長野の渡し跡
【2011年5月28日(土)会津西街道 田島宿→楢原宿 道中】
田部原一里塚から先は阿賀川右岸の河岸段丘上を進む。かつての会津西街道は長野集落の東外れ、下川原と呼ばれる所に渡船場があり、舟で阿賀川を渡河していた。これが”長野の渡し”と呼ばれた渡し場である。本日の歩き旅におけるテーマの一つが、長野の渡しはどこにあったのか、という謎を解きたかったことにある。事前に色々と調べて見たが、それを特定できる資料もサイトも無く、とにかく行ってみて現地調査することにした。
まずは長野の渡し跡の手掛かりを探したが、案内標識等は見当たらない。そこで、下河原の旧道入口でお爺さんに尋ねてみたところ、うまさか”と呼ばれる場所に渡し場があったが、阿賀川が北側山裾に流れを移してしまったため、渡し場は田んぼになってしまっているとの情報を得た。「ここから左に入って左に曲がった先だよ。」と、解り易いようで解り難い道案内を受け、とにかくその通りに行ってみることに。下川原の集落内を歩いてみたが結局わからず仕舞い。たまたま、道で立ち話をしていたおばちゃんに、渡し場跡がどこなのか聞いてみた。
おばちゃん曰く、「うまさかの所だよ。」と言う。どうも”うまさか”がキーワードのようだが、その”うまさか”がどこなのか分からない。ということで、おばちゃんに道案内してもらうことに。歩いてきた道を少し戻り、河岸段丘を下りる場所まで連れてこられ、「ここが”うまさか”だよ。」と教えられた。”うまさか”とは”馬坂”と書き、下川原の河岸段丘上から阿賀川河原へ下りる坂道のことらしい。現在は渡し場があったらしき場所には田園風景が広がり、その形跡は全く見つけられない。


長野林停留所付近の県道347号。

長野道下に鎮座する金刀比羅神社。

長野の集落へ。

長野は宿場町では無かったが、それに勝るとも劣らない規模の町だったことは今も家並みに感じられる。阿賀川の渡し場を控えていたため、増水時等は足止めされた旅人で賑わったのだろう。

県道沿いに軒を連ねる長野集落の家々。

長野集落東外れの町並み。

長野集落の東外れ、県道と旧道の分かれ道。左に延びる道が旧道で、長野の渡しがあった下川原へ続く。

ここが下川原の馬坂。かつては下り坂を行った先に渡船場があったようだ。

馬坂下に位置する長野の渡し跡。地元の方の話によると、この田園地帯がかつての阿賀川流域で、渡し場があった場所。川の流れが前方の山側に移動したため、見ての通り今や往時を偲ぶことができない。

長野の渡し跡付近、現在の阿賀川。渡し場付近には橋が架けられていないので渡河不能。

長野の渡し跡から馬坂を望む。

下川原の集落に歩みを戻し、長野の渡し跡の下流側にある八幡橋へ向かう。

旧道沿いには”ふじ屋”の屋号が残る家がある。かつては何らかの商売をしていたのだろう。

下川原に鎮座する三島神社。

県道347号に合流し加藤谷川橋を渡る。

県道347号から県道348号に入り、八幡橋で阿賀川を渡河。

八幡橋から阿賀川上流を望む。かつての会津西街道は左岸の山裾を通っていた。現在はコンクリートに固められた山際上に国道121号が通されている。
田部原一里塚から先は阿賀川右岸の河岸段丘上を進む。かつての会津西街道は長野集落の東外れ、下川原と呼ばれる所に渡船場があり、舟で阿賀川を渡河していた。これが”長野の渡し”と呼ばれた渡し場である。本日の歩き旅におけるテーマの一つが、長野の渡しはどこにあったのか、という謎を解きたかったことにある。事前に色々と調べて見たが、それを特定できる資料もサイトも無く、とにかく行ってみて現地調査することにした。
まずは長野の渡し跡の手掛かりを探したが、案内標識等は見当たらない。そこで、下河原の旧道入口でお爺さんに尋ねてみたところ、うまさか”と呼ばれる場所に渡し場があったが、阿賀川が北側山裾に流れを移してしまったため、渡し場は田んぼになってしまっているとの情報を得た。「ここから左に入って左に曲がった先だよ。」と、解り易いようで解り難い道案内を受け、とにかくその通りに行ってみることに。下川原の集落内を歩いてみたが結局わからず仕舞い。たまたま、道で立ち話をしていたおばちゃんに、渡し場跡がどこなのか聞いてみた。
おばちゃん曰く、「うまさかの所だよ。」と言う。どうも”うまさか”がキーワードのようだが、その”うまさか”がどこなのか分からない。ということで、おばちゃんに道案内してもらうことに。歩いてきた道を少し戻り、河岸段丘を下りる場所まで連れてこられ、「ここが”うまさか”だよ。」と教えられた。”うまさか”とは”馬坂”と書き、下川原の河岸段丘上から阿賀川河原へ下りる坂道のことらしい。現在は渡し場があったらしき場所には田園風景が広がり、その形跡は全く見つけられない。


長野林停留所付近の県道347号。

長野道下に鎮座する金刀比羅神社。

長野の集落へ。

長野は宿場町では無かったが、それに勝るとも劣らない規模の町だったことは今も家並みに感じられる。阿賀川の渡し場を控えていたため、増水時等は足止めされた旅人で賑わったのだろう。


県道沿いに軒を連ねる長野集落の家々。

長野集落東外れの町並み。

長野集落の東外れ、県道と旧道の分かれ道。左に延びる道が旧道で、長野の渡しがあった下川原へ続く。

ここが下川原の馬坂。かつては下り坂を行った先に渡船場があったようだ。

馬坂下に位置する長野の渡し跡。地元の方の話によると、この田園地帯がかつての阿賀川流域で、渡し場があった場所。川の流れが前方の山側に移動したため、見ての通り今や往時を偲ぶことができない。

長野の渡し跡付近、現在の阿賀川。渡し場付近には橋が架けられていないので渡河不能。

長野の渡し跡から馬坂を望む。

下川原の集落に歩みを戻し、長野の渡し跡の下流側にある八幡橋へ向かう。

旧道沿いには”ふじ屋”の屋号が残る家がある。かつては何らかの商売をしていたのだろう。

下川原に鎮座する三島神社。


県道347号に合流し加藤谷川橋を渡る。

県道347号から県道348号に入り、八幡橋で阿賀川を渡河。

八幡橋から阿賀川上流を望む。かつての会津西街道は左岸の山裾を通っていた。現在はコンクリートに固められた山際上に国道121号が通されている。

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