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川治古道②

【2010年10月11日(月)会津西街道(川治古道) 川治温泉→高原新田宿 道中】
平方山園地の駐車場から川治古道へ入る。目指すは標高約1200m地点に位置する高原新田宿。前々回に藤原宿から高原越えの会津西街道で高原新田宿を目指すが、野沢の渡河地点で断念した。今回はルートを変えての2度目のトライ。駐車場の標高は約600mであるから、標高差約600m上を目指す山登りである。山道に入ってすぐ道は二又に分かれており、古道は右に進んで山腹をつづら折れに登って尾根に取り付く。二又を左に進む道は急斜面を直登りして尾根に取り付くショートカットの最短ルートであるが、傾斜がきつく駄馬を通すのは不可能と思われ、歩行者専用の脇道として利用されていたものだろう。意外に道形をしっかり残している川治古道は尾根伝いに山を登り、やがて森林管理署専用道に出て高原越えの会津西街道に合流する。

川治古道


川治古道登り口
平方山園地の駐車場から川治古道へ。山道へ入ってすぐに道は二又に分かれているが、道形のしっかりした右方向に進む道が川治古道のルートだったと思われる。


川治古道 川治古道にて
川治古道の路傍に置かれている2体の人形。供養のためか、信仰のためか、乱雑になっているが供え物もある。日本のものではないと思えるが、一体どんな経緯あってここにあるのだろう。謎である。


川治古道
途中、倒木が行く手を遮る。


川治古道
山腹に沿って続く川治古道。


川治古道
土砂崩れで道が崩壊している。斜面上から何本かのロープが垂らされており、ロープを頼りに崩壊地点を越える。この辺り、危険地帯なので要注意。足を滑らせたら谷底の沢まで落っこちる。


川治古道
尾根へ向かう川治古道。道形はしっかりしている。


川治古道
直登のショートカットルートに合流して尾根に取り付く。川治と鶏頂開拓を結ぶ電信柱と電柱が道案内してくれる。


川治古道
路面が笹に覆われている地点を過ぎれば、森林管理署専用道に出る。


森林管理署専用道
森林管理署専用道。車一台が余裕で通れるほど道幅があり、ほっと一安心して歩ける。


森林管理署専用道
古そうなカーブミラーや路面に轍があるが、車の通行は全く無い。


森林管理署専用道
会津西街道との合流点。森林管理署専用道は左方向へ離れてゆく。ここで右(南側)斜面から上ってきた会津西街道に道筋を乗り換え、右方向の鬱蒼とした山中へ入って行く。


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高原新田宿はどこだ!?

【2010年10月11日(月)会津西街道(川治古道) 川治温泉→高原新田宿 道中】
川治古道(森林管理署専用道)から会津西街道に合流して高原新田宿を目指す。ここから先の街道は”大石下り”と呼ばれる急斜面に通された難所道で、その名の如く大小の石がゴロゴロしている岩場がある。”大石下り”と呼ばれるのは会津方面の人々が名付けたためなのか、今市方面からであれば”大石上り”であろう。しかし、江戸から下るという意味で捉えれば、今市方面からでも下りで辻褄は合う。街道はこの急斜面をつづら折れに登っており、それなりに道形は残しているが崩壊部分も多い。街道ルートを無視して電柱と電線に従い急斜面をよじ登り、この難所を乗り越えることもできる。

川治古道・会津西街道


会津西街道 高原越え旧道
森林管理署専用道から会津西街道へ。左側に森林管理署専用道があり、会津西街道は右側の一段高くなっている場所を通っている。


会津西街道 高原越え旧道
つづら折れに登る会津西街道。


会津西街道 高原越え旧道 会津西街道 高原越え旧道
荒れてはいるが、切通しの道形を残している。


会津西街道 高原越え旧道
平地の広がる場所を通る。この先から大石が点在する岩場地帯の急斜面を迎えるので、旅人が一息つくための茶屋等があったのではないだろうか。


会津西街道 高原越え旧道
岩場を進む大石下りの会津西街道。この辺りから崩壊が著しい。


会津西街道 高原越え旧道
途中から道筋がわからなくなり、急斜面を直登りして頂上を目指す。


会津西街道 高原越え旧道
大石下りの急坂を越えて高原新田宿に辿り着いたようだが…。その入口を示しているのか、目印らしき松がぽつんと立っている。しかし、街道の先は外来者を拒むが如く身の丈ほどの金網に遮られ、その向こうはススキと熊笹の海原が見えるだけ。一体、ここからどこへ向かえばよいのかわからず、周辺を右往左往してしまう。しかし、灯台下暗しとはこのこと、松のすぐ傍に見つけた!高原新田の磁石石である。しかし、宿場はどこなんだ!?続きは次の記事で。


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高原新田の磁石石

【2010年10月11日(月)会津西街道(川治古道) 川治温泉→高原新田宿 道中】
磁石石はその名の如く強い磁気を帯びた直径約2メートルの大石で、高原新田宿の今市方(南側)外れにある。ただそれだけであれば何てことは無いただの大石なのだが、その石面に「文久三年 下ル」と刻まれていることが遺跡としての価値を高めている。文久3年(1863年)といえば栃久保新道が開通した年であり、それにより高原越えの会津西街道が衰退し、高原新田宿が廃宿の運命を辿った年でもある。宿場の人々は先祖伝来の土地を捨てて山を下り、川治の栃久保新道沿い(男鹿川左岸)に移り住んだ。川治に残る大字高原の地名はこの時に付けられたものである。「文久三年 下ル」と刻んで下山した高原新田宿の人々…、磁石石にはそんな無念の思いが込められている。

会津西街道 大石下り


磁石石
是非とも見てみたかった磁石石。その奥に見えるのは信仰を集めた鶏頂山。しかし、磁石石は打ち捨てられたかのように草叢の中に佇んでおり、ここを訪れる人がほとんどいないことは状況から見てわかる。昭和48年(1973年)に藤原町(現 日光市)の文化財に指定されているが、今となってはそんな扱いを受けているとは到底思えないのが悲しい。


磁石石
雑草が影になって写真ではわかりにくいが、「文久三年 下ル」と刻まれているのがはっきりと読み取れる。約150年を経た今日まで風雨に晒されてきたというのに。それだけ強い思いが込められているのか、それとも磁石石が風雨に負けない硬い石質なのかはわからない。しかし、このまま野晒し状態だと150年後には磨耗して文字は消えているだろう。


鶏頂山
磁石石に腰を掛けて鶏頂山を望んでみれば、高原新田宿で生きた人々の思いが何となく伝わってくるのだ。


鶏頂開拓のフェンス
さてさて、ここからどうしたものかと思案。フェンスがあるだけで道らしきものは無く、右へ行けば良いのか、それとも左なのか、はたまたフェンスを乗り越えて直進なのかわからない。事前準備が足りなかった。時計を見ると14時ちょっと前。下山開始時間は余裕を持って14時と決めていたので、後ろ髪引かれる思いで下山することに。無念…。


会津西街道 高原越え旧道
大石下りは電線に沿って急斜面を直降りする。うおぉー、右ひざが痛ぇー!。


川治平方山園地駐車場
登り以上の時間をかけて右足を引きずりながら何とか駐車場まで下山。途中、猿が木の上から気の毒そうに、いやいや、警戒心たっぷりの目でこちらを凝視していた。どうにかならんのかこの右膝は!と、猿も無視して少々苛立ちながら何とか駐車場まで戻ってきた。


薬師橋より男鹿川を望む
川治平方山園地の遊歩道を降り、男鹿川に架かる薬師橋を渡って”薬師の湯”へ向かう。帰途につく前に川治の湯で汗を流すと共に右膝のケアをしておこう。


薬師の湯
川治温泉の湯を日帰りで堪能できる薬師の湯。施設に入る前に靴の中に山ビルが侵入していないかチェック。今回は全く被害無しだった。酷暑だった今年も10月になってさすがに涼しくなり、山ビルの勢いも衰えたということか。薬師の湯の女将さん曰く、今年は気付かずに山ビルを連れて来る客もしばしばいて、大層驚いたとのこと。例年そんなことは無かったようで、女将さんは山ビルを初めて見たという。今年の山ビル大量発生の異常さがうかがい知れる。


鬼怒川温泉駅
なけなしの金で切符を買い、川治湯元駅から鬼怒川温泉駅まで移動。駅近くにあるセブンイレブンのATMで財布を満たし、ついでに買ったトンカツ弁当ですっからかんになった腹も満たしておく。心地よい風が吹く駅前のベンチで食べるコンビニ弁当は、少々切ない気持ちになりつつも非常に美味しかった。鬼怒川温泉駅19:24発のきぬ140号に乗車し帰途につく。

【会津西街道歩き 第5日目】
歩行距離 約17.4km(GPSロガーによる)
川治温泉→平方山園地遊歩道→川治古道→大石下り→高原新田宿(磁石石)
ここで日光市にお願いしたい。日光といえば世界遺産の東照宮や二荒山神社、輪王寺をはじめ、中禅寺湖やいろは坂、杉並木に鬼怒川温泉等と有名な観光名所に溢れている。しかしその反面、日の目を見ない歴史遺産も数多い。会津西街道等はその好例であり、特に今回私が訪れた高原新田宿の磁石石などは、日の目を見ないどころか、ほぼ放置状態といっても過言ではないくらいだ。これでは無念の思いを石に刻んで山を下りなければならなかったことを、未来に伝えようと残していった高原新田宿の人々に申し訳ないではないか。名も知れぬ貴重な遺産こそ守って欲しい。


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再び高原新田宿を目指して

【会津西街道歩き 第6日目】川治温泉→高原新田宿(川治古道)



【2010年10月24日(日)会津西街道(川治古道) 川治温泉→高原新田宿 道中】
高原新田宿を目前にして無念の下山から13日後の日曜日早朝。磁石石の先にある高原新田宿が気になって仕方なく、居ても経ってもいられずマイカーに乗り込んだ。常磐道の柏ICから北関東道・東北道・日光宇都宮道路を経て今市ICを降り、国道121号を北上して川治温泉に向かう。藤原から日塩もみじラインを使って鶏頂開拓まで行けば、あっという間に高原新田宿に着くのだが、それでは街道ウォーカーとしてのプライドが許さない。平方山園地の駐車場に車を停め、再び川治古道を登ることに。

山登りの道も同じコースを二度目ともなると、余裕も出て随分と気が楽になるものだが、この時期はそうも言ってられないようだ。そう、冬眠を目前に控えた熊である。特に今年は熊の餌となるドングリが実らず、人里近くに出没して人が襲われる事故が相次ぎ、毎日のように新聞やテレビを賑わせている。山に入ろうとする者にとっては非常に不安を煽られるニュースだ。熊に出くわしたら相手の目を見ながら後ずさりするのが最良の対処法だとテレビで誰かが言っていたが、実際にそんな状況になったら背を向けて逃げるだろうことは、野生の熊を見たことが無くてもわかる。だって、ザザザっと草が鳴る度、背筋に冷たいものが走るのだから。熊除けの鈴だけが頼りなのだ。

会津西街道 高原越え


川治古道
平方山園地駐車場から再び川治古道へ。今回は急斜面を直登して尾根に取り付くショートカットを選択する。


川治古道
尾根に取り付いてしまえば緩やかな上りの山道。


川治古道 川治古道
前回歩いた大下沢側の山腹を辿るルートに合流して尾根を進む。


川治古道
間もなく森林管理署専用道に合流する。


森林管理署専用道 会津西街道 高原越え
ここで森林管理署専用道を離れて会津西街道の高原越えルートへ。


会津西街道 高原越え
つづら折れに街道を登る。


会津西街道 高原越え 会津西街道 高原越え
道形を良く残す会津西街道。


会津西街道 高原越え 会津西街道 高原越え
緩やかな上り道を過ぎれば、間もなく大石下りの急坂を迎える。


会津西街道 高原越え
急斜面に大石がゴロゴロしている岩場を通る。大石下りの地点。


大石下りの供養塔 大石下りの供養塔
高さ4、5メートルはあろうかという大石の上に古そうな供養塔があった。前回は気付かなかったなあ。やはり2度目ともなると周りを見る余裕がでてくるようだ。


大石下りの石仏
そしてそのすぐ近くには馬頭観音の石仏があった。施主は高原村中の某、宝暦14年(1764年)建立という相当古いもの。野晒しになってるのが信じられないくらい状態は良い。250年前からずっとここにあったのだろうか。


会津西街道 高原越え
この辺り、街道の崩落が著しい。


会津西街道 高原越え
岩場の急斜面を直登りする。


会津西街道 高原越え
おっ!磁石石の目印である松が見えたぞ!駐車場からここまで約1時間40分の所要時間。前回より20分位は時間を短縮した。


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高原新田宿

【2010年10月24日(日)会津西街道(川治古道) 高原新田宿】
大石下りの急坂を登りきれば高原新田宿である。その南側(今市方)入口に磁石石があり、これについては”高原新田の磁石石”の記事に詳しく書いた。その時の歩き旅では鹿除けのフェンスに遮られて意気消沈、磁石石を見ただけですごすごと引き返してしまったが、どうやらフェンス伝いに右(東方向)へ進めば出入口の扉があり、その先に宿駅跡を通る会津西街道が続いていることがわかった。藤原宿から高原越えの会津西街道を含め、3度目のトライでようやく辿り着く高原新田宿。いったいどんな姿を見せてくれるのか。

高原新田宿は会津西街道の高原峠に置かれた宿駅で、宇都宮藩領の最北端に位置する。幕末の慶応2年(1866年)に高徳藩が立藩してからは高徳藩領に入るが、明治維新を迎えるまで僅か4年間程の命運だった。”新田”とは言っても標高約1200メートルの高冷地にあり、稲作に適した土地ではなく田は無い。もっぱら高原野菜の生産と駄賃稼ぎで生業を立てていたようだ。成り立ちは江戸初期の承応2年(1653年)、下総から来た香取家が街道を往来する旅人相手に茶店を開いたのが始まりといわれ、万治2年(1659年)大地震によって湯元塩原村(現 須塩原市湯本塩原)の湯口が塞がり、生活の糧を失った村民六戸が街道沿いに移住して高原新田村が形成された。高原峠を越える中継地点として宿駅の機能を持つようになったのは間もなくのことと思われる。

高原新田宿の特筆すべき歴史的事象として、吉田松陰の来訪がある。嘉永5年(1852年)松陰は長州藩を脱藩して盟友の宮部鼎蔵らとの東北旅行の際、ここ高原新田宿に宿泊したことが、松陰の残した「東北遊日記」に記されている。この旅の後に松陰は松下村塾を主宰し、倒幕の原動力となる高杉晋作や久坂玄瑞を輩出。しかし、安政の大獄により刑死したことはあまりにも有名な話だ。一方の宮部鼎蔵といえば、後に肥後勤皇党の指導者となり、尊皇攘夷の活動家としてその名を知らしめるが、京都の池田屋にて新選組に襲撃され自刃。世に言う池田屋騒動である。熊本藩が明治維新に乗り遅れたのは宮部鼎蔵を失ったからだと言われる程に評された人物だった。

会津西街道 高原新田宿


磁石石
高原新田宿南側(今市方)入口にあたる磁石石。


鶏頂山
いい具合に色付いた鶏頂山を眺めながら…


高原新田宿
フェンス伝いに道なき道を歩く。


高原新田宿
そして、フェンス扉の向うに会津西街道現る!


高原新田宿の墓石群
扉を抜けて高原新田宿に入って間もなく、街道両脇に古い墓石が散在している。おそらくこの辺りに廃寺となった湯泉寺があったと思われる。


高原新田宿
高原新田宿を行く会津西街道。現在、宿場の中心部は篠田農園の敷地が大半を占めている。


旧高原問屋屋敷跡
旧高原問屋屋敷跡。現在は細野家の住居となっているが、問屋屋敷時代の礎石や石垣が残されている。


高原新田宿
高原新田宿会津方(北側)の会津西街道。ここで日塩もみじラインからの車道と合流する。


高原新田宿の石仏
その合流地点に残る石仏二体。


高原新田宿の石塔群
宿場の会津方(北側)外れにある石塔群。鹿除けのフェンス向こうに供養塔や馬頭観音が散在している。


会津西街道 鶏頂開拓
高原新田宿を出て鶏頂開拓の会津西街道を歩く。
会津西街道 鶏頂開拓
会津西街道と新湯道の分岐点。ここから北西(左斜め)方向に五十里宿へ向かう会津西街道と、北東(右斜め)方向に塩原方面へ向かう新湯道が分岐していたが、共にその道筋は消失している。第二次世界大戦後の開拓によって失われたと思われる。路傍に西国供養塔と道標が残っており、その分岐点の目印になっている。


西国供養塔と道標 西国供養塔と道標02
会津西街道・新湯道の分岐点に残る西国供養塔と道標。道標には「従是 右ハ阿らゆみち 左ハあいづミち」と刻まれている。


高原新田宿10
来た道を引き返し、再びフェンスの扉から山中へ。下山開始!


会津西街道 高原越え08 会津西街道 高原越え09
下山中に気が付いた木に書かれる赤文字。一体どういう意味なのだろう?ここで31歳女性が百メートル下に滑落したということなのか?


川治古道07
無事、平方山園地駐車場に辿り着く。

【会津西街道歩き 第6日目】
歩行距離 約12.5km(GPSロガーによる)
平方山園地駐車場→川治古道→大石下り→高原新田宿→平方山園地駐車場
午後から雲が厚くなりはじめ空模様が少々心配になったが、雨は降らずになんら障害も無く高原新田宿に辿り着き、出発地点に戻ってくることができた。本来であれば次は高原新田宿から会津西街道を下って五十里宿へ向かうべきだが、鶏頂開拓辺りの道筋が消失しており、はっきりしないので断念する。次は川治温泉から男鹿川沿いの国道121号を歩いて五十里宿へ向かうが、近いうちに五十里宿から会津西街道の高原越えを逆方向に登り、再び高原新田宿を見ようと思っている。


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川治から五十里ダムへ

【会津西街道歩き 第7日目】川治温泉→五十里宿(小佐越新道)

【2010年11月6日(土)会津西街道(小佐越新道) 川治温泉→五十里宿】
土曜日早朝の北千住駅。東武伊勢崎線・日比谷線・千代田線・常磐線・つくばエクスプレスと多くの路線が乗り入れる北千住駅は、平日であれば通勤客でごった返すターミナル駅。土曜日の朝といえども駅構内は人通りが多いが、平日の程ではない。北千住駅7:41発けごん1号(東武日光行)に乗車しようと券売機を操作したが、無常にも満席の表示…。そう、東武鉄道の特急は全席指定のため自由席の設定が無く、こうなってしまってはあきらめるしかない。おそらく、見頃を迎えた日光方面へ紅葉狩りに行く乗客が大半を占めるのだろう。仕方なく次の7:54発臨時特急きりふり269号に乗車することに。わずか13分後の発車なのだが、川治湯元駅の到着時間は約1時間遅くなる。下市駅、鬼怒川温泉駅で乗り換え、ようやく10:54に川治湯元駅へ到着。電車を降りた瞬間に爽やかな秋風が吹いた。

今回は男鹿川に沿って通された小佐越新道に最も近いルートを選び、川治温泉から五十里宿を目指して歩く。とは言ってもこの区間、新旧のルートはあるが国道121号を歩くしか選択肢がない。ここで以前の記事にも何度か触れているが、小佐越新道についておさらいしておこう。今市宿から五十里宿に至る会津西街道は、大桑・高徳・大原・藤原の宿駅を経て高原越えと呼ばれた高原新田宿を通る峠越えルートが本道であったが、文化元年(1804年)に裏街道となる小佐越新道が開通して仲附駑者の利用で発達した。五十里で会津西街道と分かれた小佐越新道は、男鹿川西岸を下って川治温泉へ。川治からは逆川、恋路沢に沿って山中を通り、一本杉峠を越えて滝温泉(現 鬼怒川温泉)に至る険阻なルートだった。現在の川治から五十里にかけての小佐越新道は、五十里ダムに沈んで完全に失われており、国道121号を歩いて往時を偲ぶしかない。

会津西街道 川治温泉


川治湯元駅 かわじい
川治湯元駅。川治温泉のマスキャラ”かわじい”に迎えられ。


川治温泉旧道
川治温泉街の旧道を歩いて少々散策。


<おなで石
路傍に安置される”おなで石”。明らかに男根を模している。川治に古くから伝わる信仰らしい。この石を撫でれは心願が叶うといわれるのでなでなでしてみたが、少々複雑な気分…。


川治温泉
男鹿川沿いに宿が連なる川治温泉。


男鹿川
紅葉に彩られる男鹿川。


国道121号 川治温泉
川治温泉から五十里宿を目指して国道121号を歩く。


国道121号 川治温泉
川治温泉から五十里ダムにかけての国道121号は、歩道が非常に狭くて歩きにくい。車の通行量はそれほど多くないが、大型車が横を通り抜けると少々恐怖を感じる。


国道121号 川治温泉
短いトンネルだがトンネル内は特に車が怖いのでダッシュで駆け抜ける。


五十里ダム
トンネルを抜けるとそこは…、五十里ダムだった。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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