3月11日午後14時46分頃、未曾有の大地震が東日本を襲う。平日金曜日の15時ちょっと前、多くの人が仕事や学業の最中だったろうが、私もご多分に漏れず顧客へ向かう移動中で、茨城県つくば市今鹿島辺りの県道45号を、いつものようにニッポン放送を聞きながら車で走っていた。ラジオでは上柳アナが風水についてトークをしていたと思うが、「地震をスタジオで感じています。」と、突然話が変わり初めて地震の一報を聞く。地震かぁ…と、軽く考えていた矢先にハンドルが右に左に取られ、周辺の民家が激しく揺れているのを見てこれは相当大きな地震だと察知し、車を路肩に寄せて停車。ブロック塀が次々に道路へ向かって崩れてきたので、慌てて車を道路中央に移動させた。
こりゃ、ただ事じゃないなと思いつつも、15時が約束の時間だったので、揺れが小康状態になったところで発進したが、周辺は停電になって信号機が消えており、恐る恐る車を走らせながらも定刻通りに目的地へ到着。訪問先がとある製薬会社の研究施設で、すでに従業員は全員グランドへ避難して仕事どころではないといった様子。私もこの日の予定を全て中止し、既につながり難くなった携帯とメールを駆使して方々に連絡を取り、柏市にある会社へ戻ることにした。いつもなら、つくば市から柏市まで約1時間程度の距離なのだが、国道も県道も大渋滞に陥っており、3時間以上もかけてようやく帰社。同市内の自宅まで何とかその日のうちに帰宅することができた。
東日本大震災と命名されたこの巨大地震は想定外の大津波を引き起こし、震災からちょうど1ヶ月を過ぎた今日の時点で死者数が1万3千人を超え、行方不明者をあわせて2万7千人以上という大惨事になってしまった。家どころか故郷の町、そして肉親を失った被災者の大多数が避難所での生活を余儀なくされ、福島県では原発の被災事故によって避難した住民、千葉県でも津波や液状化の被害により不便な生活を強いられている住民が多数おり、そんな現実が現在進行形で日本に起きている。しかも余震がいまだに治まらず、約1ヶ月となる今頃になって最大規模の余震が襲ってきており、予断を許さない状況が続く。
フジテレビを見ていたら、しきりに「ひとつになろう日本」のキャッチフレーズのもと、日本人のみんなが協力して被災地を復興させようと呼び掛けている。何も被害が無かった人が被災者に対して何を云々言っても偽善に聞こえてしまうのは仕方ない。しかし、普段通りの生活を送りつつ、心の片隅で頑張ってほしい、復興してほしいと願うことは大事なことだと思う。その一人ひとりの小さな願いが大きな協力となって、復興のスピードを速めるのではないだろうか。私ができることとしては義援金を継続していくことぐらいでしか手助けできないが、被災者が住み慣れた町と平穏な生活を1日も早く取り戻せるよう切に願う。日本がひとつになることをを信じたい。前向きに。
【会津西街道歩き 第11日目】横川宿→山王峠→糸沢宿
【2011年4月2日(土)会津西街道 横川宿→糸沢宿 道中】
地震発生から約3週間後の4月2日土曜日、こんな時に歩き旅へ行ってもよいのかと思いつつも、会津方面がどういう状態なのか気になっていたこともあり、7:20北千住駅発の会津田島行という平常時ではあり得ない快速に乗車。この快速は会津方面等の被災地域へ救援・支援のために浅草から会津田島まで直通運行する列車で、ちょうどこの日から開始された運行ダイヤ。しかし、それほど乗客は多くなく、鬼怒川温泉駅で下車する人もまばら。車窓から眺める鬼怒川温泉街は、土曜日だというのに閑散としていた。おそらく震災の影響なのだろう。10:15男鹿高原駅着。天気はそこそこに良く、日が照る場所ならそこそこに暖かい。2ヶ月半前に訪れた横川宿内を再び歩いて山王峠を目指す。


再び秘境駅の男鹿高原駅に降り立つ。案の定、乗降客は私一人だけ。雪解けがかなり進んでおり、前回とは随分と雰囲気が違う。

男鹿高原駅前広場緊急ヘリポート。こちらも雪解けによってヘリの離着陸マークが地面に現れており、前回訪れたときに見たただの雪原から、それらしいヘリポートの姿が確認できた。

よばわり岩の一里塚の異名を持つ横川一里塚。

前回、積雪のために確認できなかった”よばわり岩”を探す。一里塚裏手の斜面に突出した大岩があり、これが”よばわり岩”なのだろう。

横川の国道121号沿いにある”カントリーキッチン狩人”。まだ冬期休業中のようだ。

横川小学校跡。平成元年(1989年)廃校。校舎は残っていないが、校歌を刻んだ石碑が置かれ、かつて小学校がここにあったことを今に伝えている。
「紫におう山里の 朝に仰ぐ男鹿岳 緑陰深し清流に 集いしわれら横川校 希望の光さすところ たたえん友よわが抱負」
どんな曲がつけられていたのだろうか。

猿横断注意!

国道121号横川の洞門とその入口にある野仏4基。

残雪の男鹿川。

横川如意輪観音堂(横川関所跡)とその境内にある清水伝左衛門の墓碑。

横川如意輪観音堂から横川宿今市方(南側)入口を望む。

水上沢に架かる横川橋の先から横川宿の家並みが続く。

前回訪れたときには雪に埋もれつつあった横川宿。地震の被害は特に無いように見えた。雪解けがかなり進んでおり、間もなく春の麗らかな日を迎えるだろう。前回は気付かなかったが、この集落は何故だか青のトタン屋根が圧倒的に多い。

前回訪れたときには雪に埋もれて確認できなかった横川宝篋印塔。大雪に耐えてきた様をありありとうかがう。

旅館福田屋。青のトタン屋根に残る雪も僅か。改めてノスタルジーを感じる良い雰囲気の店構えだと思う。

宿内の会津方(北側)外れには、今冬に縦横無尽の働きをしたのだろう除雪車が、少々お疲れ気味な感じで停められていた。お疲れ様です。

国道121号の横川パーキング付近。山王峠旧道へのアクセスはパーキング内にある百姓屋(写真中央の建物)の裏手から旧国道に入り、更に旧国道から沢伝いの山道を進んで峠へ向かう。

峠に向かう前に食料と飲料を補給しようと百姓屋へ立ち寄る。しかし店のご主人によると、この辺りは地震の被害は小さかったものの、地震後から国道121号を通行する車が激減したため、例年なら店を開けている時期にもかかわらず、今年は今もって店を閉め自販機も動かしていないという。会津方面では宿泊のキャンセルが非常に多いらしく、風評被害なのか、自粛ムードのせいなのか、東北道が開通した現在でも会津方面へ行こうとする観光客は少ないようだ。

閑散とした横川パーキング。車が1台も停まっていない。
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