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石岡の一里塚

【水戸街道歩き 第7日目】府中宿→竹原宿→堅倉宿→小幡宿



【2010年4月29日(木)水戸街道 府中宿→竹原宿 道中】
今年の4月は寒暖の差が激しかった。17日に関東地方は結構な降雪があり、朝起きてカーテンを開けたときにはまだ夢の中なのかと目を疑ったほどだ。昭和44年4月17日に記録した観測史上最も遅い降雪に並ぶ記録だという。しかしながら、今日の天気は文句なしの晴れ。朝方は少々肌寒いが昼頃からは春らしい暖かな陽射しに恵まれそうだ。意気揚々と家を出て大きく深呼吸、清々しい朝の空気が心地よい。JR石岡駅に降り立ち、まずは駅前のロッテリアでペッパーポークセットを食べて腹ごしらえ。国府3丁目交差点から水戸街道の歩き旅を再開する。

府中宿から次の竹原宿まではおおよそ5km、その道中の県道52号(石岡城里線)沿道に石岡の一里塚はある。江戸日本橋から23里目(約90km)にあたるこの一里塚は、かつての水戸街道が県道と化しているにも関わらず、両塚が良好な状態で現存しており、その間を車がバンバン通り抜けている。近年まで東塚には樹齢400年という初代の榎が生き残っていたが、残念ながら平成14年(2002年)の台風によって倒木してしまい、現在は一里塚付近に育っていた苗木が2代目の榎として移植されている。茨城県内の水戸街道は一里塚の残存率が高いが、中でも石岡の一里塚は秀逸な状態で残っている。

水戸街道 行里川


常磐線・石岡駅付近
水戸街道は石岡市街から泉町で常磐線を越える。その跨線橋から石岡駅方面を望む。


泉町の常磐線跨線橋にて
常磐線跨線橋にて。泉町の跨線橋から続く県道両脇の歩道には、水戸街道の各宿場を紹介したタイルが路面に設置されている。さすが石岡市は歴史の里と称するだけのことはあるなあ、と感心。


石岡の一里塚
県道を挟ん両塚が現存する石岡の一里塚。


県道52号 杉並・石岡 旧茶屋場付近にて
杉並・石岡地区の境を進む県道52号。江戸時代の杉並4丁目辺りには、水戸藩の休息場として設けられた茶屋場があり、現在は茶屋場住宅の名にその名残が留められている。


行里川旧道入口
行里川の旧道入口。


鷲の宮神社 行里川不動尊
行里川集落の南外れにある鷲の宮神社と行里川不動尊。


旧水戸街道 行里川
行里川の集落。


園部川と郡橋
郡橋で園部川を越える。


旧水戸街道 竹原
竹原を行く水戸街道。竹原宿はもうすぐだ。


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竹原宿

【2010年4月29日(木)水戸街道 竹原宿】
元和年間(1615年~1624年)中台村(現 石岡市中台)を通っていた府中・堅倉間の街道付け替えがあり、その時に新設された宿駅が竹原宿である。本陣・脇本陣は無く、竹原上郷に2軒と竹原新田に1軒の問屋場が置かれるのみの小さな宿場町だったようだが、宿内に築かれていた一里塚周辺には旅籠や茶屋があり賑わいを見せたという。府中宿から堅倉宿までは約10kmとやや距離があり、荷継ぎの中継点として宿駅が設置されることになったのだろうが、街道を往来する旅人にとっても格好の休息場になったのだろう。現在の町並みに往時の面影は薄く、宿内にあったという一里塚も正確な位置がわからない。

水戸街道 竹原宿


竹原坂下の道標
竹原坂下に残る道標。明和7年(1770年)石橋喬宣という人によって建立されたことはわかるのだが、肝心の道標正面の文字が解読できない。「従是○○けん○○宮迄三町」と刻まれており、○の部分が不明。どなたかご教示下さいませ。
[竹原坂下の道標碑面]


竹原橋と花野井川 水戸街道 竹原坂下
花野井川を竹原橋で渡る。その先から竹原宿入口の上り坂が待ち受ける。


竹原神社
竹原宿の江戸方入口に鎮座する竹原神社。この神社の神輿は小ぶりながら常陸国総社宮の神輿と同型であり、総欅造りの見事な造りは美術工芸品として価値の高いものだという。毎年7月下旬に行われるアワアワ祇園という祭礼時に繰り出される。


竹原宿
竹原宿(竹原上郷)の町並み。いのうえ食品マートの場所に問屋場が置かれていた。


竹原宿
竹原宿の中央部、竹原交差点のT字路で街道は左折。この曲り角から先の北東へ進む街道筋が竹原新田の町並みで、昔はこの曲り角に”まがりめ”という屋号の商家があったらしい。現在、このT字路は旧道と国道6号の合流点になっている。


福田八十吉商店
現在の曲り目、竹原交差点角にある福田八十吉商店。


国道6号 竹原
竹原宿(竹原新田)の町並み。この辺りに江戸日本橋から24里目(約94km)の一里塚があったはずだが、遺構はまったく残っておらず正確な位置がわからない。


元庄屋木村家
サンホーム竹原の看板が掲げられる元庄屋木村家。立派な薬医門に目を惹かれる。


竹原下郷の旧家
竹原下郷の国道6号沿道に残る茅葺屋根の旧家。


竹原下郷にて
竹原下郷の国道沿いにて。


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大曲

【2010年4月29日(木)水戸街道 竹原宿→堅倉宿 道中】
竹原宿から堅倉宿まで約5km、この宿間の水戸街道は中野谷を過ぎた所で北東方向から大きく曲がって東へ進んで堅倉宿へ至り、今なお大曲という地名が残っている。現在は国道6号と化してしまっており、道中に旧街道の面影は残されていないが、特筆すべきはこの大曲に至る手前の国道6号沿道にある美野里ロードパークだ。何てことは無いどこにでもある国道沿道の休憩所なのだが…。

水戸街道 中野谷・大曲


国道6号 中野谷
中野谷を行く水戸街道。


中野谷に残る旧店舗 中野谷の小さな神社
中野谷の国道6号沿道にて。


中野谷の地蔵 北辰一刀流 故大貫先生政成之碑
中野谷の国道6号沿道にて。右写真は「北辰一刀流 故大貫先生政成之碑」と刻まれる石碑なのだが、おそらく北辰一刀流免許皆伝の剣客だった大貫先生とは、一体どんな人物だったんだろうか…。


美野里ロードパーク
これが中野谷の国道6号沿道にある美野里ロードパーク。何ゆえなのかこんな所にフィリピンショーパブがあり、場所柄から奇妙というが違和感を存分に醸し出している。ちょっと立ち寄ってみたい気もするが、さすがに真昼間から行く店でもあるまいし、開店時間も日が暮れる頃からだろう。うーん、気になる。


国道6号 大曲
大曲を迎える国道6号。


大曲の石仏
大曲食堂勇ちゃんの前に残る石仏。大正期建立のもの。


大曲三差路
大曲三差路を行く国道6号。


堅倉にて
美川さん、頑張ってるなあ…。


そば処田村 けんちんつけそば
そば処田村で昼食タイムに。けんちんつけそばを食べてみたのだが、これがホントに美味かったよ。


堅倉の桜並木
堅倉の桜並木。さすがに今時期は完全に葉桜となっていたが、並木道の中を歩くのは気持ちがいい。国道歩きも歩行者に対してこういった配慮があると楽しいもんだ。


堅倉の桜並木にて
堅倉の桜並木にて。お尻に花粉をいっぱい付けたミツバチ、春の到来を感じるね。


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堅倉宿

【2010年4月29日(木)水戸街道 堅倉宿】
水戸街道第16宿となる堅倉宿。古い資料には片倉と表記されている。脇本陣と問屋場が各1軒、江戸時代後期には10軒の旅籠があった。名主や問屋をはじめ名字帯刀を許される士分格の家が多く、現在も立派な板塀と門構えの家が目立つ。名主を務めた加藤家の屋敷は元治元年(1864年)天狗党の焼き討ちに遭って全焼、唯一焼け残った門の前柱二本は復旧門の前柱として蘇っている。宿内の街道は鉤の手の曲りが2ヶ所あり、水戸方の曲り角に”旅館かと家(旧屋号 角屋)”の旧館が旅籠らしい姿を残している。

水戸街道 堅倉宿


堅倉宿江戸方入口
国道6号を離れて堅倉宿へ。


堅倉宿
堅倉宿江戸方の町並み。


堅倉宿
堅倉宿の中心部。左手の屋敷が旧名主加藤家でその向かい側に脇本陣があった。


加藤家復旧門
天狗党の乱を今に伝える加藤家復旧門。


一本槍酒店
一本槍酒店は老舗らしい味のある店構えだが、廃業してしまったようだ。


旅館かと家旧館(旧旅籠角屋)
今も鉤の手の曲り角に旅籠の佇まいを残す”旅館かと家”。角屋の屋号で江戸時代末期にはここで旅籠を営んでいた。現在この建物は使われておらず、国道沿いの新館で旅館業を続けている。


堅倉宿
堅倉宿水戸外の町並み。”まつちや”や”よしのや化粧品店”等、宿場町らしい屋号の店が並ぶ。


堅倉の田園風景
宿場を抜けると視界が開けて田園風景が広がる。

旧水戸街道 堅倉
堅倉宿を出て巴川へ向かう水戸街道(県道59号玉里水戸線)。


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小岩戸と西郷地

【2010年4月29日(木)水戸街道 堅倉宿→小幡宿 道中】
堅倉宿から小幡宿にかけて旧街道らしい道が続き、その道中に小岩戸と西郷地の集落がある。かつては沿道に茶屋があって往来する旅人が足を休めたのだろうと、想像しながら歩いていれば退屈はしない。道中には石仏や石碑が多く残っており、昔の住民の信仰を垣間見ることができるのも楽しい。

水戸街道 小岩戸・西郷地


巴橋 巴川
巴川を渡った先から小岩戸の集落に入る。


小岩戸の石仏群
小岩戸の集落内に残る石仏と石碑。


水戸街道 西郷地
西郷地の集落を行く水戸街道。


石船神社 如意輪観音
朱塗りの社殿が印象的な西郷地の石船神社。境内に同じような朱塗りの御堂があり、中に如意輪観音が安置されている。神仏混淆な感じがいい。


西郷地の石仏群
西郷地に残る母子像の石仏三体。石岡から先の街道沿いでは、このような幼児を抱く母の石仏をしばしば見かけ、子安信仰の深い地域だったことがうかがえる。


黒川と山中橋
山中橋で黒川を渡る。


西郷地小学校跡入口
西郷地北端の水戸街道沿いにある西郷地小学校跡。明治10年(1877年)小幡法円寺の末寺である広諦寺本堂を校舎として西郷地小学校は開校したが、明治19年(1886年)堅倉小学校に合併して廃校となった。


山中薬師本堂 山中薬師本堂仁王像
西郷地小学校跡地内にある山中薬師本堂。西郷地字山中という地にある。解説板によると本堂の建築年代は不詳、水戸吉田町の薬王院と建築様式が類似しているという。安置される二体の仁王像はこの地にあった広諦寺山門のもので、明治末期の火災の際に搬出されて難を逃れた。


山中薬師にて
山中薬師にて。おぉ、薬師如来の使いなのか!ヒバカリと思われる。


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小幡宿

【2010年4月29日(木)水戸街道 小幡宿】
山中薬師を過ぎた所で小美玉市から茨城町へ行政区域が変わり、水戸街道は間もなく小幡宿の町並みへ入って行く。小幡宿は水戸藩の強い要望によって長岡と共に藩領となった宿駅。宿内の法円寺は水戸藩主専用の旅館、つまり本陣として使われた場所で、他に1軒の問屋場が置かれていた。宿場の南端に愛宕神社が鎮座し、そこから西郷地にかけての街道筋は桜並木だったらしく、5年前の地図を見ると旧道桜並木というバス停の記載が見られる。しかし近年にそのバス路線も廃止となってしまい桜並木もさることながら、旧道桜並木のバス停も存在していない。


旧道桜並木 愛宕町女中講の石仏
旧道桜並木の水戸街道。桜並木は現存していないが、路傍に愛宕町女中講によって建立された子安信仰の石仏が残っている。


愛宕神社
小幡宿の南外れに鎮座し、勝軍地蔵を祀る愛宕神社。戦国時代に小幡城主が奨励したという伝統芸能”小幡ひょとこばやし”の発祥地である。


小幡宿
小幡宿江戸方(南側)入口の町並み。


法円寺
水戸藩主通行時の専用旅館に指定されていた法円寺。


小幡宿 小幡宿
夕暮れを迎える小幡宿。


小幡の旧道三差路 小幡宿の石碑群
小幡宿の北端にあたる旧道三差路。分岐点に石碑や石仏が残る。水戸街道を分かれて東(写真の右方向)へ進む道は中世城郭の小幡城へ至る古道。


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千貫桜

【2010年4月29日(木)水戸街道 小幡宿】
小幡宿を出た水戸街道は寛政川を渡り、青龍大権現が鎮座する小山の脇を抜けて国道6号に合流する。この合流点の小幡交差点付近に、かつては桜の巨樹があり、水戸の黄門様こと徳川光圀が千貫の価値があると賞賛したという。現在は枯死してしまいその桜は存在しないが、千貫桜碑と光圀公の歌碑が建てられて往時のよすがを偲んでいる。

春風も こころして吹け 散るは憂し さかぬはつらし 花の木のもと
【常山詠草 巻の四より】

水戸街道 小幡


界田橋
小幡宿を出て、界田橋で寛政川を渡る。左奥の鬱蒼と木々に覆われる小山の頂に青龍大権現が鎮座している。


青龍大権現
真新しい石造りの祠に青龍大権現が祀られる。


旧水戸街道 小幡交差点
小幡交差点で旧道は国道6号に合流する。


千貫桜碑と千貫桜歌碑
千貫桜碑と千貫桜歌碑。光圀公が千貫の価値があると賞賛した桜の巨樹がここに根を張っていた。千貫は今の貨幣価値に直せば一千万くらいだろうか。とにもかくにも、千貫桜は見事な枝振りを見せていたのだろう。


小幡の国道6号から
時間は18時を過ぎる。日没を迎えて。


赤坂入口バス停
赤坂入口バス停で今日の歩き旅は終わり。関東鉄道バスに乗車して水戸駅へ向かう。

【水戸街道歩き 第7日目】
踏破距離 約14.6km(府中宿→竹原宿→堅倉宿→小幡宿)
千住宿から約99km 水戸宿まで約16km
水戸藩領に入り尊皇攘夷な気持ちの高ぶりが…。
次は明治維新へ歴史を動かした水戸藩の城下町、水戸へ。


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奥谷と小鶴

【水戸街道歩き 第8日目】小幡宿→長岡宿→水戸宿



【2010年5月5日(水)水戸街道 小幡宿→長岡宿 道中】
ゴールデンウィーク最終日の5月5日、五月晴れと呼ぶににふさわしいこどもの日である。9時半頃にJR石岡駅に到着し、バスターミナルで水戸方面の出発時刻を確認すると、1時間以上後の10:45まで待たなければならないことが発覚。オーマイゴーッ!しかし今日の行程ならタクシー代をかけて行くほど時間に余裕がないわけじゃないなと、駅前のロッテリアで余裕をこいて朝食しつつ読書で時間を潰した。ちなみに読んでいた本は吉村昭著の「桜田門外ノ変」。桜田門外の変といえば大老井伊直弼がクローズアップされがちだが、襲撃側の水戸脱藩浪士関鉄之助を主人公に据えて幕末動乱期に至る根源が描かれており面白い。新潮社より上下巻の単行本で発刊されているので、是非ご一読を!

話を水戸街道歩きに戻そう。11:20頃に赤坂入口バス停で下車、水戸街道最終日となる歩き旅を再開する。小幡宿を抜け小幡交差点で国道6号に合流した水戸街道は、奥谷地区に入った所で国道を離れて県道18号へ合流し、奥谷交差点で県道16号に名を変えて涸沼川を渡る。涸沼川から先は小鶴地区で、間もなく小鶴の集落へ入り涸沼前川を越えれば長岡宿である。この宿間の水戸街道は概ねこんな感じのルートになっており、ほぼ国道と県道と化している街道はとりたてて書くべきことも無いのだが、小鶴の街道沿いにある”こどもや”という店は昭和ノスタルジーな雰囲気をぷんぷんと醸し出す看板建築の店構え。印象的な建物である。

水戸街道 奥谷・小鶴


国道6号 奥谷
奥谷の国道6号を行く。


旧水戸街道 奥谷坂上
奥谷坂上の水戸街道。奥谷坂上から奥谷交差点にかけてが旧奥谷村の集落である。


御霊神社
旧奥谷村の産土神として古くから崇拝されてきた御霊神社。


御霊神社にて
そして、御霊神社の入口に寝そべるわんこ。優しい顔をしてるね。


県道18号 奥谷交差点
奥谷交差点で水戸街道は県道18号茨城鹿島線から県道16号大洗友部線へと道名を変える。


高橋 涸沼川
涸沼川に架かる高橋を渡る。


小鶴橋
高橋のすぐ先に小鶴橋という小橋が県道の用水路上に架かっているのだが、車で通行する人は全く気付かずに通り過ぎているんだろうなあ…。


県道16号 小鶴交差点
小鶴交差点の三差路で水戸街道は左方向へ道筋を辿り、小鶴の集落へ入って行く。


旧水戸街道 小鶴上宿
昭和ノスタルジーな看板建築を今にそのまま残す”こどもや”。石岡市街に残る登録有形文化財の看板建築と比しても遜色ない昭和初期の店舗である。看板といい、店構えといい、すばらしいの一言。


旅館中多屋
”こどもや”と同じく小鶴の集落内にある旅館中多屋。江戸時代の創業という老舗旅館。


小鶴の商店街 小鶴の火の見
小鶴の商店街を行く水戸街道と火の見。


小鶴の諏訪神社
小鶴の集落を見渡すように鎮座する諏訪神社。旧小鶴村の村社。


長岡橋と涸沼前川
涸沼前川を長岡橋で渡れば長岡宿は近い。


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長岡宿

【2010年5月5日(水)水戸街道 長岡宿】
水戸道中最後の宿場町となる長岡宿。隣の小幡宿と共に水戸藩領であったことから、やはりその意向が強かったのだろう、宿内には水戸藩の御殿があったといい、他に本陣と脇本陣・問屋が置かれていた。庄屋であり脇本陣と問屋を兼ねて務めた木村家住宅が江戸時代末期建築の主屋を残す。安政6年(1859年)水戸尊攘激派数百人が長岡宿に屯集して幕府側に盾突いた長岡屯集と呼ばれる事件が勃発し、後にその中心人物らが桜田門外の変の襲撃に深く関係している。その辺りの詳細については吉村昭著の「桜田門外ノ変」に詳しい。

水戸街道 長岡宿


長岡宿江戸方入口
長岡宿江戸方の旧道入口。


藤屋製菓 みそまんじゅう
長岡宿江戸方の入口にある藤屋製菓。長岡名物みそまんじゅうを製造販売する。


長岡宿
県道40号内原塩崎線と県道106号長岡大洗線が接する変則四差路から先で街道は上り坂に。この変則四差路を中石崎方面へ曲がって500m程行くと楠公神社があり、ここに水戸浪士の毛塚がある。長岡屯集に加わっていた水戸浪士17名が江戸へ上る前、井伊大老暗殺の決意を誓って髪を断ち切り屯集地付近に埋めた。桜田門外の変の後、長岡の住民がその髪の毛を移して楠公社と毛塚を築いたという。


高岡神社
長岡宿の中心部に鎮座する高岡神社。長徳元年(995年)に酒列磯前神社(茨城県ひたちなか市)の御分霊を祭祀し創建されたと伝わる。


長岡宿
長岡宿中心部の町並み。


木村家住宅
庄屋であり脇本陣・問屋を務めた木村家住宅。近年にリフォームされたらしく、門や屋根の茅葺は新しい。主屋は安政4年(1857年)の大火後に再建されたもの。


木村家住宅
木村家住宅の入口は式台付き玄関であり本陣の格式を備えている。


みくらや
街道を挟んで木村家住宅の斜向かいにある”総合衣料センターみくらや”。ここは中夷屋の屋号で旅籠を営んでいたといい、長岡屯集の際に水戸尊攘激派の浪士が切り付けたという柱の刀痕が残っているらしい。


長岡宿
長岡宿水戸側の町並み。本陣や御殿はどこにあったんだろう…と、ここまで手がかりを探すも見当たらず。おそらく御殿は宿場から少々離れた場所にあったのだろうが、肝心の本陣が全く痕跡を残していないのはどういうことなのか…。あくまで私見だが、木村家住宅が本陣で中夷屋が旅籠を兼ねた脇本陣だったのではないか。


長岡十字路交差点
長岡十字路交差点辺りが長岡宿水戸方外れ。この先から松並木の街道が続いていた。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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