に、江戸日本橋から18里目(約71km)を示す原の前一里塚があったはずだが位置不明。


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中村宿

【2010年3月20日(土)水戸街道 中村宿】
中村宿は花室川南側の台地上にあった宿駅で、土浦市中地区内の国道6号から西に外れた旧道沿いにあたる。江戸期のいつ頃描かれたものかわからないが、中村宿絵図によると本陣1・問屋2軒が置かれ、旅籠が数軒程度ある小さな宿場で、継立の常備人馬数は25人・10疋だったという。付近の中村西根には鎌倉期の幹線道である鎌倉街道と伝わる古道があり、中世の昔から集落が発達してきたことが知られる。水戸街道が整備された江戸初期、この集落の住民が街道沿いに移り住んで中村宿の原形ができ、本陣・問屋場が定められて宿駅の体裁を整えた。現在、宿場町の面影は消え失せているが、中村宿から西側の外れに鹿嶋神社が鎮座し、鎌倉街道の古道から延びる参道は古の歴史を感じさせてすばらしい。

水戸街道 中村宿


観音堂の石仏群 観音堂の双体道祖神
観音堂の石仏群と双体道祖神。肝心の観音堂は無くなっている。


中の街道筋にて
中の街道筋にて。


中村宿
中村宿の町並み。


大師堂と中村一区公民館
大師堂と中村一区公民館。


中村宿
飯田タバコ店は宿内にある唯一の商店。


中村宿本陣付近
旧本陣川村家前を行く水戸街道。


旧水戸街道 東小学校前
東小学校前の坂道を下り、宿場を抜けて花室川へ向かう。時間に余裕があるので、花室川を渡る前に中村西根に寄り道をすることに。


鹿嶋神社
応永2年(1395年)創建と伝わる中村西根の鹿嶋神社。本殿が江戸中期、拝殿は江戸後期の建築と推定される。


鹿嶋神社参道
鬱蒼とした杉並木に囲われる鹿嶋神社参道。


中村西根の鎌倉街道 中村西根の薬師堂
中村西根の鎌倉街道と薬師堂。鎌倉幕府が政治の中枢を担っていた頃、この道が”いざ鎌倉へ”と続いていたと考えるだけでもロマンではないか。


番犬定吉(仮名)
薬師堂の番犬定吉(仮名)。


中村宿西側裏手の生活道路
中村宿と中村西根の集落を繋ぐ生活道路。土の匂いが香る長閑な風景の中を歩いて。


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大聖寺

【2010年3月20日(土)水戸街道 中村宿→土浦宿 道中】
水戸街道は花室川を越えて永国(ながくに)へ入る。その入口の街道西側に長徳元年(995年)開山と伝わる古刹、羽黒山今泉院”大聖寺”がある。元々は今泉寺と称して永国の地にあり、室町初期頃に小田城(現 つくば市小田)の8代城主小田孝朝によって西平塚(現 つくば市西平塚)に移されたが、戦国期になって小田氏の支配から外れて永国の現在地へ戻されたという。寺域の裏手に鎌倉街道と伝わる古道があり、ちょうど水戸街道と鎌倉街道に挟まれる場所に位置している。薬医門形式の山門は貞享2年(1685年)土浦城主松平信興の寄進で、四脚門が西平塚時代のもの。本尊の不動明王座像は室町期の彫刻という。

水戸街道 永国


花室川と大川橋
花室川に架かる水戸街道の大川橋。


大聖寺
土浦大師不動尊こと大聖寺。花室川北側低地の田園地帯を寺域としている。


大聖寺山門 大聖寺四脚門
大聖寺の山門(右写真)と四脚門(左写真)。茅葺屋根が美しい。


大聖寺本堂
大聖寺本堂。


旧水戸街道 永国
永国の水戸街道から中村宿方面を望む。中村宿を出て坂道を下る街道は、花室川を最下点にして再び永国の台地へ上る。


国道6号 永国
水戸街道は国道6号の上を交差して進む。


旧水戸街道 永国交差点
永国交差点で国道354号に合流。


国道354号 天川団地入口交差点
天川団地入口交差点から先で永国から中高津へと行政区域が変わる。


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中高津の馬頭観世音

【2010年3月20日(土)水戸街道 中村宿→土浦宿 道中】
中高津・下高津の地区内を縦断し桜川に架かる銭亀橋へ。桜川を渡れば土浦城下である。中高津の国道354号沿いにあるセブンイレブンの駐車場角に天保15年(1844年)建立の馬頭観世音碑があり、この碑は道標を兼ねて「水海道 布施 関宿 流山道」と刻まれている。つまり、ここから谷田部・守谷方面へ南下する道が水戸街道から分岐していたことを示しており、この道は牛久沼の西岸を通り、七里の渡しと呼ばれる利根川の渡船を使って布施弁天東海寺(柏市布施)に至ることから布施道とも呼ばれた。更に布施道を南下すれば我孫子市根戸で再び水戸街道に合流する。


水戸街道 中高津・下高津


すしおんど中高津店
中高津の回転寿司すしおんど。時間は14時ちょうど、昼飯を食べていなかったことを思い出し、ここでランチタイムに。


中高津の馬頭観世音碑
水戸街道と布施道の分岐点に残る中高津の馬頭観世音碑。水戸街道の脇道である布施道は幾つかのルートがあったようだが、中高津から下広岡・谷田部・小張を経て青木で小貝川を渡って赤法華に入り、守谷・戸頭を通って利根川の七里の渡しへ至るルートが本道だったと思われる。あくまで私見だが。


医療センター入口信号
医療センター入口信号で旧道はY字路右の直進方向へ進み、国道354号を離れる。


旧水戸街道 霞ヶ浦医療センター入口前 下高津小学校旧校舎跡地
霞ヶ浦医療センター入口前を行く水戸街道。街道を挟んだ医療センター入口向かいは下高津小学校の旧校舎跡地で、創立100周年(昭和51年)と130周年(平成18年)を記念して作られた碑が置かれている。


旧水戸街道 下高津
霞ヶ浦医療センター入口前の先から桜川へ向けて下りの坂道に。


下高津の愛宕神社 高津稲荷神社
下り坂の途中から石段の参道を延ばす下高津の愛宕神社。茅葺屋根の拝殿がすばらしい。その拝殿横に高津稲荷神社の小さな社があり、明日の3月21日は初午祭との貼紙があった。


常福寺と大イチョウ
愛宕神社の裏手にある常福寺と大イチョウ。常福寺は平安時代初期に最澄の弟子である最仙の開基と伝わる古刹で、本尊の薬師如来坐像は平安時代後期の作である。境内の大イチョウは樹齢約400年の古木で、市指定の天然記念物。


旧水戸街道 下高津
下高津を行く水戸街道。旧街道の趣を残す家並みが続く。


山田酒店
下高津の街道沿いにある山田酒店。二階の格子窓が目に留まり思わずパチリ。創業明治43年と看板に書かれていた。


旧水戸街道 下高津
銭亀橋手前の水戸街道。


銭亀橋
銭亀橋で桜川を渡れば間もなく土浦城下である。銭亀橋は江戸時代初期に初めて架けられたといい、土浦城が近代城郭として整備される一環として架橋されたものだろう。


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土浦宿

【2010年3月20日(土)水戸街道 土浦宿】
土浦藩主の譜代大名土屋家9万5千石の土浦城下に置かれた宿場、土浦宿。水戸街道は銭亀橋を渡って江戸方出入口の南門(高津口)から城下に入り、城郭の東側を迂回して水戸方出入口の北門(真鍋口)へ至っており、銭亀橋から北門にかけての沿道に大町・田宿町・中城町(中茶町)・本町・田町・横町の町家が並んだ。水戸街道と霞ヶ浦に通ずる桜川によって、陸運・水運の要衝として町は大いに賑わい、江戸時代中期の享保年間に2300人弱だった城下の人口は、幕末の安政3年(1856年)には5357人と倍増しており、その発展ぶりがうかがえる。水戸道中では千住・水戸に次ぐ規模を誇る商業都市だったが、周辺に良質の大豆・麦を産出する穀倉地帯があり醤油醸造の産業も発達した。

元文年間(1736年~1741年)の絵図によると本陣は2軒定められ、山口家と大塚家が務めたというが、その本陣両家は跡形も無くなっている。しかし、旧中城町の水戸街道沿道に天明5年(1785年)から呉服商を営んだ大徳が江戸時代末期建築という町家造りの見世蔵と袖蔵を残し、その向かいには安政7年(1860年)建築の商家、旧野村家が同じく古い佇まいを残している。いずれも”まちかど蔵”となって、現在は休憩所や資料展示室、土産物屋として利用されているので、是非とも立ち寄っておきたい場所だ。また、旧中城町には矢口酒店(矢口家住宅)が重厚な土蔵造りの商家建築(県指定文化財)を残しており、歩いてみると町並みもさることながら城下の町割りの様子も伝わってきて、土浦は意外に見所が多いなと感じた。

土浦城下


大町
土浦宿江戸方外れに位置する大町の町並み。


簀子橋跡と南門跡
現在は埋め立てられてしまったが高架道路(土浦ニューウェイ)下の道は上沼と下沼を繋ぐ水路(水堀)で、水戸街道には簀子(すのこ)橋が架かり、橋の北詰に南門が設置されていた。


東光寺瑠璃光殿
元文4年(1739年)建立の東光寺瑠璃光殿。東光寺は慶長12年(1607年)開基と伝わる。寺域に華岡青洲に外科を学んだ土浦藩医辻元順の墓があり、墓地の南東隅に南門土塁の遺構が残っている。


等覚寺銅鐘
等覚寺の銅鐘は常陸三古鐘の一つに数えれれる国指定重要文化財。建永年間(1206年~1207年)小田城主の八田知家が藤沢城下(現 土浦市藤沢)の極楽寺に寄進したもの。極楽寺は江戸時代初期に土浦城下に移され等覚寺に改称。銅鐘は城内にあって江戸期を通じて時の鐘として利用され、明治17年(1884年)等覚寺に返却された。


大手門跡
土浦城大手門の跡。元和8年(1622年)に設置され、明治6年(1873年)土浦城の廃城と共に撤去された。二門を備えた内枡形であり、外側が単層の門、内側が二層の櫓門だった。


吾妻庵
老舗蕎麦屋の吾妻庵。明治初期の創業で大正期に現在地へ移転したという。


矢口家住宅
矢口酒店(矢口家住宅)の見世蔵と袖蔵は長い歴史を感じさせる重厚な佇まい。


土浦まちかど蔵 野村
土浦まちかど蔵「野村」。明治期より砂糖商を営んだ旧商家野村家の店舗で、安政7年(1860年)に建てられたもの。砂糖の保存庫に使われていたレンガ蔵が喫茶店として利用されている。


まちかど蔵 大徳02
土浦まちかど蔵「大徳」。天明5年(1785年)創業という老舗の呉服店で、町家造りの特徴をよく伝える建物を残している。昭和49年(1974年)に駅前大通り沿いへ移転するまでここで営業を続けていた。


退筆塚不動院と琴平神社
退筆塚不動院と琴平神社。1本の参道に鳥居と山門が並ぶ神仏混交な感じが珍しい。ここは江戸時代後期に沼尻墨僊の開いた寺子屋があった場所で、墨僊の七回忌(文久2年)に門人等によってその学徳を偲び築かれた退筆塚の碑が残る。


保立食堂
明治2年(1869年)創業の保立食堂。水戸街道と川口川(現 駅前通り)が交差する櫻橋西袂に位置し、その地の利から大いに繁盛したという。


桜橋跡 桜橋の欄干
川口川渡河地点の水戸街道に架けられていた桜橋跡。昭和10年(1935年)に川が埋め立てられてしまったため、欄干の親柱だけが残されている。


本町
旧中城町を東へ進んだ水戸街道は旧本町で北へ向きを変える。


中町・田町
旧中町から旧田町にかけての町並み。


月読神社
旧横町に鎮座する月読神社。


北門跡
土浦城下水戸方出入口(真鍋口)の北門跡。門外にはS字型に街道を曲げた馬出しがあった。北門は大手門と同様、明治6年(1873年)に撤去された。


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土浦城址

【2010年3月20日(土)水戸街道 土浦宿】
天慶年間(938年~947年)平将門が砦を築いたことに起源があると伝わる土浦城。記録に残るところによれば、室町時代の永享年間(1429年~1441年)に常陸国小田城(現 茨城県つくば市)の豪族小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが始まりで、弱肉強食の戦国乱世になって小田氏家臣の菅谷氏の居城となった。後に佐竹氏の侵攻を受けて小田氏は佐竹氏の軍門に降ったが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際に小田氏は北条方に与したため、菅谷氏は北条氏や主君の小田氏と共に滅亡した。

土浦城は安土桃山時代に結城秀康の支配下に入り、江戸時代になって徳川の治世になると土浦藩が成立し、藤井松平家の松平信一が初代藩主となって土浦城に入った。後に西尾家、朽木家、土屋家、大河内松平家と藩主が目まぐるしく変わり、貞享4年(1687年)譜代大名の土屋政直が再び土浦藩主に戻り、明治維新を迎えるまで土屋家が10代世襲して長らく君臨した。土浦城は幾重もの水堀を巧みに張り巡らせた水城だったため、城域が水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたといい、亀城(きじょう)という異名が付けられた所以である。

江戸時代の土浦城郭図
土浦市教育委員会設置の解説板より


旧前川口門
二の丸入口にあたる二之門跡に建つ旧前川口門。元々は武家屋敷のあった多計郭と町屋の間を仕切る門だったといわれ、明治期になって土浦戸長役場(後の町役場)の門として、大正期には田宿町(現 土浦市大手町)の等覚寺山門として使われたが、昭和56年(1981年)寺の寄贈を受けて現在地へ移築された。


聖徳太子堂と御用米蔵跡
聖徳太子堂と御用米蔵跡。


内濠
土浦城内濠。


櫓門
土浦城の象徴的な建造物である櫓門。2階に大太鼓を置いて定時に打ち鳴らしたことから太鼓門とも太鼓櫓とも称される。櫓門は明暦2年(1656年)に本丸楼門を改築したもので、関東地方に残る城郭建築の遺構としては最古の部類に入る。


本丸跡
土浦城本丸跡。土浦城は天守を持たず、本丸には本丸御殿と東西に東櫓・西櫓が築かれていた。明治17年(1884年)の火災により本丸御殿と東櫓は焼失し、西櫓も昭和24年(1949年)のキティ台風により破損して翌年復元を前提に解体される。


西櫓
平成3年(1991年)になってようやく復元された西櫓。


東櫓
ライトアップされる東櫓。平成10年(1998年)に復元され、土浦市立博物館付属の展示室となっている。


喫茶「蔵」
亀城公園から土浦駅へ向かう途中、退筆塚不動院参道横のライトアップされた喫茶「蔵」は美しい佇まいを見せてくれた。


中城通り夜景
中城通りの夜景。日中とは随分と雰囲気が変わるもんだ。


JR土浦駅
JR土浦駅から帰途につく。

【水戸街道歩き 第5日目】
踏破距離 約8.0km(荒川沖宿→中村宿→土浦宿)
千住宿から約70km 水戸宿まで約45km
桜の開花が間近に迫る3月下旬の道中、気が付けば優しい春風が頬を撫でる季節になっていた。


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桜の季節を迎えて

【水戸街道歩き 第6日目】土浦宿→中貫宿→稲吉宿→府中宿



【2010年4月4日(日)水戸街道 土浦宿】
4月になったというのに、冬へ逆戻りしたのかと思うほど寒々しい日曜日。天気は明るい空の曇り。3月22日に靖国神社のソメイヨシノの開花発表があってから関東は季節外れの寒い日が続き、桜も寒さに身を潜めるようにして満開まで足踏み状態となっている。今日の水戸街道歩きは花見がてらのウォーキングと思って出発したのだが、さて今年の桜はどんな姿を見せてくれるだろうか。まずは、土浦桜まつりの会場となっている亀城公園へ。


土浦城西櫓 土浦城東櫓
土浦城西櫓と東櫓。


土浦城櫓門
土浦城櫓門とソメイヨシノ。


土浦城櫓門
土浦城櫓門から。今日の主役はやっぱ桜だね。


土浦城本丸跡
土浦城本丸跡にて。今日は色々とイベントがあるようです。


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真鍋

【2010年4月4日(日)水戸街道 土浦宿→中貫宿 道中】
土浦城下を抜ければ間もなく新川を渡って真鍋に入るのだが、ここである異変に気付く。私と似たようなリュックを背負ったウォーカーが水戸街道を多数往来しており、次々と抜かれてはすれ違う。いったい何なんだろうと尋ねてみたら、今日はJR東日本が企画している”駅からハイキング”のイベントで、土浦駅から出発して真鍋のサクラや旧土浦中学校本館がコースに組み込まれているという。なるほど…これはラッキーかもしれないと思い、ここは参加者に成りすまして歩くことにしよう。

真鍋に入った水戸街道は筑波鉄道の廃線跡である”りんりんロード”を越えて真鍋の中心部へ入り、真鍋坂を上って国道125号に合流する。真鍋坂の沿道には古い家が連なって独特の雰囲気を見せ、坂下の十字路は鹿島道(現 国道354号で通称真鍋東通り)との分岐点、坂上の土浦一高前交差点が筑波道(現 八坂通り)との分岐点だった。真鍋の街道沿道には歴代土浦藩主によって保護されてきた照井の井戸をはじめ、真鍋小学校敷地内に根を張る真鍋のサクラや明治期の旧制中学校校舎の姿を残す旧土浦中学校本館など、見所は多い。

水戸街道 真鍋


新川
新川の堤桜。


つくばりんりんロード 新土浦駅跡
筑波鉄道の廃線跡を利用した”つくばりんりんロード”と新土浦駅跡。筑波鉄道は昭和62年(1987年)に廃止となり、廃線跡はサイクリングロードと化している。


真鍋宿通り
水戸街道は真鍋宿通りとなって真鍋坂へ向かう。


真鍋坂
真鍋坂手前の十字路がかつての水戸街道と鹿島道の分岐点。鹿島道は霞ヶ浦を渡船し潮来を経て鹿島へ通ずる道だった。


善應寺
大日如来を本尊とする善應寺。創建は南北朝時代以前といわれ、江戸時代初期に土浦城の鬼門除けとして土浦藩土屋家初代藩主の土屋数直によって再興された歴史を持つ。


照井の井戸
今もなお水量豊かな照井の井戸。善應寺の敷地内にあり、照井は寺の山号にもなっている。古くから豊富な水量を誇る井戸で、寛文年間(1661年~1672年)に土浦城中へ通ずる上水道が設置され、飲料水の供給源として利用された。


真鍋坂
真鍋坂を上って。


真鍋のサクラ
真鍋小学校敷地内にある真鍋のサクラ。明治40年(1907年)真鍋小学校が現在地へ移転新築されたときに記念植樹されたもので、現在5株が残っている。まだ満開には早く、五分咲きといったところ。


旧土浦中学校本館
土浦一高の敷地内に残る旧土浦中学校本館。明治期の数少ないゴシック様式の木造洋風建築で、設計者は辰野金吾に師事した駒杵謹治という建築家。昭和51年(1976年)旧制中学校校舎としては全国で初めて国重要文化財に指定された。


旧土浦中学校本館教室 旧土浦中学校本館校長室
旧土浦中学校本館は毎月第二土曜日にしか内部公開していないが、ラッキーなことに”駅からハイキング”のおかげで今日は開館していた。左写真が教室で右写真が校長室。今見る教室の原形はこの時代にできていたんだなあ…と、感慨深い思い。ちなみにこの教室は昨年暮れにNHKで放映された”坂の上の雲”のロケに使われたんだって。


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板谷の水戸街道松並木

【2010年4月4日(日)水戸街道 土浦宿→中貫宿 道中】
往時の水戸街道沿道には松並木が植えられ、夏の陽射しや冬の寒風から往来する旅人を保護すると共に、街道の道標にもなってきた。その松並木も戦時中の燃料不足を補う松根油採取のために伐採されたのか、近代化に伴う道路拡幅や宅地開発の理由もあるだろう、ほとんどが失われてしまった。現在、水戸街道の松並木は東若松町から板谷にかけて約1.2kmの旧道に残るのみである。

水戸街道 東若松町・板谷


板谷の松並木
日立電線土浦工場の入口前から連続した土盛りの松並木が続く。


板谷の松並木
板谷の松並木。往時の水戸街道を偲ばせる。


板谷の一里塚
両塚が現存する板谷の一里塚。江戸日本橋から20里(約79km)を示す。


板谷に残る道標
板谷の旧道筋に残る道標。昭和4年(1929年)電燈建設記念に建立されたもので、「石岡経水戸約四四粁 土浦経東京約七六粁」「従是本村小学校役場経筑波道」と碑面に刻まれている。


板谷の松並木
県道64号土浦笠間線に合流する地点で松並木の旧道は終わる。


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中貫宿

【2010年4月4日(日)水戸街道 中貫宿】
中貫宿は下り水戸方面の稲吉宿へ片継ぎだけを行う変則的な宿駅で、水戸街道では以前の記事に書いた荒川沖宿と同様の形態である。つまり、隣の稲吉宿と中貫宿は合宿であり、稲吉宿から上りの江戸方面へは中貫宿を通り過ぎて土浦まで継立を行っていた。中貫宿には大名が休息するための小休本陣が置かれて本橋家が務め、問屋は吉田屋が旅籠を兼ねて務めた。元治元年(1864年)天狗党による焼打ちに遭って本陣は焼失し、直後に再建された建物が今も住居として使われ残っている。

関連記事

水戸街道 中貫宿


国道6号 中貫
国道6号を越えて中貫宿へ。


中貫宿
中貫宿江戸方(南側)の町並み。


安穏寺
宿内にある安穏寺。


中貫宿本陣
旧中貫宿本陣の本橋家住宅。唐破風造りの式台付き玄関を残す風格ある本陣建築である。


中貫宿
中貫宿本陣付近の町並み。


中貫の馬頭観世音
中貫宿水戸方(北側)外れに立つ馬頭観世音碑。明治38年(1905年)の建立。


旧水戸街道 中貫
旧道はゴルフ練習場の横を通って国道6号へ合流する。


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下稲吉の一里塚

【2010年4月4日(日)水戸街道 中貫宿→稲吉宿 道中】
中貫宿を出た旧道は国道6号に合流して北進する。上稲吉・下稲吉地区内の国道6号を2km程進むと、下稲吉一里塚と出会い、その先で国道から左へ分かれる旧道が出現して稲吉宿へと入って行く。中貫宿と稲吉宿間の水戸街道はほぼ国道6号のルートを辿っており、どこにでもある郊外型店舗が並ぶ国道風景の中を歩くことになる。

水戸街道 上稲吉・下稲吉


国道6号 土浦市とかすみがうら市の境
国道6号を歩いて土浦市からかすみがうら市へ。


上稲吉の厳島神社
上稲吉の国道沿いに鎮座する厳島神社。昔は神社裏手に清水が湧き、この辺りの字である清水という地名の由来になったらしい。


国道6号 清水信号
清水の地名は国道6号の信号名に残っている。


須田うどん千代田店
須田うどん千代田店で昼食に。けんちんうどんを食べたのだが、リーズナブルな価格に反して具は多く、想像以上に美味しかった。


国道6号 上稲吉交差点
上稲吉交差点を境にして上稲吉から下稲吉へ行政区域が変わる。


下稲吉の一里塚 下稲吉の一里塚
江戸日本橋から21里(約82km)の下稲吉の一里塚。国道6号の敷設による開削と拡張のため、標識がなければ一里塚とは気付かない状態。


下稲吉の旧道入口
下稲吉の旧道入口。国道から旧道が分岐する地点に「旧水戸街道稲吉宿入口」と書かれた標識が立てられている。水戸街道ウォーカーにとっては有難い配慮だ。


下稲吉の旧道
稲吉宿へ続く旧道。


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稲吉宿

【2010年4月4日(日)水戸街道 稲吉宿】
「旧水戸街道稲吉宿入口」の標識から国道6号を離れた旧道は、緩やかに坂道を上って稲吉宿へ入る。稲吉宿は万治年間(1658年~1661年)に設置されたというから、水戸街道の重要性が増して通行が盛んになるにつれ、必要に迫られて宿駅が整備されたものだろう。江戸時代中期の宝永7年(1710)の記録によると本陣・脇本陣・問屋が各1軒、家数90軒でそれなりに旅籠もあったようで、安政年間(1854年~1860年)の旅籠数は17軒だったという。本陣(現 坂本家住宅)と旅籠皆川屋(現 木村家住宅)の建物が現存しており、旧道沿道の家並みは宿場当時の面影を良く残している。

水戸街道 稲吉宿


稲吉宿江戸方外れの坂道
緩やかな坂道を上り稲吉宿へ。


下稲吉旧道の十字路
坂道を上りきった地点、下稲吉旧道の十字路。旧道と県道197号戸崎上稲吉線が交差している。


稲吉宿
稲吉宿の町並み。


稲吉宿本陣 稲吉宿本陣
稲吉宿本陣の坂本家住宅。建築年代がわからないのだが、江戸時代後期に建てられたものだろう。水戸街道で本陣建築を残しているのは取手宿・中貫宿とここ稲吉宿だけである。


旧旅籠皆川屋・木村家住宅
旧旅籠皆川屋の木村家住宅。かすみがうら市教育委員会設置の解説板より一部抜粋して紹介する。
『旅籠「皆川屋」は江戸時代末期の建築で、桁行八間二階の総瓦葺という堂々だる構えをみせている。広い土間と板縁、上がりはなの階段、勝手、出格子、腰高障子、仕切り戸などが旅籠らしい。二階に上がると、客室の壁には墨痕も鮮やかに、遊びすぎて支払いに窮した思案の落書や愛しい女達の名前が記してあるのも面白い。旅籠「皆川屋」は水戸街道に残る唯一の旅籠である。』
男の遊び方は今も昔も大して変わらんのだなあ…と、この解説板を読みながら思いつつ、是非ともその内部を拝見したい衝動にかられるが、現在は個人宅に使われているのでそれは叶わない。水戸街道に残る唯一の旅籠…ん!?小金宿の玉屋を忘れてないか。


稲吉宿
旅籠皆川屋と本陣付近の家並み。宿場町の面影が良く残っている。


成就院正明寺
成就院正明寺。


稲吉宿 稲吉宿・宮本家
稲吉宿水戸方(北側)には見事な黒板塀の太田医院や薬医門を構える宮本家など、大きな旧家が連なり見ごたえがある。


下稲吉の香取神社
稲吉宿水戸方(北側)外れに鎮座する香取神社。


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旧土田村と千代田の一里塚

【2010年4月4日(日)水戸街道 稲吉宿→府中宿 道中】
水戸街道は天の川を渡って上土田へ入る。現在の上土田・下土田地区は旧土田村の村域であり、現在も水戸街道沿道の集落には大きな旧家が連なって中には立派な長屋門を備えた家もある。旧土田村の集落を抜けて下土田北交差点で国道6号に合流すると、間もなく千代田石岡インター入口があり、ここに千代田の一里塚が現存する。現地を訪ねてみるとよくわかるのだが、この辺りは国道6号と常磐道の接続道路が造成されたためにかなり地形がいじられており、かつての街道の姿は完全に消え失せているにも関わらず、千代田の一里塚はよくぞ無事でいられたなと感心するぐらいに奇跡的な状態で生き残っている。

水戸街道 上土田・下土田


天の川に架かる橋 天の川
天の川を渡って上土田へ。名の由来が気になる天の川だが、決して織姫と彦星を隔てるような川ではない。


かすみがうら市役所
かすみがうら市役所千代田庁舎。お笑い芸人のアントキの猪木がデビュー前までここに勤務していたらしい。


旧水戸街道 上土田
旧道らしさを残す上土田の水戸街道。


上土田
街道沿いに大きな旧家が並ぶ上土田の集落。


上土田の長屋門 上土田の長屋門
堂々と構える上土田の長屋門。


岩井酒店
岩井酒店も味のある佇まい。


土田観音寺
土田観音寺。境内に鎌倉末期の作と推定される不動明王像を安置する。


上土田の双体道祖神
土田観音寺前の街道沿いにある双体道祖神。見た感じ近年に作られたものだろうが、柔和な笑顔が何とも微笑ましい。


下土田
下土田の集落内を行く水戸街道。


千代田の一里塚 千代田の一里塚
江戸日本橋から22里(約86km)にあたる千代田の一里塚。国道6号の敷設によって街道面は掘り下げられており、一里塚はちょっとした小山の状態になっている。


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あゝ恋瀬川

【2010年4月4日(日)水戸街道 稲吉宿→府中宿 道中】
その名の由来が知りたくなる綺麗なネーミングの恋瀬川。千代田の一里塚から国道6号を進み、新治小入口信号で旧道に入って市川の集落内を抜ければ、この恋瀬川に突き当たる。現在の渡河地点には国道6号の恋瀬橋が架かるが、昭和6年(1931年)の架橋当時は現在の橋より30m程上流にあり、更に時代を溯ること陸前浜街道と呼ばれた時代には現在の橋より30m程下流に架橋されていた。

恋瀬川は石岡市(旧八郷町)の北端部、笠間市との境に位置する吾国山に源を発し、石岡・かすみがうら市域を流れて霞ヶ浦へ注ぐ。奈良時代初期に編纂された常陸国風土記には志筑川と書かれ、古の時代から江戸時代にかけて色々と川の名称は変化し、上流域から下流域の住民によっても呼び名が違ったようだ。明治期には現在の恋瀬川に統一されており、その由来は多々あって不明確であるが、”浅瀬に鯉が多く棲む川”から鯉瀬川の名が起り、いつからか恋瀬川に変じたとの説もある。

七夕を 隔てる川は 春の里 今は逢瀬に あゝ恋瀬川

お粗末…。

水戸街道 市川・石岡・国府


旧水戸街道 市川
市川の集落を行く水戸街道。


市川の長屋門
市川の集落内にドンと構える長屋門。上土田から市川にかけての街道沿いには長屋門が多く残っている。


旧恋瀬橋
恋瀬橋ロードパーク内にある旧恋瀬橋の欄干の一部。昭和6年(1931年)から70年もの長きに渡り、国道6号の橋として利用された。平成13年(2001年)新恋瀬橋の完成によりその役目を終える。


恋瀬橋
現在の恋瀬橋。


恋瀬川と筑波山02
恋瀬橋から筑波山を望む。


旧水戸街道 国府
恋瀬川土手から府中宿へ延びる水戸街道旧道。


旧水戸街道 国府7交差点
旧道は国府7丁目交差点で国道6号と交差して府中宿へと向かう。写真の右方向が国道6号で左方向が府中宿(石岡市街)へ向かう水戸街道旧道。


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府中宿

【2010年4月4日(日)水戸街道 府中宿】
現在の石岡市街中心部に位置した府中宿。常陸府中藩の陣屋が置かれ、江戸時代中期頃から水戸松平氏が2万石で入封し、水戸藩の連枝として幕末まで続いた。府中という名称は古代の常陸国府が置かれていたことに由来し、近辺に国分寺跡や国分尼寺跡があり、国府の中枢である国庁は石岡小学校の校庭にあったことが近年の発掘調査でわかっている。また、石岡小学校の敷地は府中陣屋の跡地でもあり、更に溯れば南北朝時代に大掾(馬場)氏によって築かれた城郭の跡地でもある。府中城・府中陣屋について次の記事で詳しく書こう。

府中宿は寛永2年(1625年)には家数1100余、人口5100余という、江戸時代初期から府中陣屋の城下町として大きな町を形成していたようで、宝永6年(1709年)に本陣と脇本陣が定められて水戸街道の宿場的性格を帯びてきたようだ。幕末になって府中宿水戸方外れにある一里塚付近で府中藩と水戸天狗党の戦闘があり、泉町・香丸町・守木町・幸町が天狗勢によって放火されるという災難に遭っている。今に残る町並みは昭和4年(1929年)の大火後に建築された看板建築の店舗が旧道沿いに軒を連ね、歩いていると昭和初期にタイムスリップしたような感覚に陥って楽しい。

水戸街道 府中宿


日天宮・御嶽神社
府中宿江戸方外れに鎮座する日天宮。古代から日・月・星は信仰の対象であり、常陸国府のあった石岡にはここ日天宮と月天宮、星の宮が祀られ、後に府中三光宮と称された。同じ境内に御嶽神社が鎮座している。


旧水戸街道 国府7丁目
府中宿の入口にあたる国府7丁目で水戸街道は鉤の手の道筋を辿る。


国府公園
国府6丁目にある国府公園。


金刀比羅神社
金刀比羅神社。中世常陸国に勢力を得た常陸平氏の嫡流、大掾氏ゆかりの神社で古くは”森の社”と呼ばれた。文政10年(1827年)讃岐国象頭山(香川県)の金刀比羅宮から御分霊を勧請して現社名となる。


丁子屋
江戸時代末期建築の商家、丁子屋(ちょうしや)。


府中宿
府中宿の町並み。昭和4年(1929年)の大火後に再建された商家建築と看板建築の店舗が並ぶ。写真手前から福島屋砂糖店、久松商店、十七屋履物店でいずれも味のある佇まいだ。


きそば東京庵 森戸文四郎商店
数奇屋風の和風食堂建築の”きそば東京庵”とアールデコ調を取り入れた看板建築の”森戸文四郎商店”。ここで紹介した他にも大和田家貸店舗(喫茶店四季)や平松理容店が昭和初期の看板建築を残している。


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府中城・府中陣屋跡

【2010年4月4日(日)水戸街道 府中宿】
府中城は正平年間(1346年~1370年)桓武平氏平国香の流れを汲む大掾氏によって築城されたといわれ、おそらくは常陸国府の遺構を利用して府中城は縄張りされたのだろう。以来2世紀の長きに渡って大掾氏の居城となったが、戦国時代末期の天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐があり、北条方に与した大掾氏は豊臣方の佐竹氏に攻められ滅亡する。後に佐竹義尚の居城となったが、慶長7年(1602年)佐竹氏が出羽国(現 秋田県)へ国替えとなり、後に六郷政乗が府中城を居城として常陸府中藩の藩祖となった。

元和9年(1623年)から皆川氏が藩主を務めたが、早逝した3代目に嗣子が無くお家断絶となり、正保2年(1645年)府中藩は廃藩となる。元禄13年(1700年)水戸藩初代藩主徳川頼房の五男松平頼隆が府中城址に陣屋を築き、府中藩を再立藩して藩主となって以来、明治維新を迎えるまで府中松平氏が代々藩主を務めた。府中藩は明治2年(1869年)に版籍奉還があり藩名を石岡藩に改称、明治4年(1871年)の廃藩置県によって石岡県へと変遷する。

府中城址見取図
府中城址見取図 石岡市教育委員会・石岡市文化財保護審議会設置の解説板より


石岡小学校
府中陣屋が置かれていた石岡小学校。周辺一帯は府中城址でもあり、それ以前は校庭に常陸国府の国庁が置かれていたことが近年の発掘調査でわかっている。


府中城の土塁
石岡小学校の敷地内に残る府中城の土塁。


府中陣屋 陣屋門
府中陣屋の唯一残る建築物である陣屋門。石岡小学校の敷地内に移されている。


照光寺
歴代府中藩松平氏の墓所がある照光寺。元々の墓所は小石川の宗慶寺にあったが、大正15年(1926年)ここ照光寺に移された。


常陸国総社宮
平安時代にはここに鎮座していたという常陸国総社宮。社伝によれば聖武天皇の天平年間(729年~749年)、勅命によって常陸・武蔵・甲斐・駿河・長門・対馬の各国府に国家鎮護を祈願して創建されたと伝わる。


常陸国分寺中門跡 常陸国分寺講堂跡
今回の旅の締めは常陸国分寺跡で。写真はその入口の中門跡と現在の本堂にあたる講堂跡。今更ここで説明することでもないだろうが、国分寺とは奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇が国情不安にあった国内を鎮撫する目的で、各国府内に国分尼寺と共に築かせた寺院である。


常陸国分寺 薬師堂
古代常陸国分寺の寺域は東側半分が住宅地と化し、西側が現常陸国分寺の敷地となっている。左写真が現常陸国分寺の本堂で、右写真は金堂跡に建つ薬師堂。


大形屋本店 小女子佃煮とワカサギ佃煮
JR石岡駅前にある大形屋本店で今晩のビールのお供にと、霞ヶ浦名産小女子とワカサギの佃煮を購入。私にとっては歩き旅を終えた後の一杯と温泉に浸かっているときが至福の時なんです。


JR石岡駅
JR石岡駅から常磐線普通上野行きに乗車して帰途につく。

【水戸街道歩き 第6日目】
踏破距離 約14.4km(土浦宿→中貫宿→稲吉宿→府中宿)
千住宿から約84km 水戸宿まで約30km
満開のサクラにはちょっと早い水戸道中。石岡が歴史の町と自負するわけを垣間見た1日だった。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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