中山峠越え②
【2011年10月16日(日)会津西街道 倉谷宿→大内宿】
高倉山の湧水から中山峠を越えて中山(桜山・中倉)の集落へ。倉谷宿と大内宿の間に位置する中山峠は、標高700m程で倉谷宿との標高差約200m、現在は福島県道131号のマイナーな峠。会津西街道の旧峠は県道より少し西側に入った所に位置し、現在も旧道の道筋が山中に取り残されている。その旧峠辺りは少々広めの平坦地になっていて、かつては茶屋が何軒かあったのだろう。茶屋の氏神様だったと思われる石祠が、大木の根元にぽつんと残されていた。中山峠から大内宿へ向かって旧道は緩やかに下るのだが、途中で林の中に途切れてしまう。迂回路で県道に合流し、桜山集落へ入ろう。


高倉山の湧水から道標に従い薮の中へ…。

薮の中から旧道の道形がはっきり残る地点に出る。熊出没注意の標識が目を惹く。

中山峠旧道。

そろそろ峠は近い!

ここが峠道の頂、つまり旧中山峠である。

旧中山峠と旧道。

旧中山峠は少々広めな平坦地となっている。旅人相手の茶屋があったのだろう。

旧峠には茶屋の氏神様だったと思われる石祠が残っているが、詳細は不明。

峠道を中山集落へ向かって下ろう。

中山峠旧道を下って行くとT字路に突き当たる。かつての街道は直進していたはずだが、その道筋は消失しているので、ここを右に曲がって県道へ出る。

この先で県道131号へ合流。

県道131号を進む。

みなんはら恵みの交流館。桜山集落の南側一帯は”みなんはら”と呼ばれているらしい。

桜山集落が見えてきた。桜山とその隣にある中倉の集落は明治初期までそれぞれ独立した村落だったが、明治8年(1875年)両村が合併して中山村となった。

地元の方と少々立ち話。近頃、沢伝いに熊が山を降りてきて、集落の山裾付近に出没しているとの話を聞く。「熊が動くのは朝方早くと夕暮れ時だから、今時の昼間なら大丈夫だよ。」と、地元の方は言うが、やはりそんな話を聞くと不安を煽られるわけで…。

桜山の御稷神社。

中倉一里塚跡。会津若松鶴ヶ城下・大町札の辻より7里(約28km)に位置する。一里塚は現存しておらず、解説板が設置されるのみ。

一里塚の裏手にある”なかやま古民具館”。廃校となった校舎を再活用したようだが、古民具館として機能しているのかどうかは不明。中へ入ることはできなかった。

中倉集落。県道沿いにどっしりと根を下ろす大ケヤキに目を惹かれる。

これがその大ケヤキ。八幡のケヤキとも、中山の大ケヤキとも呼ばれる樹齢950年という大木。天喜3年(1055年)八幡太郎義家が安部貞任を討伐する陸奥への途次、植樹したと伝わる。
高倉山の湧水から中山峠を越えて中山(桜山・中倉)の集落へ。倉谷宿と大内宿の間に位置する中山峠は、標高700m程で倉谷宿との標高差約200m、現在は福島県道131号のマイナーな峠。会津西街道の旧峠は県道より少し西側に入った所に位置し、現在も旧道の道筋が山中に取り残されている。その旧峠辺りは少々広めの平坦地になっていて、かつては茶屋が何軒かあったのだろう。茶屋の氏神様だったと思われる石祠が、大木の根元にぽつんと残されていた。中山峠から大内宿へ向かって旧道は緩やかに下るのだが、途中で林の中に途切れてしまう。迂回路で県道に合流し、桜山集落へ入ろう。


高倉山の湧水から道標に従い薮の中へ…。

薮の中から旧道の道形がはっきり残る地点に出る。熊出没注意の標識が目を惹く。


中山峠旧道。

そろそろ峠は近い!

ここが峠道の頂、つまり旧中山峠である。

旧中山峠と旧道。

旧中山峠は少々広めな平坦地となっている。旅人相手の茶屋があったのだろう。

旧峠には茶屋の氏神様だったと思われる石祠が残っているが、詳細は不明。

峠道を中山集落へ向かって下ろう。

中山峠旧道を下って行くとT字路に突き当たる。かつての街道は直進していたはずだが、その道筋は消失しているので、ここを右に曲がって県道へ出る。

この先で県道131号へ合流。

県道131号を進む。

みなんはら恵みの交流館。桜山集落の南側一帯は”みなんはら”と呼ばれているらしい。

桜山集落が見えてきた。桜山とその隣にある中倉の集落は明治初期までそれぞれ独立した村落だったが、明治8年(1875年)両村が合併して中山村となった。

地元の方と少々立ち話。近頃、沢伝いに熊が山を降りてきて、集落の山裾付近に出没しているとの話を聞く。「熊が動くのは朝方早くと夕暮れ時だから、今時の昼間なら大丈夫だよ。」と、地元の方は言うが、やはりそんな話を聞くと不安を煽られるわけで…。

桜山の御稷神社。

中倉一里塚跡。会津若松鶴ヶ城下・大町札の辻より7里(約28km)に位置する。一里塚は現存しておらず、解説板が設置されるのみ。

一里塚の裏手にある”なかやま古民具館”。廃校となった校舎を再活用したようだが、古民具館として機能しているのかどうかは不明。中へ入ることはできなかった。

中倉集落。県道沿いにどっしりと根を下ろす大ケヤキに目を惹かれる。

これがその大ケヤキ。八幡のケヤキとも、中山の大ケヤキとも呼ばれる樹齢950年という大木。天喜3年(1055年)八幡太郎義家が安部貞任を討伐する陸奥への途次、植樹したと伝わる。

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