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荻野と羽塩の集落

【2011年4月2日(土)会津西街道 横川宿→糸沢宿 道中】
残雪の山王峠をようやく越えた。一路、糸沢宿へ向かう。会津側山王峠登り口の山王茶屋から会津西街道は、貝鳴山の西側山裾を山王川に沿って北上、荻野の集落を通り抜け阿賀川の畔に出て、羽塩という阿賀川沿いに軒を連ねる集落の中を進む。羽塩を過ぎれば間もなく糸沢宿である。その昔、この荻野と羽塩の集落には山王峠を往来する旅人や仲附を相手に商いをする茶屋等の店があったのだろう、現在も往時の様子をうかがう民家の佇まいや野仏が見られる。

会津西街道 荻野・羽塩


楢木橋 荻野集落
国道121号の楢木橋を渡ってすぐ、右に分かれる旧道沿いに荻野集落の家々が軒を連ねる。


荻野集落
荻野集落の家並み。


国道121号 糸沢字萩ノ山
糸沢字萩ノ山を行く国道121号。山菜やきのこ等の直売店が並ぶが、いまだ冬期休業中のよう。


山王川
山王川と共に北へ。


山王川と野岩鉄道
山王川と野岩鉄道。


国道121号 糸沢作道
野岩鉄道の陸橋を潜り抜ける。この先で国道121号と国道352号が分岐し、山王川は阿賀川に合流する。


羽塩集落
阿賀川沿いに軒を連ねる羽塩集落。


羽塩の野仏群
羽塩に残る野仏群。


羽塩集落と貝鳴山
羽塩集落から南方面を望む。写真奥に見る三角形の山は貝鳴山。一昨年に放映された大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼次が徳川家康の会津攻めに備えて物見台を設けた場所とされ、山の名はこの故事によるらしい。しかし、石田三成の挙兵により家康は会津征伐を中止して小山で引き返しており、敵襲のほら貝が吹かれることもなかったのだろうが…。


松屋酒店
松屋酒店。ここで缶コーヒーを買い、しばし一服。


滝見橋
滝見橋で羽塩沢を渡る。橋の上から阿賀川を望むと橋名の由来になったと思われる滝が見える↓


滝見橋より
幅広の落差が無い滝で名は不明。この滝を見れば間もなく糸沢宿に着く。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

糸沢宿

【2011年4月2日(土)会津西街道 横川宿→糸沢宿 道中】
会津国こと福島県に入って最初の宿駅となる糸沢宿は、馬場原(享和年間に廃村)・今和泉・古内・羽塩・宇治山の端村を持つ糸沢村の本村にあたり、天明8年(1788年)糸沢村の人口539人、家数126軒との記録が残る。山王峠を挟んで隣の横川村や中三依村、五十里村と比較して約4倍の家数があり、この辺りの地域では比較的大きな規模の村だったようだ。江戸時代初期の元和6年(1620年)には宿駅の機能を持って成立していたといい、寛文元年(1661年)まで会津藩の関所(番所)が置かれていたが、当時の会津藩主保科正之によって横川村へ移された。その関所については、”横川宿”の記事に書いたので参照して欲しい。

会津西街道 糸沢宿


二荒山神社
糸沢宿今市方(南側)外れに鎮座する二荒山神社。


糸沢宿
糸沢宿旧道入口。左へ分かれる道が旧道。


糸沢の野仏群
糸沢宿旧道入口に残る野仏群。


糸沢宿
宿内より今市方(南側)を望む。


旧糸沢本陣
旧糸沢本陣(問屋)の阿久津家住宅。江戸時代末期の建築で国指定文化財。当初は茅葺屋根だったが、現在は瓦葺きを模したトタン屋根に替えられている。主屋を取り囲むように6棟もの蔵があったといい、現在は1棟だけが残る。


龍福寺
平安時代の開基と伝わる龍福寺。戊辰戦争の際、この寺に宿営した芸州兵が「芸州弐番隊」と逆さに落書した襖が保存されているという。 残念ながら一般公開しておらず、下記ホームページから検索窓に”龍福寺”と打ち込めばその襖の写真が見られる。興味のある方はこちらから↓

日光会津観光圏元気再生プロジェクト
http://fan.nikko-aizu.com/index.php


龍福寺前の民家
龍福寺前の民家。錣(しころ)屋根の棟に越屋根が設けられる堂々とした構えの日本家屋。この辺りの地域でしばしば見かける造りである。越屋根の下には”雲乃龍”と書かれており、疑問に思って家の方に訊ねてみたところ、魔除けの意味合いがあるらしい。会津版の鍾馗様といったところか。


糸沢宿03
糸沢宿中心部の町並み。


まんまパン
糸沢宿内会津方(北側)外れにある”まんまパン”。米粉で作るパン屋さんなので、”まんまパン”の店名がつけられたという。是非ともその味を堪能してみたかったのだが、残念ながら今日の営業は終えてしまったよう。

まんまパン
http://www.manmapan.com/


七ヶ岳登山口駅
宿内の散策を終えてところで、国道121号を戻り七ヶ岳登山口駅へ。本日の歩き旅はこれにて終了!


【会津西街道歩き 第11日目】男鹿高原駅→横川宿→旧山王峠→糸沢宿→七ヶ岳登山口駅 歩行距離約17.4km(GPSロガーによる)
やっと福島県に入ったよ…。思えば遠くへ来たもんだ。


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山王茶屋

2011年4月23日、山王峠の会津側登り口にあった山王茶屋について詳しく調べたいと思い、奥会津博物館を訪ねることにした。奥会津博物館は奥会津地方で暮してきた人々の民具や道具、約24000点を収蔵し、そのうち約3000点を展示。会津の山中に暮らしてきた先人たちの生活文化を垣間見ることができる。敷地内には木地小屋に炭焼き小屋、染屋(藍染め・旗染め・型染めを業とする商家)や馬宿(仲附の旅籠)が移築復元され、山王茶屋もこの一角に移築されて往時の姿を留めており、もし会津西街道を訪ねてみようという方がおられるなら、まずはここに訪問することをお勧めしたい。さてさて、前置きはこれくらいにして、この博物館で知り得た山王茶屋について紹介しよう。

山王茶屋は積雪期の山王峠を往来する通行人の便を図るため、元和3年(1617年)に渡部家が家屋を構えたのがはじまりとされ、以来代々に渡って茶屋を営んできた。しかし、慶応4年(1868年)戊辰戦争の戦火に遭って焼失、翌年の明治2年(1869年)に再建されたのが、現在も残る山王茶屋の建物である。焼失の原因は会津軍を追討する西軍(芸州・佐賀・宇都宮藩)側の焼き討ちによるものと解説板には書かれており、おそらくは地元に伝わる口伝等を参考にしたのだろう。しかし、この点に少々違和感を覚えた。果たして後顧の憂いの無い追って側である新政府軍が宿泊施設を焼き討ちするのだろうか…と。普通に考えれば、退却側の会津藩兵が新政府軍を少しでも足止めするために焼き討ちしたと考えるのが妥当であり、新政府軍を西軍と書いていることからみても、地元住民の心情を考慮した上での解説なのかもしれない。

明治2年(1869年)に山王茶屋が再建されるにあたって、焼失前の場所から街道を挟んで斜向かいに建物を移し、東向きを西向きに変えたという。以来、長きに渡って通行人に休息の場を供してきたが、昭和初期頃に輸送手段が鉄道に移り変わり、街道の往来が衰退したため、ついには廃業に追い込まれたようだ。山王茶屋の跡地は”道の駅たじま”から約400m山王峠側、日吉神社付近にある民家の敷地内で、現在は更地になっている。どうせなら旧道と共に元々建てられていた場所に保存していてほしかった。その方が歴史的建造物としての価値は高かっただろう。道標等もそうだが、旧街道関係の遺構はそれがあった場所の地理的な要素が重要なのであり、興味を惹かれる部分であろう。下の地図に山王茶屋跡地の詳細を記してみたので参照して欲しい。

会津西街道 山王茶屋


奥会津博物館
奥会津博物館。詳細はこちらから↓

南会津町ホームページ・奥会津博物館
http://www.minamiaizu.org/kyouiku/index105.php?DocID=392


山王茶屋
山王茶屋。平成14年に解体工事がはじまり、平成17年に移築復元。現在は古民家レストラン山王茶屋となって利用されている。


山王茶屋
武士階級のみが利用する”乗り込み”と呼ばれる玄関を備え、本陣形式の格式を備える。そのため、茶屋本陣とも呼ばれていたようだ。


山王茶屋04
山王茶屋内部、勝手・土間の様子。


山王茶屋
山王茶屋内部、十畳の座敷から奥の部屋を望む。


山王茶屋にて
山王茶屋にて。


江戸期の山王茶屋跡
奥会津博物館から山王茶屋跡へ移動。写真は会津西街道の旧道から国道を跨いで山王茶屋跡を望んでいる。戊辰戦争以前の山王茶屋は左手国道上辺りにあり、再建後は国道向こうの旧道右手に建てられていた。


山王茶屋跡
再建後の山王茶屋跡地。写真手前から奥の民家へ続く道が旧道で、山王茶屋は右手の更地になっている場所にあった。標識が無いので予備知識が無ければ全くわからない。


山王茶屋跡
山王茶屋跡から山王峠方面の旧道を望む。


山王茶屋跡に残る湧き水
山王茶屋跡に残る湧き水。かつてはこの水を使って美味しい茶を入れ、旅人の疲れを癒したのだろう。参勤交代の途上に会津藩主も口にしたのかもしれない。


爪彫り不動
水の湧き出し口にある大石をよくよく見ると不動像が彫られている。ウソかホントか、今となっては調べようも無いが、弘法大師が爪で彫ったとの伝説があり、この湧き水を飲めばいかにもご利益がありそう。


山王茶屋付近の旧道 山王川
山王茶屋跡から山王峠へ向かう旧道(左写真)。旧道は山王茶屋から100m程先で山王川を渡河していたようで、右写真はその渡河地点と思われる場所。当然ながら橋は無く、対岸から先に続いていたはずの旧道の状態は不明。


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間の宿 今泉

【会津西街道歩き 第12日目】糸沢宿→川島宿→田島宿



【2011年5月8日(日)会津西街道 糸沢宿→川島宿 道中】
ゴールデンウィーク最終日となる日曜日。ゴールデンウィーク中は仕事をし続け、ようやく得た貴重な休日。関東地方の天気は上々。それに反して東北地方日本海側の天気は良くなさそうだが、会津方面なら大きく崩れることもないだろうと、準備を万端に整え北千住駅へ。北千住駅7:41発けごん1号(東武日光行)に乗車し、下今市で会津田島行に乗り換え、10:26七ヶ岳登山口駅に着く。会津西街道に歩みを戻し、再び糸沢宿内を歩いて田島宿を目指す。

糸沢宿を出て国道121号を約1.5km進んだ所で、旧道は国道を右手に分かれて今泉の集落へ入って行く。現在、この分岐点となっている旧道は会津鉄道によって分断されているが、すぐ北側に踏切が設置され、国道と旧道を繋いでいる。今泉は糸沢宿と川島宿の中間に位置する集落で、かつては馬宿があって仲附駑者(なかづけどちゃ)の間の宿として機能していたようだ。ここ今泉で馬宿を営んだ旧大竹家住宅が南会津博物館に移築、内部公開されており、往時の様子を肌身に感じることができる。今泉の集落を抜けると旧道は高台を進み、二荒山神社を過ぎた先で高台を下りて穴沢川を渡る。次の川島宿は間もなくだ。

旧大竹家住宅 旧大竹家住宅内部
南会津町ホームページ・奥会津博物館(古民家)
http://www.minamiaizu.org/kyouiku/index105.php?DocID=395

会津西街道 今泉


七ヶ岳登山口駅
七ヶ岳登山口駅から会津西街道の歩き旅を再開!本日は糸沢宿・川島宿を経て田島宿まで歩みを進める。


七ヶ岳登山口駅・駅前通り
駅を出てまず驚いたこと。GW最終日だというのにまだ桜が咲いていた!まさか、この時期に桜が見られるとは思わなかった。


糸沢宿入口
再び糸沢宿へ。前回訪れた時にあった残雪も消え、いかにも春らしい麗らかな雰囲気。


糸沢宿にて
糸沢宿にて。


まんまパン まんまパン02
朝飯を調達しようと”まんまパン”へ。しかし、11時前だというのに「本日完売のため閉店」の貼紙が…。そんなぁ…。


国道121号・糸沢
糸沢宿を出て国道121号を北上。


源義経一行逃避之地
糸沢宿を出てすぐ、メロンやスイカを売る屋台の横に”源義経一行逃避之地”と刻まれた石柱があった。義経と共に逃避してきた家来の渡邉内膳守義政という人が、この地に留まり龍福寺を開山したらしい。


阿賀川(大川)と七ヶ岳
阿賀川(大川)と七ヶ岳を望む。さすがに盛りは過ぎた感じだが、土手には桜がまだまだ健在。


今泉集落入口
今泉集落の入口。旧道が線路に分断されている。


弁財天碑
その旧道分断地点付近に残る弁財天碑。


第3今泉踏切
旧道分断地点から少し北側にある第3今泉踏切を渡って今泉集落へ。


今泉集落
集落内から旧道分断地点を望む。鉄道敷設以前は直進していたはず。


今泉集落
今泉集落を行く会津西街道旧道。集落内を歩いているところで突然風が強くなり、ポツポツと雨も降り始める。雲の動きが早く、ゲリラ豪雨の予感…。


会津山村道場駅
急ぎ、雨宿りできそうな会津山村道場駅へ避難。


会津山村道場駅にて 会津山村道場駅にて
天気は予想通りの暴風雨に。嵐が過ぎ去るのを待つこと20分…。


今泉集落02
天気が回復したところで今泉集落に歩みを戻す。さっきの暴風雨が嘘のよう。


今泉の地蔵群
今泉集落北外れに並ぶ地蔵。


会津西街道旧道 糸沢
旧道は阿賀川東側の高台上を進む。


七ヶ岳登山口駅と七ヶ岳を望む
会津山村道場駅を望む。背景に聳える山々は七ヶ岳。いい景色だあ!


会津山村道場駅03
撮り鉄な気分で撮影した1枚。


七ヶ岳と会津鉄道
七ヶ岳をバックにしてもう1枚。完全に鉄ちゃんと化しております。


二荒山神社
二荒山神社の鳥居前を通る旧道。


二荒山神社本殿
二荒山神社本殿。


会津西街道旧道 糸沢字馬場原
二荒山神社を過ぎて間もなく、旧道は国道121号に合流。穴沢川を渡って川島宿へ入って行くのだが、この付近の旧道ルートは消失しているようで不明。


荒海中学校
荒海中学校の前を通って。


穴沢川
水無し川の穴沢川。旧道は国道の野平橋より下流で渡河していたと思われる。
つづきは次の記事で…。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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