小佐越 立場の松

【2010年8月1日(日)会津西街道 高徳宿→大原宿 道中】
会津西街道の旧道は鬼怒川と東武鬼怒川線の間を並進して小佐越駅の裏手を進む。小佐越駅を過ぎて400m程行くと右手沿道に大きな松がそびえている。この松は”たてばの松”と呼ばれ、推定樹齢450年の古木。昔はこのような松が街道沿いに一定間隔に植えられ、それを目安に人を運ぶカゴ屋の運賃が決められていたという。街道を挟んだ向かい側に立場茶屋を営んでいた竹末家があり、松の呼称はこれに由来する。竹末家は明治40年頃から昭和初期まで立場の営業をしていたと解説板に書かれており、街道として機能していた最晩年期に営業をしていたということなのだろう。

”たてばの松”を過ぎて間もなく、旧道は東武鬼怒川線に分断され、線路向こうで国道121号となって北へ延びる。国道東側の山麓に東武ワールドスクウェアの敷地が広がり、ここがかつての大原製錬所である。大正6年(1917年)西沢金山株式会社が大原製錬所を建設し、西沢金山で採掘された銅鉱石を精錬する工場として稼動した。しかし、第一次世界大戦が終結して銅価格が大暴落し、また燃料や人件費の高騰、土地買収の問題等が重なって、わずか1年後の大正7年に操業を中止している。東武ワールドスクウェアの山側に工場からの排煙を山中に放出していた煙道が残っているという。

会津西街道 鬼怒川温泉大原


会津西街道旧道 小佐越
小佐越駅付近の会津西街道旧道。


小佐越駅
小佐越駅。駅名の小佐越は鬼怒川対岸の地名。文化元年(1804年)五十里で街道を分かれて男鹿川西岸を南下し、川治から一本杉峠を越えて滝温泉(現 鬼怒川温泉)に至る脇道が開削され、このルートは小佐越新道と呼ばれた。小佐越新道は更に宿場を避けるようにして鬼怒川西岸を進んで大桑・今市宿へ至った。幕末に仲附(会津西街道で発達した農民による非正規の物資運搬業者)が利用して発達したため、正規に会津西街道で運ばれる荷が減り、高原新田・藤原・大原・高徳の各宿場は対抗手段として小佐越新道の万歳橋(現 海尻橋付近)を取り壊したという。


たてばの松 たてばの松
会津西街道の往時を偲ぶ”たてばの松”。対面には立場茶屋を営んだ竹末家も健在する。


鬼第33号踏切道
鬼第33号踏切道を使って国道121号へ。


国道121号 東武ワールドスクウェア入口前
東武ワールドスクウェア入口前を行く会津西街道(国道121号)。


東武ワールドスクウェア
平成5年(1993年)に開業した東武ワールドスクウェア。この敷地がかつて製錬所だったなんてことは、予備知識が無ければ全く気付くことはないだろう。


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大原宿

【2010年8月1日(日)会津西街道 大原宿】
大原宿は隣の高徳宿と同様、かつての宇都宮藩領であり幕末に高徳藩領となった宿駅。鬼怒川東岸の段丘上に位置しており、原野が広がる場所だったことから大原の地名が付けられたと伝わる。地図を見てみれば一目瞭然、この辺りは鬼怒川の両側に山が迫る狭隘地なのだが、大原(鬼怒川温泉)の辺りだけは鬼怒川と東側の山の間に平地が広がっており、昔は大きな原野だったのだろう。大原の地名の由来が現代地図からもうかがえる。天保年間(1830年~1844年)の家数21軒という小さな山村の宿駅だったため、往時を偲ぶものは何も残っていないが、旧名主宅である大島家の前に経宗稲荷大明神、山麓に大原神社が鎮座し、今も大原を見守り続けている。

会津西街道 大原宿


国道121号 大原団地前バス停
大原団地前バス停付近から大原宿の町並みがはじまる。


藤原運動公園入口の石仏群
藤原運動公園入口にある石仏群。


大原宿
大原宿を行く会津西街道(国道121号)。


旧名主大島家 経宗稲荷大明神
旧名主大島家と経宗稲荷大明神。


大原神社
宿場東側山麓に鎮座する大原神社。


国道121号 鬼怒川温泉大原
大原交差点。大原宿を抜け、街道(写真右方向)は山中へ向かって延びる。


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滝温泉と大べつり

【2010年8月1日(日)会津西街道 大原宿→藤原宿】
滝温泉とは鬼怒川温泉の旧称。源泉の発見は元禄5年(1692年)と宝暦2年(1752年)の説がある。元来は鬼怒川西岸にのみ温泉場があり、幕末まで鬼怒川から西側は日光神領だったことから、大名等の要人や僧侶しか温泉を利用できなかった。一般人が利用可能となったのは明治時代になってからで、「傷は川治、火傷は滝」と言われてその名を知られることになり、多くの湯治客が訪れるようになった。明治2年(1872年)滝温泉の対岸に源泉(日新湯)が発見されて藤原温泉と称し、昭和2年(1927年)滝温泉と藤原温泉を総称して鬼怒川温泉が誕生した。今や全国有数の温泉地である。

鬼怒川温泉から先の街道は”大べつり”と呼ばれた大難所を迎える。”へつり”とは川に迫った険しい断崖のことを指す会津の方言。鬼怒川温泉から小原沢にかけての鬼怒川東岸はモウキ山の曽根が鬼怒川に突き出て断崖を形成しており、街道は壁面にへばりつくように桟橋を架けて通していた。駄馬一頭がやっと通れるくらいの隘路だったといい、中山道で例えるなら木曽の桟や羅天桟道の雰囲気に似ている。今はしっかりと補強された舗装路の国道が通っているのは両者とも同じだが、”大べつり”の川岸にはホテル等の建物が並んでおり少々雰囲気を異にしている。

関連記事

会津西街道 鬼怒川温泉・大べつり


国道121号 鬼怒川温泉大原
鬼怒川温泉駅の裏手を行く会津西街道(国道121号)。


国道121号 鬼怒川温泉大原06 第41号踏切道
第41号踏切道の辺りから右に山が迫ってくる。


国道121号 藤原総合支所前
藤原総合支所辺りから”元湯ほしのや”にかけての街道は、モウキ山の曽根と鬼怒川に挟まれた断崖を通行している。かつては”大べつり”と呼ばれた大難所である。


鬼怒川温泉と黒鉄橋
鬼怒川温泉と黒鉄橋を望む。


鬼怒子の湯
黒鉄橋の袂にある鬼怒子の湯。ここで足を湯に浸からせてしばし休憩する。レディー?には失礼かもしれないが、鬼怒子さんのおみ足は実に逞しい…。


鬼怒川温泉
黒鉄橋から鬼怒川上流を望む。川の右手が”大べつり”の会津西街道である。


鬼怒川・黒鉄橋下
黒鉄橋下の上流側東岸にある謎の橋。旧道の跡なのかとも思ったが、橋の両袂に道跡らしきものが無い。何でこんな所に橋が架けられているのか…不思議である。


鬼怒の風穴 鬼怒の風穴
モウキ山の山腹を通ってきた冷気が岩穴から吹き出す鬼怒の風穴。マイナスイオンがたっぷり含まれる天然のエアコンである。猛暑の中を歩いてきた者にとっては快感と元気を得られるパワースポットだ!


大べつり
難所”大べつり”を行く会津西街道(国道121号)。写真左手に見える鬼怒川第一ホテルは廃業しており、今は無残な姿を晒している。おそらく、難所の断崖に建っているホテルなので近くに駐車スペースが確保できず、マイカー中心の現代には適応できなかったのだろう。道路崩壊のおそれもあるので取り壊すこともままならず、といったところか。


元湯ほしのや
”元湯ほしのや”の辺りで難所”大べつり”を越え、街道は北東に進んで鬼怒川を離れる。


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小原沢

【2010年8月1日(日)会津西街道 大原宿→藤原宿】
大べつりを越えた街道はモウキ山の麓を流れる小原沢上流に向かって山間へ入る。会津西街道の小原沢渡河地点は、戊辰戦争時に会津へ進攻する新政府軍とそれを阻止する会幕軍(会津藩を含む旧幕府軍)との間で激しい戦闘があった古戦場であり、この戦いを小原沢の戦いと呼ぶ。会幕軍(会津藩を含む旧幕府軍)は小原沢付近の帝釈堂に塹壕を築いて陣地を構え、大べつりの難所を越えてきた新政府軍に一斉射撃を浴びせて迎え撃ったという。戦場跡には戦死した両軍兵士の殉難碑が建てられている。

会津西街道 小原沢


鬼怒川戊辰街道入口
”元湯ほしのや”前辺りから街道は小原沢上流に向かって山間に入っていた。鬼怒川断崖に流れ込む小原沢を越えるのが難しく、上流側へ迂回する必要があったのだろう。現在の国道121号から分かれる鬼怒川戊辰街道が旧道の道筋に近いが、車道を通すためにかなり開削されており往時の面影は薄い。鬼怒川戊辰街道の南側に旧道らしき道筋が残っている。


滝見橋から鬼怒川下流を望む
小原沢を渡る前に鬼怒川の滝見橋へ。滝見橋から鬼怒川下流を望む。写真左手の断崖が難所大べつり。


生そば あづま
滝見橋付近の国道121号沿いにある”生そば あづま”。ここでかなり遅めの昼食、いや…早めの夕食とする。店内に入ってざるそばを注文するも、既に売り切れでそばは無いとのこと。ざるうどんならあると言うので仕方なく注文。しかしながら、そばのように細切りされたうどんは意外にもツルツルこしがあって美味かった。店主の奥さんらしき店の方に興味深い昔話を伺った。昔は山へ入るために、おにぎりを頭に載せてこの辺りから龍王峡辺りまで泳いで行っていたとの話があること。もう一つは、店の方は今市の出身で昔は砥川辺りで天然の鰻が採れたといい、それが脂がのって絶品だったこと。山間を流れる砥川に回遊魚の鰻がいるなんて信じられないが、昔は海から利根川を伝って鬼怒川を今市辺りまで溯ることができたのだろう。鬼怒川の清流に育まれた鰻はさぞかし美味かったんだろうなぁ…。


会津西街道旧道 星ヶ丘 会津西街道旧道 星ヶ丘
鬼怒川戊辰街道入口から右手の階段を上っていくと、小原沢の渡河地点まで切通しの旧道(らしき道)を辿れる。


小原沢 小原沢
この小原沢を挟んで会幕軍と新政府軍が激戦を繰り広げて血を流したのが今から約140年前のこと。しかし今となっては平和な”魚のつかみどり会場”である。


小原沢古戦場
小原沢古戦場。この小さな沢を挟んで銃撃戦があったなんて、今となっては信じられない。


帝釈堂
小原沢の帝釈堂。会幕軍は帝釈堂の建つ小山に塹壕を築いて新政府軍に一斉射撃を浴びせた。


戊辰の役殉難碑
戊辰の役殉難碑。昭和56年(1981年)地元有志によって建てられた。小原沢の戦いで戦死した新政府軍側の佐賀藩兵15名と宇都宮藩兵4名、会幕軍側2名の名を刻みその霊を慰める。


弾除けの松 弾除けの松
小原沢から少し先の街道沿いにある弾除けの松。小原沢の戦いの際、ここにいた会津兵に向けて鬼怒川対岸から新政府軍(佐賀藩)がアームストロング砲をぶち込んできたといい、会津兵は大松に身を隠して難を逃れたと伝わる。その大松が弾除けの松であるが、平成8年(1996年)に突風により倒木。現在は二代目が植樹されている。


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仲附の旅籠

【2010年8月1日(日)会津西街道 大原宿→藤原宿】
小原沢の北側にある日光市鬼怒川公園には、日帰り温泉の鬼怒川公園岩風呂や野外ステージがあり、その外れの一角に仲附の旅籠という古い建物がある。この建物は明治元年(1868年)の建築で、元々は藤原宿にあった”加登屋”という屋号の旅籠を昭和56年(1981年)に移築したものであり、現在は日光市郷土資料館として展示されている。仲附の旅籠と呼ばれる所以は、仲附が利用した宿屋だったことが理由で、藤原宿には同様の宿屋が5軒あった。仲附の存在は会津西街道を語る上で欠かせない大きな特徴の一つなので、ここで少し触れておこう。

仲附とは正式名称を仲附駑者(なかづけどちゃ)と言い、江戸期から明治期にかけて会津西街道を中心に発達した今で言う民間の運送業者である。江戸時代の荷物の運送は宿駅にある問屋場で荷を積み替えて次の宿駅へ継ぎ送る輸送手段が公的であり、幕府や藩から与えられた宿駅の特権だった。しかし、この方法では荷が目的地に着くまでに時間がかかるうえに人件費もかかり、荷主にとっては非効率な輸送手段だった。そこで時代の要請に応えるように現れたのが仲附である。仲附は一人で5~7頭の馬を引いて目的地まで附け通して荷を運んだので、当然ながら早くて安かったのだ。同様のシステムは中山道でも発達し、中馬・中牛と呼ばれる。


会津西街道 小原


鬼怒川公園岩風呂
500円で鬼怒川温泉の湯を堪能できる鬼怒川公園岩風呂。泉質のやわらかい無色透明のアルカリ性単純温泉。男湯には2つの内湯に露天の岩風呂があり、広々とのんびり湯に浸かることができる。女湯はわからない。源泉かけ流しでは無いようだが、塩素臭は全く感じない。


仲附の旅籠
仲附の旅籠。ここへ移築する時に茅葺屋根からトタン屋根に葺き替えられたという。建物内へ入ることができないのは残念。


会津西街道旧道 小原01
小原の集落を行く会津西街道(小原通り)。


鬼第45号踏切道 国道121号 藤原
鬼第45号踏切道の先から再び鬼怒川の”へつり”を進む。随想舎出版の”会津西街道の歴史を歩く”(佐藤権司著)を読むと、こちらが”大べつり”であり、小原沢手前の藤原総合支所辺りは”小べつり”だったと書かれている。当ブログでは小原沢古戦場の解説板にある文言と古絵図から”大べつり”をあちらにしたのだが、真相はどうなんだろう…。


勝善碑ならびに馬頭観世音碑群
勝善碑ならびに馬頭観世音碑群。”へつり”の難所を通行する駄馬は足を踏み外して転落死することも珍しくなく、”へつり”付近の街道にはそんな飼い馬の死を悼んで建てられた馬頭観世音が散在していたという。昭和36年(1961年)地元有志によってここに集められた。


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藤原宿

【2010年8月1日(日)会津西街道 大原宿→藤原宿】
名勝龍王峡への玄関口にあたる藤原宿。以前の記事に書いた高徳宿・大原宿と同様、鬼怒川東側の河岸段丘上に位置しており、かつては宇都宮藩領の宿駅だった。会津西街道の宿駅では比較的規模が大きく、宝永8年(1711年)の記録によると人口382人、家数75軒。宿場の北側に堰場川・七久保沢、南側には鈴倉沢の渓流が流れ、その間の街道沿いに様々な商家が軒を連ねていた。日光市鬼怒川公園に移築されている仲附の旅籠”加登屋”は、宿場今市方(南側)入口の鈴倉沢を渡ってすぐ左手にあったらしい。また、宿内には清隆寺と慈眼寺、十二神社の神社仏閣があり、清隆寺の街道を挟んだ向かいに本陣・問屋を兼ねて名主を務めた星家があった。現在の星光ホテルがそれである。

十二神社から七久保沢を少し溯った辺りに小字本宿の地名があり、中世以前の集落の中心がこの辺りだったことを示している。今から約800年前の壇ノ浦での平家滅亡後、東国へ落ち延びて宇都宮氏預かりの身となった平貞能と平重盛の妹妙雲禅尼が、一時期を藤原の星家に身を寄せていたと伝わっており、その場所が小字本宿辺りだったという。その後、貞能の消息については諸説あり不明だが、安善寺(茨城県芳賀郡益子町)や小松寺(茨城県東茨城郡城里町)が貞能の開基と伝わっている。また、妙雲禅尼は最晩年を塩原の地で過ごし、草庵を結んで甘露山妙雲寺(栃木県那須塩原市)の開基となった。ちなみに高原山の最高峰釈迦ヶ岳の名は、妙雲禅尼が平重盛公の釈迦像を安置したことに由縁があるといわれる。

会津西街道 藤原宿


藤原宿 鈴倉沢
藤原宿今市方(南側)入口の町並みと鈴倉沢。


星光ホテル
星光ホテルはかつての名主である星家。本陣・問屋を兼ねていた。明治期になって宿駅制度が廃止されると、問屋は陸運会社へと変遷し、藤原地域では一般に”かいしゃ”と呼ばれた。星光ホテルは”かいしゃ”跡でもある。


清隆寺
星光ホテルの向かいにある清隆寺。日蓮上人が腰を下ろして村人に説法をしたと伝わる”日蓮上人腰掛け石”が境内に残されている。


藤原宿
藤原宿は戊辰戦争の戦災に遭い、宿場の名残を留める建物は残っていない。


慈眼寺
日光を開山した勝道上人の開基と伝わる慈眼寺。現在は日蓮宗の寺社であるが、江戸期までは日光の輪王寺と同じく天台宗だった。ぼけ除けにご利益があるという地蔵尊を本堂に安置している。


高沢橋 堰場川
高沢橋で堰場川を渡る。


十二神社
高沢橋北詰に鎮座する十二神社。


平石酒店
藤原宿の会津方(北側)外れの町並み。平石酒店が老舗な佇まいを見せる。


新藤原駅
本日の歩き旅を終え、新藤原駅から鬼怒川公園駅へ向かう。


鬼怒川公園岩風呂
鬼怒川公園岩風呂で1日の汗を流し帰途につく。歩き旅の後に入る温泉は最高だよ♪

【会津西街道歩き 第2日目】
歩行距離 約8.7km(高徳宿→大原宿→藤原宿)
前回同様、中盤から雨に降られたが、予定通り藤原宿に辿り着くことができた。次は会津西街道で初めての峠越えとなる高原越え。右膝の状態があまり良くないので少々心配であるが、気合でどうにかしよう。


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高原越えか、栃久保新道か

【会津西街道歩き 第3日目】藤原宿→太閤下しの滝



【2010年8月21日(土)会津西街道 藤原宿→野沢橋】
藤原宿から会津方面の五十里へ向かう会津西街道には二つのルートがある。一つは草創期からの本街道である高原越えと呼ばれた峠越えのルートであり、もう一つは文久3年(1863年)に開通した鬼怒川東岸を進む栃久保新道である。栃久保新道は川治で男鹿川を渡って小佐越新道に合流し、男鹿川西岸を更に北上して五十里宿に至るルート。高原越えのルートよりアップダウンが少ないうえに距離も短く、明治期には栃久保新道が本街道となって高原越えの街道は衰退した。当然ながら峠の頂にあった高原新田宿はその役割を失い廃宿となってしまう。

さてさて、藤原宿からの会津西街道歩きを再開するが、栃久保新道の国道121号を行くのか、あえて困難が予想される高原越えを行くのか少々悩んだが、栃久保新道を行けば高原新田宿をスルーしてしまうことになる。ここは日没の時間を見計らいながら行ける所まで高原越えの旧道を歩いてみることにした。その前に国道121号の野沢橋付近に鶏頂山神社の一の鳥居があるらしいので、まずは藤原宿から栃久保新道の国道121号を歩いて野沢橋まで行き、それから藤原宿方面へ引き返して箒沢付近から高原越えの旧道に入ることにした。

会津西街道 藤原イノ原


藤原宿
再び藤原宿に立つ。残暑の厳しい晴天である。


栃久保新道(国道121号)と高原越え旧道の分岐
ここが栃久保新道(国道121号)と高原越え旧道の分岐点である。右の小径が高原新田宿へ向かう旧道。まずは国道を進んで野沢橋へ向かう。


ハイセイコー食堂
ハイセイコー食堂とは面白いネーミングだ。店主がハイセイコーの大ファンだったのか、それともハイセイコーで一財産を築いたのか…。ハイセイコーがデビューした年に私は生まれており、当然その現役時代を知らないが、地方の大井から中央に移籍し、名手増沢末男を鞍上に活躍したことくらいは知っている。高校生の頃から競馬に興味を持って見ていたので、産駒の皐月賞馬ハクタイセイやエリ女で超大穴をあけたサンドピアリスは強く印象に残っている。


野沢橋
栃久保新道(国道121号)の野沢渡河地点に架かる野沢橋。上流側に旧橋が残っている。


野沢橋旧橋と野沢
野沢の流れと野沢橋旧橋。


鶏頂山神社一の鳥居
野沢橋旧橋袂に立つ鶏頂山神社一の鳥居。毎年旧暦4月8日の祭日に、周辺農家の人々は藤の花とツツジの花を竹筒へ供えて軒先に置き、豊作を祈って鶏頂山山頂へ登拝したという。この一の鳥居のある所がその登山口だった。


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高原越えの旧道へ

【2010年8月21日(土)会津西街道 藤原宿→太閤下しの滝】
野沢橋から藤原宿方面へ引き返し、箒沢付近の国道121号から会津西街道旧道へ入る。その入口を遮る鹿除けの防護ネットを潜り抜けた先に、今は全く人通りが無くなっている高原越えの道筋が細々と残されている。昭和13年(1938年)に日塩もみじライン(旧県道藤原西那須野線)のルートが敷設されるまで、藤原地区と塩原・那須地区を結ぶ主要道として使われ続けた道のはずだが、今やその役目を終えて歴史の闇へ消えようとしている感がある。栃久保新道との分岐点から第一竜王苑という別荘地を経由して”太閤下ろしの滝”付近の野沢まで旧道は続いているが、その先は日塩もみじラインの擁壁に阻まれて通行不能に。旧道の野沢渡河地点には橋が架けられていた形跡だけが残っている。


高原越えの旧道入口
高原越えの旧道入口。鹿除けの防護ネットに遮られるているが、ネット下の地面を這い蹲って進めば通り抜けられる。


高原越え旧道
旧道に入って間もなく道は二又に分かれている。左方向が会津西街道。


高原越え旧道
沿道にかなり古びた石積みが残っている。


高原越え旧道
所々で倒木が道を遮るが通行に支障はない。


高原越え旧道
旧道は第一竜王苑の西端に沿って通り抜けて行く。


第一竜王苑
第一竜王苑。土地所有者名の看板が並ぶ別荘地なのだが、全くひと気を感じない。


高原越え旧道
第一竜王苑の先にも旧道の道形が残っている。


高原越え旧道
徐々に道はか細くなり、笹薮を掻き分けて先へ進めば…。


野沢
野沢に辿り着く!


野沢の旧道架橋地点
野沢に出た所から少し下流に橋跡が残されている。ここが旧道の野沢渡河地点で間違いない。しかし、対岸(写真左岸)は急斜面のうえに日塩もみじラインの擁壁が先の通行を阻んでいる。強引に斜面をよじ登れば日塩もみじラインまで行けるかもしれないが、危険なので止めておいた方が無難だろう。


野沢 旧道の橋跡 野沢 旧道の橋跡
旧道の野沢渡河地点に残る橋跡。両岸に自然石を積み上げた橋台と、川中の石畳に丸太の橋脚を立てていたと思われる丸穴が残されている。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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