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栃沢

【2011年11月26日(土)会津西街道 大内宿→関山宿】
氷玉峠の北麓、会津西街道(下野街道)の会津盆地入口に位置する栃沢集落。氷玉川に沿って延びる街道筋に6戸の家からなる小さな集落だが、かつては約3km北隣にある関山宿と共に街道を往来する人々で賑わったという。戊辰戦争の戦火に遭い、後の明治20年頃にも火災があって集落は全焼してしまったため、街道の往来で賑わった当時の面影は残っていないが、集落南外れに一里塚が両塚とも現存しており、今は人通りも無くなった街道筋でも往時を偲ぶことができよう。

会津西街道 栃沢


栃沢一里塚
栃沢一里塚。大内峠一里塚に負けず劣らずの状態で両塚とも現存。会津若松鶴ヶ城下・大町札の辻より4里(約16km)に位置する。


会津西街道旧道 栃沢
氷玉川に沿って旧道は延びる。


会津西街道旧道 栃沢
栃沢集落へ向かう会津西街道旧道。


会津西街道旧道 栃沢
林を抜けたところで福島県道131号へ合流。


栃沢集落
栃沢集落へ。大内宿から大内峠と氷玉峠の難所を越えて辿り着いただけに感慨深い。


栃沢集会所
玉路村小学校の分校跡地にある栃沢集会所。学校は昭和48年(1973年)廃校になった。


栃沢集落
栃沢集落内を行く福島県道131号(会津西街道旧道)。


栃沢集落にて
栃沢集落にて。


栃沢集落
栃沢集落北外れの福島県道131号。横を流れるのは氷玉川。


福島県道131号 栃沢
福島県道131号の栃沢ダム付近。


栃沢ダム
氷玉川の水を集める栃沢ダム。昭和39年(1964年)着工、昭和45年(1970年)に完成し、農地防災を目的に建設された。


福島県道131号 栃沢
栃沢ダムから関山へ向かう福島県道131号。


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テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

関山宿

【2011年11月26日(土)会津西街道 関山宿】
会津盆地南端に位置する関山宿。明治4年(1871年)関山村の家数34軒、人口190人。山間に佇む小さな宿場だったが、日光・田島方面からの鶴ヶ城(若松城)下入口とも言うべき場所に位置しており、戊辰戦争の際には南隣の栃沢集落と共に激しい攻防戦の舞台となった。その兵火によって栃沢と関山の集落は焼失、野村悌之助をはじめとする会津藩士40名が戦死した。今もその激戦を物語るように、関山宿南外れの旧道沿いにはその戦死者40名を弔う墓が残されている。

会津西街道 関山宿


戦死四十人墓
関山宿南外れに残る戦死四十人墓。


戦死四十人墓
戊辰戦争に敗れた会津藩は朝敵・賊軍の汚名を着せられたため、最初の墓石は自然石だったが、後に現在のものに再建されたという。


大山祇神社
関山宿南側入口に鎮座する大山祇神社。


関山宿
関山宿南側入口。


関山宿
熊野神社参道入口付近の関山宿と会津西街道旧道。


関山宿にて 関山宿にて
宿内には金毘羅や古峯神社、飯豊山の石碑が残り、古くからの民間信仰をうかがい知る。


関山熊野神社
関山宿内西側の山麓に鎮座する熊野神社。


関山宿
関山宿本陣跡。写真右手前、民家入口の奥がその本陣跡だったらしい。家の方にお話を伺ったところ、昔はここに大名を迎えるための式台を備えた玄関がある建物があり、文化財として保存した方がよいとの意見もあったが、結局は取り壊してしまったという。写真等の資料も残っていないとのことから、おそらくは戊辰戦争の戦火で本陣は焼失していると思われ、後に再建された建物が近年まで残っていたのかもしれない。


関山宿
関山宿と会津西街道旧道。


関山宿
洒落た土蔵造りの家が残る関山宿。


関山宿
宿内の街道沿いには古そうな土蔵がいくつか残るが、いずれも明治期以降のものと思われる。戊辰戦争の戦火によって町の様子は一変してしまったのだろう。


関山観音
一生に一度だけの願いは叶えるという関山観音。創建当時の堂宇は集落から離れた平地にあったが、寛政2年(1790年)関山宿内西側山麓の現在地に移された。徳一大師(奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗の高僧)作と伝わる十一面観音像を祀る。


鉢伏山・飯森山を望む
宿内から鉢伏山・飯森山を望む。あの山の向こうは山形県である。この時ふと思ったこと、会津からあの山岳を越えて米沢へ行ってみたい…。


関山宿
関山宿北側入口より宿内を望む。


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福永宿

【2011年11月26日(土)会津西街道 福永宿】
関山宿から北へ19町余り(約2㎞)、会津西街道(下野街道)最後の宿駅となる福永宿は関山宿からほど近い。元は城下に近い本郷に宿駅があったが、慶長6年(1601年)から寛永4年(1627年)の間に、本郷宿を廃して福永宿へ移したという。本郷は阿賀川に近く、治水が悪かったことに移転の理由があるのかもしれない。福永は古くは火玉と称したが、寛永4年に当時の会津藩主・加藤嘉明が火の字を忌み嫌い、福永に改称したという。明治4年(1871年)福永村の家数43軒、人口243人。鶴ヶ城(若松城)下へ片継ぎだけする宿駅だったので、おそらく本陣は置かれなかったのだろう。

会津西街道 福永宿


氷玉川
関山宿から氷玉川に沿って北上。


県道131号 氷玉
福島県道131号と旧道の分岐点。旧道は右へ。


会津西街道旧道 氷玉大工屋敷
この辺り、何の変哲もない耕作地であるが、大工屋敷の字名が残る。大工の屋敷があった名残だろうか。


飯豊山地
北西の方角に飯豊山地を望む。飯豊山地は福島・新潟・山形の三県に跨る山地。本山の飯豊山は古くから山岳信仰の対象として崇拝されてきた。


新福永橋
旧道は新福永橋の所で分断。ここは迂回路へ。


福永宿
新福永橋上から旧道と福永宿を望む。


福永宿
氷玉川左岸に家を連ねる福永宿。


雷神社
雷神社参道入口。本殿は山のてっぺん辺りにある。


積翠寺
笠松山積翠寺。


福永宿
福永宿の町並み。


藤巻神社
村社藤巻神社。古い伝承より明神ヶ岳(会津美里町と柳津町の境に位置、標高1074m)より下り鎮座したと云う。天正末期(1590年頃)に社料を失い頽廃、万治元年(1658年)に再興されたと伝わる。


藤巻神社大イチョウ
藤巻神社本殿と大イチョウ。樹齢300年以上というこの大イチョウは、幹の途中から空根が乳房状に垂れ下がり、これを削り取って煎じて飲めば母乳の出が良くなるという伝承がある。


福永橋
旧道は宿内の福永橋を渡って氷玉川右岸を進む。


福永宿
福永宿北側の家並み。この先で旧道沿いの家並みが途切れ、写真奥に見える丸山に向かって延びる。


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丸山・高倉観音

【2011年11月26日(土)会津西街道 福永宿→本郷】
福永宿を出た会津西(下野)街道旧道は福島県道23号に合流、田園地帯の中を北へ進む。八重松橋の東詰、県道23号と県道72号が分岐する地点から、丸山へ向かって延びていた旧道は田んぼの中に一時消失、本八郷の南外れで再び旧道が現われ、本八郷集落内・丸山東麓を進み、蛇の宮の交差点で県道128号に合流して本郷の町へ入ってゆく。丸山は別名を高倉山と言い、その中腹に高倉宮の護身仏と云う十一面観音を安置する高倉観音がある。

会津西街道 丸山・本郷


会津西街道旧道と氷玉川
福永宿を出た旧道は氷玉川に沿って丸山(写真左に見える小山)へ向かう。


磐梯山
ついに姿を現した。磐梯山!


福島県道72号 大石随田
八重松橋先から旧道の消失地点。田んぼの中に旧道は消えてしまった。


会津西街道旧道 村上
大八郷の南外れで旧道が出現する。


会津西街道旧道 大八郷
大八郷集落を行く旧道。


会津西街道旧道 丸山・横堀下
正面間近に丸山が見えてきた。その山腹に見える建物が高倉観音。


八幡神社
高倉観音の参道登り口にある八幡神社。


鳳皇地蔵尊
八幡神社近くに安置される鳳皇地蔵尊。南北朝時代の作と推定され、古くから子育て地蔵として信仰を集める。


高倉観音
石段を登って高倉観音へ。以仁王の令旨により平家追討を企てた高倉宮以仁王。平家物語では平家の追討軍に討たれたことになっているが、倉谷宿からここまでに以仁王の伝承が数多くあり、あながち潜行伝説は本当にあったことなのかもしれないと思ってしまう。


会津西街道旧道 蛇の宮神社前
蛇の宮神社鳥居前を行く旧道。蛇の宮神社はこの辺りに棲息していたという伝説の大蛇を祀っているらしい。


会津西街道旧道 蛇の宮
蛇の宮神社を過ぎた先、丸山の北東麓で県道128号へ合流。


会津西街道旧道 本郷
すっかり日が暮れた本郷の町中を歩き…


会津本郷駅
17時半頃に本日のゴール、会津本郷駅へ着く。しかし、会津若松行きの電車到着まで1時間以上…、駅周辺に時間を潰せるような場所も無く、結局は西若松駅まで歩いた…。さすがに疲れたよ。


【会津西街道歩き 第16日目】湯野上温泉駅[タクシー利用]大内宿→大内峠→氷玉峠→関山宿→福永宿→会津本郷駅→西若松駅 歩行距離約33km


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会津本郷

【会津西街道歩き 第17日目】会津本郷→大町札の辻→鶴ヶ城(若松城)



【2012年1月22日(日)会津西街道 会津本郷→鶴ヶ城(若松城)下】
会津西街道歩きの最終章である。前日の土曜日に会津若松入り、”天然温泉「富士の湯」は宿泊客無料”の文言に釣られ、駅前にあるフジグランドホテルに宿泊。ホテルでチェックインをそそくさと済ませ、早速ほど近くにある”富士の湯”へ。会津若松駅から徒歩1分という信じられない程に好アクセスにある”富士の湯”、「ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉」の天然温泉を存分に楽しめる。浴場はものすごく広いのに脱衣所が少々手狭なのは残念な感じだが、日帰り温泉なら仕方ないところだろう。

ゆうゆう日帰りの湯 富士の湯
http://fujinoyu.jp/

天然温泉で体を癒し、缶ビールを2缶空けて就寝、明朝6:15に起床して身支度を整え、ホテル内の”中国料理 黄鶴楼”で朝食を済ませて、会津若松駅7:37発只見線(会津川口行)に乗車する。定刻通りの7:52会津本郷駅に下車、まずは前回サスペンデッドとなった本郷市街まで歩みを戻し、本郷市街から約2ヶ月ぶりに高倉観音の丸山を拝んで、2012年初っぱなの旧街道歩きをスタートする。さあ、鶴ヶ城(若松城)下の大町札の辻へ向けて会津西街道を辿ろう。

本郷は江戸初期に福永宿へ宿駅の機能が移されるまで宿場だった町。現在は広瀬神社から新町にかけての瀬戸町通り周辺に会津本郷焼の窯元が集まり、焼き物の町として知られる。会津本郷焼の歴史は古く、文禄2年(1593年)蒲生氏郷が城主の時、多量の陶土が採れる本郷に、城の屋根瓦を葺く職人を播磨国(現 兵庫県)から招いたことに始まりがあり、後の正保4年(1647年)藩主保科正之により尾張国(現 愛知県)瀬戸の陶工、水野源左衛門兄弟が招かれ、会津の冬の寒さに耐える赤瓦が開発されて焼瓦の進展を見た。以来藩用窯として本格的な製陶が行われた。

会津西街道 会津本郷


会津本郷駅
7:52会津本郷駅に下車。さ、寒い…。


会津本郷駅
会津本郷駅を後にしてまずは本郷市街へ向かう。


福島県道128号 会津本郷
本郷市街から丸山を望む。晩秋の2ヶ月前に訪れた時とは様相が一変、丸山はすっかり冠雪し、会津は本格的な冬を迎えていた。


福島県道128号 会津本郷
本郷は古く宿場だった町。江戸時代初期に福永へ宿駅の機能が移された。


広瀬神社
本郷の東端に鎮座する広瀬神社。


広瀬神社前
広瀬神社前にて。床屋の大胆な店名”イッ髪やらせろ”に思わず目が留まり…。


宗像窯と常勝寺
広瀬神社横の小路を入ったところにある宗像窯。道の突き当りに見えるのは常勝寺。宗像窯の歴史は古く、焼き物をはじめたのは享保4年(1718年)のことという。江戸時代中期の築造と伝わる登り窯を有している。詳細はこちらに詳しい↓

宗像窯公式ホームページ
http://www.munakatagama.net/


登り窯
宗像窯から観音山を少し登ったところにある登り窯。この小屋の中に登り窯があるのだが、入口は鍵が掛けられ中を見学することはできなかった。宗像窯公式ホームページ によると、「登り窯は山の傾斜を利用して燃焼効率を最大限に高めた伝統的な薪窯」だという。


会津美里町歴史資料収蔵室 向羽黒山城跡史跡案内・解説
登り窯から更に坂道を上がると会津美里町歴史資料収蔵室に着く。ここは観音山や岩崎山(向羽黒山)への登山口。岩崎山(向羽黒山)は芦名盛氏によって築かれた向羽黒山城跡であり、大規模な山城の遺構が残る。


本郷市街と丸山を望む
観音山登山口付近より本郷市街と丸山を望む。


福島県道128号 瀬戸町
街道に戻り瀬戸町を行く。


山田製菓店 山田まんじゅう
山田製菓店でその名も”山田まんじゅう”を購入。カラメル入りの薄皮に包まれたこしあんは適度な甘さで、1個食べると思わず2個目に手がいってしまう。


会津美里町インフォメーションセンター
山田製菓店の向かいにある会津美里町インフォメーションセンター。

会津美里振興公社
http://www.aizu-misato.jp/index.php


福島県道128号 瀬戸町
付近に会津本郷焼の窯元が点在する瀬戸町。


新開橋
瀬戸町と新町の境をなす新開橋。


福島県道128号 新町
明治から大正初期にかけて本郷の陶業は隆盛を極め、新町には料亭や芝居小屋が軒を連ね歓楽街として賑わった。


福島県道128号 新町
福島県道128号(会津西街道旧道)と県道130号が合流する交差点。旧道は県道219号となって直進する。


福島県道219号 新町
新町バス停付近。


福島県道219号 駅前
駅前を行く県道219号。


福島県道219号 駅前
会津美里町と会津若松市の境界をなす五叉路。旧道は直進方向、左斜めの道は会津本郷駅へ至る。


会津西街道旧道 北会津町上米塚
融雪のため道路の中央から噴水する雪国ならではの光景。実はこれが歩行者には厄介。見ての通り水浸しながらきれいにアスファルト路面が出ているので、車は結構なスピードで走り抜けゆき、その度に水を跳ねかけられる始末…。


泉源寺玉光堂
泉源寺玉光堂。安置される地蔵菩薩は大同年中(806年~810年)徳一大師の作と伝わる。


会津西街道旧道 北会津町上米塚
上米塚の旧道。直進する小路が旧道で、阿賀川(上米塚の渡し跡)へ続く。


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プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP
24日目(2016/10/9)島田宿→藤枝宿 MAP
25日目(2016/12/24)藤枝宿→岡部宿 MAP
26日目(2017/3/19)岡部宿→丸子宿→府中宿 MAP
27日目(2017/5/6)府中宿→江尻宿 MAP
29日目(2017/11/4)由比宿→蒲原宿 MAP
30日目(2018/2/11)蒲原宿→吉原宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
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