川越城址
【2013年1月13日(日)川越街道 川越城下】
喜多院を出て川越城址に向かおう。まずは南大手門跡から城内に入り、富士見櫓下の田郭門跡、本丸裏口にあたる天神門跡を通って三芳野神社が鎮座する天神曲輪へ。実はこのルート、誰もが知るあの童歌”通りゃんせ”の発祥の場所と云われる。元々ここにあった三芳野神社は、川越城の築城により城内の中心部に位置することになり、一般人が気軽に立ち入れる場所ではなくなってしまったらしい。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ♪
三芳野神社で参拝を済ませ、川越城本丸御殿を見学に。川越城は室町時代中期に扇谷上杉氏の家臣、太田道真・道灌父子が築城、戦国時代に北条氏が攻め落として武蔵国支配の拠点となった。豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏は滅亡、後に関東へ入封した徳川家康の支配下に置かれ、今の城址図に見る5郭・3櫓・13門の縄張りは江戸時代初期、松平信綱が川越藩主の時に完成する。しかし、江戸時代が終わり廃城令によって川越城の解体が進み、大部分の建築物は撤去、水堀は埋め立てられ土塁は均された。今や川越城の縄張りの遺構はほぼ消滅してしまった状態だが、奇跡的に本丸御殿の広間と玄関が残り一般公開されている。本丸御殿が残るのはここ川越城と高知城等、数えるほどしかなく、非常に貴重な遺構だという。


川越城南大手門跡から川越城内へ入るべし。

川越第一小学校の西門付近が南大手門跡。かつては門前に三日月堀と丸馬出が設けられていたが、往時の遺構は見る影もない。

南大手門跡から東に小路を進んで田郭(田曲輪)門跡へ。

かつて田郭(田曲輪)門の北東側に富士見櫓が聳えたが、今はその土台となった土塁が残るのみ。その周りに巡らされた水堀は、写真を見ての通り完全に埋め立てられている。

川越城富士見櫓跡。川越城には天守が築かれず、ここにあった二層の富士見櫓が代わりにシンボル的存在だったらしい。かつては遠く富士山が望めたのだろうが、現在は見えるのかどうか定かではない。

富士見櫓跡に鎮座する御嶽神社と浅間神社。御嶽と浅間に富士、日本を代表する霊山が集結しているわけだ。廃城後、山岳信仰の周辺住民によって富士が望めるこの地を選んで創建されたのだろうか。

御嶽神社裏手にはひっそりと富士見稲荷が祀られる。

天神曲輪入口の天神門跡付近。

ここが行きはよいよい、帰りはこわいの三芳野神社。

現社殿は寛永元年(1624年)川越藩主の酒井忠勝により造営、明暦2年(1656年)に大幅な改築があり、江戸城二の丸にあった東照宮を移築して本殿とし、新たに幣殿を設けて権現造りの建築が完成した。

三芳野神社にて。

川越城本丸跡にて。二匹の猫は敵対関係にあるらしく、「ウー、シャーシャー」と威嚇しまくってる…。おー、こわっ。

本日最大の見せ場、川越城本丸御殿へ。嘉永元年(1848年)に建てられた本丸御殿の一部、玄関や広間、家老詰所が現存。川越城は縄張りの遺構がほとんど消失してしまったが、本丸御殿の一部が今に残されたことは奇跡である。

川越城本丸御殿家老詰所。家老さんらは何を話し合っているのでしょうか。

川越城本丸御殿大広間。

川越城本丸御殿を後にして。

本丸と二ノ丸の出入口、本丸門跡。

二ノ丸跡に建つ川越市立博物館。川越の歴史や建造物に関する展示を解説員付で見学でき、川越へ訪れた際には是非とも立ち寄ってみてほしい。川越散策が更に面白くなること請け合い。

二の丸と三の丸を繋いだ三ノ門跡。鉤の手に曲がる道筋だけが残されている。

ほとんどが失われた川越城の縄張り遺構にあって、堀跡が復元保存される貴重な中ノ門堀跡。冠木門のモニュメントと解説板が設置されている。

川越城中ノ門堀跡。現在は土塁上に土塀が復元されて綺麗に整備された空堀だが、往時は水堀だったらしい。

中ノ門跡の南大手門側手前に残る往時の道筋。突き当りが中ノ門堀で、その手前を左折した先に二階建櫓門の中ノ門が建てられていた。

川越城西側入口となる西大手門跡。こちらも南大手門と同様、門前に三日月堀と丸馬出が設けられていたが、現在は川越市役所がでーんと構えている。

川越城址を出て札の辻交差点へ。

再び蔵造りの町並みの中を歩いて。

寛政4年(1792年)建築の大澤家住宅。呉服商・近江屋半右衛門が建てた商家で、川越最古の蔵造り店舗建築。明治26年(1893年)の川越大火で焼失を免れたことから、防火に優れていることが認知され、蔵造りの店舗に建て替える商家が次々に現れた。今に見る川越蔵造りの町並みの原点となった店舗である。

亀屋元町店で”亀どら”を購入。
天明三年創業旧川越藩御用 小江戸川越 亀屋
http://www.koedo-kameya.com/

川越時の鐘っ!

蔵造りの町並は素晴らしいが、車の通行量が非常に多いのは難点だ。

旧山吉デパート。

ここが蔵造りの町並みの南端、仲町交差点。
【川越街道歩き 第5日目】川越駅→喜多院→川越城址→川越蔵造りの町並み→川越駅
川越街道歩きはこれにてお終い!
喜多院を出て川越城址に向かおう。まずは南大手門跡から城内に入り、富士見櫓下の田郭門跡、本丸裏口にあたる天神門跡を通って三芳野神社が鎮座する天神曲輪へ。実はこのルート、誰もが知るあの童歌”通りゃんせ”の発祥の場所と云われる。元々ここにあった三芳野神社は、川越城の築城により城内の中心部に位置することになり、一般人が気軽に立ち入れる場所ではなくなってしまったらしい。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ♪
三芳野神社で参拝を済ませ、川越城本丸御殿を見学に。川越城は室町時代中期に扇谷上杉氏の家臣、太田道真・道灌父子が築城、戦国時代に北条氏が攻め落として武蔵国支配の拠点となった。豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏は滅亡、後に関東へ入封した徳川家康の支配下に置かれ、今の城址図に見る5郭・3櫓・13門の縄張りは江戸時代初期、松平信綱が川越藩主の時に完成する。しかし、江戸時代が終わり廃城令によって川越城の解体が進み、大部分の建築物は撤去、水堀は埋め立てられ土塁は均された。今や川越城の縄張りの遺構はほぼ消滅してしまった状態だが、奇跡的に本丸御殿の広間と玄関が残り一般公開されている。本丸御殿が残るのはここ川越城と高知城等、数えるほどしかなく、非常に貴重な遺構だという。


川越城南大手門跡から川越城内へ入るべし。

川越第一小学校の西門付近が南大手門跡。かつては門前に三日月堀と丸馬出が設けられていたが、往時の遺構は見る影もない。

南大手門跡から東に小路を進んで田郭(田曲輪)門跡へ。

かつて田郭(田曲輪)門の北東側に富士見櫓が聳えたが、今はその土台となった土塁が残るのみ。その周りに巡らされた水堀は、写真を見ての通り完全に埋め立てられている。

川越城富士見櫓跡。川越城には天守が築かれず、ここにあった二層の富士見櫓が代わりにシンボル的存在だったらしい。かつては遠く富士山が望めたのだろうが、現在は見えるのかどうか定かではない。

富士見櫓跡に鎮座する御嶽神社と浅間神社。御嶽と浅間に富士、日本を代表する霊山が集結しているわけだ。廃城後、山岳信仰の周辺住民によって富士が望めるこの地を選んで創建されたのだろうか。

御嶽神社裏手にはひっそりと富士見稲荷が祀られる。

天神曲輪入口の天神門跡付近。

ここが行きはよいよい、帰りはこわいの三芳野神社。

現社殿は寛永元年(1624年)川越藩主の酒井忠勝により造営、明暦2年(1656年)に大幅な改築があり、江戸城二の丸にあった東照宮を移築して本殿とし、新たに幣殿を設けて権現造りの建築が完成した。

三芳野神社にて。

川越城本丸跡にて。二匹の猫は敵対関係にあるらしく、「ウー、シャーシャー」と威嚇しまくってる…。おー、こわっ。

本日最大の見せ場、川越城本丸御殿へ。嘉永元年(1848年)に建てられた本丸御殿の一部、玄関や広間、家老詰所が現存。川越城は縄張りの遺構がほとんど消失してしまったが、本丸御殿の一部が今に残されたことは奇跡である。

川越城本丸御殿家老詰所。家老さんらは何を話し合っているのでしょうか。

川越城本丸御殿大広間。

川越城本丸御殿を後にして。

本丸と二ノ丸の出入口、本丸門跡。

二ノ丸跡に建つ川越市立博物館。川越の歴史や建造物に関する展示を解説員付で見学でき、川越へ訪れた際には是非とも立ち寄ってみてほしい。川越散策が更に面白くなること請け合い。

二の丸と三の丸を繋いだ三ノ門跡。鉤の手に曲がる道筋だけが残されている。

ほとんどが失われた川越城の縄張り遺構にあって、堀跡が復元保存される貴重な中ノ門堀跡。冠木門のモニュメントと解説板が設置されている。

川越城中ノ門堀跡。現在は土塁上に土塀が復元されて綺麗に整備された空堀だが、往時は水堀だったらしい。

中ノ門跡の南大手門側手前に残る往時の道筋。突き当りが中ノ門堀で、その手前を左折した先に二階建櫓門の中ノ門が建てられていた。

川越城西側入口となる西大手門跡。こちらも南大手門と同様、門前に三日月堀と丸馬出が設けられていたが、現在は川越市役所がでーんと構えている。

川越城址を出て札の辻交差点へ。

再び蔵造りの町並みの中を歩いて。

寛政4年(1792年)建築の大澤家住宅。呉服商・近江屋半右衛門が建てた商家で、川越最古の蔵造り店舗建築。明治26年(1893年)の川越大火で焼失を免れたことから、防火に優れていることが認知され、蔵造りの店舗に建て替える商家が次々に現れた。今に見る川越蔵造りの町並みの原点となった店舗である。

亀屋元町店で”亀どら”を購入。
天明三年創業旧川越藩御用 小江戸川越 亀屋
http://www.koedo-kameya.com/

川越時の鐘っ!

蔵造りの町並は素晴らしいが、車の通行量が非常に多いのは難点だ。

旧山吉デパート。

ここが蔵造りの町並みの南端、仲町交差点。
【川越街道歩き 第5日目】川越駅→喜多院→川越城址→川越蔵造りの町並み→川越駅
川越街道歩きはこれにてお終い!
スポンサーサイト