中三依宿
【会津西街道歩き 第9日目】中三依宿→上三依宿
【2010年12月23日(木)会津西街道 中三依宿】
年も押し迫った天皇誕生日の祝日、関東地方の天気はお出かけ日和の快晴。2010年を締めくくる会津西街道歩きには今日が最後のチャンスと早朝に家を出て北千住駅へ。8:11発きぬ103号(鬼怒川温泉行)に乗車。さすがに紅葉の季節を過ぎて乗客は多くない。天気予報によれば関東地方は今日一日好天だったはずなのに、下今市駅から北へ向かうにつれ雲行きが怪しくなり、鬼怒川温泉駅に着いた時にはどんより曇った雨模様。鬼怒川温泉駅でクリスマスバージョンのAIZUマウントエクスプレス号(喜多方行)に乗り換えてから先は、完全に雨降りの状態に。栃木県最北部まで来てしまえば、さすがに関東地方の天気予報は通用しないようだ。
男鹿川と入山沢の合流部、男鹿川左岸の河岸段丘上に会津西街道が通り、その沿道に店や民家が連なる町がかつての中三依宿である。三依地区は男鹿川上流域から上三依・中三依・下三依(独鈷沢)に分かれ、その中央部に位置する中三依は村落規模が最も大きく、江戸期に問屋が置かれて会津西街道の宿駅として機能した。天保期の家数35軒。宿場今市方外れに示現神社が鎮座し、会津方外れに男鹿川を渡る中三依橋が架かる。Jlogosで調べたところ、中三依村(近世)の記載に「生業は畑作を主とし、問屋・脇宿・小宿・附子の駄送業のほか、杓子作り・屋根葺きなどの出稼ぎ、養蚕などによった」とある。


中三依温泉駅ホームからの眺め。芝草山はうっすらと雪化粧、間もなく真冬を迎える。

中三依温泉駅での乗降客は私一人だけ。

駅前にある三依山宝蔵院。駅前広場が境内といった趣の珍しい光景。宝蔵院は元亀2年(1571年)興恵という僧の開基と伝わる。大正5年(1916年)中三依の大火によって本堂や庫裏が焼失、翌年に本堂は再建されたが、数ヵ月後には会津鬼怒川線の敷設によって移改築されて現在に至っている。

長さ100m程の駅前通りから会津西街道に歩みを戻す。

中三依宿今市方(西側)外れの示現神社まで戻り、道中の安全を祈願。ここから宿内の散策を開始する。

まずは示現神社裏手に広がる中三依湿生園へ。おそらく見頃を迎えれば湿生植物を楽しめるのだろうが、さすがに12月では見ての通り…枯れ草があるだけ。

中三依今市方(西側)の町並み。

もやがかかる山々、雨に濡れる旧街道、そして茅葺屋根の民家…絵になるなあ。

中三依、町の風景。

蕎麦屋と日帰り温泉施設を兼ねる”まるみの湯”。臨時休業の立て看板があり、ネットで調べてみると12月~3月中旬まで冬季休業らしい。

男鹿川と芝草山。

左が新橋の中三依橋、右が旧橋の三依橋。男鹿川に架かり中三依宿の会津方(東側)外れに位置する。

三依橋の西側袂にある上の清水。中三依の集落内には上・中・下、三ヶ所に湧水の水場があった。この水場は大変美味しい水を供給したので、参勤交代の大名をはじめ、物資を運ぶ馬方や旅人に重宝され、神の清水とも称されたという。

男鹿川を渡って少し先、早山電気店の斜向かいにある地蔵や石仏。かつて中三依の街道付近に散在していたものを、道路改修等の理由によってここに集めたのだろう。ここを通り過ぎて間もなく、中三依の家並みは途切れる。
【2010年12月23日(木)会津西街道 中三依宿】
年も押し迫った天皇誕生日の祝日、関東地方の天気はお出かけ日和の快晴。2010年を締めくくる会津西街道歩きには今日が最後のチャンスと早朝に家を出て北千住駅へ。8:11発きぬ103号(鬼怒川温泉行)に乗車。さすがに紅葉の季節を過ぎて乗客は多くない。天気予報によれば関東地方は今日一日好天だったはずなのに、下今市駅から北へ向かうにつれ雲行きが怪しくなり、鬼怒川温泉駅に着いた時にはどんより曇った雨模様。鬼怒川温泉駅でクリスマスバージョンのAIZUマウントエクスプレス号(喜多方行)に乗り換えてから先は、完全に雨降りの状態に。栃木県最北部まで来てしまえば、さすがに関東地方の天気予報は通用しないようだ。
男鹿川と入山沢の合流部、男鹿川左岸の河岸段丘上に会津西街道が通り、その沿道に店や民家が連なる町がかつての中三依宿である。三依地区は男鹿川上流域から上三依・中三依・下三依(独鈷沢)に分かれ、その中央部に位置する中三依は村落規模が最も大きく、江戸期に問屋が置かれて会津西街道の宿駅として機能した。天保期の家数35軒。宿場今市方外れに示現神社が鎮座し、会津方外れに男鹿川を渡る中三依橋が架かる。Jlogosで調べたところ、中三依村(近世)の記載に「生業は畑作を主とし、問屋・脇宿・小宿・附子の駄送業のほか、杓子作り・屋根葺きなどの出稼ぎ、養蚕などによった」とある。


中三依温泉駅ホームからの眺め。芝草山はうっすらと雪化粧、間もなく真冬を迎える。

中三依温泉駅での乗降客は私一人だけ。

駅前にある三依山宝蔵院。駅前広場が境内といった趣の珍しい光景。宝蔵院は元亀2年(1571年)興恵という僧の開基と伝わる。大正5年(1916年)中三依の大火によって本堂や庫裏が焼失、翌年に本堂は再建されたが、数ヵ月後には会津鬼怒川線の敷設によって移改築されて現在に至っている。

長さ100m程の駅前通りから会津西街道に歩みを戻す。

中三依宿今市方(西側)外れの示現神社まで戻り、道中の安全を祈願。ここから宿内の散策を開始する。

まずは示現神社裏手に広がる中三依湿生園へ。おそらく見頃を迎えれば湿生植物を楽しめるのだろうが、さすがに12月では見ての通り…枯れ草があるだけ。

中三依今市方(西側)の町並み。

もやがかかる山々、雨に濡れる旧街道、そして茅葺屋根の民家…絵になるなあ。

中三依、町の風景。

蕎麦屋と日帰り温泉施設を兼ねる”まるみの湯”。臨時休業の立て看板があり、ネットで調べてみると12月~3月中旬まで冬季休業らしい。

男鹿川と芝草山。

左が新橋の中三依橋、右が旧橋の三依橋。男鹿川に架かり中三依宿の会津方(東側)外れに位置する。

三依橋の西側袂にある上の清水。中三依の集落内には上・中・下、三ヶ所に湧水の水場があった。この水場は大変美味しい水を供給したので、参勤交代の大名をはじめ、物資を運ぶ馬方や旅人に重宝され、神の清水とも称されたという。

男鹿川を渡って少し先、早山電気店の斜向かいにある地蔵や石仏。かつて中三依の街道付近に散在していたものを、道路改修等の理由によってここに集めたのだろう。ここを通り過ぎて間もなく、中三依の家並みは途切れる。

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