旧堀田邸と佐倉武家屋敷
【2012年5月27日(日)成田街道 佐倉城下】
前回の歩き旅から2週間後の日曜日、時間の関係で内部を見学することができなかった武家屋敷を再訪し、少し足を延ばして旧堀田邸も見学することに。京成佐倉駅から佐倉城址へ向かい、まずは朝から半日かけて国立歴史民俗博物館をじっくり見学。博物館に併設するレストランで昼食とし、古代米を使ったハヤシライスを食べてみた。値段はそこそこながら、量は少なめ。おそらく古代米に原価がかかるのだろう。そこそこ腹が満たされたところでレストランを後にし、大手門跡を通って”ひよどり坂”を登り鏑木小路の武家屋敷通りへ。
鏑木小路に残る武家屋敷は3棟、旧河原家・旧但馬家・旧武居家である。内部見学を済ませ、足早に新町の成田街道を歩いて佐倉厚生園内に残る旧堀田邸へ向かう。旧堀田邸は佐倉藩最後の藩主、堀田正倫が明治時代中期に建てた邸宅で、主屋や土蔵・庭園等が保存公開されている。今まで数々の城下町を歩いてきたが、佐倉城は内郭や外郭をはじめ土塁や堀等、往時の地形をよく留めているうえに、城下には3棟もの武家屋敷と旧大名家の邸宅が保存公開されている。城下町を実感したいのであれば、意外に佐倉はおススメな場所だ。

姥が池にて。池の中で可憐に咲くハスの花。

武家屋敷の旧河原家住宅。近隣から移築されてきた。建築年代は不明であるが、古文書から弘化2年(1845年)には存在していたと考えられ、佐倉に残る武家屋敷の中でも最も古いものだという。幕府による”天保の御制”に定められた三百石以上千石未満の藩士が住む大屋敷にあたる。

旧河原家住宅座敷。

旧河原家住宅茶の間。当時の調度品を展示。

旧河原家住宅納戸。

旧但馬家住宅。建築年代は不明。文献や絵図により文政4年(1821年)から天保8年(1837年)の間に建てられたと推測されている。”天保の御制”に定められた百石以上三百石未満の藩士が住む中屋敷にあたる。

旧但馬家住宅は所在地を変えずに復元整備されたため、屋敷地の形状や植栽に当時の様子を留めている。

旧但馬家住宅座敷。

旧武居家住宅。”天保の御制”に定められた百石未満の藩士が住む小屋敷にあたる。幕末に田島伝左衛門という禄高九十石取りの藩士が住んでいたと考えられている。

佐倉城下の東側台地上、成田街道が通る弥勒(みろく)町の南側にある旧堀田邸。明治23年(1890年)竣工、明治44年(1911年)に湯殿を増築、佐倉藩最後の藩主堀田正倫が住居とした。佐倉厚生園の敷地内に主屋をはじめとする建物や庭園が残る。

旧大名家の邸宅らしい上品な佇まい。

旧堀田邸客座敷と次の間。

旧堀田邸客座敷にて。TVドラマ”JIN-仁-”を見ていた方なら、この薩摩藩邸でのシーンを記憶されている方も多いだろう。私も夢中になって見ていた一人だが、ここで撮影されてたのだ!感動。

NHKのスペシャルドラマ”坂の上の雲”のロケ地にもなった。
前回の歩き旅から2週間後の日曜日、時間の関係で内部を見学することができなかった武家屋敷を再訪し、少し足を延ばして旧堀田邸も見学することに。京成佐倉駅から佐倉城址へ向かい、まずは朝から半日かけて国立歴史民俗博物館をじっくり見学。博物館に併設するレストランで昼食とし、古代米を使ったハヤシライスを食べてみた。値段はそこそこながら、量は少なめ。おそらく古代米に原価がかかるのだろう。そこそこ腹が満たされたところでレストランを後にし、大手門跡を通って”ひよどり坂”を登り鏑木小路の武家屋敷通りへ。
鏑木小路に残る武家屋敷は3棟、旧河原家・旧但馬家・旧武居家である。内部見学を済ませ、足早に新町の成田街道を歩いて佐倉厚生園内に残る旧堀田邸へ向かう。旧堀田邸は佐倉藩最後の藩主、堀田正倫が明治時代中期に建てた邸宅で、主屋や土蔵・庭園等が保存公開されている。今まで数々の城下町を歩いてきたが、佐倉城は内郭や外郭をはじめ土塁や堀等、往時の地形をよく留めているうえに、城下には3棟もの武家屋敷と旧大名家の邸宅が保存公開されている。城下町を実感したいのであれば、意外に佐倉はおススメな場所だ。

姥が池にて。池の中で可憐に咲くハスの花。

武家屋敷の旧河原家住宅。近隣から移築されてきた。建築年代は不明であるが、古文書から弘化2年(1845年)には存在していたと考えられ、佐倉に残る武家屋敷の中でも最も古いものだという。幕府による”天保の御制”に定められた三百石以上千石未満の藩士が住む大屋敷にあたる。

旧河原家住宅座敷。

旧河原家住宅茶の間。当時の調度品を展示。

旧河原家住宅納戸。

旧但馬家住宅。建築年代は不明。文献や絵図により文政4年(1821年)から天保8年(1837年)の間に建てられたと推測されている。”天保の御制”に定められた百石以上三百石未満の藩士が住む中屋敷にあたる。

旧但馬家住宅は所在地を変えずに復元整備されたため、屋敷地の形状や植栽に当時の様子を留めている。

旧但馬家住宅座敷。

旧武居家住宅。”天保の御制”に定められた百石未満の藩士が住む小屋敷にあたる。幕末に田島伝左衛門という禄高九十石取りの藩士が住んでいたと考えられている。

佐倉城下の東側台地上、成田街道が通る弥勒(みろく)町の南側にある旧堀田邸。明治23年(1890年)竣工、明治44年(1911年)に湯殿を増築、佐倉藩最後の藩主堀田正倫が住居とした。佐倉厚生園の敷地内に主屋をはじめとする建物や庭園が残る。

旧大名家の邸宅らしい上品な佇まい。

旧堀田邸客座敷と次の間。

旧堀田邸客座敷にて。TVドラマ”JIN-仁-”を見ていた方なら、この薩摩藩邸でのシーンを記憶されている方も多いだろう。私も夢中になって見ていた一人だが、ここで撮影されてたのだ!感動。

NHKのスペシャルドラマ”坂の上の雲”のロケ地にもなった。

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